76.聖堂にて
深夜、ストームヒル城の内部にて、サンダーソニアは焦っていた。
エルフに与えられた客室の内の一室をウロウロしながら、時折頭を掻きむしっている。
そこに、一人の女性が入ってきた。
かつてエルフ軍暗殺部隊のエースとも言われたブーゲンビリアだ。
「ブーゲンビリア、奴は何か吐いたか!?」
「いえ、デーモンの魔法によって護られているか、正確な場所を知らされていないのでしょう」
「バッシュのお陰で手がかりをつかんだのに!」
サンダーソニアとナザールの声の下、市内のヒューマンとエルフの女性を徹底的に調べた結果、バッシュが声を掛けた女の一人が、ポプラティカに加担していると思しき人物、『滂沱』のライラであることが判明した。
その場で尋問をしようとした所、ライラは逃走を図った。
だが、逃げ切るには至らず、拿捕された。
ライラの身元はエルフの部隊によって引き取られ、拘束された状態での尋問が行われた。
バッシュに行われた、あくまで協定に沿った紳士的なものではなく、条約で禁止されている薬物と魔法を使った、本格的なものだ。拷問と言い換えてもいい。
もしあの尋問の場でバッシュが黒か、グレーだと判明していたらこれが行われ、バッシュの性体験が赤裸々に明かされ、童貞であるとバレる危険なやつである。
もしそうなっていた場合、オーク英雄が童貞などという屈辱的なデマを流されたオークは激高し、シワナシの森かクラッセルに攻め込んでいただろう。
誰にとっても危ない橋であった。
ともあれ、そんな尋問の末、ライラは情報を吐いた。
自分がポプラティカに加担しているということと、ポプラティカたちもここにきているということ。
聖典を手に入れるつもりだということ……知っていることは洗いざらい話してくれた。
だが、肝心の「聖典はどこにあり、どのタイミングでポプラティカ達が仕掛けるか」という点は分からず仕舞いだった。
本当に知らないか、デーモンの魔法によって尋問で答えないような措置を施されているか。
どちらにせよ、肝心なことが分からない。
「ナザールはまだなのか!? 聖典の場所は!? いつ来るにしても、そこを守っていれば勝ちなんだからな!」
サンダーソニアがライラの尋問を行っている裏で、ナザールも動いていた。
教会の関係者を叩き起こし、聖典の場所を教えてもらうように働きかけたのだ。
だが、そのナザールはまだ戻ってこない。
途中経過を話すのは、ブーゲンビリアだ。
「難航しているようです。"聖堂"と呼ばれる場所にあるそうですが、それがどこかは、王子と言えども言えないと……」
「自分達の聖典が盗られてもいいっていうのかよ!」
「自分たちで守る、他種族の力など借りないとの一点張りだそうでして。なんでも、前に襲撃を防いだこともあるとかで、やけに自信たっぷりで……」
「ああもう! ヒューマンの教会って男所帯だろ!? 知ってんだぞ! 前の襲撃がどんなだったか知らないけど、今回は敵にあの『喘声』がいるんだ! 守り切れるわけないだろ!」
「失礼、遅くなりました」
サンダーソニアが叫んだ所で、ナザールが戻ってきた。
女性の部屋にノックもなしに入ってくるのはマナー違反であるが、今は緊急事態ゆえ、誰も何もいわない。
仮に緊急事態じゃなかったとしても、サンダーソニアは何も言わないだろう。
いや、責任を取れと迫るかもしれないが。
「どうだった!?」
「ダメでした。一応、宰相殿にも相談してみた所、他種族でダメならと、己の手勢を教会に援軍として向かわせたとは言ってはくれましたが……」
「それも男ばっかりなんだろ!? 女人禁制だもんな!」
「……はい。恐らくは」
「はいどうぞと差し上げる気かよ! 大体、手勢を向かわせたってことは、宰相も場所を知ってんだろ!? なんでお前に教えてくれないんだよ! グルか!? グルなのか!? お前らヒューマンはゲディグズとグルなのか!?」
「サンダーソニア様、落ち着いてください。王族の方にそんなこと言ったら、国際問題になりますって!」
問題発言であるが、ナザールは気にしない。
