22.渦巻く陰謀
翌朝、バッシュはドバンガ孔の郊外……山の外にある森にきていた。
森の一角は切り開かれ、広場のようになっていた。
そこには、鎧の試作品と思わしきものがゴロゴロと転がっている。
ドワーフのゴミ捨て場である。
大抵のドワーフは、失敗作は鋳潰して再利用するのだが、全てをすぐに再利用できるわけではない。
余ったものは、こうして誰でも利用できるよう、山の外へと捨て置かれるのだ。
プリメラはそんな広場で、腰に手を当てつつ、バッシュを見上げ顎を突き出していた。
意気込みの感じられる立ち姿である。
「あたしは、出るからには本気で優勝を取りに行くつもりだ」
「ああ」
対するバッシュはというと、生返事だ。
それも仕方あるまい。
なぜならバッシュの視点からは、プリメラの胸の谷間がちょうど見えていて眼福なのだ。
「一流の鍛冶師は、戦士に合った武器を作る。だからあたしも、あんたに合った武器を作ってやろうと思う」
プリメラはそう言うと、一本の剣をバッシュへと差し出した。
幅広で肉厚の両刃剣。
特殊な金属を使っているのか、表面が赤く光っている。
刃渡りは1メートル半といった所か。
ヒューマンであれば両手で使うが、オークが使う分には片手で十分、そんな長さである。
「それは、あたしが作った剣の中の最高傑作……とまではいかないが、出来のいい剣の内の一本だ」
「うむ」
バッシュは剣を受け取る。
その際、プリメラの手が触れて、ドキリと心が震える。
昨晩抱いた、いやさ掴んだプリメラの肩の感触が思い出されたのだ。
振られた相手とはいえ、プリメラは美少女……興奮しないわけにはいかない。
今は分厚い外套に身を包んでいるが、その中に筋肉質ながらもほっそりとした女の肢体が隠されていることも知っている。
対するプリメラはというと、オークの顔色を窺えるほどオークを見慣れてはいない。
ゆえにバッシュの下心には気づかない。
「幸い、ここには試し切りにはちょうどいい鎧がたくさんある」
プリメラはそう言うと、鎧の一つを持ち上げ、持ってきた台座の上へと置いた。
「まずは振ってみて、率直な意見を言って欲しい。もっとこうしてほしい、とかな」
「わかった」
バッシュはプリメラが引いたのを確認すると、剣を振り上げ、振り下ろした。
あっさりとした動作だった。
だがプリメラは、その動作を見切ることが出来なかった。
何千何万回と繰り返してきた動作。
あらゆる者を両断する膂力を持ったバッシュの一撃は、寸分違わず、鎧の最も硬い部分へと打ち込まれた。
そして、キンともカンとも言えない、綺麗な音を立てて振り抜かれたのである。
「あ……」
プリメラが瞬きをした瞬間、鎧は破裂したように粉々に砕け散った。
各種のパーツがカランコロンと音を立てて散らばっていく。
もし、この場に戦場のバッシュを知る者がいれば、戦慄すると同時に納得しただろう。
そうでなくとも、多少なりとも腕の立つ者であれば、今の一撃で生み出された衝撃がいかなるものかに思い至り、震え上がっただろう。
野生生物であれば、即座に敗北を認め、逃げるか腹を見せたはずだ。
それほどの一撃であった。
少女は、逃げるでも腹を見せるでもなかった。
怒鳴った。
「馬鹿野郎!」
彼女は叫び、バッシュへと駆け寄った。
「そんなふうに叩きつける奴がいるか! 棒きれじゃないんだぞ!」
そしてバッシュから剣を奪い取ると、刃を見た。
刃は梃子でも使ったかのように曲がり、あさっての方角を向いていた。
「あーあー、ほら見ろ。ひん曲がったじゃないか」
「むぅ……」
「まったく、どんな馬鹿力なんだよ……はぁ~……」
プリメラはプンプンと文句を言うと、ひん曲がった部分を指で撫で、盛大にため息をついた。
しかし、すぐに首を振り、気を取り直したかのようにバッシュを見た。
「でもま、とにかく課題は見えたな。あんたは馬鹿力で、剣の腕も大したことない。なら切れ味より耐久性を上げた方がいい」
「えっ!」
