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賢淵のヌシ4:人間とあやかし

 クロはよろよろと布団の上に起き上がると、頭を低くして、唸り声を上げた。

 まだ毒の影響が強いだろうに、血走った瞳で水明を睨みつけると、水明から距離を取ろうと、じりじりと後ずさった。


 水明はそんなクロを悲しそうに見つめると、大きくため息を吐いた。



「……相棒を心配しては駄目なのか?」

「駄目だ!」



 クロは、水明の言葉をすぐさま否定すると、どこかへ行こうと脚を踏み出し――態勢を崩して、よろめいた。すかさず、水明がクロを支える。すると途端にクロが騒ぎ始めた。



「……や、やめろー! オイラは、もうお前に憑いてないんだからな! 見るな、触るな、抱くなーー!!」

「落ち着け。益々具合が悪くなるぞ」



 水明は静かな口調でそう言うと、暴れるクロを抱き上げた。そして、何も言わずに指先で耳の後ろを掻いてやった。



「や、やめ……あ、あふん! そこ……ああああ! 気持ちいいー!!」



 すると、途端にクロは水明の腕の中で脱力して、しっぽをブンブンと千切れんばかりに振り始めた。口では拒否しているのに、目はうっとりと細められ、前脚がピクピク動いている様は、なんというか――……。



「ちょっとお馬鹿さん?」

「そんなことないし!?」



 クロは私の言葉に、頭を勢いよく起こした。すると、やはり本調子ではないのか、くったりと脱力してしまう。そして、懇願するように水明に語りかけた。



「……やめろよう。優しくしないでおくれよ。オイラのこと、嫌いだろ?」



 そしてがっくりと項垂れたクロは、きゅうん、と物悲しげに鳴いた。

 そんなクロを、水明は優しげな眼差しで見つめている。その姿は、決してクロを嫌っているようには見えなかった。それに、クロも本心では水明に嫌って欲しくないように見える。

 私は膝の上のにゃあさんを降ろすと、ふたりの傍に近寄った。

 そして、交互にふたりを見比べて、小さく笑った。



「仲いいんだね?」

「……ああ」

「な、仲なんて良い訳ないだろ!? オイラの話を聞いていたのか、馬鹿ー!!」



 正反対の返事をしたふたりに、思わず首を傾げる。

 そして、先程の水明の言葉を思い出した。



『――お前は、親を喰った奴を許せるか?』



 私はじっとクロを見つめると、「一体何をしたの?」と尋ねた。

 するとクロは気まずそうに顔を逸してしまった。


 部外者である私に、安々と事情を話すわけがないか……。


 そう諦めかけた時、意外にも水明が口を開いた。



「俺とクロは、小さい頃からずっと一緒だった。嫉妬の感情を呼び込まないために、自分の感情を抑えていた俺にとって、友と呼べるのはクロだけだったと思う。そして、共に幾多のあやかしを狩ってきた。俺とクロは、友であり相棒だと……そう思っていた」

「……」



 クロは、水明の腕の中でじっと話を聞いている。水明はクロの背中を軽く撫でると、話を続けた。



「ある日のことだ。突然、クロが俺の傍からいなくなった。本来ならば、犬神は憑いた相手から長時間離れる事はできない。けれど、こいつは自由を得るために――俺の母の墓を暴いた。そして、墓の中の骨を喰ったんだ」

「――骨を?」

「……ああ。夏織、お前は犬神の作り方を知っているか」



 水明が言うには、犬神を作るには様々なやり方があるのだそうだ。水明の家に代々伝わっているのは、犬を首だけ出して地中に埋め、飢えたところに好物をちらつかせる。そして、犬が首を伸ばした瞬間に、刀で頭を斬り落とすのだ。そして、落とした首を燃やし――依代として骨を持ち歩く。それは、あまりにも残虐な方法だった。



「クロは、初代が作り出した犬神だ。過去には、他の犬神を使役したこともあるそうだが、今はもうクロしか残っていない。こいつの依代は、骨だ。犬神と犬神憑きの家系に結ばれた、呪いとも言える繋がりを断ち切るには、直系の骨を喰らう必要がある――らしい」



 どうやら、そういうやり方で犬神が自由になれることは、水明も知らなかったそうだ。


 ――突然いなくなった、唯一の友であり相棒。

 そして、暴かれた母の墓……どれほど、水明は悩んだのだろう。私だったら、心が引き裂かれそうになるに違いない。だってこれは、人間である(・・・・・)水明に対する、裏切りに他ならないのだから。


 すると、水明はどこか虚ろな瞳になって、ぽつん、と呟いた。



「――なあ、クロ。喰らうなら、俺の骨にすれば良かったんだ。何も、母の骨を喰らわずとも――当代の直系を害するのが、正当な呪い返しだろうに」



 そして、くしゃりと顔を歪めて、酷く苦しそうに重ねて言った。



「……お前が自由になりたいのなら、俺は受け入れたよ。自分の首を差し出すくらいには、お前が大切だったんだ」



 そして、水明は口を閉ざした。途端に、しん、と部屋が静寂に包まれる。

 クロは、つぶらな瞳でじっと水明を見つめるばかりで、何も語ろうとしない。

 するとその時、今まで黙っていたにゃあさんが発言した。



「――ねえ、夏織。今の、何が悪いのかしら」



 すると、水明は弾かれたように顔を上げてにゃあさんを見ると、「どういうことだ」と尋ねた。


 にゃあさんは小さく首を傾げると、「そんなこともわからないの?」と笑った。

 その瞬間、ゆっくりと三本の尾を揺らしていたにゃあさんの足元から、真っ赤な炎が噴き出した。その炎はにