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とある日の事、リディアは扉の前で聞き耳を立てて、父からの差し入れであるヴィンテージワインを手にしたまま固まっていた。
中から聞こえてくるのは、酒に酔い大きな声で文句を言っている婚約者オーウェンの声だった。彼は、普段は礼儀正しく常にリディアの前に立ち手を引いてくれるそんな相手だ。
しかし、友人と酒盛りをしている日だけは、まるで多重人格のように豹変する。
……今日も飲みすぎているのかしら。
リディアはオーウェンの声を聴きながら、そんな風に思った。たいてい悪態をつくほど酔っぱらった次の日は、彼はそう言い訳をするので、今日もそうなのだと思う。
……それなら、このワインはいらないわね。
もっとひどく酔っぱらうのならば、美味しいワインなど持ち込む意味もない。
それに彼が酔って何をしてこようとも、男とはそういう物だ、仕方ない、そう諭され、まるで自衛をしなかったリディアの方に責任があるように家族に言われる。
いくらリディアが彼の酒癖について言及しようとも、酒の席での戯言に何を真面目になっているのかと一蹴されてしまうのだ。
リディアはまだお酒が飲めないので、その気持ちを微塵も理解できないが、伯爵家の皆がそういうのならと受け入れている。
だからこそ自衛をするためにそっと自室に戻ろうと思った。
「あんな、派手で! 下品で! はしたない女と結婚させられる俺を憐れんでくれぇ!!」
しかし、彼の部屋の中からそんな声が聞こえてくる。
入り婿になる予定のオーウェンはこのクラウディー伯爵家で、すでに部屋を与えられていて、リディアが成人したら正式に籍を入れてクラウディー伯爵家の仕事をこなすことが出来る。
そのためだけに子爵家の次男にわざわざ仕事を仕込んで、リディアが女性領主として上手くやれるように準備してきた。
「あんななりの癖に、融通は利かないし頭は固いし、いいとこなしの箱入り娘なんて俺には釣り合わねぇぞぉ!!」
雄たけびのような声が聞こえる。
この屋敷は本邸と敷地は同じだが別棟だ。当然、父や母にはこの彼の姿も声も一度たりとも見せたことは無い。
夜更けになってから週に一度ほど、こうして友人を呼んで羽目を外す。
その習慣に良い顔はしないものの、そのぐらいは女性として許してやるべきだと常に言い含められている。
許して忘れて、水に流してやることができてやっと立派な貴族なのだと教えられた。
…………。
「リディアお嬢様、お時間がかかっている様子でしたのでお迎えに上がりました」
彼の文句をただ無言で聞いていると、ふとランタンの明かりを手にした側近のロイがリディアにこっそりと話しかけた。
「ワインは私から丁重にクラウディー伯爵様に返却しておきますね」
それから部屋の中から聞こえる文句に気がついて、彼はリディアからそっとワインを受け取って抱えて身を翻した。
そんな彼を呼び止めて、湧き上がる激情を堪えつつ、ロイに問う。
「……ロイ」
「はい?」
「ロイは、オーウェンが居なくなった場合、穴を埋められるかしら」
「……ええ、勤め始めてから長いですから」
「そうね……そうよね。……ねぇ、わたくしのお願い聞いてくれる?」
「はい、喜んで」
無邪気に笑みを見せる彼に、まったくよい手駒を持ったものだと思いつつ、リディアは自室へと向かった。
オーウェンがあげる雄叫びは今朝方まで続いたのだった。