子爵令嬢の憂鬱。(3)
※引き続き、ビアンカ視点となります。
マリーちゃん達は酷く心配そうな顔をしていたが、姉弟のみで話し合いをした方が良いと判断して、再び退室した。
気遣いは有難いけれど、かなり緊張している。正直言って怖い。
余計な事をしてしまった自覚があるだけに、とても居た堪れなかった。
「姉さん」
「っ!」
大袈裟に肩が跳ねる。
私の反応を見たミハイルは目を丸くし、次いで困ったように眉を下げた。
「……立ったままだと落ち着かないし、座ろうか」
「……うん」
私が再び腰掛けると、ミハイルは向かいの席に腰を下ろす。
「姉さん、やっぱりオレが怒っているって思っている?」
恐る恐る顔を上げると、ミハイルは笑っていた。
たぶん苦笑に区分されるものだけれど、それでも安堵した。
「……うん」
「姉さんがオレの為に怒ってくれた事は嬉しかったよ。でも、義兄さんと喧嘩はして欲しくないな」
「……勝手な事をしたのは反省している。でも、アイツの事はやっぱり許せない」
「姉さん……」
頑なな態度の私を諫めるように、ミハイルが何かを言おうとする。
けれど私は自分の主張を曲げたくなくて、被せるように話を続けた。
「だって、ミハイルは何も悪くないじゃない。アイツはミハイルの今までの頑張りや、苦労も知らないくせに、自分の都合ばかり押し付けて貴方を傷付けた。そんなの私は許せない」
当人であるミハイルが許しているようなのに、私がアレコレ言うのは間違っているのかもしれない。頭ではそう思っているのに、心では納得出来ていなかった。
「えっと……。あのね、姉さん。実はオレ、別に義兄さんの言葉に傷付いた訳じゃないんだ」
「……あんな奴、庇わなくていいのに」
「庇っているとかじゃなくて、本当なんだよ。きっと姉さん達は、最近のオレがぼんやりしていたから心配してくれたんだよね? でも、それは別に傷心して落ち込んでいたとかでは無く、考え事をしていただけなんだ」
「考え事?」
「うん。自分の将来とか、姉さんの事とか」
「私?」
思いも寄らない言葉を聞いて、私は驚いた。
聞き返すと、ミハイルは真面目な表情で頷く。それから言葉を探すように俯き、逡巡してから口を開いた。
「途中で否定せずに、冷静になって最後まで聞いてくれる?」
「……分かった」
「オレは義兄さんの言った事は、ある意味、正しいと思っているんだ」
「!」
反射的に叫びそうになった否定の言葉を、どうにか呑み込んだ。
「ローゼマリー様やクーア族の皆と出会い、オレはこの力の使い道を知った。今まで疎まれるだけだったけれど、魔力で人を助ける事も出来る。そう知ってから、オレは魔力を持って生まれた自分を認められるようになった。医療施設で働くようになった今では、沢山の人がオレの存在を受け入れてくれる。……でもね、当然だけど、受け入れられない人もいるんだ」
「…………」
私は黙って唇を噛み締める。
「つい数年前まで魔力持ちは忌み嫌われる存在だったから、たぶん、そういうものだって刷り込まれている人も多いと思う。時代が変わったから、あからさまに差別したりはしなくても、出来る限り関わり合いたくないって人は、結構いるんじゃないかな」
「ミハイル……ッ!」
「……ごめん。優しい姉さんを傷付けるだろうなって分かっていたのに、こんな事言って。でも、いい機会だから話したかったんだ」
ミハイルは、静かな声でそう言った。
「今までは、オレ自身の心の持ちようだと思っていた。でも義兄さんに言われて、周りの人にも影響を及ぼす事を漸く自覚した。これは、オレだけの問題じゃない。いつか、オレへの嫌悪や敵意が、オレの大切な人達を傷付けるかもしれない」
神様は、乗り越えられる人にしか試練を与えないと聞いた事がある。
けれど、これはあまりにも酷い。ミハイル一人に、どれだけ重荷を背負わせれば気が済むのか。いるかどうかも分からない神様を、憎みそうになった。
「オレは、オレの大切な人に辛い思いをして欲しくない。だから将来、姉さんに好きな人が出来た時に、オレが結婚の妨げになるようなら……」
「止めて……‼」
叫ぶように遮ると、ミハイルは目を見開く。
途中で否定しないという約束が脳裏を掠めたけれど、止めずにはいられなかった。それくらい、私には許し難い言葉だ。
「それ以上言ったら許さないわ……っ!」
我ながら酷い声だと思った。
たぶん顔も酷い事になっているのだろう。ミハイルは困り顔で狼狽えている。
「ね、姉さん、ごめんなさい。泣かせるつもりは……」
「泣いてなんか無いわよ!」
ズッと鼻を鳴らしながら否定する。
言いたい事は沢山あるのに頭の中はぐちゃぐちゃだし、喉の奥で詰まったように言葉が出てこない。
気まずい沈黙が流れて、どれくらい経っただろうか。
控え目に扉がノックされ、中の様子を窺うように声を掛けたのはマリーちゃんだった。
「あの、お邪魔をしてごめんなさい。……もし宜しければ、少しだけ休憩しませんか?」
マリーちゃんが救いの女神に見えた。
私が小さく頷くと、ミハイルも安堵したように「分かりました」と了承する。
ミハイルが出て行くのを見届けてから、マリーちゃんが近付いてくる。すぐ傍まで来た彼女は、私を覗き込んだ。
何かを言いかけたマリーちゃんは、きゅっと唇を引き結ぶ。彼女は、私の頭を抱え込むように、そっと抱き締めた。
「……っ」
涙腺が決壊したように、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。
私はマリーちゃんにしがみ付いて、子供みたいに泣いた。
「うぅー……っ」
邪魔なら切り捨ててくれと、何て事無いかのように言ってしまえるミハイルが嫌だ。自分さえ我慢すれば、全てが丸く収まると思っている事に腹が立つ。
でもそれ以上に、ミハイルにそんな事を言わせてしまった世間と無力な私自身に、どうしようもない怒りを覚えた。
行き場のない怒りとやるせなさを吐き出すように、私は泣き続けた。
マリーちゃんは何も言わずに寄り添い。私の背中を擦り続けてくれた。