19.プロポーズではない
ドバンガ孔。
それは、シワナシの森を北に抜けたリンド山にある、巨大な縦穴の名前である。
この縦穴は、オーガの凶戦士ググゴラとドワーフの王子ボンゴボンゴが戦った際、そのあまりの衝撃ゆえに火山が爆発してできた、巨大な縦穴である。
爆発によりボンゴボンゴは戦死、戦いはオーガが勝利した。
その後、縦穴はオーガが領地として接収。オーガの前線基地『リンド要塞』となった。
七種族連合は、その要塞を足がかりに四種族同盟へと侵攻し、多くの戦況で有利に戦ってきた。
だが、そんな要塞もやがて陥落する。
この地を取り返した者こそ、後に『戦鬼』と呼ばれる稀代の戦士。
彼はドワーフの戦士団を率いて正面から要塞を攻略。
オーガの将軍と一騎打ちに持ち込み、それを打倒。要塞を占拠した。
要塞攻略を成し遂げたドワーフ。
彼こそがドラドラドバンガ。
『ドワーフの戦鬼』ドラドラドバンガである。
ドワーフはリンド要塞を手に入れ、そこに町を築いた。
その後、縦穴はドラドラドバンガの領地となり、『ドバンガ孔』と名付けられた。
バッシュとゼルは、そんなドバンガ孔へと続く街道にいた。
「見えてきたっすね」
眼前に広がるリンド山の各所からは、白い煙がモクモクと立ち上っている。
まるで山全体が茹で上がっているかのようだ。
無論、自然の光景ではない。
ドワーフの町があの山にあるのだ。
ドワーフは、ほぼ全ての住人が鍛冶師であり、一家に一つ、工房がある。
山から吹き出す煙は、その工房から出る煙である。
「懐かしいな。よく迷ったものだ」
ドワーフの町は、アリの巣のように入り組んでいる。
山に住み着いたドワーフは、鉱石を掘りまくり、山を穴だらけにするからだ。
各住人が好き勝手に山をくり抜いた結果、町は迷宮となり、要塞と化す。
バッシュも何度かこのドバンガ孔での戦闘に参加したが、思い出すのは迷った記憶ばかりだ。
一度入れば三日は出られず、外とも連絡が取れず、散発的に起きる戦闘で部隊は散り散り、はぐれた戦友の生死すらわからない戦場で、戦い続けるしかなかった。
苦しい記憶である。
「えっ? 旦那って迷ったことあったんすか!?」
ゼルの記憶はというと、そうでもない。
バッシュはいつだって迷いなく野営地に帰ってきた。
「ああ、ここでは、いつも迷っていた」
「へー、いっつも何事もなく戻ってきたから、構造を知り尽くしているんだと思ってたっす!」
「そんなはずがあるまい」
もちろん、バッシュが構造を知り尽くしているわけではない。
迷いに迷い、腹も減り、さすがにこれは厳しいと見ると、バッシュは壁を破壊し、外へと脱出していたのだ。
町のどこにいようと、斜め上に向かって掘り進んでいけば、おのずと外には出ることができた。
ちなみに、それに伴い、激しい崩落を引き起こすこともしばしばだったため、ドワーフはバッシュのことを『破壊者』と呼んだ。
「最近ではドワーフの町も整備されて、わかりやすい道が用意されてるっすよ!」
「そうなのか?」
「ここに来る前に一度見ただけっすけどね。昔はアリの巣みたいだったのに、居住区と繁華街でハッキリ別れてて、驚愕したもんっすよ! 繁華街とかすごいっすよ、酒場がズラッと十軒ぐらい並んでるっす! で、店が中でつながってて、ドワーフたちは端から店に入って、端から出ていくんすよ! ハシゴなんてもんじゃないっすよ!」
「それは楽しみだな。いい酒が見つかるといいが」
ドワーフほどではないが、オークも酒好きである。
創造性が皆無で、あらゆるものを他の種族から奪って生活しているとさえ言われているオークだが、酒は自分たちでも作る。
ドワーフのそれと比べれば泥水のようなものではあるが。
バッシュはもちろんオークの中のオークだ。
当然、酒も嗜んでいる。
毎晩、若者に女性遍歴を聞かれるのを恐れつつも、酒場に行く程度には。
ドワーフの酒が飲めるとなれば、期待に胸も膨らもうというものだ。
「嫁の方も見つかるといいっすね」
「……まあな」
しかし、股間の方はというと、膨らみが足りなかった。
「なんか、イマイチ元気ないっすね旦那、どうしたんすか?」
「む、わかるか?」
「あったりまえじゃないっすか! オレっちがどんだけ旦那のこと見てると思ってるんすか! 旦那の顔色を伺うことに関しちゃ、世界一だと自負しているっすよ! さぁさ、何がどうしたんすか? オレっちに言ってみてほしいっす、大したことじゃなくても、誰かに言うことでスッキリすることはあるっすから!」
「うむ、実はな……」
と、バッシュが内心を語ろうとした時だ。
「お前なぁ!」
