90.月間ブライ編集部
ブライという男がいる。
様々な才能あふれるヒューマンという種族において、特に異質な才能を持った一人の男だった。
その才能が発現したのは、彼が十五歳の頃。
初陣である。
ヒューマンの兵士として出陣した彼は、上官の命令で司令部に伝令を届けることになった。
司令部に置かれていたのは、戦場の地図であった。
ヒューマンの軍と敵軍の配置を記した地図を見た彼は一言、ぽつりとこういった。
『敵軍は、西から奇襲を仕掛けてくるんですね……』
司令部の面々は、それに気づいていなかった。
ゆえにその場では「若造が予想を立てたぞ」「そうかもしれんな」と笑うにとどまっていた。
そして実際、敵軍は西から奇襲を仕掛けてきた。
その日から、ブライは何かと司令部に伝令を届ける機会が増えた。
そして、司令部に行くと、面白半分に敵軍がどう動きそうかと聞かれるようになった。
本当に最初は、面白半分だった。
だが、ブライの予想は、ことごとく当たった。
無論、当たらない時もあったが、地図から予測できる時は、ほぼ100%予想を的中させた。
そう、彼は誰よりも情報を読み解く能力と、情報を生かす術に長けていたのだ。
それから五年もしない内に、彼はヒューマン国の情報部に引き抜かれ、十年もしないうちに部隊の長となった。
そして、あらゆる情報を集め、ヒューマンの勝利に貢献した。
彼にとって情報はすべてだった。
情報さえ手に入れれば、未来予知といえるほどの予測を行うことができた。
無論、情報が無ければそれも無理であった。
オークやリザードマンはまだしも、デーモンやサキュバス、オーガといった種族から詳細な情報を手に入れるのは用意ではなかったからだ。
とはいえ、彼という存在がいなければ、四種族同盟の刃はゲディグズに届かず、四種族同盟は敗北していただろう。
そう、ブライは決死の覚悟で情報を集めきり、かのゲディグズに四種族同盟の刃を届かせたのだ。
ゲディグズでさえ、ブライという男には遅れをとったのだ。
諜報部の長という仕事はブライにとって天職であったが、戦争は終わってしまった。
とはいえ、ブライは落胆しなかった。
ブライ自身も、別に戦争が楽しくて楽しくて仕方がないというわけではなかったからだ。
情報を手に入れ、その情報で何かができれば、それで満足だったのだ。
だからいち早く軍を抜け、商人になった。
その際、彼は諜報部隊の全員に声をかけた。情報を得るには人手が必要だったからだ。
ブライは情報を使う能力には長けていたが、集める能力は決して高いとはいえなかったのだ。
勧誘は成功し、ほとんどが彼についていった。
彼の下で働く者たちは、誰もが彼を信頼していた。
そうしてできたブライ商会は、大陸各地の国に諜報員を送り込み、そこから得た情報を元に商品を作り、儲けに儲けた。
もちろん、情報そのものを販売することも忘れなかった。
雑誌もその一種であるが……やはり情報を高く買ってくれるのは国家である。
ブライは商売ついでに、各地で得た情報を、ヒューマン国に売っていた。
ドミノという男は、そんな諜報員の一人である。
諜報員ではあるが、職業は商人を名乗っている。
ブライ商会に所属しているという意味では、それも間違っていない。
実際に商人として品物を運び、売ることもあるのだから。
そんな彼が現在取得している情報は、フェアリーの国周辺並びに、ヒューマンの国から指名手配されている魔女の動向である。
指名手配されていると言っても、その居場所を国に報告したり、捕まえようとしているわけではない。
情報というものは、保持しておくだけでいざという時に役立つものだ。
そも、諜報員の仕事とは、情報を持ち帰ることであって、その情報を使うことではない。
それは別の人間――彼の上司であるブライがやることだ。
ともあれ、ドミノはフェアリーを捕まえようとしている馬鹿なヒューマンたちから情報を聞き出したりしつつ、時にエルフ本国から流れてくる情報もプラスして、ブライのところへと情報を流し続けている。
フェアリーの国は、今のところは平和そのものだ。