ゼルの目ん玉が飛び出した。
それもそのはずだ。
ゼルは未だかつて、バッシュの一撃を見て「剣の腕が大したことない」なんて言った輩を見たことがなかった。
ただただその一撃を身に受けて、言葉もなく絶命するか、戦慄の表情で膝をつき、バッシュを見上げる者ばかりだった。
「なんだ? 間違ってるか?」
「……間違ってはいない」
バッシュはというと、気にしない。
今までに二度、そう言われたことがあった。
バッシュ自身、自分より剣の腕が達者な戦士は何人か知っている。
だから自分の剣の腕は、ことさら自慢するほど大したことはないと思っていた。
「だからこの剣を使っている」
「ふーん……ま、生半可な武器よりは、でかくて硬い方がマシだもんな……よし」
プリメラはバッシュの背にある剣をジロジロと眺めた後、ポンと手を打った。
「とりあえず、あんたの武具の目処は立った。あたしはこれから工房に籠もるから、あんたらは町を見物でもしててくれ」
「お前が剣を打つ所を見ていてもいいか?」
「だ、ダメだ!」
何気なく聞いた言葉に強く拒絶され、バッシュは片眉を上げた。
「なぜだ?」
「なぜもクソもあるか! ドワーフ鍛冶は、ドワーフの秘法だぞ!?」
プリメラは自分の両肩を抱いて、バッシュから一歩引いた。
それを見てピンと来たのはゼルだ。
この妖精は、たまに異様なほどに察しが良くなるのだ。
そのため、時に世間はゼルのことを「テレパシーのゼル」と呼ぶ。
(旦那、昨日抱こうとしたことで、警戒されているみたいっす)
(そうなのか?)
(ドワーフに限らず、鍛冶ってのは裸に近い格好でするもんすからね。未遂とはいえ、昨日のことを考えれば、襲われるかもと思うのは仕方ないっす)
裸に近い格好と言われ、バッシュとしてはぜひとも近くで見てみたかった。
見たくないわけがない。
しかし、ダメと言われて強行するわけにはいかなかった。
オークキングの命により、合意なき性交を禁じられているのだから。
「わかった。ならば町に行っていよう」
「夜には試作品が打ち終わるから……そうだな、時計の針が7を指したぐらいに戻ってきてくれ。時計の見方、わかるよな?」
「大丈夫っす!」
ドワーフの町では太陽が見えない。
そのために、町の各地に用意された時計を見て時間を知ることになる。
ドワーフの国ならではの文化であり、他種族、特に七種族連合で時計を読めるものは少ない。
が、ゼルには読めた。
なぜなら、ドワーフ軍を諜報するに当たって、時計の針を読めることは大きなメリットになるからだ。
「よし! じゃあ打ってくる! 今まで持ったことないようなスゲー業物を作るから、首を長くして待ってろよな!」
プリメラはそう言うと、タッと駆け出し、町の方へと戻っていった。
バッシュはそれを見送り、さてどうしたものかとゼルを見た。
ゼルは腰に手を当て、頬を膨らませていた。
「……いやー、信じられないっすね」
「なにがだ?」
「何がって! あの女、旦那の剣の腕が大したことないとか言ったんすよ!? ただ馬鹿力なだけだって! オークの英雄たる旦那を! いかなる敵をも屠ってきた旦那の剛剣を!」
「剣の腕が大したことがないのは事実だ。この剣をくれた男にもそう言われた」
バッシュはそう言うと、背中の剣を抜き放った。
鉄塊のようなこの剣は、当時、戦場で幾度となく武器を失っていたバッシュに対し、デーモンの将軍が「お前のようなガサツ者には、これがちょうどいい」と言って、贈ったものだ。
「実際、俺より剣がうまい者はオークの中にもいた」
「そうなんすか? 本当にぃ? 旦那、ちょっと自分の評価低すぎないっすかぁ? 旦那、自分の戦ってるところとか見たことないっすよね? オレっちの見立てでは、旦那がオークの中で一番っすよ?」
「そもそも戦いは、剣の腕だけで左右されるものではない」
「まぁ確かに、それもそっすね! 別に剣が上手なら強いってわけでもないっすもんね!」
