80.食堂の攻防
校内を歩いていた五十嵐十香は、すぐにその異変に気付いた。
聞こえてくる悲鳴。
視線を向ければ、食堂の方から生徒たちが必死に走ってくるのが見えた。
その後ろには、無数のモンスターの姿もある。
(……やはり、校内に居ましたか……)
五十嵐は、己の推測が正しかったのだと確信する。
やはり魔物使いは校内に居たのだ。
そして、考えうる限り最悪の状況に、自分達が置かれているという事も。
「か、会長!五十嵐会長!」
我先にとこちらへ来たのは、副会長の宮本だ。
息を切らし、肩を激しく上下させながら自分へ近寄ってくる。
「ハァハァ、た、大変です!魔物使いが生徒でモンスターが現れて戦闘が―――」
「落ち着いて下さい。魔物使いは誰だったのですか?被害の状況は?」
「魔物使いは……その、葛木です。葛木さやかが、犯人でした……」
その知らせを聞き、彼女は一瞬驚いたが、すぐに冷静になった。
五十嵐は魔物使いを探すにあたって、ある程度の目星は付けていた。
自分と同じ生徒会のメンバー、現場で戦闘を行う探索班、避難民。
その中でも、葛木さやかは、可能性が高かった人物の一人だ。
(なるほど……やはり彼女だったのね)
ただ、確証はなかった。
二日目から探索班に加わった生徒だが、その献身的な姿勢が宮本や他の生徒たちから高く評価されていた。
そして積極的に探索に加わってたと言う事は、それだけ外でモンスターに接触する機会が多かったという事だ。
きっと他のメンバーの眼を盗んで、戦力を集めていたのだろう。
(……報告に不審な点は無かった。彼女の演技の方が一枚上手だっただけ……)
屈辱だが、認めるしかない。
自分達は彼女にまんまと出し抜かれたのだ。
五十嵐は、即座に気持ちを切り替え、目の前の状況について考える。
「分かりました。ではアナタは、他の生徒会メンバーと共に避難誘導を。ここは私が食い止めます」
幸いにして、食堂から校舎までは一本道だ。
ここで食い止めれば、校内の被害は最小限で済む。
「で、ですが、会長をお一人には……」
「いいから!早く行きなさい!」
「は、はひっ!」
逃げるようにその場を去る宮本を尻目に、五十嵐は迫ってくるモンスターの大軍を見つめる。
宮本達を下がらせたのは、彼らが大事だったからではない。
戦闘の邪魔になると判断したからだ。
(気持ちが折れた者が居ても足手まといになるだけ)
盾にすら使えないただの肉の塊だ。居ない方がよほどいい。
それに彼女のスキルは、一対多数向けだ。
だが、それでもこの数は少々荷が重いかもしれない。
「なあなあ、ねえちゃん!モンスターがいっぱいいるぜ!」
「そうだな、弟よ!これはうでがなるのだ!」
不意に後ろから聞こえた無邪気な声。
振り向けば、そこには小さな双子が居た。
「士織、士道、どうしてここに?」
彼女がそう問うと、小さな双子はにかっと笑った。
「「うるさくてお昼寝できなかった(のだ)!」」
「……お昼寝って。アナタたちはもう……」
こんな状況であっても、緊張感のない二人の姿に、彼女は苦笑する。
この双子の名は五十嵐士織と五十嵐士道。
彼女―――五十嵐十香の実の妹と弟だ。
「まあいいです。何にせよ、アナタ達二人がここに居たのは、嬉しい誤算でしたから」
五十嵐は笑みを深くする。
この二人がいるならば心強い。
なにせ、この二人は彼女の切り札。
この学校における『最高戦力』なのだから。
「―――士織、士道。敵です。駆除しますよ」
「はーい」
「りょうかいなのだ」
躊躇なく、三人はモンスターの大軍へと歩を進めた。
一方、食堂では―――
テーブルや障害物の陰に隠れながら移動する。
隠密系のスキルを全て駆使して、なるべく生徒やモンスターの眼に触れないように。
まあ、西野君や六花ちゃんも含め、全員が目の前の事に集中している状況だ。気付かれる可能性は低いだろうが、念には念をだ。
「ギギャッ!?」
アカが擬態した武器で、ゴブリンの首を刎ねる。
モンスターたちは出来るだけ一撃で仕留める。
そうすれば、気付かれる可能性はぐっと低くなる。
≪経験値を獲得しました≫
よし、先ずは一匹。
隣に居たゴブリンは、突然仲間が消えた事に首を傾げている。
操られてるモンスターたちに、意思はあるのだろうか?