まぁ、そう取られても仕方のない対応である。
とにかく教会は協力的ではないし、宰相も消極的だ。
最初からヒューマンはゲディグズ復活については懐疑的だったが、首脳会談でもそれが本当なら阻止したいとか、そういう感じだったはずである。
途中からはぐらかされた感じもあるが、ともあれこの体たらく、何のための首脳会談だったんだと頭を抱えたくなる事態である。
「申し訳ありません。僕にもっと力があれば」
「いや、いい。私も言いすぎた。でもな、今夜にでも、襲撃は行われる可能性はあるんだ。手勢が一人捕まったなら、さっさと動くか逃げるかだろ? 私達はあいつらが動いたことを想定して動かなきゃいけない」
「……」
「せめて私が行けば、キャロットは抑えられるんだ。そうじゃなきゃ、戦いにすらならない……」
サンダーソニアは、声を震わせる。
せっかくバッシュがヒントをくれて、スパイの一人を見つけ出した。
もう少しで、奴らの狙いを阻止できるのだ。
なのに、あと一歩が届かない。
と、そんな時だ。
扉がノックされた。
「誰だ? こんな深夜に、今忙しいんだ! 後にしてくれ!」
「緊急でお伝えすべき要件がございます」
扉の向こうから聞こえてきたのは、たおやかな声であった。
聞き覚えのある声である。
さほど交友があるわけではないが、つい半年ほど前に聞いたばかりの声である。
「シルヴィアーナか?」
扉を開けると、そこに立っていたのは、狐のような耳と、サンダーソニアが絶対に手に入れられない豊満な胸を持つ、ビーストの王女。
シルヴィアーナであった。
「サンダーソニア様のお耳に入れたいことがございます」
「緊急なんだろ? さっさと言えよ。くだらない事だったらぶっ飛ばすからな!」
イラついているサンダーソニアに対し、シルヴィアーナは「ならば」と淡々と事実を口にする。
「実は、先ほどから、忘れもしないくさい臭いが漂ってきていて、眠れないのです」
「臭いで眠れない? そんなの鼻栓でもしとけよな」
「サキュバスとデーモン、それに血の臭いです」
「! キャロットとポプラティカか! そう言え……よ?」
シルヴィアーナは無表情だ。
その顔を見て、サンダーソニアの勢いがそがれていく。
「あ、ごめんな。鼻栓とか言って。教えてくれてありがとな。お前もこないだのこと、気にしてるんだもんな」
シルヴィアーナが、聖樹を枯らしてしまったことを悔やんでいることは知っていた。
彼女にとっては、今、この瞬間、己の失敗と後悔と屈辱を晴らすチャンスなのだろう。
それがわからないサンダーソニアではなかった。
「私は、今回の会談の同行は許されましたが、自由は許されておりません。本当はこうして会話をすることも許されてはおりませんが……サンダーソニア様方には、匂いの元を断ち切っていただきたく。お願い申し上げます」
シルヴィアーナは、誰よりもポプラティカたちに対して敵対的だ。
でも自分では動けない。
だからここにきたのだ。
「"鼻"が必要でしょうから、この者達をお貸しします」
言われ、シルヴィアーナの後ろに、三人のビーストが立っているのに気づいた。
全員、黒い毛並みで、シルヴィアーナよりもかなり獣寄りの風体だ。
「噂に名高い『影狼』か」
今回、ビースト女王の護衛としてついてきたビーストの戦士たち。
『影犬隊』。
その隊長を務める『影狼』ロームルスは、歴戦の戦士としても有名な男だ。
「臭いは覚えさせております。必ずやお役に立つでしょう」
「よし、ブーゲンビリア。ネメシアとラークスパーを呼んで来い。ナザールも、手勢はいるよな?」
「三人ほど、準備させています」
「道中でドワーフにも声を掛けるぞ。仲間外れにしたら後で何言われるかわからんからな」
「バッシュ殿は?」
「ジュディスを叩き起こして呼びにいかせろ。間に合わないとは思うけど、私たちが負けた時に何とかしてくれるはずだ!」
こうして、サンダーソニア達は動き出した。
■
時は少しだけさかのぼる。
深夜。
影が動いていた。
影は月明りの中、より暗い陰より陰へ、路地から路地へと動いていった。
