44.初めての弟子
叩きつけるような土砂降りが続いている。
バッシュとオーガの兄妹は、こんな土砂降りの中で立ち話はなんだからと、ひとまず近くにあった洞窟に腰を落ち着けた。
現在、三人は焚き火を間に向かい合っていた。
「改めてお礼を言わせてください。さっきは助かりました。オレはオーガ族の大闘士ルラルラの息子ルド。こっちは妹のルカです」
オーガ族の大闘士ルラルラの息子ルド。
オーガ族の大闘士ルラルラの娘ルカ。
双子の兄妹は、そう名乗った。
「バッシュだ」
そう言った瞬間、バッシュを訝しげに見ていた妹の方がバッと顔を上げた。
「バッシュ!? まさか戦後『オーク英雄』となられた、あのバッシュ様ですか!?」
「ああ」
「あなたのご活躍は、オーガにも語り継がれております! お会いできて光栄です!」
その態度に、ルドの方が振り返る。
「え、この人、有名なのか?」
「兄さんは物事を知らなすぎます。オーク英雄のバッシュ様と言えば、お母さん達に並ぶ大英雄ですよ! バッシュ様がいなければ、負けていた戦も数多くあるんです!」
ルカの目は、バッシュを見てキラキラと輝いていた。
まるで子供が、おとぎ話に出てくる英雄を見るような目だった。
バッシュからすると、慣れた視線である。
「本当に本物なんですか?」
「ああ」
「本物だって、オークキング様に誓えますか?」
「オーク王ネメシスに誓おう」
「本物だ!」
本来なら、オークキングネメシスへの誓いは、こんな簡単にしていいものではない。
だが、相手は子供だ。
子供相手に多少の嘘を付くことは、オークでも普通のことである。
もちろん、バッシュがバッシュであることも、オーク王ネメシスに誓える戦士であることも、嘘ではないが。
「それにしても、ルラルラ殿の息子と娘か……」
「はい!」
「ルラルラ殿は息災か?」
大闘士ルラルラ。
その二つ名は多岐に渡るが、有名なのは『凍眼』。
『凍眼』のルラルラ。
有名な女戦士である。
彼女は3つの瞳を持つオーガであった。
もっとも、三眼のオーガはそれほど珍しい存在ではない。
だが、彼女の三つ目は、生まれつき青く輝いていた。
その眼からは氷槍が生じ、あらゆる敵を串刺しにした。
無論、大闘士と呼ばれるほどの戦士であるから、それだけが彼女の強さではない。
バッシュも戦場で何度か見かけたが、両手に金棒を持ち、暴れまわっていた。
オーガらしい凄まじい膂力と俊敏性で、一振りで数人のヒューマン兵が肉塊へと変えられていったのを憶えている。
戦時中は、次期族長候補の一人とも言われていた。
族長になれなかったとしても、オーガ族の重鎮の座に収まることは間違いない人物であった。
ついでに言えば、かなり美しい風貌をしていた。
バッシュ好みである。
故人でも既婚者でもなければ、あるいはアタックを掛けていたかもしれない。
もっとも、オーガ族は同盟においてオークの上位に位置していた。
オーガ族の女にとって、下位に属する相手に孕まされるのは最大の屈辱とされている。
いくらバッシュが『オーク英雄』と言えど、相手にされることは無いだろう。
もちろん、バッシュは妹の方に手を出すつもりはなかった。
あるいはあと10年……せめて5年後であれば、美しいオーガ族の女に成長するだろうが、現段階ではバッシュの好みではない。
オークは子供を産めない年齢の女を、女と見なさないのだ。
「いえ、死にました」
そう応えたのはルドの方だ。
「……そうか。病気か?」
