表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
宮廷編2
85/387

二十八、夕餉

 紅娘に例の話を振って二日後、老婆のような姿をした老人が後宮へとやってきた。

 思った以上の迅速な動きにびっくりした。


 高順に連れられたおやじは、翡翠宮の面々に挨拶すると、医局へと向かった。しばし、やぶ医者の元にいるらしい。

 やぶが解雇になったらどうしようかと思っていたが、しばらくはその心配はないだろう。


 荷物を整理する猫猫の前に、桜花インファたちがやってきた。


「ほんとせわしないわよね、あんたも」


 そう言いながら、部屋の掃除を手伝ってくれる。貴園グイエンがいくら片付けてもでてくる薬草に呆れ、愛藍アイランが干からびた蜥蜴の尻尾に悲鳴を上げそうになる。


「仕事ですので」


 仕事というが、本当にそうなのだろうかと猫猫は思わなくもない。

 きっと仕事をちゃんとこなせば、壬氏は褒美として珍しい薬草の一つくらいくれるだろう、もしかしたら、異国の医学書かもしれない。

 でも、そんなものとは違うなにかが猫猫を揺り動かしていた。


(……ああ、面倒くさい)


 こんなことしたくないけど、そう動いてしまう自分が嫌になる。

 風呂敷に調合道具を詰め込みながらため息をついていると、桜花が思い出したかのように猫猫を見た。


「そういや、猫猫のお父さん? だよね、あの人」

「ええ、まあ」


 似たようなものなのでそういうことにしておく。細かく説明すると、面倒くさいので省略する。


「なんか全然、想像と違ったんだけど。なんていうか、普通というか、なんというか」

「……なにを想像してたんですか?」

「まあ。なにっていえば、ねえ」


 桜花の言葉に同意するように、貴園も愛藍も顔を合わせて頷く。


 一体、何を想像していたのか不思議でならない。






 後宮を出、久しぶりに歩く外廷はなんだか少し空気が違う気がした。後宮内は、封鎖的である。外の空気を感じることはほとんどない。たまに、壁の隙間から洩れる風を感じる程度だ。


 ぎすぎすしているというのか、それとも疑心暗鬼になっているのかわからない。ただ、ほんの数か月の間になにか変わるようなことがあったのだろう。


「……なんだか雰囲気が少し違いますね」


 猫猫は遠回しに高順に言った。高順は猫猫を迎えにきた。荷物は外で待たせていた下男に持たせ、猫猫は壬氏の部屋へと向かっていた。


「もうすぐ他国との会談があるんです」


 端的に言うと、高順はすたすたと歩いていく。普段、猫猫の歩調を気づかってゆっくり歩いてくれる男にしては珍しい速さだった。

 猫猫は速足に高順のあとへついていく。


 猫猫に政治情勢というものはわからない。たとえその場で聞いたとしても、半分も理解できないだろう。

 

 壬氏の棟へとついたあと、猫猫はそこの主がいないことをしっかり見計らって高順に話をすることにした。

 

 これから、猫猫がやろうとすること、それを壬氏に知られると面倒なことになると、猫猫はわかっていたから。






 準備が整うまでの数日、猫猫は水蓮とともに壬氏の身の回りの世話をする。まじまじと見る麗しの主人は、以前とは別の理由でやつれているように見えた。

 

 壬氏は、普段、気持ち悪いくらい笑みをたたえている。よく猫猫の前で、不機嫌な面を見せることはあるが、人前、特に後宮内ではそんな表情はあまり見せない。外面がいいといえばそうだろうが、まるで仮面でもかぶっているようにも見える。


 仮面をかぶっている間は、皆、その人外の美しさにころりと騙されてしまうだろう。稀有の美貌を持ったが故、そのほころびに気づけるものは数限られる。


 そして、ほころびを隠すことなく見せる数少ない場所が、こちらの自室くらいだろうか。

 仕事から帰り、居間に入るなり、壬氏はぐったりと長椅子に横たわった。水蓮に言われるがまま、猫猫は蜂蜜を加えた果実水を壬氏へと渡す。


 壬氏はそれを半分ほど飲み干すと、高順が持ってきた書類に目を通す。


 猫猫はそれをちらりと見る。どうやら今度ある他国との会談とやらの資料らしい。関税の意味位なら猫猫にだってわかる。

 盗み見はよくないと思いつつ、猫猫は気になるところに目が行った。


「……」

「なにかあるのか?」


 じっと見る猫猫に気が付いたのか、壬氏が問いかけてくる。


「会談がある場所は、都ではないのですね」


 地名を見ると、北西の国境沿いの街の名がある。都から距離を考えると、長旅になるだろう。誰が出席するのかわからないが、数か月はこちらに帰って来れまい。


「さすがに向こうもこちらまでやってくる気はないらしい」


 むしろ、あちらがこっちまで出向いてきてやったという形を考えれば、譲歩しているほうだろう。

 ただ、猫猫が気になったのは、その開催する都市の位置だ。


 西側は他国との国境、北側は一応自国領となっているが、古くから異民族が住んでいる。国という体裁はとっていないものの、西と北、二方向に警戒をする土地柄だ。

 