「放せ、放せよ!」
ふと、前方から何者かの言い争う声が聞こえてきた。
何事かと視線を向けると、道の先には一本の橋があり、その中央付近では、エルフとドワーフがにらみ合いをしていた。
「うわっ、なんか険悪ムードっすね……」
「仕方あるまい」
エルフとドワーフは仲が悪い。
森を切り開き燃料とするドワーフと、森を愛し森に愛されるエルフは正反対、相容れぬ存在なのだ。
「あれ? でもなんか、争ってるって感じじゃなさそうっすね」
しかし、近づいてみると、少々様子が変であった。
エルフとドワーフが争っているというより、ドワーフ同士のいざこざを、エルフが困惑して見ている、という感じだった。
「だから、そうやって他人の力でどうにかしようとしてる時点でダメなんだよ!」
「それじゃどうしろっていうのさ! 自分の作った剣を自分で持って戦えって!? 自分は名のある戦士を雇ったくせに!」
「そうは言ってない!」
バッシュたちがさらに近づいてみると、様子が明らかになった。
どうやら、二人のドワーフ女が、言い争いをしているようだった。
片方がもう片方の腕を掴み、ドワーフ国側へと引っ張ろうとしている。
もう片方はそれに逆らい、犬のように足を踏ん張っていた。
「もっと自分の鍛冶の腕を磨けって言ってるんだ!」
「十分磨いた! アンタたちよりずっといい武具を打てる自信がある!」
「そういうセリフは、あと千本は剣を打ってから言いな!」
「必要ない! 武神具祭で証明してみせる!」
「ああ、もう……! わからない子だね! 今のアンタには無理だって言ってんだよ!」
「そんなことは無い! 姉さんが邪魔しなければ、あたしは優勝だってしてみせるさ!」
腕を掴んでいる方は、筋骨隆々としつつも背丈は低く、団子っ鼻、獰猛な表情でもう片方を威嚇していた。
顔は横に広く、口も大きい。
おでこも広ければ、手も大きい。
椅子にあぐらをかいて座り、がさつにガハハと笑い出しそうな、典型的なドワーフ女である。
「……」
それを見て、バッシュはがっかりした。
(やはり……ドワーフ女は……)
バッシュがドワーフの国に対し、酒にしか期待を持てない理由。
それがこのドワーフ女の見た目であった。
ドワーフの女が、好みに合わないのだ。
もちろん、おしとやかである必要は無い。
だが、見よ、あの風体を。
まるで笑う岩石のようではないか。
岩石に欲情するオークが、この世のどこにいるものか。
もちろんバッシュとしては、童貞を捨てることさえできれば、相手など誰でもいい。
ドワーフ女も、見た目はあまり好きではないが、リザードマンやキラービーほどダメというわけではない。
が、バッシュとて男だ。
できれば、見た目が好みの相手で捨てたかった。
「あ? なんだい、アンタは……オーク?」
と、そんなバッシュの視線を感じたのか、ドワーフ女がバッシュに気づいた。
顔を上げ、あからさまに顔をしかめてくる。
「旅の者だ」
バッシュは淡々とそう言った。
ドワーフの年齢はわかりにくいが、このドワーフ女はさほど年を経ていない。
獰猛な表情こそしているものの、全体的な威圧感はさほど大きくなく、物腰も鋭くない。戦士ではないのだろう。
ただ、腕周りを見る限り、多少なりとも鍛えているのはわかった。
将来有望な若者、といった所か。
「はぐれオークかい?」
「はぐれではない。俺の名はバッシュ。あるものを探して旅をしている。ドワーフの国に入りたい」
「あるもの、ねぇ?」
女ドワーフは、バッシュの顔をまじまじと見た。
そして、ハッと笑い、顎で道の先を示した。
「……じゃ、勝手に通りなよ」
「なんだと!?」
と、驚きの声を上げたのは、エルフの警備兵だ。
美しい女性である。
エルフらしい細身でありながらも腰にはくびれがあり、尻もキュっと丸みを帯びている。
顔も美しく、怯えた顔もソソる。
抱きしめれば、きっといいにおいがして、手触りも最高だろう。
金髪をみつあみに結っており、そこはかとなく花の香りがしている。
どうやら既婚者なのか、頭に白い花が飾られているのが残念な所だ。
そんな彼女は、バッシュを見て、三歩ほど後ろに下がっていた。
どうやらこのエルフ、オークとの戦いに赴いたことがある者らしく、バッシュを見て顔を引きつらせていた。
「オークだぞ!? いいのか!? そんな簡単に通して!」
「構わねえ……ってアタシが決めることじゃあないけどね、そもそもドワーフはアンタらエルフと違って、別に入国に制限を設けてるわけじゃないんだ。指名手配されてるようなよっぽどの悪人じゃなきゃ、誰だって歓迎さ。それともアンタ、指名手配されるような輩なのかい? ドワーフの国で悪事でも働こうって?」