戦場で生き残ったり、大敵を倒すには、剣の腕だけが重要でないことは、ゼルもよく知っている。
強さというものは複合的なのだ。
剣の腕というものは、その一要素に過ぎない。
現に、古今東西、あらゆる剣術自慢の戦士たちは、戦争であっけなく誰かに敗北し、死んでいった。
そして勝利した者は、決して剣術が達者というわけではない、ただ強いだけの凡人も多かったのだ。
「さて、それじゃ町を見に行くっすよ! 旦那のおメガネに叶う女を見つけておかないと、優勝した時に指名する相手がいないってことになりかねないっすから!」
「そうだな!」
バッシュは頷くと、町へと戻っていくのであった。
◆
数刻後、バッシュは町中にある酒場へと訪れていた。
幸いにして、ドバンガ孔にバッシュを見咎める者はいなかった。
多くの他種族がいるせいか、ドワーフがオークをあまり敵視していないせいか。
理由はわからないが、バッシュはヒューマンの国のように敵視されるでもなく、エルフの国のように訝しげな眼で見られることもなく、酒場の一席につくことができていた。
目的は当然、昨日の情報収集の続きだ。
「へー、じゃあ、今のお父さんとお母さんは、本当の両親じゃないんすか」
「ああ、そうさ! でもあたいは本当の両親と同じぐらい……いいや、それ以上に愛してる。なんたって、戦争孤児んなって死にかけてたあたいを拾って、ここまで育ててくれたんだからね!」
「素晴らしいっすね! ドワーフイチの親孝行者っすよ! いやー、ドワーフは義理堅い人が多いっすけど、ここまでのお方を見たのは初めてっす! それがこんな美しい方となれば、言い寄る方も大勢いるんじゃないっすか!? この色女!」
「まったく、フェアリーは調子がいいねぇ!」
標的は、この酒場の看板娘。
名をポリーンという。
バッシュはゼルの情報収集を、酒場の隅で一杯やりながら、期待を込めた目で二人を見ていた。
バッシュが口を出すことはない。
情報収集はゼルの方が何枚も上手だ。
今も芸術的な手際で、ポリーンから情報を集めている。
彼女の内情は、まさに丸裸になりつつある。
武神具祭で優勝すれば、目に入る女は全て手に入る。
もっとも、話を聞く限り、手に入るのは一人だけだ。
となれば、誰を手に入れるかが重要になってくる。
バッシュとしては誰でもいいが、しかし、やはり手に入れるのであれば、後悔しないような極上の女がいい。
そのためには、名前や職業だけでなく、もっと詳細な情報が必要だ。
昨日作ったリストの中から、容姿に優れた者を厳選、今は中身を探っている。
バッシュはその情報を待ち、どの女を手に入れるのかを選び、武神具祭で優勝すればいい。
あまりに単純、あまりに簡単だ。
見た目の好みという意味では、ドワーフ女ということで、厳選してもまだジュディスやサンダーソニアには遠く及ばないのだが、確実に手に入るとなれば、それも目を瞑れる。
「……」
バッシュは優勝後の性交を思い浮かべ、口元を緩ませた。
ポリーンはドワーフの中では背が高く、痩せている。
ドワーフらしい赤毛をポニーテールにまとめ、闊達な表情で給仕をしている。
絶世の美女というわけではない。
無作為に集められた、あらゆる種族の100人の女性がいたとしたら、バッシュは彼女を選ばないだろう。
当然、ジュディスやサンダーソニアを見た時の胸の高鳴りは無い。
だが、ドワーフ女の中ではかなりマシな方であった。
なにせポリーンの胸は、ジュディスやサンダーソニアより大きいのだから。
それを自由にすることを思い浮かべながら、酒を煽る。
両手に杯を持ち、交互に飲むのがドワーフ流だ。
バッシュは右手に蒸留酒、左手にビールを持ち、交互に味わっていた。
蒸留酒は、さすがはドワーフのお家芸とも言えるほどの味だった。口に含むとまろやかな甘みが口内に広がり、鼻をスッと抜けてくる。飲み込むと蒸留酒特有のカッとした熱さとしびれが喉を刺激する。