静かな深夜。気付く者は誰もいない。
いたとしても見間違いか、あるいは風で揺れた木々の作り出す影が動いた程度だと思っただろう。
影は街中を横断し、やがて城へと侵入っていった。
城壁の陰から陰へと伝い、影の目指す場所は一点。
城の東端。崖にほど近い場所にある、一つの建物だ。
建築されてまだ間もないその建物は、城とは少々建築様式が異なり、色鮮やかな青色の屋根をしていた。
窓には色ガラスがはめ込まれ、特別感を醸し出している。
影が中へと忍び込む。
椅子の並ぶ礼拝堂を越え、太陽と月を模した像の前で、影は止まった。
影の中から、一人の男が姿を現す。
男は太陽と月の像の、月の方を掴んで回すと、スルスルと音もなく像が動き、地下へと続く階段が現れた。
影は男を伴って、さらに奥へと進む。
彼らが通過すると、像はまた音もなく、元の位置へと戻っていった。
階段を下りると、開けた場所にきた。
聖堂と、ヒューマンの神官たちが呼ぶ所にきた。
一般的な者は立ち入ることの出来ぬ、ヒューマン教の聖域である。
影から、人が姿を現し始める。
一人、二人、三人と。
やがてその数は八名へと増えた。
八名は動かない。
ただ、聖堂の奥にあるものを目の当たりにして、止まっていた。
それは、暗闇の中において、ぼんやりと白色に輝いていた。
精緻な彫刻の掘られた台座に乗ったそれは、少しだけ湾曲した石板のように見えた。
表面には不可思議な文字が縦に掘られており、その文字は、それが放つ神々しい光と相まって、何かの真理が書かれているのだと確信するものであった。
きっとそれを初めてみた多くの者が、同様の思いを抱いたことだろう。
あそこに書いてあることを読み取れば、自分はきっと天に昇れるのだ。
人間として、一段階上の存在になれるのだ、と。
だが、賢者は思うのだ。
偉大なるドラゴンを娶った男は思うのだ。
知識を蓄えた妻より様々な昔話を聞いた老人は、その知識を元に、推測するのだ。
あれは、聖典などではない。
太古の竜の爪である、と。
その竜が、今の竜と同じ姿をしていたかは定かではない。
だが、神々しくもおぞましい力を持った存在が、かつてこの大陸に跋扈していたことは確実であり、その一つが残したものである、と。
そして、そんな"聖典"の前に、一人の男がいた。
白色の甲冑に身をつつみ、太陽と月のシンボルの描かれたマントを身に着けた男。
聖堂騎士筆頭フィクサー・モント卿である。
彼の周囲には、彼と同じく白い甲冑を身に着けた四人の騎士……そして。
三十余名の男女がいた。
明らかに、教会の者とは思えぬ風体の兵士たちが。
「カスパル、まさかお前が裏切っているとは……」
その中に一人、明らかに戦士ではない男がいた。
煌びやかな衣装に身を包んだその男、年齢は初老。
顔は、ヒューマンの宰相の隣で何度も見たことがあるものであった。
宰相の側近。
無論、賢者とも知己であった。
「まさかも何も、宰相殿が予想していたから、君がここにいるのだろう?」
答えるは賢者。
賢者の言葉に、宰相の側近は答えた。
「聖典の場所は、限られた者しか知らない。ここにあると知っているのは、宰相殿が情報を渡した者のみだ」
「その言い方では、まるで私が彼女らを裏切っているようではないか」
「そう捉えられても仕方ないのではないかな? たった八人の寡兵を、敵の待つ場所へと送り込んだのだから。彼女らも、君を見る目が変わっているのではないかな?」
「いやいや、彼女らはこう思っているよ」
スッと一人の女が前へと出てくる。
崖に面した窓から差し込む月明りに照らされたその姿は、豊満かつ妖艶。
サキュバス。
「どうしてこんな寡兵で自分達を迎え撃とうとしたのか、とね」
キャロットの目が赤く光った。
一瞬で、半数が崩れ落ちた。
全員が男であった。
無論、白鎧を付けた者達も例外はなかった。
聖堂騎士筆頭のモント卿ですら、うつろな目で膝をついていた。
「なっ、馬鹿な!」