「戦いで」
「あれほどの戦士が……」
バッシュは唸る。
彼の記憶の中でも、彼女は特に強い戦士だった。記憶に強烈に残るほどの。
「仕方あるまい。戦争の末期は、誰が死んでもおかしくなかった」
しかし、バッシュはそれ以上の戦士を何人か知っていた。
例えば、エルフの大魔道サンダーソニアや勇者レトであれば、かのルラルラをも打倒しうるだろう。
あるいはそうでなくとも、戦争末期は物量で負けていた。
一対一ではルラルラに及ばない兵であっても、千人、万人と集まれば、打倒しうるだろう。
「違います。母さんは戦後に殺されました」
「……決闘か?」
オーガはオークと似て好戦的な種族だ。
しかも酒浸りで女好きなオークと違いストイックで、強さに貪欲だ。
酒を飲んだり交尾に勤しむ暇があれば鍛錬を行い、その鍛錬の成果を確かめるように決闘が行われ、毎日のように誰かが死ぬと、バッシュはどこかで聞いたことがあった。
「いいえ、卑劣な手で闇討ちされました」
「……なに? どのような手で殺されたというのだ?」
「いえ、実際にどう戦ったのかはわかりませんけど……でも、あの強かった母さんが真正面から戦って負けたとは思えません。死体も放置されていました。闇討ちされたに決まっています。だからオレたちは、母さんの仇を討つための旅に出たんです」
現在、世界は全体的に平和でいようと努めている。
この平和な世の中、『敵討ち』というものはあまり推奨されていない。
戦争のことは過去のこと。
そこに遺恨があったとしても、今はひとまず水に流そう、というのが各国のトップの決定だ。
だが、オークキングの決定に従えずはぐれとなったオークがいるように、誰もがその風潮を良しとしているわけではない。
戦争中に死んだ親の仇を取ろうと、大陸中を旅する者もいるのだ。
もっとも、バッシュはそんなことは知らないが。
「もしや、さっきの女か?」
「……はい」
バッシュは先程の女を思い出す。
顔に名誉の負傷を残す、最高の体をした女剣士。
名前を聞くことすらできなかったが……。
少なくとも、いずれ名のある猛者であることに違いあるまい。
戦わずとも、一目みただけでそうと分かるほどの物腰だった。
「また挑むのか?」
「はい」
「……お前では勝てんぞ」
対する目の前の少年はというと、貧弱の一言だ。
鍛えてはいるのだろうが、あの女剣士と戦うには、はるかに力量が足りない。
あの女剣士がその気になれば、一瞬で首を落とされているだろう。
「っ……わかっています!」
ルドは下唇を噛み悔しそうに、でもバッシュを見上げ、はっきりと言った。
「でも挑みますし、次は勝ちます」
「そうか」
バッシュは、特に止めようとは思わなかった。
時に戦士には、勝てない相手に挑み、勝たなければいけないこともある。
負ければ死ぬ。
それだけのことだ。
「……」
ルドはそこで、バッと剣を抜き、バッシュの前に置いた。
バッシュは微動だにしない。
もし斬りかかられたのであれば、反撃をしていただろうが、その気配は無かった。
「だから! もう一度お願いします! 『オーク英雄』たるあなたに、このようなお願いをすることは失礼だと承知の上で! 今一度お願い申し上げます! オレを弟子にしてください!」
もしこの場がオークの国の酒場だったら、この場は騒然となったはずだ。
まず、その場にいる全員が立ち上がって少年を恫喝しただろう。
いったい誰に向かって言ってんだ!
失礼だぞ!