ビールは、ドワーフのものではない。ヒューマンが作ったものを輸入しているのだろう。麦酒特有の苦味と、爽やかな酸味。喉越しはスッキリとしていて、水のようにガブガブと飲めてしまう。
女は確実に手に入る。
酒もうまい。
もはや言うことなしだ。
バッシュは旅に出てから、いや、戦争が終わってから、初めてとも言えるほどに安堵し、トロンとした目でゼルとポリーンを見ていた。
「好みの男はどんな感じっすか?」
「そうさね、やっぱり強い男がいいね。長生きして、病気もしなくて、いざとなったらあたしを守ってくれる。といっても、先に死ぬのは勘弁だね。身内が死ぬのはもう見たくないよ」
まさにバッシュに当てはまる条件である。
ゼルはバッシュにサムズアップを送った。
バッシュはそれに頷きを返そうとして……。
「おい」
ふと、バッシュの顔に影が差した。
ポリーンの豊満な胸が消え失せ、筋肉に覆われた胸板が現れる。
バッシュが視線を上げると、そこには髭面のドワーフの顔があった。
「てめぇ、何見てやがる」
「あの女だ」
バッシュは正直に答えた。
見ているだけなのだから、咎められる筋合いは無いはずだった。
「へぇ、俺たちのアイドルを狙ってるってぇのか。ふてぇやろうだな!」
「あんだと!? オークがポリーンちゃんを狙ってるだとぉ!?」
「聞き捨てならねえなぁ!」
ガタガタッと音を立て、荒くれ達が立ち上がり、バッシュを一瞬で取り囲んだ。
とはいえドワーフ、背丈は座っているバッシュと同等程度も無く、バッシュはやや見下ろす形で彼らを見渡した。
「ダメなのか? 見ていただけだぞ?」
「御託を並べてんじゃねえ」
「ダメに決まってんだろ!」
「表に出な。ぶっ殺してやる」
バッシュはイマイチ、話の流れがつかめなかった。
だが、彼らが何をしたいのかはわかった。
こうした光景は、オークの酒場でもよく見られた。
酒に酔って、気分がよくなり、なんとなく他人にイチャモンを付け、そのまま店の外に連れ出す。
そして、店の前で楽しい殴り合い。
つまり喧嘩だ。
要するに彼らは喧嘩を売っているのだ。
酒に酔っ払い、興に乗った勢いで、周囲に己の力を喧伝したいのだろう。
「……ふむ」
バッシュは決してこの国に喧嘩を買いにきたわけではない。
エルフ相手にも、決して喧嘩は売らなかったし、買わなかった。
だが、今はバッシュは酒が入り、気分がいい。興も乗っている。
ここまで相手がやる気になっているのに喧嘩を買わないとなれば、それはオークの名折れだと考えた。
もし、バッシュを囲んでいるのが髭面の男ではなく、絶世の美女であれば、あるいは買わないという選択肢も取り得ただろう。
バッシュの目的は、名声を得ることではないのだから。
だが目当ての女が目の前で「強い男がいい」と言ったのに、喧嘩を買わないヤツがどこにいるものか。
「いいだろう」
バッシュは脇に立てかけてあった剣を手にとった。
もちろん、喧嘩で使うつもりはない。
ただ、盗まれても困るため、どこか邪魔にならない所にでも置いておこうと思っただけだ。
「……!」
「お、おい、あれ……」
「ウソだろ……不壊のデーモン剣じゃねえか……」
しかし、剣を目にした瞬間、ドワーフたちの顔色が変わった。
酔っ払った赤ら顔から、二日酔いでもしたのかと思えるほどの蒼白へと。
ドワーフたちの視線は、バッシュの愛剣とバッシュを交互に行き来した。
「まさか、あんた、バッシュか? 『オーク英雄』の……」
「そうだ」
ドワーフたちは気づいた。
とんでもない相手に喧嘩を売ってしまった、と。
戦場でオークと戦った者であるなら、誰だってバッシュの存在は知っている。
顔の見分けは付かないが、手に持つ武器を見れば一目瞭然だ。
「嘘だろ……」
「喧嘩売っていいライン考えろよな……」
「銀貨一枚じゃ安すぎる……」
バッシュが表へと出ようとすると、ドワーフたちが一斉に道を開けた。
オークの喧嘩も、外に出て喧嘩をするという点では一緒だが、売った側が先に出て待ち構えるという暗黙のルールがあった。
