82.アスモナディアの暗躍(前編)
閑話『アスモナディアの暗躍』
『黒雷』のアスモナディア。
デーモンの中でも上位に位置する、ハイデーモン。
シーケンスの三人の娘の一人。
彼女は名家のハイデーモンの子女らしく、超越せよ戦場の華となれと育てられた。
剣術、槍術、弓術、魔法といった武芸から、戦略、戦術、鍛冶、内政、外交、交易に至るまで、あらゆることを叩き込まれた。
得意不得意はあるものの、出来ないことが無いようにと育てられた。
シーケンスの子供たちは誰もがオールラウンダーであり、アスモナディアもその例外ではなかったが、彼女は特に武術において顕著な才能を見せた。
巨大な斧槍を振り回して戦場を駆ける姿は、四種族同盟の戦士たちを震え上がらせた。
魔法に関しても、次女ポプラティカほどではないが卓越しており、その二つ名ともなった『黒雷』は、『雷逸らし』とも言われたドワーフの名工ガバラバンガの鎧を盾もろとも貫通し、ドワーフの戦士を何人も死に至らしめた。
デーモンにしてはやや思慮に欠け、猪突猛進なきらいがあるため、指揮官としては決して有能とは言えないが、戦士としては攻守ともに隙は無く、デーモンの中でも指折りの戦士という評価を受けている。
ヒューマンからすれば、要注意人物の一人である。
■
時は少し遡る。
バッシュたちがブラックヘッド領へと到達する前。
「ふむ」
アスモナディアは、国境に訪れていた。
デーモンとビーストの国を隔てる、唯一の国境である。
「嘘を付くなら、もっとまともな嘘を付け」
「嘘ではない。私は『オーク英雄』を娶るため、オークの国へと赴くのだ」
そして、国境警備のヒューマンに止められていた。
「デーモンがオークを娶るわけがないだろうが……」
アスモナディアの主張に返すのは、つい先日、この国境を警備するために送られて来たばかりの部隊の隊長である。
毅然とした態度を取ってはいるものの、有名なデーモンの将を前に、緊張を隠せていなかった。
「そうだな。我ら気高きデーモンが、オークを娶るなど、前代未聞、嘘であると思われても致し方あるまい。しかし真実だ。デーモンは先立っての恩を返すべく、私は『オーク英雄』を娶るのだ」
「なるほど……」
わけがわからない、と国境警備隊の隊長は思った。
とはいえ、オーク英雄はつい先日、外遊騎士団に連れられてブラックヘッド領へと護送されたばかり。
彼女はそれを追ってきたのだろう。
もっとも、それがわかった所で、彼女の本当の目的はわからないが……。
「現在、ポプラティカの一味が各国を騒がせていることは知っているな?」
知らないとは言わせない。関係ないとは言わせない。
そんな気概を込めて言った言葉だが、
「知らん。情報を遮断していたのは貴様らヒューマンだ。仮に知っていたとしても、姉が何をしていようが私には関係ない」
あっさりとそう返された。
「どうだか、貴様らデーモンは腹芸が得意だからな」
「腹芸が得意とは随分とほめてくれるじゃないか。だが、お前たちヒューマンには叶わんさ。敵だけでなく味方をも騙すお前たちにはな」
「何の話だ?」
「一兵卒にはわからんか。騙されている自覚すらないとは……。まあよい。改めて言わせてもらうが、私は姉とは関係が無い。姉が何かしらの暗躍をするなら、各国を騒がせることぐらいはするだろうが、何を目的にしているかまではわからん。が、想像は付く。お前たちヒューマンと再度戦う術を見つけ、この時代をひっくり返そうというのだろう」
「……」
「姉は策士だ。やるなら『一矢報いる』などという中途半端な策では動かん。勝算あってのことだろう。ゆめゆめ備えておくことだな。私を含め大半のデーモンは姉が何をしているかなど知らんが、戦を始まったなら、ギジェ要塞のデーモンも呼応するかもしれんぞ」
隊長はゴクリと唾を飲み込んだ。
目の前の女デーモンから立ち上る、異様な覇気に、思わず腰の剣に手を伸ばしそうになる。