順番を守れ。バッシュさんの弟子になるのは俺が先だ。
いや俺だ。俺の方が先だ。
――と、そこから先は殴り合いの喧嘩だ。
全てが済んだ後に残されるのは、破壊された酒場と、死屍累々のオークたち、立っているのはバッシュだけだったろう。
「むぅ……」
昨日までのバッシュであったなら、即座に断ったことだろう。
若手の戦士を育てるのはベテランの義務だが、今のバッシュは別の目的があって旅をしている身の上だ。
この少年を育てている暇はない。
「兄さん、失礼ですよ。バッシュ様にそんな……」
「ルカだってさっきの見ただろ。この人に剣を学べば、絶対あいつにも勝てるようになるって……」
しかし、目の前の双子について、一つ気になることがあった。
(……水の精霊の願いもある)
水の精霊は何かを伝えようとしていた。
その願いは、きっとこの双子を助けることだろうというのが、バッシュの推測だ。
そして、その願いは先程叶えた。
だが、それだけでわざわざ精霊が縁もゆかりもないオークに願いを託すだろうか。
本来、精霊というものは縁のない者に対しては、絶対と言ってよいほどに姿を表さないのだ。
となればもう少し、何かしなければいけない気がする。
精霊はバッシュに、この双子をどうしてほしいのか。
もしここにゼルがいれば、精霊の意図を説明してくれるのに……。
(……)
精霊というのは気難しく気まぐれな存在だ。
怒らせたら、風の精霊と親しいフェアリーですらブルっちまうぐらい怖い。
逸話はいくつも聞いた。
火の精霊を怒らせたドワーフの町が、火山の噴火によって滅んだこともあるという。
水の精霊を怒らせたヒューマンの町が、凄まじい嵐によって洗い流されたこともあるという。
土の精霊を怒らせたリザードマンの町が、地割れで飲み込まれたこともあるという。
風の精霊を怒らせたとあるフェアリーは、唐突に発生した竜巻に連れ去られ、一晩空中で土下座し続けて、ようやく許してもらったことがあるという。
精霊は怒らせてはならない。
それはこの大陸に住む者だれもが持っている共通認識だ。
例えばバッシュが「助けたからもういいだろう」とこの場から去ったとしよう。
もしそれが精霊の願いと違っていたら、精霊は怒り出すかもしれない。
(まてよ……いや、もしやそういうことか?)
ふと、バッシュは『凍眼』のルラルラのことを思い出した。
思えば彼女は、精霊に愛されていた。
さほど魔法に適性の無いオーガでありながら、氷の魔法をバシバシと打ち出していたのが、その証拠だ。
ならば水の精霊が双子に好意的であり、復讐に力を貸そうとしているのだとしても、おかしくはない。
精霊が敵討ちに加担するなど聞いたこともないから、あるいは、この二人のどちらかが水の精霊に愛されているのかもしれないが。
ともあれ、双子の復讐を成功させることが、精霊の願いの可能性がある。
バッシュは少ない情報から、そう判断した。
「いいだろう。ただし、あの女との再戦までの間だけだ。俺には俺の目的がある」
どこまで助ければいいのかわからない。
だが、今後のことを考えれば、精霊の頼みを聞かないわけにはいかなかった。
「ありがとうございます!」
ルドはバッと頭を下げた。
ここがオークの国であれば、他のオークたちから歓声があがっていたことだろう。
自分が選ばれなかったのは悔しいが、バッシュに弟子と認められたのであれば、それは祝うべきことだからだ。
胴上げが起こっていてもおかしくはない。
「それで、バッシュさん……いえ、師匠の目的というのは?」
「あるものを探している」
「何を?」
「それは言えん」
「そうですか。わかりました」
ルドは興味が無いのか、それ以上は追求してこなかった。
バッシュとしてはありがたい話である。
根掘葉掘り追求されても説明に困る所だ。
「とにかく助かります。短い間ですが、これからよろしくおねがいします」
「ああ、やつに勝てるかはわからんが、なんとかお前を鍛えてやろう」
「はい、頼みます!」
こうして、ルドはバッシュの弟子となった。
事実上の一番弟子。
それはオークの国の若者たちが夢を語る時、鼻の下をこすりつつ、言いよどみ、ちょっと恥ずかしそうに口にするものであった。
それぐらい、価値のある立場である。
ルドは多いに喜び、それを尻目に、ルカは難しい顔をしていた。
それに気付く者は、いなかったが。
□
雨はやまない。
凄まじい暴風が吹き荒れる中、洞窟からすぐ出た場所で、バッシュはルドと相対していた。
酷い雨だが、戦場でこれぐらいの雨が降ることは日常茶飯事だ。
バッシュが気にすることは無かった。
ルドは、吹き飛ばされそうになりながらも、必死に立っていたが。
ルドの獲物は剣だ。
『凍眼』のルラルラに習ったのか、両手に二本。
構える姿も、なかなか堂に入っていた。
「いつでも来い!」
雨音にかき消されぬよう大きな声で言ったバッシュに、ルドはうなずいた。
「うおおおおお!」
ルドの雄叫びと共に放たれた渾身の一撃。
バッシュはそれを大剣で受けた。
(……これはっ!)