「君は男の文官だ。サキュバスと戦ったことはなかったね。噂には聞いていたと思うのだけど、どうしてこんなに大勢の男を連れてきたのかな? 女人禁制の教会に配慮したのかな?」
「最高の魔法耐性を誇る、教会の白鎧だぞ……こうも簡単に……」
しかるべき準備をしているはずであった。
教会の白鎧は、ヒューマンの賢者が作り出したものだ。あらゆる魔法への耐性を持つとされている。
「こんなものでは対処できないから、サキュバスとの戦線は女だけで構成されたのだよ。それに、彼女は『喘声』のキャロット。並みの耐性では、その魅了を防げない」
男の半数が気絶した所に、五人が動いた。
名無しの女が剣を振る。オーガの男が鉄槌を振り回す、ハーピーの女が小刀を投げ、リザードマンの男が魔法を放つ。
最後にビーストの女がその爪を赤く染めた時、侵入者八人以外は、誰も立ってはいなかった。
一瞬の出来事であった。
「想定より、敵が多かった?」
血だまりの中、それを眺めていたポプラティカがぽつりとつぶやいた。
「想定内ですよ。むしろ少し、少ないぐらいだ」
「なに?」
「我が友クルセイドは、教会と裏で繋がっている。だからここに私兵を送り込んだ……ただ、その気になればもっと私兵を送り込めたはず。それこそ、ナザール様やサンダーソニア殿を」
「援軍をケチったってこと? ヒューマンの宰相は、賢いと聞いていたけど、思いの外、馬鹿なの?」
キャロットの言葉に、賢者は首を振る。
「いやいや、彼は賢いですよ。ただ賢いがゆえに……どうしても、自分の物差しで測ってしまうのでしょう」
「物差し?」
「死んだ者は蘇らない。デーモン王が蘇るという話も半信半疑なら、君達が本気でそれを成し遂げようとしているのも半信半疑なのでしょう。だから、彼はこう思っている。"こんなもの"はくれてやれ、とね」
賢者はゆっくりと歩き、聖典を手に取った。
白く輝く物体に目を細めながら、その内から湧き上がる力に、口元を緩める。
「今、彼の頭の中は彼の現実でいっぱいなのですよ。戦後にどれだけ他国と差をつけるか、いかに他国を削るか……あるいはさらにその後の"他の野望"にかな。どちらにせよ、彼の目的のために、ヒューマン社会に強く根付いている教会との繋がりは絶対不可欠だ。ゆえに、申し訳程度の援軍をよこしたのでしょうね。あくまで自分は教会の味方だというポーズとして……。きっとこれを奪った後、彼は追撃をしてくるだろうが。恐れることはない。それも申し訳程度でしょうからね」
賢者は、友を見抜いていた。
戦争が終わり平和になり、友が何を目指しているのかを知っていた。
戦争で愛を知った賢者は、それに追従することはなく離れた。
だから読める。
この聖典を奪うのに、大した戦力は必要ない、と。
なぜならば、友はこれを必要としていないからだ。
はたして、それは読み通りであった。
「では、帰りましょう」
ただ一点。
賢者にも知らぬ事があった。
読めぬ動きをした者がいた。
「待てぇい!」
遅れて聖堂に入ってくる者たちがいた。
その数は十名強。
しかしその顔ぶれは、今しがた自分達の数倍の敵を屠った者達の表情を引き締めるのに十分なものであった。
「よかった! 間に合わないかと思ったぞ!」
『エルフの大魔導』サンダーソニア。
「申し訳ありません。教会関係は王子と言えども融通がきかず……」
『来天の王子』ナザール。
四種族同盟の名だたる英雄である二人を筆頭に、各国の中でも特に英雄視される猛者たちが揃っていた。
「しかし、驚くべきことだな」
「うむ。本当に"遺物"なるものがあり、ポプラティカらが狙っているとは……」
ヒューマンの王の護衛にして、数多の戦場にてその名をとどろかせた双子の騎士。
『怒涛の騎士』ベルモン。
『波濤の騎士』ガルモン。
「また王子様の道楽が始まったと思ったけど、きてよかったじゃないか!」
そして、巨大な戦槌で数多のサキュバスを血祭に上げた女騎士。
『血飛沫』のリリー。
「だから言ったのに。サンダーソニア様がこれだけ警鐘を鳴らしているのだから、もっと警戒すべきだって! ほんとこれだから、ヒューマンって馬鹿なんだから!」
