38 第四魔物騎士団12
「おわ、フィ、フィーア様!」
シャーロットと別れ、しばらく歩いたところで、またもやクェンティン団長に遭遇した。
どうやらシャワーを浴びたばかりのようで、クェンティン団長の髪は湿っていた。
団長服も着替えてきたのか、先ほどは何だか湿ってくたびれていたようにみえた騎士団服が、パリッとして見える。
そういえば、クェンティン団長は長期遠征中だって聞いていたけれど、帰還してすぐにギディオン副団長たちの様子を見に来たのかしら。だとしたら、部下思いの良い団長ね。
「どちらへご用事ですか、クェンティン団長?」
見上げながら尋ねると、クェンティン団長は少し離れた建物を指し示した。
「あ、ああ、しばらくまともな食事をしていなかったので、腹がすきましてね。食堂まで……」
「あら、偶然ですね! 私も今からお昼なんですよ。ご一緒しても、よろしいですか?」
「え?! ご、ご一緒? ……こ、虎穴に入らずんば虎子を得ずとは言うが、……いや、そもそも、このお方は虎の子なのか? 竜? いや、黒竜を使役しているから、竜を超えているよな。ああ、というか、オレにはそもそも断るという選択肢を与えられていないのだった……」
クェンティン団長はぶつぶつと小声でつぶやいた後、引きつった笑みを浮かべた。
「もちろんですよ、フィーア様。非常に光栄です」
時間がずれているためか食堂はまばらだったが、それでもクェンティン団長に気付いた人たちは、皆驚いたように見つめて、挨拶をしてくる。
おやおや、どうやら有名人のようですよ。
食べたい料理を選んで戻ってくると、クェンティン団長は既に席の横に立っていた。
「すみません、お待たせいたしました」
言いながら席につくと、クェンティン団長も椅子に座ってくる。
うわー、紳士ですよ。婦女子よりも先に椅子に座らない紳士を発見しました!
だけど、その紳士のプレートを見た私は、首を傾げてしまう。
「あれ? どうして、水しか載っていないんですか? 先ほど、空腹だって言っていましたよね?」
「はは、実は今、結構な緊張状態でして、恥ずかしながら食事が喉を通らないのですよ」
「ああ、分かります。クェンティン団長は長期で遠征に行かれていたんですよね。長い間緊張を強いられると、日常に戻っても、しばらくは体が緊張状態を保つことってありますよね」
「ははははは、…………はぁああ」
なぜだか乾いた笑いと盛大なため息が返ってくる。
うむむ? ちょっと私とは思考回路が異なる人みたいね。言動を理解するのには、時間がかかりそうだわ。
食事を始めると、クェンティン団長はチラチラと私の左手首に視線を送ってきた。
何かが気になっているようだけれど、こちらが目を向けるとさっと視線を逸らしてしまうので、よく分からない。
「クェンティン団長? 私の左手首が気になりますか?」
言いながら、左手を団長に向けて差し出す。
「え? あ? 見せていただいても、よろしいのですか?」
「はい? 特に不思議なものはないですよ。ああ、従魔の証はありますけど、見慣れたものでしょう?」
クェンティン団長は、無言になると食い入るように私の手首を見始めた。腕をひっくり返してみたり、証の部分の皮膚を伸ばしてみたり、すごく真剣だ。
あー、分かるわー。私も、回復魔法のことになると、こんな感じになるわ。ふふふ、クェンティン団長って、ある意味同志だわね。
同族意識で好意的な感情を抱いていると、クェンティン団長は腹の底からといった大きなため息をつく。
「すごい、こんな見事な従魔の証は、初めて見ました! 完全なる一本の線になっていて、全く途切れがないなんて!!」
クェンティン団長は団長服の左腕部分を肘の上までまくると、私の前に突き出してきた。
「見てください! オレの従魔の証です! 80名の騎士でAランクの魔物を取り囲み、従魔にした時のものです」
団長の左腕には、手首から肘にかけて、まるで蛇が張り付いているかのような斜めの線がぐるぐると巻き付いていた。幅は3センチくらいから始まっており、肘部分ではその倍以上になっている。団長服で隠れて見えないが、証は肘の上まで続いているようだ。
肝心の証は、遠目から見ても鱗状になっており、つながって1本の線になっている私のものとは全然違っていた。
「は、は、Aランクの魔物を調伏させるのだから、この証の長さは当然だと思っていましたが、あなたの証を見たら、何だかもう阿呆らしくなってきました。何だ、この細さは」
クェンティン団長は投げやりにつぶやいた。
「たった1周。しかも、1ミリ。なのに、全く途切れがない。完全調伏だ」