その重さ、その鋭さに、バッシュは目を見開いた。
『凍眼』のルラルラの子であり、そのルラルラを殺した仇を討とうとする者。
闇討ちとはいえルラルラを殺したのであれば、相当な使い手だ。
バッシュの見立てでも、先程の女剣士は相当な腕前だった。
ルドはそんな相手に「次は勝てる」と断言した。
であれば、見た目と違い、相当な重さの一撃が襲いくるだろうと、バッシュは腰を大きく落とし、衝撃に備えていた。
だが、
「おっと、流石ですね師匠! このオレの渾身の一撃をここまで押し返すとは!」
バッシュは押し返してなどいない。
(…………)
そのあまりにも軽い剣に、前につんのめりかけただけだ。
そして、そんな些細な動作で、ルドは弾き返されていた。
「どんどん行きますよ!」
その言葉に、バッシュは再度身構えた。
ルドのスピードが若干上がったように思えたからだ。
恐らく次に来るのは連撃。
そう、ルラルラはその膂力も凄まじかったが、その速度もまた素晴らしかった。
二本の金棒から繰り出される連撃は、かのエルフの大剣豪『即断即血』のダンデライオンをも圧倒した。
ゆえに、ルドも膂力ではなくスピードで勝負するタイプなのかと思い直した。
速度に優れる戦士は多い。
だがバッシュは、そうした戦士に遅れを取ったことはあまり無い。
バッシュは力に優れた戦士だと思われがちだが、速度もまた水準以上だ。
英雄と呼ばれる者が、ただ力に優れているわけではないのだ。
『オーク英雄』と戦い、生き残った者は、彼の剣を思い出し、こう言うだろう。
『あいつの剣か? うっ、思い出しただけで震えがきた……とにかくヤバイぞ。そうだな。例えば私はお前が剣を一振りする間、魔法を三発撃てるだろ? これ、自分で言うのもなんだが、結構早い方なんだ。この速度で魔法を撃てるのは記憶にある中でもせいぜい三人かそこらだ……バッシュは、あいつは私が三度魔法を撃つ間に三度剣を振ってくる。それぐらい速い。もちろんナザールとかはもっと速いけどな。でもな、バッシュのはその上、重いんだ。一撃でも喰らえば魔法障壁は粉々に砕かれ、棍棒でぶん殴られたような衝撃が襲ってくる。私の障壁をだぞ? このエルフの大魔道サンダーソニアの障壁を粉々に――』
長くなりそうなので途中で切るが、そんな感じで言うだろう。ろくろを回す手付きで。
(三度、殺せたな……)
バッシュはルドの剣を難なく受けとめつつ、そんな感想を抱いた。
バッシュはあまり他人を評さない。
自分より下の者をいちいち格付けするなど、無意味だったからだ。
だが目の前に対峙した敵を見て、強いか弱いか、倒せるか否かを判断することはある。
その経験から、ルドを格付けするのであれば……。
(力にしろ、速度にしろ並以下か……弱いな、あまりにも……)
バッシュは困ったように、視線を巡らせた。
その先には洞窟があった。洞窟の入り口には、一人の少女が立っている。
ルドの妹、ルカと言ったか。
彼女は、困ったような顔でルドの方を見ていたが、バッシュの視線を受けると、その表情を悲しそうなものへと変え、申し訳なさそうな視線を返してきた。
きっと彼女はわかっているのだろう。
ルドが今から多少鍛えられた所で、あの女に勝てる未来など無い、と。
(……)
これを短期間で鍛える。
それも、あの『凍眼』のルラルラを、闇討ちとはいえ殺した相手を打倒できる域まで……。
その難しさに、バッシュは強いめまいを覚えた。
ヒューマンの騎士『巨殺卿のアシス』に思いっきり頭をぶん殴られた時ですら、ここまでではなかった。
(どうする?)