しかし、剣を抜くことは無い。
それこそ、『一矢報いる』ことすらなく、返り討ちにあうだろう。
ハイデーモンとは、それだけ強力な相手なのだ。
「しかし何度も言うが、私には関係ない。私は『オーク英雄』を夫とするだけだ。『オーク英雄』が姉と通じ、貴様らと事を起こそうと思っているのなら、私も戦線に加わろうが……その可能性は低かろう」
「なぜ、そう思う?」
「『影渦』のポプラティカが何を企んでいるにしろ、『オーク英雄』という駒を、ドラゴン討伐などという蛮行に使ったりはしないからさ」
「ドラゴン退治……? 先日、ドラゴンが飛び去ったという情報があったが、まさか……」
「そう、『オーク英雄』がドラゴンを退け、我らデーモンを救ったのだ」
にわかには信じがたい話……というほどのこともない。
『オーク英雄』がドラゴンを殺したという噂は、ヒューマンの中でも有名だ。
それがどれだけの偉業であるかは、ドラゴンとまともに戦ったことのないヒューマンには、いまいちわからぬことであるが……。
ちなみにヒューマンの一部は、この後にブラックヘッド領にてその偉業を目の当たりにすることとなる。
「その程度でデーモンが、オークを?」
「その程度……? 無礼なやつだな。だが、お前がそう言いたくなる気持ちもわかる。なにせ我らも、ドラゴン程度はどうとでも出来ると考えていたからな。賢者に連れられ、鳴り物入りで戦場に現れ、しかし大した戦果も挙げずに死んだドラゴンを軽視するのは、自然の考え方であろう。だがな、ドラゴンという生物は、我らやお前たちが思っている以上に、強大な生物だ。我らデーモンが押さえつけられるほどにな」
勝てる者など、そうそういないのだよ、とアスモナディアは呟く。
隊長はその答えにピンとはこなかったらしく、眉を上げるにとどまった。
アスモナディアは、それを見て、「わからんか」と静かに笑った。
何か諦めたような、どうせわからんだろうと言わんげな笑みであった。
「というわけで、国境は通らせてもらう」
「待て。何がというわけだ。通さんぞ。条約がある限りデーモンは国境を通れないと決まっている」
「いいや、決まっていない」
「なに!?」
己が言葉を否定され、隊長は色めきだった。
しかしアスモナディアは冷静だ。微笑みながら、ニヤニヤと言葉を続ける。
「条約では、デーモンの通行は禁じられておらん。そして私は国境を超える条件を満たしている」
「条件?」
「お前たちヒューマンが決めた条件だ。忘れたとは言わせんぞ」
そう、ヒューマンは、確かにデーモンに国を出るための条件を提示した。
『一つ、武装を禁ずる』
『一つ、サキュバス、オーガとの交流を禁ずる』
『一つ、招かれていること。また訪問先と理由を明示し、それが四種族同盟に不利益を講じないこと』
アスモナディアはニタリと笑った。
「つまり、我らは国境を超えることを禁じられてはいない。武装蜂起や、サキュバスやオーガと共謀して反乱を起こすことなどは禁じられているが、それ以外の国との外交は許されている。今まで、ドラゴンのせいでそれもできなかったがな」
ニヤニヤと笑うアスモナディアに、隊長の冷や汗が増した。
何か自分が、取り返しのつかないミスをしてしまったかのような、そんな冷や汗がダラダラと額から流れ落ちていく。
「……招かれているわけでは、あるまい」
「招かれたさ。『オーク英雄』は私を欲した。私は同意し、彼の国に行く。これが招かれたのではなく、なんだというのだ」
はっきりとそう告げるアスモナディアの表情は、まるで乙女のようであった。
しかし、そんな表情はすぐに消えた。
そして出てくるのは、悪魔の顔だ。
相手のミスをあざ笑い、己の勝利を宣言する、デーモンの表情だ。
「ヒューマン、お前たちは少しばかり増長していたのさ。我々デーモンが、武器を捨て、リザードマンやハーピー、ましてオークやフェアリーが差し伸べる手に縋るはずなどないとな」