「いや、お前はサンダーソニア様がまた耄碌し始めたとか言ってただろう」
「言ってたな」
エルフ王の護衛二人。
サンダーソニアの直弟子『エルフの小魔導』ネメシア。
弓の名手『眉間抜き』のラークスパー。
そしてサンダーソニアのお守り役『毒の花』ブーゲンビリア。
「敵はいた。ならば我らのすべきことは決まっている」
ドワーフの戦士にして、戦鬼に最も近い者。
『ドバンガの長兄』バラバラドバンガ。
「……ワン」
ビーストの戦士、ビースト女王の護衛にして、最も鋭き三本の牙。
『影犬隊』の三人。
『影狼』のロームルスと、その部下『影犬』二人。
「……なぜ、ここに?」
賢者は彼らを見て、ぽつりとつぶやいた。
彼らが、ここに来るはずがなかった。
聖堂を知る者は少ない。
宰相クルセイドは知っているだろうが、決して教えることはないだろう。他国の重鎮にはもちろん、自国の王子にすら。
なぜなら、あいつは、そういう男だからだ。
秘密は握っていればいるほど、己の力になると思っている。
自分が本当に窮地に陥らぬ限り、それを他に出すことはない。
そして賢者の見立てでは、まだ決して窮地ではない。ならば出すまい。
ただ、王子は知っていてもおかしくは無かったか。
いや、知らないはずだ。
"聖堂"の存在は知っていても、その場所までは。
答えたのはナザールであった。
「お前たちを探っている男がいた。最初から知っていたんだろうな……ヒューマンの女に狙い撃ちで話しかけていた」
「……ほう!」
それは、賢者の求めた答えではなかったが、しかし心当たりのある話ではあった。
賢者の脳裏に浮かんだのは、一人のオークだ。
彼は、妻を手に入れるために、賢者に教えを請うた。
その純粋な瞳は、間違いなく未来を向いていた。
間違いなくあのオークは、己の妻を手に入れるために、賢者の教えを使うだろう。
だが……それだけに使うとは限らない。
現実を見て、未来を行くのに、過去に縛られている者達が邪魔をしてくるなら、その戦いに大いに役立てるだろう。
しかしまさか、街中に潜伏していたポプラティカの手の者を、見つけ出すとは……。
賢者の最後の生徒は、賢者が思うより優秀なようだ。
「安心していいぞ。お前たちの仲間は、最後までお前たちの居所を吐かなかった。偉いやつだった。だからそこから少し手間取ったが、お前たちがザリコ半島に来ているのがわかれば、あとは明白だ。この地に"遺物"はあるし、お前たちはそれを取りに来ている。あとは、どこに、いつ来るか、だ。……で、そっからは色々あったんだが、いちいち説明しなくてもいいよな!」
「そこを知りたいのですが、まぁいいでしょう。お互い、暇ではないでしょうから」
教えてはもらえなかったが、自分達の目の前にいる面々を見れば、どうやってここに来れたのかは、何となく想像は付く。
エルフの捜索隊がスパイを捕らえ、ビーストが己の鼻を使って聖典の場所を嗅ぎ当て、ドワーフが像のギミックを解き明かし、聖堂への道を開いた……といった所か。
そして、彼らがヒューマンの町や城で自由に動く許可を出したのはヒューマンの王子だろう。
彼ならば、その権限を持っている。
宰相あたりが止めてもおかしくはない気もするが、宰相にとって聖典はどうでもいい物だし、ナザールが他種族と遊んでいるのは、宰相にとって"都合がいい"。
考えてみれば、そういうこともあるかと納得できる流れだが、思いつかなかった。
四種族同盟は、七種族連合と違い、他種族と連携を取るのは、そこまで上手ではないのだから。
賢者に落ち度があるとするなら、彼はビーストの聖樹が枯れた一件を、よく知らなかったことだろうか。
もちろん情報としては知り得ていたが、それでどれだけビースト王家が怒っているかを、実感として知らなかった。
まさか、ビーストの王族が己の鼻で憎き仇敵を見つけ出し、己の護衛を貸し出してまで手伝ってくれるなど、さしもの賢者も想定していなかった。
だがやはり一番の想定外は、『オーク英雄』の動きか。
彼の行動が、発端となったのだ。