三十分後。
バッシュは、目の前で息も絶え絶えになり、仰向けになってぜーはー言っているルドを前に、難しい顔をしていた。
弟子と言われたが、ここまで弱い者に何を教えていいのかわからなかった。
オークは幼少期を除いて訓練などしない。
彼らには生まれつき戦う本能があり、何かを教わらなくても、自然と戦士として育っていく。
そうでなければ死ぬだけだから、おのずと淘汰されるというのもあるが……。
ともあれ、そんなオーク達にも、向上心というものがあった。
バッシュは人に剣を教えたことなど無い。
ベテランには後進を育てる義務があるものの、弟子にしてくれと言われたことも無い。
若者たちはほぼ全員がバッシュの弟子になりたいと思っていたが、口に出して言える輩は一人もいなかったから、無い。
が、オーク国において、『喧嘩』を請われたことは何度かある。
特にキングの息子たちにだ。
彼らはキラキラした目でバッシュに『すんません! 自分と喧嘩してもらってもいいっすか!?』と頼み、バッシュが了承すると『やったぁ!』と嬉しそうに喜んだものだ。
その後、当然彼らはバッシュにボコボコにされるが、それは最初からわかっていたようで『どうでしたか、俺の剣の腕は!』と期待を込めて聞いてくる。
バッシュは勝った側だから、手放しで褒めることなどせず、悪い点を指摘する。
「お前は踏み込みが甘い。臆病者でないのなら、片足なんぞくれてやるつもりで踏み込むんだな」などと。
キングの息子たちは「ちょ、無理っすよ。バッシュさんの剣を足にくらったら、片足どころか下半身なくなっちゃいますって。繁殖場いけなくなっちゃう」などと嬉しそうに笑っていたものだが……。
とにかくそれが、オークの国の『教育』であると言えるだろう。
ルドの剣技がもう少し上であれば、バッシュとて何かしらのアドバイスを行えた。
前に出過ぎているのか、あるいは下がりすぎているのか。
手癖で剣を振っているのか、相手の動きをきちんと見ていないのか。
変な癖がついているのか、基本に忠実すぎて読みやすいのか……。
そういったことは、戦えばわかることだ。
だが、正直ルドに関しては、難しかった。
全てが悪いとしか言いようが無い。
戦闘において、バッシュが剣を振った時、4~5人の敵がまとめて死ぬのはよくあることだ。
だが稀に、まとめて死んだ死体に押しつぶされて死ぬようなマヌケもいる。
ルドはそのマヌケの類だ。
思えば、キングの息子たちは、その誰もが戦士として一流だった。
まだ若い者ばかりだが、当然だろう。終戦間際の激戦を生き残ったのだから。
(うーむ……)
バッシュは無い知恵を絞り、考える。
この目の前でへたり込んでいるルドに、何を教えるべきか。
ここまで弱っちいオーガを見たことが無い。どうしたらいいのか。
戦場で年若いオークは、オーガは、戦士たちは、何をしていたか……。
少なくとも言えるのは、こうして疲れてへたり込んでいる者は、例外なく死んだということだ。
戦場では、移動ができなくなった者から死んでいく。
前に出ることも、逃げることも出来ないということは、標的にしかならないということだ。
なら、少なくともそれは、避けられなければならない。
「立て」
「はぁ……はぁ……いえ、もう立てませ…………ぐはっ!」
バッシュはルドを蹴り飛ばした。
