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第一王子の動揺。

 ※クリストフ・フォン・ヴェルファルト視点です。



 た、たん。降り出した雨がガラスを打つ。

 静まり返った部屋の中に、不規則な雨音と共に、書類を捲る規則的な音だけが響いていた。

 人によっては心安らぐ音だろう。だが、今の私にとっては苛立ちを募らせるものでしかない。向かいのソファーに座る人物の顔を眺めていると、余計だ。あと、場所も悪い。日中に執務室に呼び出すならともかく、なぜ夜中に自室へと呼び出した。しかも、呼びつけた本人は、私を放置して書類に夢中だ。


「陛下」


 溜息を吐き出したいのを堪え、平坦な声で呼びかける。

 しかし向かいの席に座る男は、まるで聞こえていないかのように書類を捲くった。眉一つ動かさずに、こちらの存在を無視出来るとは。面の皮の厚さを計測してやりたい。否、そんな無駄な事に時間を費やすならば、弟妹の可愛い顔を思い浮かべている方が有意義か。


 まるで面白みのない国王の顔から視線を外し、背後の窓へと目を向けながら、私は己の欲求に従って、弟妹の顔を思い出す事にした。


『クリス兄様』


 私を呼ぶ妹の笑顔が脳裏に浮かぶ。いつもは大人びた妹が、稀に見せてくれる無防備な笑み。柔らかな眼差しと声が、全幅の信頼を伝えてくれる。なんて愛しい。

 私の可愛いローゼ。彼女を思い出すだけで、苛立ちは霧散した。


 楽しくなってきた私は、思い出を一つ一つ呼び起こす。頭の中のローゼの姿は、旅立つ前の姿から少しずつ幼い頃へと遡っていく。

 そして小さな妹の傍らに、弟が立つ。もう四年も会えていない弟、ヨハン。彼の成長は目覚ましいものであったが、今はどんな姿だろう。


 定期的に来る手紙は、ほぼ報告書のようなもので、私事は殆ど書かれていない。兄としては、それが少し寂しい。

 身長が伸びて節々が痛むだとか、気になる女性が出来たとか。そんな何気ない相談を弟からされてみたかったのだが、どうやら無理のようだ。


「ヨハンからの報告書には目を通したか」


 今まで無言を貫いていた国王は、私の思考を読み取ったかのように口を開いた。


「ヴィント西方の視察に同行する件でしょうか」


 回想の邪魔をされ、不愉快な気分になりつつも、淡々と返す。

 ヴィント王国第一王子の視察に同行する旨は、私にも報告は届いていた。国王は頷いて、手元の書類を捲る。


「目的は辺境伯との会談及び、南西の森の視察。……遅過ぎるくらいだな」


 国王は、呆れを多分に含んだ溜息を吐き出す。

 遅いのはヨハンの報告ではなく、ヴィント王国の判断だろう。それについての反論はない。ヴィントの対応は鈍いと、私も考えていた。


 フランメ王国と陸路での交易が可能になって以降、ヴィント王国の南方に広がる森の木は、恐ろしい勢いで伐採されている。


 木材一本の価値に比べ、手間の方が大きかった為、今までは見向きもされていなかった森だが、フランメという上客を得てからは宝の山へと変化した。

 人々は我先にと争うように資源に群がり、森は見る見る食い潰されていく。特にフランメに近い南西では、資源の減少は顕著だ。


「スケルツとの国交断絶が解除される前から、フランメとの木材の交易はあった。陸路が使えるようになれば更に需要が高まる事くらい、幼子でも予想がつく。そうなる前に、制限を設けておくべきだった」


 国王は机の上に紙束を置き、大して興味もなさそうに『今更だがな』と付け加えた。


「資源が豊富過ぎたんでしょうね。森の広大さを考えれば、人一人が木を切り倒したところで、大した問題にはならないと思っていたんでしょう。千人、万人が群がれば、資源など一瞬で枯渇するというのに。これからヴィント王国は大変ですね」


 領主達と話し合い、法を整え、実行させるまでの道のりは険しい。その間にも木は切り倒され、森は減り続ける。森が減れば土地は痩せ、そこに住む人々は日々の暮らしに困るようになる。

