88.ディナンシーの魔女
ディナンシーの森。
エルフとフェアリーの国境ともいえるその森は、現在はエルフの領土となっている。
だが、町や村などは存在していない。
フェアリーがよく出没するからだ。
エルフはフェアリーと積極的に関わろうとはしていない。
そのため、フェアリーの国と接触している一帯を、事実上の緩衝地帯として設定し、自国民にも近寄らないように触れをだしていた。
エルフに、それを不服に思う者はいない。
なにせフェアリーに国境意識というものが存在しないのは一目瞭然だからだ。
それがフェアリーとエルフとの距離感だ。
幸いにして、フェアリーは自分たちの縄張りである迷いの森から遠く離れることは少ない。
緩衝地帯はしっかりとその役目を果たしていた。
ディナンシーの森は、そんな緩衝地帯の一つだ。
フェアリーたちは、時折迷いの森から、このディナンシーの森まで出てくることがある。
それ以上外に出るのは一部の変わり者だけだが、フェアリーが確実にいるかもしれない森となっている。
そんな森であるがゆえ、犯罪者や各国のあぶれ者もよく紛れ込む。
フェアリーは、高く売れるからだ。
エルフは積極的にフェアリーと関わろうとはしていないが、さりとてフェアリーの国へと向かう者たちを止めようとはしていない。
ゆえに、ディナンシーの森には、フェアリー狩りを目論む者が流れ着く。
戦争が終わり、金もなく地位も無く仕事もなく、食い詰めた結果、一攫千金を夢見てフェアリーを捕ろうとする、哀れな者達が。
しかし、フェアリーとてそう簡単に捕まるものではない。
大半の人間はフェアリーに触ることすらできず、森を彷徨うことになる。
幸いにして戦時中の野戦知識で飢え死にこそしないものの、フェアリーを捕まえることもできず、さりとて手ぶらで国に帰ることもできない。
そんな彼らが次にやることと言えば……。
「おら、さっさと出すもん出せよ」
通行人や同業者への追いはぎであった。
「ひぃ、わかりました。わかりましたから、命だけは……」
今、まさに一人の旅人が、五人の男に囲まれ、剣を突き付けられていた。
懐から金銭と食料をだし、膝をついて命を乞うている。
「これに懲りたら、物見遊山でフェアリーの国になんて来るんじゃねえぞ」
男たちは旅人をパンツ一丁まで剥くと、ヘラヘラと笑いながら剣を鞘へと納めた。
本当に命までは取らないらしい。
ヒューマンらしい、優しい盗賊だ。
もしこれがエルフあたりだったら、初手で頭に矢が刺さり、死体からはパンツまで剥かれたことだろう。
命無き者からは全てを奪ってよい。エルフの常識である。
「へ、へい……」
旅人がそそくさとその場を離れようとした時……。
「……ウッ!」
ヌッと、森の奥から人影が現れた。
ヒューマンの平均的な身長よりも一回り大きく、その体躯はガッシリとしていて、物腰は鋭かった。
肌は緑。
オークだ。
しかも、なんだか激烈に甘い匂いをさせている。
まるでオークではないようだ。
「……?」
追いはぎ達はオークを見て、互いに視線を絡ませた。
どうする? おいどうする?