言いながら、大きな体をテーブルにべたりと押し付ける。そして、はぁーとか、もうとか、ぶつぶつ言い出した。ひとしきり自分の世界を堪能した後、クェンティン団長はガバリと体を起こすと、両手で私の左手を握ってきた。
「答えられる部分だけでいいから、教えてください! ここまで完全なる証の場合、従魔はどれだけ同調するのかを! 話せる部分だけでいいですから、頼みます!!」
団長の顔は完全に真顔で、真剣さが伝わってくる。
うん、分かるわー。魔物騎士団の団長になるくらいだもの。きっと、魔物とか従魔の仕組みとかについての知識や興味は誰よりもあるはず。だけど、それじゃあ満足できなくて、もっともっと知りたいって気持ちが溢れてくるんだよね――……
「ええと、この子を従魔にできたのは、偶然なんですよ。たまたまこの子が大きな傷を負って死にかけていたので、私が治したんです。そうしたら、この子から従魔になることを提案してくれて、契約まで執り行ってくれたんです。そうそう、種族的に命を救われたら、救った者に命を捧げるって言っていました」
「何と、いくら幼生体だとは言え、こく……、あなたの従魔様が死にかける程の大けがを負う状況が、想定できないな! そして、それを治した?! 自己治癒能力が最大限に高いこの個体が治癒不可能な傷を、外部からの働きかけで回復させた?? ……駄目だ、オレの常識では何一つ理解できない」
クェンティン団長は片肘をつくと、その手でぐちゃぐちゃと髪をかき回した。
「それで? 同調具合はどうなんですか?!」
「同調具合ですか? どんなに離れていても、呼べば来ます。言うことは全部聞いてくれますし、言わないことも、考えを読んだかのように私の希望に沿って行動してくれますね。自分で判断して、私の不利にならないようにも行動してくれるような。後は……、一緒にいるようになったのは最近なんですけど、時々離れていた間のことを知っているような言動をすることがありますね……」
私の話を聞いていたクェンティン団長は、何かに閃いたような表情をして、指をぱちりと鳴らした。
「そうか! あの空間を切り裂いて現れたっていうのは、あなたが呼んだのか!! ただ、同調内容はほぼ不明だな。……くっ、フィーア様は自分が強大すぎるから、これ程の従魔様でもあまり興味がないのだろうな。フィーア様、良かったらあなたの従魔様に直接質問してもよろしいでしょうか? もちろん、話せる分だけ答えてくれればいいですから!」
「え? ああ、聞いてみますね」
定位置である私の団服の中にいたザビリアに声を掛けると、ぴょこりと首元から顔を出してきた。頭だけを団服から出した状態でちらりとクェンティン団長を見つめると、するりと団服から外に出て、私の膝の上に乗ってくる。
「従魔様は鳴管を痛められているので、鳴き声がくずれて人語みたいになるんでしたよね。パティから聞いています。ぜひ、くずれた鳴き声でお話しください!!」
クェンティン団長が必死な顔で、言い募ってきた。
ん―――? ……なんかコレ、バレてないか?
私はザビリアを撫でていた手を止めると、じとりとクェンティン団長を見つめた。
クェンティン団長は、真剣な顔で見返してくる。
……もしかして、クェンティン団長って、ザビリアが見た目通りじゃなくて、強い魔物だって分かっているんじゃないかしら?
黒竜ってことまでは分かっていないと思うけど、……あれ? でも、空間を切り裂いて現れたとか、幼生体とか、黒竜関連のワードが出てきたわね。
ん――……? 考えてみれば、クェンティン団長って魔物騎士団の団長だから、魔物に関する情報は、誰よりも詳しいものを入手できるのよね。それらを組み合わせたら、ザビリアが黒竜ってことに気付くのかしら?
そして、気が付いているとしたら、ここでとぼけてみるのと、手の内を見せて色々教えてもらうのは、どちらがいいのかしら?
ちらりとクェンティン団長を見つめるが、やはり黙って見つめ返されるだけなので、答えが分からない。
うむむむむと考えていると、突然閃いた。
そうだわ。クェンティン団長が黙っていることが、答えじゃないかしら?
これだけ仄めかしながらも黒竜ってことを特定してこないのは、明確にしない方が良いってことじゃないのかしら。黒竜って互いに認めてしまうと、どちらも身動きが取れなくなるし。
知っているという立場を明確にすることで、報告義務は発生するし、行動も制限されるはず。
なるほどですね、クェンティン団長!
クェンティン団長の方針に従って、聞かれないことは認めないことにします!
どんなに黒に近いとしても、グレーはグレーで黒ではないのです。ここで大事なのは、黒ではないということですね!
