27 誤解
だらだら会話ばかりの回です。
三日間の里帰りはあっというまに過ぎていった。
懐かしい顔ぶれにあい、ずっとこのままいたい気持ちも強かったが、後宮の仕事を放棄するわけもいかず、また、身元引受人の李白に迷惑がかかるので帰らないわけにいかない。
なにより、どんな嗜虐趣味を猫猫の初売りに出そうか考えているやり手婆に背中を押されたこととなる。
(いい夢みれたみたいだな)
やたらつやつやしている白鈴小姐と、眼尻が下がりはちみつに漬けた杏のようにかわった李白を見ると、過剰に報酬を払い過ぎたと後悔した。
おかげで次の身売り先が決定である。
まあ、一度、天上の甘露を知った李白には、地上のそれが口に合わなくなることに多少は同情した。
きっとやり手婆は、生かさず殺さず搾り取ることだろう。
そこまでは、猫猫に責任はない。
そんなわけで、土産を持って翡翠宮に帰ってきたわけであるが、いたのはやたら剣呑な空気を纏う天女のような青年だった。
柔和な笑みの向こうに蠱毒のような禍々しい気を感じる。
なぜだろう、やたらこっちをにらんでいる。
性格はなんであれ、美人は美人だ。それににらまれれば、迫力である。
面倒くさそうなのでできるだけ関わらないように頭だけ下げて、自室に向かおうとすると、しっかり肩をつかまれた。爪が食い込むいきおいである。
「応接室で待ってるぞ」
耳元にはちみつのような声が流れる。蜜は蜜でも、鳥兜の蜜である。
後ろで、諦めろと目で語る高順。
困ったようで目を輝かせている玉葉妃。
なぜだか猫猫を責めるような目で見る紅娘。
侍女三人娘も、心配より好奇心が上回っている。
あとで根掘り葉掘り聞かれることだろう。
(一体、なにがどうしたと?)
荷を置き、侍女服に着替え終わると応接間に向かった。
「なにかご用でしょうか?」
部屋には壬氏一人しかいない。簡素な官服を優雅に着こなし、椅子に足を組み、卓に肘をついている。なんだか、いつもより態度が悪い気がする。気のせいだろうか、気のせいにしたい、気のせいにしよう。
清涼剤たる高順もいない。
玉葉妃も見当たらない。
まあ、つまりいたたまれない。
「里帰り、いってきたようだな」
「はい」
「どうだった?」
「皆、元気そうでなによりでした」
「そうか」
「はい」
「……」
「……」
「李白っていうのは、どういう男なんだ?」
「はい。身元引受人です」
(なぜに名前を?)
今後の常連でもある。大切な金づるだ。
「意味がわかっているのか?その意味が」
「ええ。身元のしっかりした高官でなければ、引受人にはなれないと」
壬氏は、なんだかものすごく疲れた顔をしている。
当たり前のことはいうなということだろうか。
「簪をもらったのか?」
「何本も配っていましたので。義理でいただきました」
今考えると、太っ腹である。簡素な意匠だが、作りのしっかりした簪だった。
「つまり、義理で貰ったものに、俺は負けたんだな?」
(俺?)
聞きなれぬ一人称に首を傾げる。
「俺もあげたはずなんだが、まったく話は来なかったな」
不貞腐れたような顔をする。
天女の笑みはそこになく、猫猫とさほど歳の変わらない、もしくはそれよりも幼く見えた。
表情一つでここまで変わる人間っているものだと感心する。
どうやら、李白に頼り、壬氏に話が来なかったということが気に食わないらしい。不思議なものだ。面倒事は関わらないほうが楽に決まっているのに。そこのところは暇人だからか。
「申し訳ありません。壬氏さまに満足いただける対価など、私には思いつかなかったもので」
(宦官を妓楼に誘うなど、失礼でなかろうか)
茶飲みや詩歌を吟ずるだけの場所ならいざ知らず、色事にふけることもあるところだ。男でなくなった人間をそこに誘うのは気が引ける。
なにより、壬氏ほどの人間だ。そんじょそこらの妓女ならば木乃伊とりが木乃伊になる。
「対価ってなんだ?おまえ、それを李白ってやつに払ったのか?」
なにやら怪訝な顔をしている。
不機嫌に加えて、不安な表情が混じる。
「ええ、一夜の夢に喜んでおりました」
(あれじゃあ、しばらく現に戻れまい)
勇ましい武人も白鈴小姐にしてみれば、猫の子のようなものだろう。
今後、小判を運んでくるのか。
壬氏をみると、どうにも血の気の失せた顔をしている。
茶碗を持つ手が震えている。
(部屋が寒いのだろうか)
猫猫は火鉢に炭をくわえると、扇子で火をあおった。
「大変満足いただけたようで、こちらとしても頑張ったかいがありました」
(新規顧客探しも頑張らないと)
決意を新たに拳を結ぶと、後ろで茶碗の割れた音がした。
「なにしてるんですか?」
陶器の欠片が散らばっている。
青白い顔で突っ立っている壬氏の服は、茶のしみで濡れていた。
「ああ、すぐ拭くもの持ってきますから」
扉を開けるとそこには、お腹を抱えて笑っている玉葉妃。
ものすごく疲れた顔をした高順。
呆れてものが言えない紅娘がいた。
猫猫はわけがわからないまま、とりあえず布巾を探しに台所へと向かった。
○●○
「いつまでいじけているのですか」
執務室に戻っても壬氏は机に突っ伏したままである。
高順は深くためいきをつく。
「仕事中だということを忘れないでください」
「わかってるよ」
わかっていない。
壬氏という人物はそのような子どもみたいな返事はしない。
玩具に深く執着しない。
あの後、笑い転げる玉葉妃から事の詳細を聞くのに苦労した。
身元引受の見返りとは、憧れの人気妓女との面会だったという。あの娘にそんな伝手があったとは、まったく想像がつかなかった。
しかし、主はどんな想像をしたことやら。ああ、若いって恐ろしい。
幾分、落ち着きを取り戻しているが、それでも不満が残るらしい。
まあ、仕事を急いで終わらせて会いに行けば、知らぬ男と里帰りなど青天の霹靂には違いあるまい。
いつまでも子どもをなだめている暇はない。
高順は漆の箱を机に置くと、中から書簡を取り出した。
「先日の報告がようやく届きました」
火傷の女官を探せという。あれからひと月はたっていた。
「時間のかけ過ぎだ」
うつむいた顔をあげ、壬氏の顔にもどる。
「申し訳ありません」
言い訳を付け加えることはしない。
それが高順の信条だった。
「一体、誰だ?」
「はい。意外と大物でした」
書簡を机の上に広げる。
「柘榴宮、風明。淑妃の侍女頭です」