転生公爵の案内。(3)
父様が袋の中身を空にし終えた頃、せんべい臭い馬車は医療施設へと辿り着いた。本日、最後にして、最も重要な視察先だ。
とはいえ、治療棟はまだ診療受付時間内で混雑しているので、中は案内出来ない。視察先で国主を罹患させるなど、冗談では済まないのだから。
そんな訳で治療棟を横目に、患者のいない研究棟へと進む。
「ここも随分と混み合っているな」
門から入口まで、絶えず流れる人の波を眺めながら、父様が口を開く。
「対策を考えていますが、今のところ、画期的な打開策は見つかっていません」
町の賑わいとは違い、こちらの混雑は歓迎出来ない。
待ち時間が増えれば、余計な病気を拾うリスクが高くなる。しかし、回転率を優先させてしまうと、一人一人に割く時間が減ってしまう。
かといって、敷地を拡張して人を増やせばいいとも言えない。
医者は命を預かる仕事だ。誰にでも出来る事ではないからこそ、私達は学び舎を作ろうと考えたのだから。
「一朝一夕で解決出来る問題ではないからな」
不甲斐ないと叱られるかと思った。
問題がハッキリ見えているにも拘らず、即座に対応出来ていない未熟さを責められるかと。しかし予想に反し、こちらに寄り添うような言葉を掛けられた。
窓の外に向けられていた薄青の瞳が、こちらへと向く。
「叱責されるとでも思ったのか?」
「正直に言いますと……」
言葉尻を濁しながら伝えると、父様は目元を和らげた。笑っていると表現出来るほどの変化はなかったが、ほんの少しだけ空気が緩む。
「自分に出来ない事を、人に強いるほど愚かではない」
「父様にも出来ないんですか?」
素直に驚くと、「私を何だと思っているんだ」と呆れた声が返ってきた。
「何でも出来る超人、ですかね」
「買い被りも程々にしておけ。私はお前に比べれば、つまらん凡人に過ぎんぞ」
「ぼんじん……?」
知らない国の言語かと思った。
宇宙を背負った猫のような顔で呟く私を意に介さず、父様は話を続ける。
「少なくとも私では、こんなものを建てようとは思い付きもしなかった」
コン、と折り曲げた指の背で窓を叩き、父様はガラスの向こう側に見える医療施設を示した。
「世界初の試みをしているんだ。存分に迷い、悩め。幸いにも、お前の周りには優秀な相談相手が沢山いるだろう」
「……なら、少し聞いていただいてもいいですか?」
恐る恐る問いかけると、父様の目が丸くなる。
きゅっと眉間に皺が寄るのを見て、やはり駄目かと思い、発言を撤回しようとした。しかし父様は、「話せ」と短く告げる。
「嫌なら断っていただいても……」
「話せと言っている」
ちょっと不機嫌そうに見えて、何かが違う。何とも言い難い顔をした父様に促されて、私は首を傾げつつも頷いた。
「円滑に治療を行う為にも、まず医者の診察を受ける前の選別が必要だと思うんですよね」
「緊急性の有無か?」
「それもありますが、外傷なのか疾患なのかで対処も大きく変わります。医者の診察前に、簡単な問診を行う部署を設けようかと検討しておりまして」
「なるほど。手間と人を増やす事になるが、上手く稼働すれば逆に手順を省けるな」
「ただ、問診する人員の能力が……」
打てば響くとは正にこの事。
一を説明すれば十を理解した言葉が返ってくる為、私は嬉しくなって夢中で話した。夢中になりすぎた。研究棟に辿り着いていたのにも気付かないほどに。
いつまで経っても降りてこない私達を不思議に思ったのか、外からクラウスに控え目な声を掛けられて、漸く私は我に返った。
恥ずかしい……! 年甲斐もなく、はしゃいでしまった……。
羞恥に顔が赤くなる。
子供みたいな自分の言動を振り返り、居た堪れない。
先に降りた父様は、私に手を差し伸べる。
落ち着きのない娘の挙動に呆れているかと思ったけれど、そんな事はないらしい。いつも通りの父様に倣い、私も表情を取り繕う。手を借りて馬車を降りて、背筋を伸ばす。
エスコートする父様の腕に手を添えると、逆の手が、ポンと私の頭を軽く叩いた。
「続きは帰りに」
「!」
数秒呆けてから、カッと顔が熱くなる。
はしゃいでいる幼子と同じ扱いをされていると気付いて、地面を転がりたくなった。
「またおかしな顔になっているぞ」
「生まれつきです!」
「そうか」
ぷんすこ怒る私を適当に宥め、父様は歩き出す。その歩みがやけにゆっくりに感じたのは、たぶん気のせい。私に歩幅を合わせているなんて。うん、気のせいだから。
研究棟に入り、警備兵と挨拶を交わして奥へと進む。
長く伸びる通路の途中で、見慣れた後ろ姿を見つけた。
「ヴォルフさん」
「あら、マリーじゃない。丁度良かったわ、話したい事、が……?」
振り返ったヴォルフさんは、笑顔でひらりと手を振る。近付いてきた彼の視線が私の隣へと移るのと同時に、言葉尻が乱れた。
私の隣に立つ長身で黒髪の男性といえば、十人中十人がレオンハルト様の顔を思い浮かべる事だろう。その予想が違った事で、ヴォルフさんも一瞬混乱したらしい。
「……何方かしら?」
人当たりの良い笑顔を引っ込めたヴォルフさんは、警戒心も露わに父様を睨む。声も硬く、ひやりと冷たい。
言葉遣いはどうにか取り繕われているとはいえ、態度や視線は不審者に向ける類のものだ。
やばい。何か勘違いされている気がする。
「あの、ヴォルフさん、コレ、でなくて……、こちら、父です、父。私の」
慌てたせいで、片言になってしまった。
訝しむような顔つきだったヴォルフさんは、ツギハギだらけの私の言葉を拾い、繰り返す。
「父? アンタの? ……は?」
単語を繋げ、咀嚼して呑み込む。ゆっくりとその手順を踏んだヴォルフさんは、一拍置いて目を丸くした。
「久しいな」
悠然とした態度を崩さず、父様は短い言葉を吐く。
「……っ!? し、失礼を致しました」
「ああ、いい。プライベートだ。構うな」
愕然としたヴォルフさんが頭を下げようとしたのを、父様は手振りで制した。
顔を引き攣らせたヴォルフさんは、コソコソと私に身を寄せる。
「ちょ、ちょっとマリー。聞いてないんだけどっ?」
「先方の希望でして」
小声で苦情を訴えてくるヴォルフさんからそっと目を逸らし、潜めた声で返す。アハ、と乾いた笑いで誤魔化そうとしたが凄い目で睨まれた。ごめんて。
「気にせず、話を続けてくれ。娘に用があったんだろう?」
「お気遣い、痛み入ります。ですが、急ぎではございませんので」
「続けろ、と言った」
傲慢不遜、泰然自若。
何処にいても、誰が相手でも、父様は父様らしい。
曲げるという言葉が辞書に載っていない父様の前に、折れたのはヴォルフさんの方だった。
余所行き用の笑顔を引っ込めたヴォルフさんは、苦い顔で溜息を零す。
「……かしこまりました」
「ならば場所を移そう」
「では、こちらへ」
それからヴォルフさんの研究室へと移動すると、テオがいた。事態が呑み込めず、目を白黒させている彼も交え、何故か四人で話をする流れとなってしまった。
悔しいけれど、とても実りのある時間となった事は否定できない。