ドワーフは逆ということだろうか。
そう思いつつ、バッシュは店の外に出た。
大通りは相変わらずの喧騒に包まれている。
ふと横を見ると、二軒となりの酒場でも、何やら乱闘が起きていた。
バッシュはフッと笑い、腕を組み、待ち構える。
「……?」
しかし、ドワーフたちは出てこなかった。
これでは、喧嘩はもちろん、ポリーンに強い男である所を見せることも出来ない。
それとも、ドワーフの喧嘩は、売った側が何かを用意する決まりでもあるのだろうか。
そう思い始めた頃、店から出てくる者の姿があった。
ドワーフよりもはるかに小さいその姿は、まさにフェアリーのもの。
ゼルだ。
「ゼルか。これから喧嘩だ。お前も混ざるか?」
「旦那に加勢なんて必要ないと思うっすけど……ていうか旦那の相手、みんな裏口から逃げてったっすよ」
「なに?」
「多分、旦那に恐れをなしたんっすよ」
拍子抜けであった。
バッシュは組んでいた腕を解くと、店の中へと戻っていった。
すると確かに、先程バッシュに喧嘩を売ろうとしていた者たちの姿はなかった。
それどころか、ポリーンの姿さえも無い。
「ポリーンは?」
「今日はもう終わりみたいっす。どうするっすか? 尾行するっすか?」
「いや……情報は集まったのだろう?」
「バッチリっす」
「ならいい。次に行くとしよう」
喧嘩に関してはイマイチ不可解であったが、バッシュのように大きな男は些細なことは気にしない。
消化不良ではあるが、相手が逃げたのなら自動的にバッシュの勝利だ。
そして、喧嘩をするためにこの町にきたわけでもない。
本来の目的を達成すべく、バッシュとゼルは次の酒場へと赴くのであった。
◆ ドバンガ孔 某所 ◆
ドラドラドバンガには十人を超える子供たちがいる。
彼らは『ドバンガの子』と呼ばれ、ドバンガ孔における支配者層の一つとして君臨している。
戦鬼の血を受け継いた彼らは、誰もが優秀だ。
鍛冶師としてか、戦士としてか、あるいはその両方に精通した、一流の者が多い。
バラバラドバンガ。
通称バラバラ。
彼はそんな『ドバンガの子』の模範となる存在だった。
長男であり、戦争にも参加し、称賛を得るに十分な戦果も得た。
彼自身は 長男として、弟や妹たちを先導し、助けを求められれば力となる、そんな存在であろうと思っている。
その上で、鍛冶師としても、戦士としても一流であるため研鑽を続けている。
偉大なる父であるドラドラドバンガがそうであったように……。
事実、彼は去年の武神具祭では優勝したし、今年も優勝するつもりだった。
他の『ドバンガの子』は彼を尊敬し、頼りにしていた。
ただ一人。
ヒューマンとの間に産まれた末妹を除いては。
「プリメラがオークに攫われたと、そう言ったのか?」
「いいや、違うって。よく聞きなよ。プリメラが、オークを連れて行ったって言ったのさ!」
その日、武神具祭に向けて鍛錬を積んでいるバラバラの元に駆け込んできたのは、妹のカルメラだった。
カルメラドバンガは次女だが、母親かと思うほど面倒見がよく、よく弟や妹たちの世話をしていた。
ドバンガ孔にいない他の兄弟たちも、彼女の料理の腕を知らない者はいないだろう。
無論、『ドバンガの子』として、鍛冶の腕も一流だ。戦士としては二流だが。
そんな彼女の最近の悩みは、末の妹。
プリメラドバンガの事だ。
『ドバンガの子』はドワーフの中では期待の象徴であり、将来の希望とも言える存在だ。
当然、期待に応えるべく研鑽を積むし、ほとんどの者はその期待通りの成長を遂げている。
ただ、プリメラだけは違った。
彼女だけは期待されなかった。
生まれつき体が弱い上、ヒューマンの血が濃く出てしまったからだ。
ヒョロっとした体、細い腕……あんな娘、鍛冶師としても戦士としてもやっていけない。
誰もがそう言った。
同じ『ドバンガの子』ですら、そう思った。
彼女はそれでも『ドバンガの子』として恥じぬよう、研鑽を積んだ。
