転生公爵の準備。
夜会に出席するお許しを得た。
過保護なレオンハルト様を納得させるのは時間がかかるだろうと思っていたが、思いのほか、アッサリと頷いてくれた。
でもそれはレオンハルト様が楽観的になったとか、私への関心が薄れたとかいう事ではない。彼は変わらず私を大切にしてくれている。
そうでなければ、真夜中に起きて、吐いている私の背を擦ってくれたり、悪戦苦闘しながらクッキーを焼いてくれたりしない。
きっと、夜会に参加する事を了承してくれたのも私の為。
自分の心の安寧よりも、私の意思を優先してくれたのだと思う。
私はそれを忘れてはいけない。
限られた機会を活かさなければいけないという焦りはあるけれど、夜会が開かれるのは今回限りではない。
無茶はせず、参加する事に意義があるというくらいの気持ちで構えていよう。
まずは夜会に参加する為の準備を整える事にした。
妊娠した事で体形が変わったので、ドレスを仕立てる必要がある。
まだお腹はそれほど目立っていないけれど、私が持っている夜会用のドレスはコルセット着用のタイプばかりなので、今は着られない。
胸の下で切り替えがあり、お腹を圧迫しないエンパイア型のドレスを仕立てようと思っている。
あまり時間が無いので既製品にして、サイズの微調整だけお願いしようと思ったのだが、どうやら最優先で仕立ててくれるので、フルオーダーでも間に合うらしい。
両親……というか母様が、懐妊のお祝いにと予約を取ってくれた仕立屋は王都でも屈指の人気店。本来なら年単位で待つのが当然だというのに。
王家のコネだけではなく、単純にそれだけ大金を払ってくれたのだろう。特別待遇は気が引けるけれど、今回はとても有難い。
連絡を入れると、翌々日に我が家で採寸とデザインの打ち合わせをする事となった。全てがとても順調で、改めて母様に感謝をしたのだが……。
仕立屋の訪問、当日。
別室で準備に取り掛かってくれている仕立屋の従業員は良いとして。居室で寛ぐ三人は、何故ここにいるのか。
「母様、何故ここにいらっしゃるんです? 兄様とヨハンも」
唖然とした私が問いかけると、母様の視線がこちらを向く。
見惚れるほどに優雅な動作でティーカップを置いた彼女は、小首を傾げた。艶やかな美女でありながら、無垢な少女のような仕草が不思議と似合う。
紺青に黒のレースを合わせたデイドレスはシンプルで、小物の合わせ方によっては地味に見えてしまいそうなのに、お母様が纏うと不思議と上品な色香が漂う。
華やかな美貌は昔と変わりなく、成人済みの子供がいるようには到底見えない。
「あら、先触れを出したでしょう?」
「ええ、二時間ほど前に届きましたね」
二時間前に言われても何も出来ない。
「早めに言ってくだされば、色々と準備出来ましたのに」
「私は娘の顔を見に来ただけよ。準備なんていらないわ」
ツンと横を向く母様に、私は苦笑する。
たぶん直前に知らせたのは余計な気遣いをしないようにという、遠回しな配慮なのだろう。相変わらず、分かり難く可愛らしい人だ。
お忍びとして来たのか、王家の紋章のない馬車を使い、護衛の騎士達も近衛の制服ではない。当人達の髪色も茶色に変える徹底ぶり。
しかし三人とも、とんでもない美形なので目立つのに変わりはない。
「困らせてしまって、すまないな」
形の良い眉を下げて、兄様が言う。
栗色に染めた上に、いつもセンターで分けている前髪を下ろしているので違和感がある。
普段よりもやや幼く見えるせいか、困り顔をされると罪悪感が刺激された。何故か、こちらが悪い事をしているような気分になる。
「……いいえ。会いに来てくださって、嬉しいわ」
「ローゼ」
しょうがないなぁという気持ちで微笑むと、兄様の顔が明るくなる。硬質な美貌が雪解けの如く、柔らかく緩んだ。
「姉様、こちらへどうぞ」
二人掛けのソファーに一人で腰掛けていたヨハンは私を手招きながら、隣のスペースをポンポンと叩く。
波打つブロンドは兄様と同じ栗色で、後ろに流している。こちらは逆にいつもより大人びて見えるが、無邪気な笑顔はいつもと変わらなかった。