そんなどうでもいい疑問が湧く。
だが、すぐにそんな考えを、思考の隅に追いやり、目の前の事に集中する。
≪経験値を獲得しました≫
二匹目。
流石に、そう簡単にレベルも上がらなくなってきたか。
俺の現在のレベルは17。
最後にレベルアップしたのは、朝のダーク・ウルフの群れとの戦闘の時か。
考えてみれば、まだあの戦闘から半日ほどしか経過していないんだよな。
世界が変わってから、随分と濃密な時間を過ごしてきた気がする。
「ギィ!?」「ギギィィィ!」
「グルルルル」「……ォォォオオオオオオオ」
食堂に残っているモンスターの数は……大体三十匹ほどか。
半分くらいは、出入り口から校舎の方へ向かったみたいだな。
残っている生徒は、西野君たちも含め、十名ほど。
多少は善戦できているが、なにせ数が圧倒的に違う。
加えて、オーク、シャドウ・ウルフ、ホブ・ゴブリンといった強力なモンスターも居る。
このままでは、遠からず全滅するだろう。
「―――ま、その時は、その時だ」
彼らには悪いが、そこまで気にする余裕はない。
俺は俺に出来る事をするだけだ。
さしあたっては、この状況。
この場から、仲間と共に無事に脱出する事だ。
窓や壁には、蜘蛛の巣状に張り巡らされた『闇』が広がっている。
コイツをどうにかしない限り、ここから抜け出すのは難しい。
窓から外の景色を見る。
どうやら、この食堂だけでなく、校舎の壁にも『闇』が侵食しているようだ。
皆殺しにするって言ってたし、校内に居る人間は誰一人逃がさないつもりなのだろう。
となれば、ここから脱出する為には、この『闇』を操っているモンスターをどうにかしなきゃいけない訳だ。
これだけの規模だ。操っているのは、間違いなくあのダーク・ウルフだろう。
だが、その当の本人は、魔物使いの影に隠れて出てくる様子は無い。
「なら、やる事は一つだ」
モンスターの守りを突破し、魔物使いである彼女をどうにかする。
俺は新たな『忍術』を発動させた。
―――魔物使い葛木は、その光景に違和感を感じていた。
おかしい。何かがおかしい。
(誰だ……?さっきから、モンスターを殺しまくってる奴は?)
注意深く観察しても、その姿を捉えきれない。
気づいた時には、モンスターが殺され、魔石が転がっているだけだ。
(……コイツか?さっき、俺を撃った奴は?)
いや、違うなと、彼女は自分の考えを否定する。
モンスターを殺しまわっている奴は、間違いなく近接型だ。
狙撃とは似ても似つかぬ戦法。
それはつまり―――。
(少なくとも二人……気配や姿を消して動き回れる奴がいる)
一体誰だ?
彼女の知る限り、学校内にそんなスキルを持った人間はいない。
ならば、外部の人間という事になる。
(最近来た避難民か?いや、それらしい奴は居なかった。……いや、待てよ?そういや、撃たれる寸前、相坂がおかしな事を言っていたな……)
あの時の、六花の言葉を思い出す。
確かメールがどうこう言っていた筈だ。
(……アレはもしかして、狙撃の合図だったのか?)