視線だけのやりとりは、オークを追いかけて、一匹のフェアリーが現れたことで収束していく。
こいつ、フェアリーもつれてやがる。
「おいそこのオーク、いますぐ金目のものをよこしな」
オークはそのままスタスタと通り過ぎようとしていたが、その言葉で立ち止まった。
「俺に言っているのか?」
「他にオークがいるか?」
「金目と言われても、フェアリーにもらった香水ぐらいしかないが?」
オークが持ち上げるのは、彼の手にある蔓で編まれた籠である。
オークが持つと小さく見えるそれには、小瓶やら花やらが木の実がギッシリと詰め込まれていた。
泉のほとりの売店に売られていると噂のフェアリーお土産セット(非売品)である。
昨日の宴の後、フェアリーたちがお土産にとくれたのだ。
ヒューマンは手土産が命、魔女に会うなら必要になるだろう、と。
フェアリー国原産の香水やフェアリー粉などが詰まっているのでそれなりに高価なものである。
が、そもそも金に目がくらんだボンクラにはそれが理解できない。
ヒューマンにも頭の悪いやつはいるのである。
「なんなら……へへ、そっちのフェアリーでもいいぜ」
相手はオーク、オークといえばそれなりに強い種族として有名である。
とはいえ、追いはぎは五人である。
しかも、目の前のオークは、まだ剣は抜いていなかった。
間抜けそうな面でぬぼっとこちらを見ているのだ。
奇襲を仕掛ければ勝てる。追いはぎたちはそう思った。
「ほう、オレっちをご所望っすか。お目が高いっすね。しかし、ちょっと高すぎる。今お前が喧嘩を売っている相手は、ただのオークに見えるかもしれないっす。確かに、オークと言えばこの人っすからね。オークの中のオークなのだから、正しくただのオークっす。そう全てのオークはこのお方を手本にして育つのだから……」
「あーはいはい……ヘヘ……」
マシンガンのように喋るゼルを軽く流す。
フェアリーを相手するには、時にそうしたスルースキルが重要であった。
男の内の一人が、下卑た顔をしながらバッシュに近づいていく。
「なんだ?」
「別になんでもねえよ?」
全身から獣のような匂いをさせた、髭面のヒューマン。
ディナンシーの森に入って長いのだろう。
そんな男が剣を片手にバッシュに近づく。
(剣持った相手に、随分と気が抜けたオークじゃねえか……それともビビってんのか?)
普通のオークであれば、まずは威嚇をしてくるだろう。
ビビっているオークというのは、平然と振る舞いつつも、どこか逃げ腰なやつだ。
今のこのオークのように。
そう思いつつ、長い舌で唇を舐めながら剣で威圧し、男はバッシュの顔をまじまじと見る。
そして、
「……あっ」
ヒュンと舌をひっこめた。
下卑た顔が、みるみるうちに真顔になる。
「あー……すいません、間違えました」
男はそう言うと、手慣れた動作で剣を鞘にしまうと、ゆっくりと後ずさり始めた。
「いやほんっと、すいませんっした。知人に似てまして、悪ふざけなんですよ。ビックリするかなーって……驚いてもらえたらよかったんですけど、あ、ちょっと悪趣味でしたかね? すいませんねー、面白くない奴だなってよく言われるんですよ」
「は、おい、何言ってんだよ」
「さっさと金目のものを……」
「あ」
「あ」
残り四人の内、二人も気づいた。
「『オーク英雄』じゃん……」
「えっ」
それを聞いて、最後に残った残り二人もギョっとした顔をして後ずさる。
三人は見覚えがあり、残り二人は聞いたことがあった。
シワナシの森で暴れ回り、何千というヒューマンを血祭に上げた、最強のオークのことを。
うだつの上がらない五人で勝てる相手ではない。
「あ、自分ら、もう行きますんで、この辺りにも顔出さないようにしますんで」
「お金はここに置いておきますんで、ぜひ使ってください。あと、俺の服とかいります? 汚いっすけど……いらない? あ、そっすよね、へへ」
「ほんと、すんませんしたー」
男たちはじりじりと後ずさりすると、そう言い残し、脱兎のごとく逃げ出した。
彼らは恐怖にかられていた。
五人の内二人は、シワナシの森の戦いに参加していた。
五人の内一人は、オーク英雄を目の当たりにして、生き延びた。
あの日、あの時、目の前で巻き起こった惨劇は、彼らが知る最低の悪夢だ。
そんな悪夢を引き起こしたオーク英雄に喧嘩を売ってしまったのだ。