「正直、乗り気になれる場所ではないのだがな」

「そうでしょうね。気が休まりませんから」

 

 異民族とて人であるが、そこに通じる文化というものは違う。おやじも西方に留学するとき、それを実感したといっていた。

 言葉が違うと、意志疎通も難しい。そこに、食べ物、衣装、生活様式、信仰、さまざまな要素を入れるとさらに困難になる。


「それもあるが、あちらは妙なものを食べる習慣があるんだ」


 妙にげんなりした顔で残りの果実水を飲み干す。


「虫を普通に食事に出すらしい」

 

 ふうっと息を吐く壬氏。


 これだから、甘ちゃんは、と猫猫は思う。蛇も蛙も食べる猫猫にとっては虫も食べないことはない。特に、北部では虫は大切な栄養源として扱われる。

特に蝗害が起きた年は普段食べるものでなくとも、蝗すら食べなくてはならないので仕方ない。北西部は穀倉地帯が広がっており、蝗害が起きたらただでは済まない。


(蝗害?)


 虫が起こす害。ひどい年では餓死者がでることもある。ときに、それで国の主が変わることもあるほど、深刻な災害の一つだ。虫に皇と書くのはそのためとも言われる。


 猫猫はもうひとつあることを思い出す。


(悪い虫が禍を運ぶ)


 子翠だった頃の少女が言った最後の言葉だ。


 虫とは、どういう意味か。禍とはなにか。


 猫猫は病気のことばかり考えていた。しかし、彼女が言っていたのがこのことだとすれば。

 

(これから、蝗害がおこる?)

 

 いや、いくら彼女が虫に詳しくとも、それがわかるものだろうか。もしわかったとすれば、どれだけ有益なことだろう。

 

 それはないな、と猫猫は首を振り、別のことを考える。


(虫といえば)


 虫を共食いさせ、生き残ったものを呪いに使うという術がある。巫蠱ふこというのだが、猫猫は呪いなんてものを信じない。

 おそらく、毒がある生き物同士が食らいあうことによって毒が蓄積されるのだろう。より強力な毒ができればそれを相手に盛ればいい。呪いなんてそんなものだ。


(一度試してみたい)


 そんな不埒なことを考えながら、書類に付随された地図を見る。ふと、昔、遊郭の客だった行商人の言葉を思い出した。

 北部に住む異民族の話だったろうか。


「……」

「どうした?」


 じっと地図を見る猫猫に壬氏が問いかけた。


「いえ、この地方に住む民は、狩を行うのでしょうか?」


 畑と放牧地が広がった平野の北側に森が広がっている。


「この国の民はしない。ただ、異民族は狩を主に生活の糧にしているときく」

「……虫を崇拝する部族が多いと聞いたことがあります」

「それはよく知らない。ただ、矢に虫の毒を塗り、狩や戦を行うと聞いたことならある」


 狩に毒を使うことは、どこでもある。しかし、ここらで一般的に使われる矢毒は鳥兜だ。南方では蛙から毒をとることもある。


 わざわざ虫を使うところがみそだ。


(禍を呼ぶ虫というのがこれを示していたら)


 今後、他国との交渉中にそれが介入してきたら、国が傾くとまではいかないが不利な状況に陥らなくもない。

 国の面子に関わる話ゆえに。


 もしそうなれば、下手すれば今までの小競り合いでは済まない争いが生まれる。そして、その戦でもっとも大きな顔をするのは――。

 北部に広がる森林地帯の多くは、楼蘭妃の一族、すなわち子の一族が担っている。帝は、力を頼らざるを得ないだろう。


 いや、それでは腑に落ちない。


 なぜ、楼蘭妃がそのことを前もって知っているのか。子の一族が知っていたとして放置したとすれば、それはなんのためか。帝に恩を売るためにしても、遠回しで面倒でなかろうか。


 いや、違う。

 そんなことが目的じゃない。


 今更、皇帝に恩を着せる理由はあるだろうか。

 それよりも、もっと大きなことに手を伸ばそうと思わないだろうか。


 猫猫はそこまで考えが至ったところで、首を振りたくなった。


 くだらない。そんなことを考えるほど、世の官どもは莫迦だろうか。十分、富も名声もある。さらに上に登ろうと考えるのは、生き急ぐのを越して自死に突き進むようなものだ。


 だが、相手は先の時代に思うままやってきた高官、一族である。なにかしら、そんな分不相応な考えが浮かんでしまうこともあるかもしれない。


(ああ、面倒くさい)