戦士としては絶望的だったが、それでも鍛冶師としては大成できるはずだと。
でも、まだまだ鍛冶の腕は未熟で、成果も出せない。
しかし口だけは一丁前。
無論、誰も認めてはくれなかった。
心配性のカルメラは、彼女に何度も忠言した。
せめて、でかい口をきくのをやめろ、お前は未熟なんだから、未熟者なりに鍛冶に取り組め、それができないならやめちまえ、と。
結果を急ぐプリメラがそれを聞き入れることはなかったが。
プリメラは挙句の果てに、武神具祭に出場すると言い始めた。
カルメラは言った。
恥をかくだけだし、お前の名誉だけじゃなく、お前に力を貸してくれる戦士の方も傷つくんだから、やめておけ。
もちろん、プリメラが聞く耳を持つはずもなかった。
そんな言い方では当たり前である。
バラバラもカルメラも知っている。
彼女は腕も未熟だが、何より自覚が足りないのだ。
自分の作る武具に、戦士が命を預けるという自覚が……。
だからこそ、国内で事情を知る戦士は、誰も彼女に力を貸してくれないのだ。
それを、外国から来た、何も知らないオークなんかを捕まえるなんて……。
「あたしは心配だよ。オークはドワーフ女になんざ興味ないけど、あの子はハーフヒューマンだ……大変なことになってなきゃいいけど……」
「……心配せずとも、オークは、他種族との合意なき性交を禁じているはずだ。オークはそれを守っている」
「ハッ、兄さんは男だからそういうことを言うのさ。合意なんてのはね、後からいくらでも取れるんだよ」
「……」
バラバラは、剣の素振りをしながらカルメラの話を聞いていた。
相談という体を取ってはいるが、その内実が愚痴なのは間違いないだろう。
いつもそうだ。彼女はバラバラの意見などどうでもいいのだ。
「仮に無事だったとしても、あの子の打った武具で勝ち抜けるわけがないんだ。武具のせいで負けて、怒り狂った戦士に殴り殺されるって事件、去年にもあったろう? まして相手は頭の悪いオークだ。嘘付きフェアリーを連れたね。どうなることか……」
オークがフェアリーを連れて。
その情報に、バラバラは素振りを止めた。
「まて、捕まえたのは奴隷のオークではないのか?」
「え? ああ、旅人だって言ってたかね。国境であの子を止めてる時にやってきたんだ。話は通じたし、はぐれオークじゃないみたいだったね」
「オークが旅……? それもフェアリーを連れて……?」
バラバラドバンガは、戦争に参加していた。
オークとの戦にも何度かは出たことはある。
オークは頭の悪い種族であるが、決して話の通じぬ魔獣というわけではないし、フェアリーと連携を組んでからは、緻密な作戦行動を繰り返してきた。
「そいつらは、なんと? 旅の目的は?」
「さぁね。詳しくは聞いちゃいないよ。なんでも、探しものがあるんだと。ハッ、よっぽど大事なものなんだろうね。なにせ、シワナシの森の方からやってきたんだから」
「……」
きな臭い。
バラバラはそう感じた。
オークが旅をするなど聞いたことがないし、ましてフェアリーと一緒。
何か目的があるはずだ。
そして、バラバラは、その目的に心当たりがあった。
「そのオークの名は?」
「名前? なんだったっけね……昨夜けしかけた男たちが言うには、バッシュっていう、名のある戦士らしいね。腰抜け共め、普段あれだけ戦場での功績を自慢してるくせに、オーク一匹にビビっちまって、情けないったらありゃしないよ」
毛が逆立つかと思った。
バラバラは振り返ると、カルメラの肩をガッと掴んだ。
「バッシュだと!?」
「な、なんだい? 知ってるのかい?」
バッシュ。
オークの英雄。
『破壊者』の名を欲しいままにした、ドワーフの災厄。
オークとの戦いの前線に出た者で、その名を知らぬ者はいない。
ドバンガ一族に恩のある戦士たちは、バラバラやカルメラの頼みを聞いてくれる。
彼らは屈強な戦士だ。
戦場ではどんな敵がきても恐れずに立ち向かい、死線をくぐり抜けてきた。