隊長もアスモナディアも知らないことであるが、決してデーモンが増長していたわけではない。
条約に調印した『暗黒将軍』が、抜け道をいくつも用意していただけの話である。
あるいは、戦争と平和を繰り返した世界であるなら、そうした抜け道はすぐに発見され、調印前に潰されていただろうが、なにぶん、この条約を考えた者達は、停戦すら経験したことのない者ばかりであった。
「どうする? 『知った事か』と言ってもいいぞ。たった五人で私を、この『黒雷』のアスモナディアを止められるならばな」
五人。
そう、かつては三十人以上が詰めていたこの砦だが、現在は五人しかいない。
新たに配備された兵士たちも、決して手練れというわけではない。
あるいは、ブラックヘッド領の事件の情報が届けば、この砦を最初の防衛ラインとして機能させるため、数百名、あるいは千人規模の兵士が送られるかもしれないが、今は五人だ。
隊長以下、特に腕に覚えもない。
もちろん、戦争を生き抜いた者達であるがゆえ、それなりにはやれるが……あのアスモナディアと戦うとなれば、全滅は必至であろう。
むしろ、アスモナディアがなぜそうしないのかわからないぐらいである。
押し通ればよいのだ、この女は。
そう考えると同時に、隊長の全身に寒気が走った。
「いや、すまんな」
それを見据えてか、アスモナディアの表情が和らぐ。
説教を終えた教師のような、許しを与える司祭のような、優し気な表情に。
「お前の立場では、止められぬとわかっていても止めると言わざるを得まい。悪い質問だったよ」
「……」
「お詫びに一つ、お前に情報をもたらしてやろう。取引の結果ということなら、お前の立場というものも守られるだろうからな」
隊長はゴクリと唾を飲み込んだ。
正直、アスモナディアが通ると言えば、通さざるを得ないのが現状だ。
自分達がそれを見過ごした場合、叱責されるのは間違いあるまい。
なんとかしがみついた、兵士という職も、失うかもしれない。
どう転んでも、隊長にとって良いことはない。
そんな中でもたらされる、甘い一滴。
「情報……?」
罠だとわかっていても、自分が許されるかもしれない蜜に、隊長の心は引き寄せられた。
「デーモンの現在の状況についてだ。偵察すらロクによこさない貴様らにとって、喉から手が出るほど、欲しい情報だろう?」
「……聞こう」
隊長は頷き、アスモナディアからもたらされる情報を耳にいれた。
デーモン。
かつて栄華を誇った最強の種族は、今や滅びの時を迎えている。
しかし最大の脅威は取り除かれた。
これから勢力として盛り返してくる可能性は高い。
とはいえ、追い詰められたのは事実であり、ポプラティカが決起したなら、デーモンの大半は、それに乗るだろう……と。
にわかには信じがたい言葉であった。
デーモンはよく嘘を吐くのだ。それもフェアリーの吐くそれよりも数倍は悪質な嘘を。
が、アスモナディアの情報を信じるか否かは、隊長ではない。
もっと上の人間である。
隊長はただ、アスモナディアからそんな情報がもたらされたと、伝えるだけでいいのだ。
「……報告はさせていただく」
「そうしろ。私は通らせてもらう」
アスモナディアは、そう言うと、立ち上がり、颯爽と砦を通過していった。
誰も彼女を止めることはなく、彼女もまた振り返ることはなかった。
■
『黒雷』のアスモナディア、国境を突破する。
その情報は、瞬く間に四種族同盟内を駆け巡った。
各国は、彼女の行動に関して、首をかしげざるをえなかった。
アスモナディアという人物についての情報はあったが彼女が何を考え、何を目的としているのかを見極められなかったからだ。
オークの妻となる。そんな言葉を鵜呑みにするほど、各国は頭がおかしくはない。
ポプラティカに付いて暗躍していると考えるのが自然であった。
しかし、だとしても彼女が大々的に動く理由はない。