たまにアホなフェアリーが賢いヒューマンに捕まるぐらいで、特に不穏な気配はない。
魔女も危険な魔法をいくつも扱える犯罪者ということだが、何かをするでもなく隠遁とした生活を続けていた。
そんな中に、一人のオークが現れた。
大抵のヒューマンは、オークの見分けなどつかない。
けどそいつだけは、一目みた瞬間わかった。
ヒューマンは、他種族の見分けはつかないことが多い。
特にオークやリザードマンは、服装や武具が違えばもうわからないということが多かった。
だが諜報員たるもの、それでは仕事にならない。
ゆえに特に重要な人物は見分けがつくよう、訓練が施されていた。
『オーク英雄』バッシュは、そんな人物の一人だった。
少なくとも、シワナシの森での最後の戦いにおいて、最もヒューマンを悩ませた相手だ。
そんなオークが、森の中を闊歩していたのだ。
オークを滅ぼすため、諜報員たちは必死でバッシュの動向を追い求め、その行動を予測し、潰そうとした。
でもそれは叶わなかった。
予想や予測というものは、相手が何かを考えていて、初めて効果を発揮するものだ。
フェアリーに導かれしオークの動向など、ヒューマンにわかるわけはないのだ。
そんな大物。
諜報に携わっていた人間でバッシュを知らない奴は、モグリだ。
そんなオークが、ディナンシーの森に現れた。
その時、ドミノは落ちぶれた野党連中から情報を集めている途中だった。
ああいう連中は調子に乗らせるとペラペラと情報を漏らしてくれるため、わざと弱者を装い、金銭を差し出して。
アホな連中だが、その場にいるというだけで何かしら知っていることがあったりするものだ。
そこに現れたのがバッシュだった。
ヒューマン連中は、こんなところに行き着くぐらいには頭が悪く粗野である。
だが、それでも戦争を生き抜いた者達だ。
グズだが生き汚く、危険に敏感。
そうでなければ、もう死んでいる。
彼らはバッシュの危険度をいち早く察知し、あっという間に去っていった。
ドミノは、唐突に現れたこのオーク英雄の情報を得なければと思った。
戦争が終わって後、フェアリーの国にオークが現れたことなど無かった。
フェアリーを狙う者達を駆除するための用心棒として現れたと、アホな連中は思ったようだが、ドミノはそうは考えなかった。
フェアリーにそんな知能は無いからだ。
彼らは自分たちの仲間が時折攫われて売られていることすら知らないか、あるいは知っていても「まぁいいか」で済ますような連中なのだから。
風の向くまま気の向くまま、起こる出来事を全て受け入れるのがフェアリーだ。
オーク英雄が現れたのには、何か理由がある。
ドミノはそう直感していた。
商人の振りをして事情を聴いてみると、何やら魔女に用があるらしい。
ドミノは魔女の行方は知っていた。
会うことは無い。諜報員は時として相手の懐深くにもぐりこむが、最も大事なのは僅かでも情報を持ち帰ることだ。
危うきには近寄らない。
ヒューマンという種族において、指名手配されるにはそれなりの理由がある。
魔女が指名手配されるようになったのは、彼女がある種の魔法の開発をしていたからだ。
大量殺戮を目的とした魔法である。
戦争中は、そりゃあもう大量にそうした魔法が開発されていたものだが、終戦時にヒューマンとエルフ間で条約が交わされ、そうした魔法の開発は禁止された。
しかし魔女はそれを無視し、開発を続けた。
特に敵軍を一撃で滅ぼすような、大量殺戮魔法をだ。
ゆえに、指名手配となった。
……と、されている。
無論、ドミノはそれを信じてはいない。
なぜなら、ヒューマンはまだ戦を続けるつもりだからだ。
まだ内部で割れているが、少なくとも宰相らは、エルフやドワーフ、ビーストをも併呑しようとしている。
だからむしろ、魔女が秘密裡に「大量殺戮魔法」を開発するのであれば、それは望ましいことなのだ。
ではなぜ指名手配されたのか、と言われても、ドミノにはわからない。
しかし、それ以上突っ込んで知ろうとも思わない。
もしかすると、すでにブライはその情報を得ているのかもしれない。
ドミノに知らせていないだけで。
