転生王女の努力。(2)
「……今日は何をつくろうかしらね」
夜の厨房にて。
私は料理器具片手に、悩んでいた。
「ローゼマリー様がお作りになる物は、全て至高の逸品となりましょう」
「クラウス」
「はっ」
「黙っていて」
「御意」
今日も今日とて面倒臭い護衛騎士を背後に従えて、私はため息を吐き出した。
なんでこんなに、変な人になっちゃったんだろう……。
ゲーム内での彼は、マゾヒストのスイッチが入らない限りは普通の好青年だったのに。今のクラウスは、そこはかとなく残念臭が漂う。
流石攻略対象とも言うべきか、外見だけは一級品なのに、言動が台無しにしてしまっている。今さっきのように、放置しておくと勝手にありとあらゆる賛辞を並べ立て始めるのだ。正直、すごい迷惑。
事あるごとに幼女を褒め称える美青年とか、いったい誰得なんだ。
夜までクラウスと一緒とか、精神的疲労が半端ないけど……今はあんまり、強く言えないんだよなぁ。
何せ、我儘を言っているのは、私の方な訳だし。
ルッツとの距離を縮める方法として、取り敢えず始めてみた餌付けは、思いの外有効だった。
テオに、ルッツは甘いものが好きだと教えて貰った私は、当初、シェフにお願いしてスイーツでも作ってもらおうかと思っていた。
でも王宮の料理人の作るスイーツって、かなり豪華というか……ぶっちゃけ、差し入れには向かないんだよね。なら自分で作るか、と思い立ったものの、王女が厨房に立つ機会なんて、ある訳ない。
そこでクラウスの登場。
彼に根回しをしてもらい、こっそりと夜中に厨房を使えるようになった訳だ。その時は必ずクラウスを護衛に付けるという、条件の元で。
「蒸しパンは、この前作ったし……」
ヨモギの蒸しパンは、かなり好評だったな。
小豆がないから、サツマイモ的なものを角切りで混ぜ込んだんだけど、美味しそうに食べていた。
クッキーやマドレーヌも、勿論喜んでいたけど、意外と和テイストの物の方が、好みなのかもしれないと気付いた私は、餡作りにチャレンジしてみた。
小豆はまだ入手出来ていないので、白インゲンに似た豆で代用。出来上がった白餡もどきが此方になります。
前日に仕込んで置いた餡を使い、何をつくろうか。
もち米がないから、大福系は駄目だし。練り切りも、もち米が必要だ。……こうなると俄然もち米欲しいな。ユリウス様に今度お会いした時に、お願いしてみよう。
取り敢えず今日は、どうしようか。……時期的に冷たい物もいいけど、冷蔵庫無いから、水まんじゅうとかは難しいかな。
城には一応、氷室は存在しているけれど、勝手に使うのも何だし。
よし、無難にどら焼きにしよう。
「ところでクラウス。お願いしてあった件は、どうでしたか」
材料を並べながら私は、振り返らずに背後のクラウスに話しかける。
「ご所望の品は、此方になります」
すい、と伸びて来た手が、台の上に紙を置く。ボールに砂糖と卵を落とし泡立てながら、折り目の付いた紙に視線を向けた。
書かれているのは、侍女の個人情報。
ヒルデ・クレマー 15歳。
……へぇ。ベッヘム男爵家の奥方様の、遠縁にあたるのね。
実家は、裕福な商家か。家族構成は、祖父、父、母、兄、姉。
「…………」
私が小さく頷くと、クラウスは紙を拾い上げ、竈の火にくべた。
小さな紙切れは、一瞬燃え上がって直ぐに灰となる。それを見届けてから私は、どら焼きの皮作りに戻った。
粉をふるい混ぜ合わせながら、考える。
ヒルデ・クレマーは、おそらく、ルッツが病む原因と成り得る女性だ。
ルッツ・アイレンベルクが精神を病むキッカケとなった出来事は、彼が十四歳になる少し前に起こった。