国境を通るなら、かつてそうしたように、国境の兵士をこっそりと皆殺しにすればよいのだ。
そんな不可解な行動に、各国の首脳陣は首をかしげざるを得なかった。
だが、もしポプラティカに合わせて動いているのなら、止めなければならない。
アスモナディアを捕らえ、拷問して情報を吐かせよう。
間違っていたならそれでも良い。デーモンが一人死んで困ることなど、何一つない。
そう考えたのは、アスモナディアが己の領地を通過することとなったビーストだ。
先の騒動の末、オーク英雄に対し、多少の溜飲は下げたビースト。
だが、七種族連合への恨みつらみは変わらず持っている。
戦争が終わったがゆえ、自分達から積極的にデーモンを排除すべく動くことは無いが、チャンスを見逃すほど浅い傷ではない。
まだ彼らの中には、故郷を追われ、絶滅寸前まで追い詰められた記憶が、深く刻まれているのだから。
そして、そこについ一年ほど前、聖樹を枯らされた恨みが追加された。
「やはりオーガと連携を取ろうとしていたか、我らの鼻を見くびるなよ」
アスモナディアは、ビーストの猟犬部隊に、オーガ国との国境付近で捕捉された。
なぜそのような場所にいるのか……。
「犬コロは、鼻はいいが頭は悪いらしい。オークとオーガを間違えるとはな」
「なにぃ?」
「私はオークの国に向かっているだけだ。なぜオーガが出てくる?」
「このアホデーモンが、オーガの国に近づいたことすらわかっていないのか!?」
「なんと、この私とあろう者が、道を間違えたか」
そう、アスモナディアは道を間違えたのだ!
「ふざけるなぁ!」
「ハハハハハ」
そんな訳がない。
『黒雷』のアスモナディアが、道を間違えるはずなどない。
アスモナディアは狡猾なデーモンだ。
わかった上で、オーガの国に立ち寄り、情報収集をしようとしたのだ。
デーモンはドラゴンによって三年間、ほぼ国外からの情報がシャットアウトされていた。
ゆえにアスモナディアは、今の世について、ほとんど何も知らない。
だから、まず情報が必要だと考えたのだ。
しかし、情報収集のためにヒューマンやビーストの国に立ち寄ろうとはしなかった。
デーモンにとって、信頼に足る情報を持っているのは、変わらずオーガかサキュバスだけなのだ。
「犬コロ相手だ。ふざけてやるぐらいが丁度よかろうが」
嘘を認めた。
だが、情報収集はアスモナディアにとって必要なことだ。
無知のデーモンに価値は無い。
オークの妻となるのであっても、それは変わらない。
例えオークがそんなものを求めていなくとも、デーモンには理想の嫁像というものがあるのだ。
才色兼備、夫の覇道を陰陽問わず支えるのが、最高のデーモン妻というものだ。
オークは嘘がつけない。
ならば、結婚した後、アスモナディアが嘘やごまかしについて、全て行わなければならないだろう。
オークの妻になったデーモンなど、今まで一人たりともいなかったがゆえ、オークの妻に嘘やごまかしが必要かはわからない。
だが、それでも模索し、準備し、最善を尽くすのがデーモンというものだ。
いざという時に何も知らぬ、何もわからぬでは、デーモンとして失格である。
それがアスモナディアの考えだ。
だから、アスモナディアは引かない。道を間違えたと言いつつ、別の道に戻ろうとする素振りすら見せない。
「この場で始末してくれる!」
「かかってくるか? この『黒雷』のアスモナディアに。その程度の手勢で!」
アスモナディアの包囲網が縮まっていく。
アスモナディアの手に武器はない。
対するはビースト国猟犬兵団二十名。
関所にいた五人より多く、しかもビーストの名だたる遊撃部隊として数々の任務をこなしてきた精鋭揃い。たった一人に対して動かすには大仰だが、ハイデーモンの将を討てるとなれば、この倍の数を出しても惜しくはない。
それだけ、デーモンの将を討ち取るというのは、困難だったのだ。
そして、丸腰のアスモナディア相手に二十人……ギリギリであろう。