それに、きっと真相はもっと何か単純なことであろう。
ドミノもそれなりに長く諜報員として生きているからなんとなくわかる。
人が人を排除しようとする時に、さして特別な理由など無いのだ。
大抵は「邪魔だったから」だ。
そして、ヒューマンよりももっと単純な種族も多い。
オークなどはその典型だ。
そのオークの中でも、特に要注意とされる人物が、不可解な場所にいて、不可解な人物に会おうとしている。
ただ一言で言えばきな臭い。
昨今は、デーモン王ゲディグズを復活させようとする勢力が暗躍しているとも聞く。
オーク英雄はその一派ではないという情報もあるが、同時に何かしらの意図をもって動いているとも聞いていた。
その意図とやらは現在は不明である。
嫁探し、という建前で動いているようだが、それが真実ではあるまい。
オークという種族の誇りを守るため、各地を行脚しているという話も聞くが、それも真実ではあるまい。
両方共に事実ではあるかもしれないが、決してそれがメインの目的にはなりえまい。
ならば何が。
と、それを考えるのはドミノの仕事ではない。
それを探るのがドミノの仕事だ。
現場にあるものを全て見て、全て聞く。
そこに推測は持ち込まず、全てをそのまま親玉に知らせる。
それが諜報員であるドミノの勤めなのだ。
ゆえにドミノは、しばらくバッシュの動向を見守ることにしたのだ。
■
「やぁ、『オーク英雄』殿。調子はどうですか?」
「商人か。よく会うな。まだゼルが魔法を覚えている最中だ」
「今日はどんな魔法を覚えているんですか?」
「昨日と変わらん。『ニュート』だ。俺にはわからんが、難しい魔法らしい」
「それで、『オーク英雄』殿は今日も狩りですか?」
「ああ。そうだすることがないからな」
「先ほどあちらの方にイノシシがいましたよ。ちょうどいいんじゃないですか?」
「いつも助かる」
「こちらこそ」
オーク英雄は穏やかな日々を過ごしているように思えた。
昼になると出てきて、狩りを行い、夜になると家でじっとしている。
ドミノはオーク英雄に魔女の根城で何をやっているのか、それとなく探りを入れつつ、獲物の場所を教えてあげる。
オーク英雄は素直にその獲物を狩りにいき、当たり前のように狩って戻ってくる。
ドミノの知る限り、獲物を逃がした試しはない。
実際に話してみると、どうにも穏やかなオークだった。
オークらしくないオークだ。
オークらしいオークとはつまり、戦いとレイプを至上とし、そのために邁進するオークだ。
ドミノが見た事のある全てのオークがそうであった。
特に男に対しては、見た瞬間に牙をむく。
オークにとって、男というものは、全てが敵なのだ。
男を見ると、必ずといっていいほど威嚇し、猛り、殺そうとする。
オークとは、そういう種族だ。
だがバッシュは違う。
猛ることなくドミノと会話し、獲物を狩り、去っていく。
思えば、あのオークは元より特異であった。
クラッセル周辺の森での戦闘においても、他のオークたちが"休み休み"戦う中、バッシュだけは休みなく動き続け、戦い続けた。
ヒューマンからすれば、オークという種族は不真面目だ。
相手が弱者と見れば侮らずにはいられないし、女と見れば犯そうとせずにはいられない。
女を倒し捕まえた時に、ちょっとでも暇があれば連れ帰って犯し始める。
ヒューマンの軍においてそんな奴がいれば、「兵士として使い物にならない」と切って捨てられるだろう。
そんなオーク達の中において、バッシュだけは違った。
バッシュはとにかく休まなかった。
それだけオークが切羽詰まった状況にあったというのは事実ではあるが、他のオークはそこまで徹底して戦えていなかった。
かのオークキングですら、疲れた時には倒した女を連れて陣地へと戻っていた。
バッシュは陣地に戻ることが無かった。
本当に常に、どこかの戦場にいた。
特に停戦直前の一ヵ月、クラッセルとその周辺での戦いでは苛烈だった。
かのバッシュは、死に物狂いでヒューマンの軍を蹴散らし続けたのだ。
ブライの予測を裏切り続け、ヒューマン軍の指揮官を倒し続けたのだ。
記録にも残っている。