 そんな真似してどうする。無駄に血を流した上、一族郎党皆殺しにあうだけなのに。それとも勝因があるからこそ、企てているとでもいうのか。


 楼蘭妃はだからこそ、猫猫に伝えたかったのだろうか。

 

 莫迦な親族を止めるために。


 それとも――。


「これは、いつあるんですか?」


 猫猫は思わず口にしていた。これ、とは、他国との会談のことだ。


「年が明けてしばらくしてからだ。年末年始は忙しかろう」


 時間はない。

 猫猫はむうっと眉間に小さくしわを寄せて、同じく眉間にしわを寄せる高順を見る。

 高順はそれを見計らったかのように、壬氏に新たに書類を渡す。


「壬氏さま、こちらはどうなさいますか?」


 また違う行事の日程を渡され、壬氏はあからさまに顔をしかめた。


 猫猫も覗き込んで、その内容に嫌な顔をしてしまった。定期的に行われる祭祀のようだが、問題はそのあとに宴が催されることだ。その面子を見て、ぐにゃりと肩を下げたくなる。

 

 そうそうたる面子で、帝は出席しないものの、祭祀を執り行うのは皇弟のようだ。そして、猫猫にもわかる名前がいくつかあった。


 楼蘭妃の父親である子昌シショウに、なんだか思い出すだけで疲れてくる片眼鏡の男、羅漢である。

 これを見る限り、他に出席する輩もそうそうの顔ぶれだろう。


 猫猫は思わず顔が引きつりそうになったが、じっと高順が猫猫を見ていることに気づく。


(これは……)


 またとはない機会だった。


 猫猫は壬氏の前に、立つとじっと彼の顔を見る。


「壬氏さま」

「なんだ?」


 猫猫は小さく息を吐いた。

 高順はこのために、猫猫の前で壬氏の日程を見せたのだろう。またとはない機会だと言わんばかりに。


 そして、猫猫はそれを見逃すわけにはいかない。次は、いつ回ってくるかわからない。


「私に、この宴の席の毒見をやらせてもらえませんか?」


 ごく自然に、言ったつもりだった。


 しかし、壬氏は疑いの目を猫猫に向ける。


「怪しいな」

「なにがでしょうか?」


 猫猫は表情を表に出さないように、きりっと視線を冷めたものにして壬氏を見る。この視線ならいつもどおり毛虫を眺めた目にしか見えないだろう。それに気づいた水蓮の視線がなかなか恐ろしいが、今はそんなことを気にしていられない。


「お前が、軍師どのがいる席に好んで出席するわけがない」

「……」


 うむ、まさにそのとおりだ。

 そんなもの無視してくれればいいのに。


「壬氏さま、水蓮さまが用意している夕餉が冷めますよ」

「おまえは、嘘はつかないが本当のことを言わない性格だろう?」

「……」


 猫猫はちらりと高順を見る。

 高順もまた少し困った顔をしたが、一歩前に出た。


「壬氏さま、小猫は小猫なりに壬氏さまを思って申しているようです」

「……なにがだ?」


 少し壬氏が怪訝な顔をしながら、猫猫と高順をちらちらと交互に見る。


「多少、苦手な相手でも、壬氏様のためにと思って言っているのです」


(違うがな)


 結果的にそうなるかもしれないが、そのためじゃない。でも面倒なのでいちいち言い返すのは止めておく。


「羅漢さまを引き入れるとは言わなくとも、敵の敵にしたいとは思いませんか?」


 高順の言っていることは、大体間違いじゃない。訂正する必要はないだろう。


 すると、なんだか熱い視線が猫猫に向けられていた。


「それは本当か?」


 壬氏がいつもに増して、色気を増した顔で猫猫を見ている。やや目元が潤んで顔全体が熱っぽく見える。


 猫猫は、首を縦にも横にも振らず、ただ目を伏せて見せた。


 がたっと壬氏が長椅子から立ち上がったところで、ほかほかとおいしそうな匂いが近づいてきた。

 ずずんと、壬氏が猫猫に顔を近づけるところで、水蓮がにこやかに粥を差し出す。


「お食事が冷めますので、お食べになってください」


 初老の侍女の言葉は、相変わらず有無を言わさぬものだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] わかった! このドキドキキュンキュン感は、王家の紋章と同じだ。 あのように、いつかラブラブになったらいいな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