「素手で粋がるな! ガルルルルゥ!」
「犬コロのなんと愚かなことよ! 道に迷っただけの哀れな女を大勢で取り囲むとは、いいだろう、いいだろう! 『オーク英雄』の妻として、その名に恥じぬ戦いを魅せようではないか!」
そして、互いの緊張が最高潮に達する。
アスモナディアの両腕に黒き紫電がまとわれる、猟犬たちが剣を抜く。
猟犬たちの両足に力が入り、アスモナディアの両頬が吊り上がる。
「ちょっとまった!」
互いに動き始める寸前、声が上がった。
待てと言われてきちんと待てるのが良いビースト。
猟犬兵団は、見知らぬ闖入者に視線を向ける。
無論、耳はアスモナディアに向けたまま、鼻は魔力の臭いを感知しつつ、アスモナディアの奇襲に備えたままで。
立っていたのは、一人のオーガの少年だった。
身の丈に不釣り合いな大きな木刀を手に、汗だくで、肩で息をしながら、立っていた。
「いかにデーモンといえど、迷って迷い込んだだけの女一人にこの人数、ビーストは恥を知らないのか!」
「何者だ!?」
猟犬の誰何に、少年は答える。
「オレはオーガ族の大闘士ルラルラの息子ルド!」
「っ! ルラルラのっ!? お、オーガがなぜこんな所にいる!」
「いてわるいか! ここはもうオーガの国内だ!」
そう言われ、猟犬達は鼻をならした。
領域侵犯は、戦勝国であるビーストであっても、問題になる行為だ。
まして軍事行動となれば、なおさらである。
見られた相手がそこらの木っ端ならまだしも、少年は大闘士ルラルラの息子を名乗った。
猟犬たちから見れば、オーガのお偉方の息子ということになる。
この場で始末するのもはばかられる相手だ。
始末すること自体は恐らく可能だろうが、隠ぺい工作の準備は何一つしていない。
「我らには沙汰が下ろうが、このデーモンは貴様に関係あるまい、見逃せ!」
それでも、引き下がらずに討っておきたいと考えるのは、彼らが歴戦の戦士だからだ。
デーモンの将は、仕留められる時に仕留めなければ、後に災いをもたらすのだ。
「そうはいかん! そのデーモンは言った、オーク英雄の妻になると! オレは『オーク英雄』バッシュ殿の弟子であり、我が妹ルカは『オーク英雄』バッシュの許嫁である。『オーク英雄』の妻となれば身内も同然! 無関係だと素通りできん!」
ビーストは終戦間際、オーガとの激しいぶつかり合いをしていた。
大闘士ルラルラ。
ビーストの猛者を何人も仕留めた、オーガの先鋒だ。その名を知らぬ者はいない。
そんな大闘士ルラルラの息子にして、『オーク英雄』バッシュの弟子。
その凄まじい肩書は、猟犬たちを怯えさせるに十分だった。
ビーストは終戦間際に、そこまでオークとぶつかり合いはしなかった。
だが、噂は知っている。
滅びかけの劣勢の中、『豚殺しのヒューストン』以外のヒューマンの将を全て討ち取り、かのエルフの大魔導サンダーソニアと相打ち、なお生きて生還し、包囲していたはずの二種族を震え上がらせたという噂は。
そして、約一年前、イヌエラの結婚式においても完璧な服装で現れ、勇者レトの名誉を守った。聖樹が枯れた事件においても、ビーストのために戦ってくれたという話もある。
わだかまりが解けただけでなく、少しばかりの恩もある。
そんな『オーク英雄』の弟子。
とんでもないビッグネームであった。
猟犬兵団の長は、クッと歯噛みした。
「……」
邪魔するルドを殺し、自分が責任を取る、という形にしても良い。
だが、そんなビッグネーム二人を相手に、たった二十人で勝てるものか。
アスモナディアを討ち取れず全滅し、領域侵犯の罪と、恩知らずの汚名だけが残るとなれば……。
「ここまでか……撤退する」
「領域侵犯は、見なかったことにしておく」
「……かたじけない」
引くより他なかった。
かくして、アスモナディアはオーガの国にて、一人の少年と出会った。
バッシュが作った縁が、二人を引き合わせたのだった。