あの直後に狙撃が行われた。
『闇』による自動防御が行われていなければ、今頃自分は死んでいただろう。
そう思うとぞっとする。
無意識に、己の陰に潜む下僕を見つめる。
つくづくコイツを手に入れておいてよかったと思う。
(狙撃した奴らはどこかで俺の動きを監視してた。そして、俺が仕掛けると分かったからこそ先手を打った。そう考えるなら辻褄は合う。追撃が来なかったのは、初撃が失敗して警戒したからか?なら―――)
すぅと彼女は目を細める。
そしてモンスターたちに号令を出す。
「モンスター共!西野と相坂を優先して狙え!」
モンスターたちが、二人へ襲い掛かる。
三体のオークを相手に、あの二人は既に手一杯だ。
これ以上の相手は厳しいだろう。
もし狙撃した人物が、あの二人と繋がっているならば、この状況は見過ごせないはず。
(あぶりだしてやる)
自分を狙うか、それともモンスターたちを撃つか。
どちらにしても、なんらかの動きがあるはず。
万が一、自分が狙撃されても闇による自動防御がある。死ぬことはない。
そして彼女の予想は当たった。
発砲音がした。
二人の下へ向かったゴブリンの一匹の頭が弾け飛ぶ。
次いで、二匹、三匹と、二人に群がろうとしたモンスターが次々に撃たれてゆく。
(よし、釣れた)
死んだゴブリンたちから、弾の軌道を予測する。
(あっちか)
視線の先には誰も居ない。
ただイスとテーブルが在るだけだ。
でも僅かに、『視線』を感じる。
絶対に居る筈だ。そう思い、じっと目を凝らす。
(―――居た)
そう『認識』すると、そこには、銃を構えた少女の姿がはっきりと見えた。
やはりなんらかのスキルで己の存在を隠していたらしい。
だが、一度認識されると、その効果は薄まるのだろう。
(……って、おいおい、一之瀬じゃねーか……)
その姿を見て、思わず彼女は素で驚いた。
それは一年前にいじめに遭い不登校になり、退学したクラスメイト。
そんなやつが、何故こんなところに居るのか、何故そんな銃を持っているのか、さまざまな疑問が浮かび上るが、全て棚上げした。
(まあ、どうでもいいか。とりあえず死んでくれや!)
モンスターたちへの号令を発する。
即座に近くにいた三匹のレッサー・ウルフが彼女へと向かう。
(下僕になったモンスターたちは、俺の視界を『共有』している。アイツらにも彼女の存在がハッキリ見えている筈だ)
そして、レッサー・ウルフは機動力に優れたモンスターだ。
この距離なら、撃ち殺される前に接近できる。
一匹か二匹は殺されるかもしれないが、残りの一匹が確実に彼女の喉元に喰らい付く。
(さあ、死ね!)
一体どんな表情を浮かべるだろうか?
恐怖に怯える元クラスメイトの顔を想像し、そして目を向けると―――。
(……あ?なんだ、その表情は?)
一之瀬の顔には何の恐怖も浮かんでいなかった。
淡々と向かって来るレッサー・ウルフたちに向け、銃を構え発砲している。
(おいおい、自分の状況を理解してねーのか?)
一匹のレッサー・ウルフが殺される。
だが、そこまでだ。
残りの二匹が、彼女へ接近する。
それでも、彼女の表情は変わらない。
(気に入らねぇ……)
なんだその顔は。なんだその余裕は。
この状況でなぜそんな表情が出来る。
理解出来なかった。
それとも何か隠し玉があるのか?
そう思った直後、レッサー・ウルフたちの頭上に『自販機』が出現した。
「…………は?」
ぐちゃりと、鈍い音が鳴る。
現れた自販機は、そのままレッサー・ウルフたちを押しつぶした。
「なっ……はあっ!?」
なんだ?今、何が起こった?
自販機?なんで自販機?
どういう事だ?
混乱が彼女を襲う。
それは、彼女に決定的な隙を作った。
「―――動くな」
不意に、後ろから聞こえた声。
振り返ると、そこにはフードを目深に被った男がいた。
「……は?」
フードを目深に被り顔は見えない。
だが、その男を見た瞬間、彼女の全身に怖気が走った。
(ッ―――なんだ、コイツ……!?)
ヤバい。
この男はヤバい、と本能が告げていた。
「動くなといった筈だ」
男が手に持っているのは、オークが使う巨大な首切り包丁。
その切先が、自分の首に添えられていた。
鈍く光る銀色の光が反射し、自分の顔を映し出す。
「……俺たちをあぶり出そうと、あの二人を狙うのは予測できた。そして、一之瀬さんがそれを見過ごせないでいる事もな。だから、逆に利用させてもらったよ。お前の意識をそちらへ向けさせ、こうして接近する隙を作って貰った」
向けられる敵意と殺気。
彼女は確信する。
今、この場でモンスターを殺しまわっていた謎の存在。
それはコイツであると。
(おいおい、なんだよ、五十嵐や西野だけを警戒していたが……もっとヤベェ奴がいるじゃねぇか)
文字通りレベルが違う。
こんな相手に接近を許すなんて。
「さあ、死にたくなければ言う事を聞いてもらおうか、魔物使い?」