戦場でもう立てないと言った者は、こうしてやると立てるようになることが多かった。
少なくとも、オークはそうだ。
そして、どうやらオーガもそうであるらしく、ルドは目を見開きつつ、立ち上がった。
「走れ」
「はぁ……はぁ……走れって、どこに? だいたい、もう日が落ちて暗く…………おうぐっ!」
バッシュはルドを蹴り飛ばした。
戦場でもう走れないと言った者は、こうしてやると走れるようになることが多かった。
思い返せば、それはオークに限らず、あらゆる種族に共通していた。
蹴るか、あるいは剣で斬りつけてもいいが、攻撃を加えると、誰もが必死に走ったものだった。
ルドは蹴り飛ばされ、剣を取り落し、四つん這いになり、泥にまみれながらバッシュを見上げた。
なんで? と言わんばかりの表情に、バッシュは思ったことを口にする。
「親の仇も、そんな顔で見上げるつもりか?」
バッシュがそう言うと、ルドは唇を噛みつつものろのろと立ち上がり、ぺたぺたと走り出した。
土砂降りの雨の中、まるでバッシュから逃げるように。
その顔からは、訓練を始める前にあった余裕は、完全に消え失せていた。
バッシュはそれを追いかけた。
意図的に殺気を撒き散らし、追いついたら殺すつもりで。
ただし追いつかないようにゆっくりと。
普段なら追いつけない獲物を狩る時、相手を疲れさせるためにやる技だった。
「……」
バッシュは、人が死の間際にこそ最大の力を発揮することを知っている。
己自身もそうだったし、バッシュに倒された猛者たちもそうだった。
さらに言えば、バッシュはそうした死にものぐるいの戦いを繰り返すことで強くなったものだ。
限界ギリギリの力を出すことは、戦士をより上位の存在へと押し上げるのだ。
「はぁ……あぁ……ぐぇ……はぁ……」
ルドはよく走った。
これだけ走れるなら、先程へたりこんでいたのはなんだったんだろうと思えるほどに。
雨の中、ぬかるんだ地面に足を取られ、何度も転びつつ、しかし必死で走った。
バッシュが怖かったのか、それとも本当に心の底から仇を討ちたいと願っているのか、傍目にはわからなかった。
あるいは、ルド本人ですら、わかっていなかったかもしれない。
ルドの走りは、バッシュが蹴っても起き上がらなくなるまで続いた。
□
雨はやまなかった。
だが、バッシュたちは翌日から移動を開始した。
ルドが、出発しようと口にしたからだ。
このままだと、まだ近くにいるはずの仇に逃げられてしまうから、と。
妹のルカはやや否定的な表情をしていたが、それを口にすることは無かった。
バッシュとしては、ルドが使い物になるまであの洞窟に籠もって修行をしていたい気持ちもあった。
とはいえ、早く彼らの復讐を終わらせ、デーモンの国に行きたいという気持ちも強く持っていた。
いつだって、時間には限りがあるのだ。
移動しながらも修行は行われた。
ルドがバッシュに向かって剣を打ち込み、時にバッシュが打ち込むのを防御させ、限界を感じたら倒れるまで走らされる。
それだけの、修行というにはあまりにも泥臭いものだった。
ルドは少々不満そうだったが、しかし今の所は従っていた。
バッシュは、日に日にルドの立ち上がる速度と逃げる距離が上がっていくのを見て、確実な成長を感じていた。
ルカは、そんな二人をじっと見ているだけだった。
一言も発さず、ただじっと。
少し、悲しそうな顔で。