自分たちは誇り高き歴戦の戦士であり、恐れ知らずのドワーフであるという自負もある。
舐めたことを言うヤツは、捻り潰してやろうという気概もある。
だが同時に、彼らは知っている。
自分たちにとっての死線がどこにあるのか、限界はどこか、長い戦いを経てわかっている。
ほんの僅か、死線を越えただけで死んだ仲間もいたのだ。
そんな彼らだからこそ、理解していた。
戦場には、絶対に勝てない相手が存在している、と。
バッシュは、そんな相手の一人だ。
そして、そんなのが、このドバンガ孔に来ている。
そう聞いて、バラバラは戦慄を禁じえなかった。
「とにかくさ、兄さん、どうにかしておくれよ。あたしゃ、あの子が不憫でならないんだ。ハーフヒューマンとして産まれたってだけで、見下されて、苦労して、焦って取り返しの付かないことして、挙げ句にオークの性奴隷じゃ、あんまりだろ?」
「うむぅ……」
バラバラドバンガは腕を組んで唸った。
彼の思考は、すでにプリメラにはなかった。
このドバンガ孔にのさばるドワーフたちの悪事についてだ。
金の亡者たる彼らは、戦後のどさくさに紛れて、あることを続けてきた。
その事実を知るのは、バラバラドバンガを含めて数名しかいない。
バラバラドバンガは思う所があって放置してきたが……もしオークキングがそれを解決しようとバッシュを送り込んできたのなら……。
場合によっては、このドバンガ孔は血に染まるかもしれなかった。
「そのオークは、今なにを?」
「プリメラと組んで武神具祭に出るみたいだね……オークのことだ、プリメラを助ける代わりにって、きっとプリメラのことを好き勝手してるんだ……」
それを聞いて、バラバラはホッと胸をなでおろした。
武神具祭に出場する。
ということは、このドバンガ孔における正当かつ公正な方法で、例の悪事を暴こうというのだろう。
それはそれで思う所もある。
が、少なくとも、このドバンガ孔に死体の山が積み重ねられることはない。
「……ならば、なるようになろう」
「はぁ!? なんだいそりゃ、呆れたね、あんたは不憫な妹が可哀想だとは思わないのかい!?」
バラバラは素振りを再開した。
彼とて、妹を心配していないわけではない。
だが、彼女の側にいるのがバッシュだ。
恐らく、オークキングの密命を受けてこの場にいるであろう、オークの英雄だ。
彼が、穏便な手段を取ろうとしているのなら、そう酷いことにはなるまい。
その行動を取っているというだけで、オークには、ドワーフと友好的であろうという意思が見え隠れしているのだから。
「プリメラに関しては、そう大事にはならんだろう。大体、お前は過保護すぎる」
もし、プリメラがどうにかなってしまったのだとしても、彼女が普段から大口を叩き、できもしないことを吹聴しているのは知っている。
一度、痛い目を見るべきなのだ。
打ちのめされ、無力を思い知り、それでも立ち直って努力しなければいけない。
そんな状況に自分を追い込むべきなのだ。
そうでなければ、彼女はずっと現状を維持し続けるだろう。
つまり、プリメラの成長を思っての言葉だった。
だが、カルメラはそうとは受け取らなかった。
「あー、あーそうかい! わかったよ。もう頼まないよ! あんたに相談したあたしが馬鹿だった! あんたにとっても、あの子は所詮、一族の出来損ないって事なんだね! 傷つこうが、いなくなろうが構わないような!」
「そうでは……」
バラバラドバンガは振り向いたが、すでにそこにカルメラの姿はなかった。
「まったく……それにしても、ついにオークが動いたか」
この3年。
悪事は続いてきた。
そして、それに抗する者もいた。
バラバラは自身をドラドラドバンガのごとき武人であろうと思っている。
武人らしき武人であろうと。
「彼の努力が、無駄にならねばよいが……」
バラバラドバンガにできるのは、ただその戦士の武運を祈ることだけだ。
過酷な状況に置かれながらも抗い、もがき続けてきた、一人の戦士の武運を……。