どこにいっても、反攻を仕掛けてきたオークが出現したという記録が。
当時はまだ『オーク英雄』という呼称ではなかった。
ヒューマン軍は、そのオークを『オーク狂戦士』と呼称し、恐れていた。
少なくとも、あの時だけは、女を倒しても連れ帰り犯したりはしていないだろう。
でなければ、ブライの予測が外れるはずもない。
ブライはそれを込みでバッシュの動きを予測していたからだ。
オークが、女を犯していないなど、あり得ない話だ。
早漏だから女を犯してもすぐに終わるという、眉唾な一説を信じるぐらいには。
だが、あの穏やかで泰然とした今のバッシュを見るに、女を犯していないという説も信じられた。
それほどまでに、バッシュは紳士だった。
「む、まだここにいたのか?」
「おや、もう狩ってきたのですか。お早いことですね」
そんなバッシュは、獲物を教えると、すぐにその獲物を狩って戻ってくる。
「そうか? この程度だと思うが?」
バッシュの手には、今しがた狩ってきたと思しきイノシシの死骸があった。
ほんの数分の出来事だ。
狩りの手際が尋常ではない。
生物を追い詰めて殺すのに特化しすぎている。
この手管は、野生動物だけでなく、魔獣、ひいては人にまで及ぶのだ。
ドミノは目の前のオークを恐ろしいと思った。
だが同時に、己が襲われないという絶対の自信すらあった。
ヒューマンは、理由がなければ他人を襲わない。
オークは違う。
けれども、このオークも理由がなければ他人を襲わないと、確信していた。
戦争中の、あの全てを狩り殺す殺人鬼のようなバッシュを知っているからこそ、そう思えた。
「お前は商人だったな。ここ数日で獲った獲物の毛皮が余っているが、取引をするか?」
「取引? 何と?」
「金だ」
「え……お金が入用なのですか?」
オークが取引?
オークが金を求めている?
必要なら殺して奪い取るのがオークのやり方ではないか?
と内心で思いつつ、ドミノは表情には決して出さない。
なぜなら今の彼は、商人だからだ。
「いや、毛皮のまま持っているより、金にした方が持ち運びしやすかろう」
その通りではある。
正論だ。ドミノだってそう思う。
が、オークなら絶対に言わなさそうなことでもあった。
とはいえ、ドミノは諜報員である。
情報を得る時に「なぜ?」とわざわざ聞いたりしないのだ。
「その通りですね。では明日までに金の方を手配しておきましょう!」
「うむ。頼んだ」
ドミノは、本部に伝える情報に「オーク英雄が資金集めをしている」と追記する。
何かを企んでいるのは間違いないという思いと、オークにそんな知能は無いという相反した思いが心中で交差する。
まさか魔女にかさばって邪魔だからどこかで売ってこいと言われたとはついぞ思わない。
オークが女の命令に従うはずもないのだから。
(……)
ドミノは考えない。
諜報員は考えない。
ただ情報を集めるだけだ。
(魔女の方にも動きがあるかもな)
……とはいえ限度はある。
オーク英雄が不可解な言動を見せている中で、考えないというのは無理がある。
(魔女、『オーク英雄』、フェアリー……その後ろにあるものはなんだ?)
賢者カスパルの遺言を持ったオークとフェアリーが魔女に会い、二人は魔女の元で何かをやっている。
まさか本当にフェアリーがヒューマンになるのが目的ということはあるまい。
オークは嘘を付けないと聞くが、本当のことを教えなかったとすれば説明はつく。
フェアリーに魔法を教えているというのも気になる所だ。
魔女といえば大量殺戮魔法だが、そうだとして何のためか……。
誰の思惑で動いているのかも気になる所だ。
オークとフェアリーが独自に動いているとは、考えにくい。
カスパルはブラックヘッド領を襲撃した。その男の伝言ならばゲディグズ側についていると見るべきか。
オーク英雄単体なのか、それともオーク全体なのかは不明だが……。
ともあれ、何かしらの作戦行動をしていると見て間違いあるまい。
遠くない未来、何かが起こるのは間違いない。
(見逃すまい。仕事を全うせねば)
ドミノはそう決意しつつ、魔女とオークの動向を見守るのだった。