彼がポプラティカの仲間を見つけ出さねば、ナザールとサンダーソニアは結果としてここにたどり着いていない。
彼がいなければ、首脳会談の裏であっさりと聖典を奪うことができたはずだ。
「それにしても、賢者殿が我らを裏切っていたとは……あなたがそちらに加担しているという情報は、ゲディグズを復活させるという話に、大きな信憑性を持たせることになるでしょうね」
「ふむ、まぁ私としても眉唾ではありますがね。理論上はできそうだというだけで……実際にやってみなければわからない段階です」
「実際にやらせるわけがないだろう」
ナザールの言葉で、その場にいる全員に緊張が走る。
八対十二。
僅かな差だが、相手は先ほどの有象無象ではなく、各国の猛者たちだ。
男も混じってはいるが、先ほどのようにキャロットが"魅了"を使うことを、サンダーソニアは見過ごすまい。
戦いにはなるだろうが、個々の力が対等ならば、数に劣る方が圧倒的に不利である。
賢者に視線が集まる。
ポプラティカが代表として、彼に声を掛けた。
「これも想定内?」
「いえ……これは、想定外でした。宰相の動きに関しては完璧に予想通りだったのですが、まさか『エルフの大魔導』や、『オーク英雄』がここまで積極的に動いているとは……物事を自分の物差しで測ってしまっていたのは、どうやら私の方だったようです」
ヒューマンの賢者は悔しそうにそう言った。
宰相を小馬鹿にしておいて、自分は敵を読み切れなかった。
知らず知らずの内に、侮ってしまっていた。
何が賢者なんだかと自嘲するが、そもそも自分は賢者などと名乗った憶えはない。
周囲が勝手に言い出しただけなのだ。
「できれば、抵抗せず、捕縛されて欲しい。ヒューマン最高の叡知を失うのは忍びない。あなたとて、内心ではこうなって欲しかったから、バッシュ殿に知恵を授けたのでは?」
「まさか……私は彼がゲディグズ復活を阻止しようとしているなんて知りませんでしたよ。彼も、私がこちら側だとは思っていなかったはずです。もし知っていて聞き出したのなら、オークの範疇を越えた賢さですが……時に、そのバッシュ殿は、いずこに?」
「彼ですか? 一応、君達の仲間を捕らえた際、一緒に城にこないかとは聞いたのですが、何故かやることがあると断られましてね……ここに来る前に呼びにはいかせましたが、今回は私たちに花を持たせてくれるつもりかもしれません。あるいは――」
「知恵を授けてくれた師への、せめてもの配慮ですかね」
配慮という言葉に、ナザールは笑った。
先日出会ったバッシュは、配慮の塊のようなオークになっていた。
この賢者が配慮の仕方を教えたのかもしれないと思えば、自然と笑みも溢れようものだ。
しかし、今は目の前の男と、素晴らしいオークについて語り合っている暇はない。
「それで、返答は?」
「そうですね……少なくとも、約束は守らないといけません」
ポプラティカ以下七人は、すでに臨戦態勢だ。
だが、その言葉を聞いて、彼女らは目くばせをしあった。
「約束?」
「私は……」
カスパルは、手に持った聖典を、隣にいたポプラティカへと手渡した。
そして、空になった己の手を見る。
「私は、子供の頃、ドラゴンになりたかったんだ」
「大空を飛び、何にも縛られず、暴力の化身でありながら、決して暴力に支配されない、最強の存在に」
「だが、ドラゴンを妻とし、彼女と話し、その秘奥を紐解いた時、わかったんだ」
「私はドラゴンになりたかったわけじゃない。ただ憧れていただけだってね」
「それが?」
意味の分からぬ独白に、ナザールは訝しげに聞き返す。
「今はね。なりたいものが、無いんだよ」
賢者の姿が、みるみるうちに変わっていく。
肌からは鱗が生え、爪は鋭く伸びていく。
頭が三つに分かれ、手足が太く長く伸びていく。
そして体は大きく、大きく……。
「『この場は私が抑える。全員逃げなさい』」
「まずい、全員、聖堂から出ろ!」
ナザールが叫んだ次の瞬間、賢者が呟くように、その呪文の名を口にした。
「『ニュート』」
ストームヒル城に、巨大な怪物が出現した。