と、ドワーフ女に質問され、バッシュは首を横に振る。
「違う」
「ならいいさ。好きなだけ、ウチの国で捜し物をするといい」
「そんな……お前は……オークがどういう種族かしらないのか……?」
エルフが戦慄の表情でそう言うと、ドワーフ女はまたハッと笑った。
「知ってるさ。オークはね、ドワーフ女になんざコレっぽっちも興味がねえのさ。現にそこの旦那も、アタシじゃなくてアンタばっかり見ている」
「っ!」
エルフの兵は己の体を掻き抱き、一歩後ろへと引いた。
バッシュはゆっくりと、彼女から目を離した。
確かに、このエルフも美しい女性だった。
目が行ってしまうのも、仕方ないことなのであった。
対するドワーフ女はというと、やはり岩石のようだ。
見ていてソソられることはない。
抱きしめても、そのまま力比べになるだけだろう。
あるいは戦場で戦士として相まみえたのであれば、尋常な勝負となるかもしれないが、その勝負の後に嫁として連れ帰りたいとは思わない。
「オークの旦那が、大好きなエルフだらけの町からやってきて、ドワーフの国に入りたいってんだ。何かよっぽど大事なものを探し求めてるんだろうよ。エルフの国で女漁りをするより、よっぽど大事な、な」
「……まあ、な」
バッシュの目的は女漁りである。
ただ、シワナシの森の町では恐らく目的達成は不可能であるらしいと聞いたからこそ、ドワーフの国へと行くのだ。
そこでは、エルフの国と似たような事が起こっているという。
エルフの国では、まさに婚活ブームだった。
ドワーフの国でもそうなのであれば、チャンスはある、と。
そんな唯一の情報を頼りに来てみたものの、やはり実際に目にするドワーフは、決して好みとは言い難かった。
とはいえ、バッシュも長い戦争を生き抜いた男だ。
永遠とも言える戦いの中には、ドワーフとの戦いもあった。
その経験から、ドワーフの中にもオーク基準で言う所の美人がいることを知っている。
それはヒューマンやエルフと比べれば数段落ちるし、絶対数も少ないかもしれない。だが、バッシュの好みの女性も必ずいるはずだ。
だから、期待はせずとも行こうとしているのだ。
「さっさと通りなよ。こっちは取り込み中なんだ」
「そうさせてもらう」
バッシュはそう言いつつ、彼女の脇を通り過ぎようとした。
そこでふと、先程から彼女が掴んでいる相手の顔を見た。
(む!)
美しかった。
髪の色こそドワーフ特有の癖のある赤毛で、眉毛も太めだが、その顔立ちは隣の女とは似ても似つかない。
美しい曲線を描く鼻梁、澄んだ青い目。
細いとは言い切れないが、それでも丸みを帯び、ヒューマンのようなスラリとした印象を受ける手足……。
ドワーフにしてはやや背が高く、胸も大きい。
まさに美少女と言うにふさわしい、バッシュにとってどストライクな少女だった。
(まさか、ドワーフにこれほどの女がいるとは!)
バッシュは足を止めた。
ドワーフの国でどんなブームが起きているのかはわからない。
正直な所、期待はしていなかった。
だが、これほどの女がいるのであれば、話は別だ。
早速、アタックを掛けるべく、バッシュは頭を回転させる。
(確か、エルフの時には……)
記憶を手繰り、口説くための行動を考える。
ヒューマンの国では、体を清潔にし、ミステリアスに、かつ男らしさを見せた。
エルフの国では、金ピカネックレスで富を示し、エルフの服装でプロポーズをした。
どちらも失敗に終わったが、方法としては間違っていなかったはずだ。
ドワーフの国では、どうなのか。
どういう作法があるのか。
しまった、こんな事なら、ゼルに予め聞いておけばよかった。
まさか、入り口にこれほどの美女がいるとは思っていなかったため、情報収集を怠った。
思えば、情報収集を怠った時はロクな事がなかった。
戦友であるドンゾイが戦死したのもそうだった。
このドバンガ孔で、やはり情報収集が足りず、戦場ではぐれ、そのまま奴は帰ってこなかった……。
それだけじゃない、あれはザリコ平地での戦い、あそこでも――。
「な、なぁ! そこのあんた! 戦士だろ!? それも、さぞ名のある戦士と見た!」
と、そんな少女が叫んだ。
バッシュを見て、必死な形相で。
「そうだ、それがどうした?」
聞かれるがまま答えるバッシュ。
その返答に、少女の顔がパッと花開く。
そして口にする。
運命の言葉を、バッシュが予想もしなかった、しかしずっと聞きたかった言葉を、可憐な声に乗せて……。
そう、それは、
「あたしの闘士になってくれ!」
プロポーズだった。