差し伸べられた手を取り、彼の隣に腰掛ける。
「レオンハルトは?」
「仕事で医療施設に行っています。戻ったら挨拶に来ると思いますよ」
「いや、構わなくていい。こちらが勝手に押し掛けたのだから、仕事を優先してくれ」
なにせ二時間前に連絡が入ったのでレオンハルト様も対応出来なかった。
もうすぐ戻る予定ではあるが、兄様の言葉に甘えさせてもらおう。
「ところでローゼ。体調はどう? 食欲はあるの?」
母様がそう切り出すと、兄様とヨハンの視線も私に集まる。
「悪阻で少し落ちましたが、もう大分落ち着いてきました。今朝も普通に食べられましたし」
「だが、痩せたのではないか? 元から細いと思っていたが、今は少しでも手荒に扱われたら折れてしまいそうだ」
兄様の表情が曇る。真顔で少女漫画みたいなセリフを言われてしまったが、茶化せる雰囲気ではない。
「顔色も良く無いよね。やっぱり、侍医に見せた方がいいんじゃないかな。城の離宮に住めば、僕等も安心出来る」
「心配し過ぎよ」
「でも離宮なら、僕もいつでも駆け付けられるし……」
宥めても、ヨハンは引き下がらない。
「我が家にも医者はいるわ。レオンや家の者も傍にいてくれるから、安心して」
尚も食い下がってくるヨハンの言葉を、半ば強引に遮った。
社交辞令ならば笑顔で流せばいいが、ヨハンは何処まで本気なのか分からない。うんうんと頷いているうちに、いつの間にか離宮に放り込まれていそうな怖さがある。
「そういえば、母様には仕立屋の方から連絡が行ったのですか?」
納得はしていないのか、まだブツブツと何かを言っているヨハンを放置し、母様に話しかけた。
「ええ。貴方から連絡が来たら、こちらにも知らせるようにと言っておいたの」
道理で連絡もしていないのに、仕立屋の訪問日にピッタリ合わせて来た訳だ。
娘のドレス選びに参加してみたかったらしい。ささやかな願いを無下には出来ないし、何より、母様の審美眼やセンスは信頼出来るので有難い。
「お腹を圧迫しないように、胸の下に切り替えがある型のドレスを選ぼうと思っているので、合う布やデザインを一緒に選んでほしいです」
「まかせて」
母様は目を輝かせ、胸を張る。
「ローゼの良さを最大限に引き出せるものを選びましょうね。もっとも、貴方ならどんなドレスでも着こなせるでしょうけど」
それは流石に、親の欲目というものだ。
言葉では否定せずに苦笑していると、兄様が真面目腐った顔で「確かに」と同意する。
「可愛らしいのは昔からだが、今は誰よりも美しい。何を着ても、きっと似合う」
満足そうな顔で頷く様子は、兄というよりも親馬鹿な父親だ。
しなやかな若木のような美しさを持つ青年でありながら、年齢に不釣り合いな貫禄がある兄様は、不思議とそんなセリフが似合ってしまう。
昔から私を見守ってくれていた人だから、感慨深い言葉にも重みがあった。
そこで、頭の隅をとある人の顔が過る。家族が珍しく揃っている場に、一人だけ欠けている父親の顔が。
「そういえば、父様はどうされているんです?」
ふと思いついた疑問を投げかけると、母様達の肩がビクリと揺れた。
一斉に視線を外した三人に、私はキョトンと目を丸くする。
特に深い意味はなかった。
父様は多忙な方だし、今日もきっと執務に追われている。仕事だという答えが確約されている、雑談の延長の問いかけだった。
もっとも、暇であっても、わざわざ私に会いに公爵家まで足を運ぶという選択肢は無いだろうけれど。
それなのに母様達は何故か、目を逸らす。
疚しい事があるかのように、不自然な様子で。
「……まさか、わざと置いてきたとか」
「!」
「なんて、そんな訳ないですよね」
自分の言葉を自分で否定して笑うが、目が合った兄様は気まずそうな顔でそっぽを向く。
「もちろん」
「ええ。そんなまさか」
ヨハンと母様は笑顔だが、どこか空々しい。
正直者の兄様だけ居た堪れない顔をしているので、余計に怪しく見える。
とはいえ、あの尊大な父様が置いてきぼりにされるというのも想像出来ない。我が家に来たがっているとも思えないので、それ以上深く考えるのを止めた。