転生王女の困惑。(2)
私は、あまり表情豊かな方では無い。だから今もきっと、無表情のままだとは思う。けれど人の表情を読む事に長けている彼は、私がクラウスを思い返し、テンションが落ちた事を敏感に悟り、笑みを苦笑に変えた。
「……クラウスは、貴方を困らせてはいませんか」
「……それは、どういった意味でしょうか?」
「言葉のままです」
静かな声に、穏やかな目。
他意は感じ取れないが、元より経験値が違い過ぎる為、彼の言葉の裏を読む事など私には出来ないが……。一体どんな意味で、何のために問うのだろう。
私の言葉はクラウスの進退に、関わってしまうのだろうか。
そう思うと、言葉に詰まる。でもレオンハルト様に嘘を吐きたくも無かった。
緊張を解す為に、短く息を吐き出してから、私は口を開く。
「……全くないと言えば、嘘になります」
「…………」
ぽつりと告げる。
レオンハルト様は私の呟きに微苦笑を浮かべるが、言葉を挟む事は無かった。穏やかな視線が柔らかに、言葉の続きを促す。
「彼は文句のつけようもない、優秀な護衛です。力を疑った事は、一度もありません。……ですが、過保護過ぎるのです」
クラウスは、基本従順だ。
だが少しでも危険が絡むとなれば、話は別。今回の外出が良い例だろう。
「過保護、ですか」
「はい。私は確かにクラウスから見たら、脆弱過ぎる存在でしょう。護る側から見れば箱に押し込めておきたいだろう程度には、脆いです。ですが、私は意思のある一個人です。箱に仕舞われ鍵をかけられて、それを大切にされているなどと表現できる筈もありません」
だんだんと、感情的になってきてしまった。
レオンハルト様は、そんな私を見つめたまま、苦笑を深める。駄々を捏ねる幼子を宥めるような目に、少し頭が冷えた。
恥ずかしい。苛立つ気持ちのままに、関係の無い彼にあたるなんて、本当に子供じゃないか。
「いいえ。貴方は弱くなどない」
「……え?」
「か弱く美しいだけの姫君に忠誠を誓う程、クラウスは生易しい男ではありませんよ」
唖然とする私を見つめ、レオンハルト様は笑みを消した。
低い声音が、艶を帯びる。
「貴方の前では、アレは犬でしょうが……」
い、犬……?
なんて不吉なワード。私は成人男子を犬として飼う趣味はない。犬ならボーダーコリーが良いよ。もしくはシェットランドシープドック。
「本性は狼です。気に食わなければ上官にさえ噛み付く、本来ならば飼い慣らせない筈の獣です」
「…………」
サディストならば飼い慣らせるんじゃなかろうか、とは、流石に茶化せない。
実際、最近のクラウスを見ていると、誰でも良い訳じゃないんだなぁとは思うし。
クラウスは前述した通り、近衛騎士団では五指に入る実力者だ。彼の年齢を考えれば、王女の護衛に付くと言うのは、有り得ない速さの出世だ。
我が国の騎士団が、身分よりも実力を重視するからこその例外だが、当然、妬まれ疎ましがられる事も多い。流石に王女の前で突っかかる馬鹿はいないが、こっそり影で小突かれている事も知っている。
だがクラウスは、見た目通りの爽やかな男ではない。暴力は華麗に躱し、嫌味は倍返し。性質の悪い輩は、二度目が無いようキッチリ潰している。
もうある意味、マゾじゃなくない?
こんなに攻撃的なマゾっているの?それともサドとマゾは表裏一体って事?うん、自分でも何言っているか分からなくなった。
「アレを飼い慣らしている貴方が、弱い筈が無い。護られるだけを良しとしない、気高い姫君であらせられると、存じております。……ですが、それが時折、危うく見えるのです」
「……?」
危うい?
弱く見えるから、危なっかしいのではなく?
彼の言いたい事が分からない。弱くないのに危ういとは、どういう意味だろう。
戸惑う私に気付いたのか、レオンハルト様は諭すような瞳で、私を見た。
「貴方は、自身の足で立ち、頭で考え、決める事の出来る方です。ですが、人が一人で成せる事には限りがある。どうかもう少しだけ、周りを頼っては頂けませんか」
「……頼っていると、思うのですが」
レオンハルト様の思いがけない言葉に、私は数度瞬いた。
私が、自分だけの力で出来る事は、物凄く少ない。分かっているし、頼っているつもりだった。今日だって、我儘だと知りつつも、レオンハルト様に護衛をしていただいている。
でも彼は、そうは思わないらしい。
レオンハルト様は、頭を振る。
「もっとです。全く足りない。クラウスも同じ考えだからこそ、過保護になるのでしょう」
「…………」
そう言われても、簡単に分かりましたとは頷けない。いくらレオンハルト様の言葉でも。
勿論、王女という立場もある。人にホイホイと弱みを晒していい身分じゃない。
でもそれ以上に、どこまで説明していいのか、そしてどこまで頼って良いのかの見極めが、上手く出来無いからだ。
まだ起こってもいない未来の出来事を、一体誰に説明出来ると言うのだろう。
頑なな態度で俯く私に、レオンハルト様は困った様に笑った。
「……どうか御心の隅に、留めて置いて下さい」
苦さを含んだ声と言葉を、私が実感を持って思い起こす事になるのは、まだ先。
数年後の、未来の話だ。
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