全身から血の気は引いていた。
自分たちは死神の鎌に首をこすり付けながら、へらへらと笑っていたのだ。
今は少しだけ、鎌から離れた場所にいる。
だが、振り返ればまだ、死神はそこにいる。
「おい、どうすんだよ?」
五人の内一人、バッシュのことを噂でしか知らない者が、ひそひそと耳打ちする。
「ここはもうダメだ。森から離れよう」
即答であった。
それだけ、彼の中に『オーク英雄』バッシュの恐怖はしみついていた。
あの森での戦いを経験した者なら、誰もが持っている恐怖心である。
「離れるって、これからどうすんだよ」
「知らねえよ。でもあんなのが助っ人に付いてたんじゃ、仮にフェアリーを捕まえたとしても追い付かれるだろうが」
「オークがたった一人だぜ?」
「そのたった一人に、何人殺されて、何人の指揮官が討ち取られたと思ってんだよ」
思い出せば出すほど、あの森での虐殺が脳裏に浮かんでくる。
完全に有利だったはずの戦場だ。
終戦間際、圧倒的な戦力差でオークを叩き潰そうという、シンプルな戦いだ。
後々に考えても、何か間違っていたわけではない。
指揮官たちがヘマをこいたわけではない。
セオリー通りにやったと言えるだろう。
なのにヒューマンはオークを攻め落とせなかった。
あのオークが、『オーク英雄』バッシュがいたからだ。
「なんでこんな所にそんな奴が……」
「隣にいるフェアリーを見ただろ。連れてきたんだろうぜ。守ってもらうためによ」
フェアリーが、自分たちの領土を脅かす者達に対抗し、盟友であるオークから助っ人を頼んだ。
うだつの上がらない連中であったとしても、賢いヒューマンたちはそのように考える。
そうでなくとも、オーク英雄が闊歩する森にい続けられるほど、彼らの肝は据わっていないのだ。
彼らはその場から離れていく。
もう、二度とフェアリーの国に近寄ることはないだろう。
■
そうして、その場にはバッシュとゼルの二人だけが残った。
「なんなんすかねぇ?」
「さぁな」
いや、もう一人いた。
「あの」
パンツ一丁の男が、バッシュたちに頭を下げていた。
「お陰で助かりました……」
みすぼらしく、情けない男だった。
頭部が剝げ、腹も出ている中年男。
腹の具合だけ見ればドワーフにも似ているが、ドワーフと違ってまったく覇気が無く、弱弱しそうな気配だけが醸し出されている。
戦争を潜り抜けてきたとは思えない風体だ。
「助かった? 自分でなんとかしただろう?」
「いやそんな、そんなまさかまさか」
だが、バッシュは男の持つ違和感に気付いていた。
その違和感の正体はわからない。
だがあのままバッシュたちが通り過ぎても、この男は五人を殺し尽くし、その場を去っていただろうと予感させた。
かつて、こんなヒューマンは何度か見たことがあった。
特にヒューストン率いる軍勢と戦っていた頃は、幾度となく寝首を掻かれそうになった。
弱そうだと油断させて、いきなり後ろからブスリとやってくるのだ。
バッシュはほとんど眠らなかったので、結局は全て返り討ちにしたが……しかしながら危険な相手は何人もいたものだ。
とはいえ、今はもう戦争は終わった。
特に戦う理由もなく、敵意もないなら警戒する理由も無かった。
「なんで裸なんすか? このへんは常春とはいえ、寒そうっすね。何をしてたんすか?」
「追いはぎですよ。まったく、私はフェアリーの国とヒューマンの国で交易しているのですが、最近になってどうにもああいう連中が増えてきてましてね」
「へぇ、なに売ってるんすか?」
「そりゃもちろん香水ですよ。フェアリー産の香水は、持っていく場所さえ間違わなければ需要があるんですよ」
「あれ、なんか香水ってエルフに卸してるからヒューマンは直接買いにこないとか聞いたような?」
「ギクッ、いやまぁ……はは、大きな声では言えませんが、粉をね、拝借してるんですよ。さっきの連中は馬鹿だからフェアリーを捕まえることしか考えていませんが、フェアリーの住居に行けば粉は取り放題なんだから、ちゃんと交易路さえ確保できれば、フェアリーそのものを捕まえる必要なんてないんです」
中年はそう言いつつ、先ほど脱ぎ捨てていた服を身に着け、バッグの中から小瓶を取り出す。
キラキラと光る粉は、確かにフェアリー粉である。
「うわばっちぃ」