前述した通り、この世界での魔導師は、かなり稀少性が高い。特にルッツは、数百年に一人と言われる逸材である。国内外を問わず、彼を付け狙う連中は掃いて捨てる程にいたが、格別に性質の悪い輩に、ルッツは目を付けられてしまった。
依頼主は、ネーベル王国の西に隣接する国の、更に隣にある国を治める、戦争狂いの国王。
物珍しい兵器を買い付ける感覚で、国王はルッツを所望した。
ネーベル王国内に伝手を作り、王宮内に手引きする者を紛れ込ませ、ルッツを攫った国王は、ルッツの魔力を戦争に使おうとした。
殺戮兵器にされる事を恐れたルッツは、脱走を試みたが呆気なく捕らえられる。
彼と同時に攫われてきた、侍女の少女を人質にとられたのだ。王宮にいた頃から何かと気にかけてくれていた少女に、淡い恋心を抱いていたルッツは、従わざるを得なかった。
戦場を駆け、数多の敵を屠り、漸く少女との面会を許されたルッツだったが、衝撃の事実を知ってしまう。
王宮内でルッツを攫う手引きをした人間は、少女だった。
つまり少女は、最初から騙すつもりで、ルッツに近付いていたのだ。
裏切られ、化け物と罵られたルッツは、初恋の少女を物言わぬ氷像に変えた。
その後、国王が暗殺されて国は敗戦。混乱の中、命辛々逃げ出した彼は、ネーベル王国に保護され、王宮魔導師となる。
私としては、ルッツと少女の接触自体を回避させたいところだけど……残念ながら、過去話のくだりで、少女の名は明かされなかった。
スチルも無いから外見も分からないし、少女が裏切った理由も明記されていない。
どうしたものかと悩んでいるうちに、とうとう接触してきた侍女がいた。
それがヒルデ・クレマーである。他の侍女らは魔術師という未知の存在を畏れ、ルッツらを避けて通るのだが、彼女だけは積極的にルッツに話しかけていた。
間違い無いと思う。……思うんだけど、断言は出来無い。だって、どう見てもルッツは、彼女に興味持ってないんだよ。
ゲーム通りだと初恋の君になる筈なんだけど……。ヒルデが話しかけても無視しているし、近寄ってくると心底迷惑そうな顔で逃げている。
照れてるという可能性も捨てきれないが……ツンデレにしては、当たりがキツ過ぎると思うんだ。
あと、もう一つの不安要素として、彼女がルッツを利用しようとする理由が分からない。
ヒルデは裕福な商家の生まれだから、お金目当てって可能性は低い。それに、15の少女が思い付く悪事ではないだろう。
そうなると後ろで糸を引いている人物がいる筈なんだけど、彼女の遠縁であるベッヘム男爵家の線も低い。ベッヘム家の当主は、日和見主義の蝙蝠だと有名だし。そんな大事に首を突っ込む度胸は無いと思う。
その二つが、決め兼ねている理由。
「……ローゼマリー様」
そうこうしている間に焼きあがった皮を、板の上に並べ、濡れたふきんを被せていると、名を呼ばれた。
肩越しに振り返ると、クラウスが真剣な表情で私を見ている。
「クラウス?」
どうしたのだろう。言葉の続きを促す為に、首を軽く傾げる。
彼は少し躊躇うように沈黙した後、口を開いた。
「私は、もっとお役に立てます」
「!」
「貴方が一言、命じて下されば」
いつだかレオンハルト様が言っていた言葉が、脳裏を過る。
好戦的な表情を浮かべるクラウスを見ていると、実感せざるを得ない。彼は従順な犬ではなく、獰猛な狼だ。
爛々と光る目と力強い声が、促す。自分を使える、強者になれと。覚悟を決めろと、言われた気がした。
「…………」
私は唇を引き結び、沈黙する。
彼の忠誠に応えるだけの覚悟を、私はまだ持たない。
中途半端に甘え、振り回しているだけの私には、是とも否とも答える資格が無いだろう。
「……充分よ」
だから私は、曖昧な言葉で返事を濁した。
「ありがとう。クラウス」
ごめんね、クラウス。
心の中で謝罪をしながら私は、彼に笑顔を向けた。
.