 不毛の大地に木を植えたところで、森は蘇らない。森が失われる前に、食い止めなければならないのだ。


「まずは辺境伯との会談で、どこまで話を進められるか。リヒト殿下の手腕にかかっていますが……」


「それ以前に、まともな話し合いになるかすら怪しい」


 国王は、机の上の書類に視線を向ける。

 その仕草を見て、ヨハンの手紙には、視察や森林伐採の件以外にも、気になる事が書いてあったと私は思い出した。


「病ですか」


 ヴィントの西方。スケルツとの国境付近にある町で、病が流行っているらしい。

 まだ病人の数すらも把握出来ていないが、病の広がり具合によっては、辺境伯は、そちらの案件にかかりきりになっているだろう。


「南ではなく西で熱病が広がるのは珍しい。新種の病でなければいいがな」


「森林伐採と関係があった場合、可能性はゼロではありませんね。救援要請に備えておきます」


「新種であれば、我が国にも特効薬などない」


 端的に切り捨てた国王は、ふと考える素振りを見せた。

 ふむ、と顎に指をあてる。


「……そういえば、なんの病に効くかは知らんが、特効薬を探しにいった娘がいたな」


 目を眇めて呟く国王の様子は、まるで面白がっているような印象を受けた。表情に変化はなく、笑っている訳ではない。だが、いつもは無機質な水色の瞳が、僅かに輝いているように見えるのは錯覚だろうか。


「あれは本当に、デタラメだな。非合理的な考え方ばかりするくせに、何故か核心を突く」


 呆れと感心が入り混じった声で国王は言った。


「それは……妹の、ローゼマリーの事ですか」


「そうだ」


「ローゼマリーは、今……」


 どうしているのか。

 そう問う声が震えた。遠い異国へと旅立ってしまった、大切な妹。元気だろうか。辛い思いはしていないか。そう考える度に、眠れない夜を過ごした。

 護衛をつける事も許されなかったために、様子を知る術もない私が出来たのは、無事を祈るだけ。


 固唾を呑む私を眺め、国王は脇に避けてあった書類を私へと差し出した。


「報告書だ」


「!」


 『何の』とも、『誰の』とも言わなかった。だが即座に理解した。

 手を伸ばし、奪うように掴み取る。

 無様に取り乱した私を見て、国王は情けないと言いたげに渋面を作ったが、知った事か。食い入るように読んでいくと、ローゼの旅の様子が綴られていた。淡々とした報告書には、余分な事は一切書かれていない。だが私には、船乗りや乗客との交流を深め、信頼を得ていくローゼの姿が見えるようだった。熱いものが込み上げる。

 しかし、ある一文を目で捉えた瞬間、心臓が凍りつくような恐怖を覚えた。


「……海賊……!?」


「……っ」


 呆然とした己の声に、誰かが息を呑んだ音が重なった。かたん、と背後で物音が鳴る。反射的に振り返った私が見たのは、青褪めたレオンハルトの顔だった。

 今まで物音一つたてず、職務を遂行していた男の動揺が、私の恐怖を加速させる。それほどの事なのだと理解して、手が震えた。


 私の大切な妹。かけがえのない宝物。

 白黒だった私の世界に、鮮やかな色をつけてくれた愛しい子。


 失う未来なんて、あるわけない。そう頭の中で否定してみても、次の文章を読む事が、とてつもなく恐ろしい。


「……あれは、とんでもない存在だな」


 国王は独り言のように呟く。


「一体、何人の弱点になっているのやら。考えるだけで恐ろしい」


 何を言っているのか、今の私には分析する余裕もなかった。

 国王は固まったままの私を一瞥し、嘆息する。


「何時間かけるつもりだか知らんが、さっさと読め。王女の身になにかあれば、悠々と報告書など読んでいる場合ではない事くらい分かるだろう」


 無事である事を示唆され、私は体中の力が抜ける思いだった。将来、一国を背負う男が、なんという体たらく。情けないと思うが、今は安堵のほうが勝った。

 背後から再び、微かな音が聞こえる。安堵の息を吐き出したのは、私ではない。


 国王の視線が私から外れ、背後へと注がれる。


「随分と疲れているようだな」


「申し訳ございません」


 嫌味を言われたレオンハルトは、言い訳はせずに即座に謝罪した。


「いや、詫びずとも良い。だが……」


 その後に続いた言葉を聞いた私は、一拍おいて瞠目した。


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