「そう! フェアリーにとってこの粉は単なる排泄物でしかない! でも、我々はこの粉こそが欲しい。というより、フェアリー本体を欲しがっているヒューマンなんてただ一人として存在しないんです。そしてこのあたりにはフェアリーが出没するから、こうして少しずつでも集めれば、ちゃんと売れるだけの量にはなるって寸法ですよ。あ、もちろん他の連中に知られて同じことをされたら私の分がなくなりますから、伝えないでくださいよ」
この慧眼な男の言葉に、バッシュたちは「さすがヒューマンだ頭がいい」と頻りに感心していた。
男はふんすと鼻息荒く胸を張っていたが、ふと二人に目を向けた。
オークとフェアリー。
戦争中ならともしれず、今ではめっきり見かけなくなった組み合わせである。
「ところで、お二人はなぜこんな所に?」
「うむ、実はこの辺りに棲んでいるという魔女の所に行きたいのだ」
「けど、なんか行けないんすよね。おっかしいっすよね。このあたりはオレっちの庭なんだから、それっぽい建物があればすぐにでもわかると思うんすけど」
二人が困った顔をしていると、中年がポンと手をうった。
「ああ、それでしたらご案内しましょうか? 結界も張られていて見つかりにくいでしょうし」
「結界、なぜそんなものをわざわざ張っている?」
「人嫌いだからじゃないですか? こちらですよ」
バッシュとゼルは、中年に対し、疑問もなく付いて行くことにした。
中年は肩掛けカバンが一つの軽装で、商人には見えない。
なぜ結界を張られている場所を知っているのかも、説明はない。
どう見ても怪しいのだが、二人が気付くはずもなかった。
「まさか結界が張られているとは」
「知ってる人がいて良かったっすね。あのままだったら永遠に彷徨う所でしたっすよ。旦那を導くのがオレっちの役目なのに情けないっす」
中年の案内で、二人は移動をし始めた。
「それにしても、やけにヒューマンが多いっすね? このあたりはエルフの領土のはずっすよね?」
バッシュたちがヒューマンを見かけたのは、これで五回目であった。
大体どのヒューマンたちも徒党を組んでいた。
切り殺したのは最初の一組目だけで、それ以降の組は素早く逃げていった。
バッシュの剣についた血の匂いに敏感に反応したのかもしれない。
ヒューマンは色々と鈍い種族だが、勘はわりと鋭いのだ。
「このあたりはヒューマンの落伍者に人気なんですよ」
「へぇ、ちょっとみないうちに、こんな地味な所が人気の観光スポットになってたなんて、驚きっす」
「お二人はなぜ魔女に会いに?」
「嫁を探しているのだが、ヒューマンの賢者カスパルにここにいけと言われてな」
「カスパル様の紹介でしたか! てっきり私は、フェアリーを脅かす者に死を与えて回っているのかとばかり……」
「迷っていただけだ」
「オレっちがいて旦那を迷わせてしまうなんて、面目ないことっすよ」
とバッシュたちは言うが……このあたりをうろついていたヒューマンのならず者たちの半数は、バッシュを見て逃げ出している。
腕もないのに戦場を生き延びたような連中は、本当の危険には敏感なのである。
ゆえに、フェアリーを守りにきたと思われるのも当然の結果であろう。
無論、バッシュたちの知る由もないことであるが。
「ははは。そういうことにしておきましょうか。あ、もうすぐですよ。例の場所は」
「助かる。俺たちだけだったらたどり着けなかったやもしれん」
「いいってことですよ! 命の恩人を助けるのは当然ですからね」
そんな軽い言葉を交わす二人の前が開けた。
「おー、本当にこんな所に家があるんすね!」
森の中に不自然な広場があった。
正方形の広場である。
森の一角が真四角にくりぬかれ、その中に『土地』があった。
畑があり、鶏小屋があり、そして小ぢんまりとした家が存在しているのだ。
一軒家ではあるが、オークから見れば小屋と言っても過言ない大きさだ。
ヒューマンらしい家ともいえる。
「思ったよりも堂々と住んでるっすね。結界が張られているとはいえ、なんでオレっち、ここのこと知らなかったんだろ」
ゼルはフラフラと真四角い空間に入っていき……。
「うおっとぉ!」
唐突に飛んできたトゲを、間一髪で回避した。
「罠か」
見れば、畑に植えられている植物の茎にビッシリと生えたトゲが、バッシュたちに向けられていた。
害虫を排除するためのトラップだろう。
とんでもない鋭さを持つトゲだった。
