23 指
翡翠宮に戻るなり猫猫は、手厚い看護を受ける羽目になった。
いつも使っている狭い部屋ではなく、空き部屋の寝台に上等の被褥が敷かれ、あれよあれよと着替えさせられたらその中に放り込まれた。
上等の綿を使っており、いつもの菰を重ねただけの寝台とは雲泥の差だ。
「解毒剤も飲みましたし、身体に異常はないんですが」
実を言えば、解毒剤は意味がない。そういう毒である。
「何言ってるの?あの後、食べた大臣がすっごかったんだから。吐き出したからって無事なわけないじゃない」
桜花は心配そうな面持ちで額に濡れた布をのせる。
(本当に莫迦な大臣だ)
初期治療でうまく吐き出せただろうか。
気になったところで、今更、ここからでられないだろうし、仕方なく目を閉じることにした。
無駄に長い一日だった。
疲れはけっこうたまっていたらしく、起きたのは昼前だった。
侍女としてこれはまずい。
起きて着替えると、紅娘を探すことにした。
(そのまえに)
自室に戻り、いつも使っているおしろいを探す。おしろいといっても、皆が使っている真っ白なものではなく、いつものそばかすをつくるものだ。
磨いた銅板を鏡に、指先で刺青の周りをとんとん叩く。小鼻の上を特に濃く塗る。
(今更、すっぴんはねえ)
いちいち説明するのが面倒だ。
いっそ、逆にそばかすを隠したことにしてしまえばいいのかと思ったが、これはこれで恥ずかしい。たぶん、言われるたびに女の道が初めて通ったときのような反応をしてしまうだろう。
お腹がすいていたので点心の残りの月餅を一つ食べた。
紅娘は玉葉妃のもとで公主の面倒を見ていた。
はいはいで動き回る公主に目を離せないようで、床の敷布の上からはみ出さないように移動させたり、つかまり立ちの練習で椅子が倒れないように押さえていた。
「寝坊し、申し訳ありませんでした」
深く一礼する。
「今日は休んでもよかったのに」
玉葉妃は困り顔で頬に手を当て、首を傾げている。
「そうもいきません。なにかあればお申し付けください」
などというが、実際、普段から好き勝手にやっているのでいてもいなくても問題はないだろう。
「そばかす……」
玉葉妃はあまり触れてほしくないことを突っ込んでくる。
「落ち着かないので、このままでよろしいでしょうか」
「それもそうね」
意外にも、簡単に引き下がった。
猫猫は、怪訝な顔を妃に向ける。
「あの侍女は一体何者だって。みんなから詰め寄られたのよ。大変だったわ」
「申し訳ございません」
「その顔だと、一目じゃわからないから都合がいいわね」
穏便に動いたつもりだが、そうでもなかったらしい。
一体なにがいけなかったのだろう。
「それと、朝から高順が来ているけど、どうする?暇そうなので、外で草むしりしてもらっているんだけど」
(草むしり……)
たしか、けっこうな高官だったと思うが、さすがまめ男である。きっと、他の侍女たちの心をむんずとつかんでいるに違いない。
「居間を貸していただいてよろしいでしょうか?」
「わかったわ。すぐ呼ぶわね」
玉葉妃は紅娘から公主を受け取る。
紅娘は部屋をでて高順を呼びに行った。
自分からいけば早かったのだが、玉葉妃に手で制され、そのまま居間に移ることになった。
「壬氏さまからこれを」
来るなり挨拶もそこそこに、高順は布包みを卓においた。
ひらくと銀の器に盛られた羹があった。
猫猫が食べたものでなく、本来、玉葉妃が食べるはずだったものだ。
昨日は断ったが、結局、ご丁寧に持ってきてくれた。律儀なことであると同時に、何か調べろということだろう。
「食べないでください」
「食べません」
(銀は腐食が激しいからな)
食べない理由が他にあることを高順はわからないだろう。
疑わしげにこちらを見ている。
猫猫は器に直接触れないように持ち、目を細めてじっと見た。
器の中身ではなく、器自体を。
「これは、素手で持ったりしましたか?」
「いいえ。毒か中身を匙でとっただけです」
毒物を触るのも嫌だというらしく、布で触れずに包み込んだという。
それを聞いて、猫猫は唇をゆがめる。
「なるほど。少しお待ちください」
猫猫は居間を出ると、台所へと向かう。
ごそごそとあるものをとりだす。
次は先ほど眠っていた寝室へ。
上等の褥に頭を下げ、布と布の縫い目をほどき、中身を取り出し居間に戻る。
持ってきたのは白い粉と柔らかそうな綿だった。
猫猫は綿を丸めると、粉をつける。
それをぽんぽんと銀の器にはたいた。
高順は首を傾げ、のぞきこんでくる。
「これは?」
器に粉のあとが残る。
「人間の手が触れた跡です」
指先は脂が出やすく、金属など触れるとそこのあとが残るのだ。
腐食の激しい銀食器ならなおのことだろう。
昔、おやじどのが猫猫の悪戯防止にと、触ってはいけない器に染料をつけていたことがあった。
それを参考にして、思いつきでやってみたら案外うまくいくものである。粉の粒子がもっと細かければ、もう少しはっきり見えただろう。
「銀食器は使う前に必ず布で拭きます。くもりがあっては意味がありませんので」
食器には指のあとがいくつかついている。
指の大きさと位置でどのように持っているのかくらいは推測できそうだ。
(さすがに模様までは読み取れないな)
「器を持ったのは……」
言いかけてしまったと思った。
それを逃す高順でもない。
「いかがしましたか?」
「いいえ」
下手に隠し立てしようとも意味はない。
昨日のごまかしは無駄になるがしょうがない。
「全部でおそらく四人。この器を触れていますね」
指先が触れないように白い模様をさしていく。
「食器磨きは指をつけることがないので、羹をよそったもの、配膳したもの、それと徳妃の毒見役ともうひとりの誰か」
高順が精悍な顔をあげて猫猫を見た。
「なぜ毒見役が?」
できれば穏便にすませたい。
それは、この寡黙な男の器量次第である。
「簡単なことです」
猫猫は器を置いた。
顔に苦味が走る。
「いじめですよ」