私はクェンティン団長ににこりと笑いかけた。
「この子が答えたいと思ったなら、好きに話すと思いますよ。聞きたいことがあれば、どうぞお聞きください」
私の発言を聞くと、ザビリアは面倒くさそうにクェンティン団長を見つめた。
「僕に何を聞きたいの?」
「はっ、はい。まずは、従魔様のお声をお聞かせいただきまして、恐悦至極に存じます。従魔様のお声は、何と申しますか、例えるなら天上の天使がかき鳴らすラッパの真ん中くらいの音というか、砂漠のど真ん中に湧く泉で人魚が飛び跳ねる音というか……」
「うん、全然何を言いたいのか分からないから。僕は、フィーア以外と無駄話をする気はないから、本題に入ってもらえないかな?」
ザビリアが面倒くさそうにクェンティン団長の言葉を遮ると、前のめりになっていたクェンティン団長は慌てて居住まいを正した。
「は、はい、失礼しました! では、従魔様とフィーア様のご関係をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「フィーアとの仲なら、熱々だよ。あんたが言うところの、完全調伏だからね。例えば、生命力と魔力なら、完全につながっている。僕からフィーアへの一方通行だけど、フィーアの生命力と魔力が減ってきたら、僕から流れるようになっている。だから、僕が死なない限りフィーアは死なないし、僕が魔力切れを起こさない限りフィーアは魔力切れを起こさない。僕は、死ぬ瞬間までフィーアといられるんだよ」
「ぶふ―――っ!」
驚くような話が飛び出し、私は思わず含んでいた水を口から噴き出した。
あわれにも、飛んで行った水はクェンティン団長の顔に真正面からかかったが、彼は気にすることもなくザビリアの次の言葉を待っている。
「い、いや、クェンティン団長、そのびしょびしょに濡れた頭を少しは気にしてください。ちょ、タオル、タオル――!」
「フィーア様、お心遣いを無にするようで申し訳ありませんが、私のことは放置しておいてください。それよりも、従魔様、なんと素晴らしい話でしょうか! そんなことが可能なのですか? しかし、一方通行ということは、フィーア様から従魔様には生命力も魔力も流れないということなのですか?」
「意図しなければね。……逆にフィーアからは、フィーアの行動や思考、感情が流れてくる。どんなに離れていてもね。主の置かれている立場や、主が周りに向ける感情を把握しておくことは、僕の立ち回りを決定するのに必要だから」
「げぼ―――っっ!!」
再度、想定外の話が飛び出し、落ち着くために水を飲んでいた私は、またもや吹き出してしまう。
そして、やっぱりというか、目の前で身を乗り出しているクェンティン団長の頭にその水は降り注いだ。
「に、2回も! ク、クェンティン団長、ほ、本当に、すみません! こ、今度こそ、タオル――!」
「フィーア様、大事なところですので放置ください。しかし、従魔様、にわかには信じがたい話ですな。離れていても、契約主がどのような行動をしているのか、その時どのようなことを考えているのか、そして相対する相手に向ける感情など、全てを把握できるということですか?」
「いや、逆に聞きたいけど、それもやらないで、どうやって主の気持ちを忖度できるのさ。主に聞くの? 『今、生意気な口を聞いたこのギディオンって男、ブチ殺す? それとも、プチ殺す?』とかって?」
そこまで聞いたクェンティン団長は、突然全身を硬直させると、不自然な高い声で笑い出した。
「ギ、ギ、ギディオンですか? は、は、偶然、うちにも同じ名前の副団長がおりますが」
「あんた、馬鹿じゃないんだから分かっているんでしょ。そのくそったれ副団長の話をしているんだよ」
「で、ですよね! うちのくそったれギディオンの話ですよね。誠に申し訳ありません! フィーア様に生意気な口を聞いたとのこと、心から謝罪いたします!!」
いいながらクェンティン団長が深く頭を下げてくる。
いや、いや。クェンティン団長は、全く何も悪くありませんから!
だから、頭をあげてください! 高名なる騎士団長に公衆の面前で頭を下げられるなんて、注目を集めすぎるんですよ。ほら、みんな、食事の手を止めて、驚いたように見ているじゃないですか!
どうにかして頭を上げてもらおうと、焦っておたおたしていると、救世主のように誰かがクェンティン団長の肩を叩いた。
「こんなところにいたのか、クェンティン。行くぞ」
突然の闖入者に、夢から覚めたようにぱちぱちと数回まばたきをしたクェンティン団長は、肩を叩いた騎士を見上げた。
「あ、あ? ああ、そうだ、騎士団の御前会議だったな」
そうして、クェンティン団長はあわてて立ち上がったが、後ろ髪をひかれるかのように私とザビリアを振り返る。
「フィ、フィーア様、不躾なお申し出で申し訳ないのですが、もし、お時間が許されるようであれば、私に同行していただけないでしょうか?」
「はい? 私でよければ」
答えながら立ち上がると、クェンティン団長の肩に手をかけた騎士は初めて私に気付いたようで、驚いたように見つめてきた。
「フィーアじゃないか。お前、何をやっているんだ?」
「……こんにちは、デズモンド第二騎士団長。お久しぶりです」
私はにこりと微笑むと、クェンティン団長を呼びに来たデズモンド団長に挨拶をした。