今のゼルだから回避できたが、あるいは二年前のゼルであれば、食らっていたかもしれない。
「危ないっすねぇ。あんなのを食らったら半日は目覚めないっすよ」
トゲには魔法が込められている。
大型の魔獣ですら昏倒するスリープの魔法だ。
なぜ今日初めて来るゼルが食らってない針についてそんなことを知っているのか……それはゼル自身にもわからない。
ただ、ゼルには寝る直前の出来事は夢だと思う癖があった。もしかするとそれが何か関係しているのかもしれない。
あるいは、これを受けて寝こけている所をヒューマンに捕まったりなんだりしたのかもしれないが、夢の中の出来事だから何のことかわからない。
真実は常に闇の中である。
「これじゃ入れないかもしれないっすね」
「ちょっと待ってください、いま呼び――」
「問題ない」
商人の言葉は聞かず、バッシュは剣を抜き、それを盾のように構え、前進を始めた。
トゲは畑の植物から放たれる。
エルフの矢のごとき速度だが、バッシュほどの戦士なら、一方向から放たれるものを防ぎきるのはワケがなかった。
エルフの陣地に一人で乗り込んで壊滅させた時は、三方向からくる矢と魔法をしのぎ切り、恐怖にひきつる指揮官を叩き斬ったこともあるのだ。
バッシュがすたすたと歩き出し、射出されるトゲを切り払いながら畑へと近づき、トゲを放つ植物を一撃で切り裂いた。
植物はビクリと震え、一瞬でしおしおと枯れ枝になった。
「いきなり人の家の庭木を叩き斬るとは、ご挨拶じゃないかい!」
その声は、唐突に聞こえた。
同時に、周囲の空気が、パチリと弾けるような気配があった。
見れば、家の中から一人の老婆が出てくる所だった。
長く節くれだった杖を持ち、バッシュの方をにらみつけている。
周囲の空気が震えているのは、老婆が出す魔力のせいだろう。
一見すると立っているだけだが、老婆は確実にバッシュに狙いを定めていた。
「……それはすまなかった」
「魔法で作ったんすかね。あんなの初めて見たっすけど」
ゼルがふよふよと近づきつつ、バッシュに耳打ちする。
バッシュは改めて、老婆を見る。
裾の長いローブに、三角帽子。
ヒューマンの魔法使い部隊の正式な服装である。
エルフの魔法使いの服装にも似ているが、露出度は大分抑えられている。
肌を露出しないことで体内の魔力を極力漏らさずに魔法へと変えるためだ。
エルフよりも魔力の低いヒューマンは、そうした工夫で魔力不足を補っているのだ。
ヒューマンは、魔法使いの中でも特に魔法に熟達している者に、黒衣を与えた。
暗闇の中において魔力の光は標的となる。それを抑えるための処置である。
そして、黒衣をまとう女魔法使いを、ヒューマンは魔女と呼ぶ。
すなわち、魔法に優れた者に与えられる、特別な称号である。
「お前が魔女か?」
「オークってのは礼儀がなってないね。自分から先に名乗るのが礼儀だよ」
「そうなのか? 俺はバッシュだ」
「本当に名乗るたぁね……随分と、礼儀正しいオークじゃないか」
ただ名乗っただけである。
だがオークというのは、女に先に名乗れと言われれば「舐めやがって、ぶっ殺してやる!」と激昂する生物であった。
そうしないということは、まさに礼儀正しいオークと言えよう。
「礼儀正しいオークにフェアリーと……ハッ、珍しい客もきたもんだ。いつもはコソコソ隠れて顔すら見せないくせに」
「私は追いはぎに襲われていたところをお二方に助けられたので、お礼にここに案内しただけですよ」
「フン、じゃあとっとと失せな。バッシュとフェアリー、お前らもだ。アタシにお前たちを相手にしてやる義理は無いんだ」
皺だらけの顔を不快げにゆがめながら、魔女はしっしと手を払う。
しかし中年は首を横に振る。
「いいえ、どうやら、義理はあるらしいですよ」
「なに?」
「彼らは、賢者カスパルの紹介で、ここを訪れたそうで」
その言葉で、魔女はぴたりと動きを止めた。
不快げな顔から、真顔へと変わり、先ほどの不機嫌さを納めた冷静な声音で、再度聞いた。
「カスパルの……? 何の冗談だい?」
「冗談ではない。カスパルの最期の言葉だ。死ぬ間際、確かにそう言った」
「最期……」
魔女は真顔でバッシュの顔をまじまじと眺める。
月の無い夜の沼底のような、じっとりとした、重い視線であった。
「…………入りな。話ぐらいは聞いてやるよ」
やがて魔女はそう言った。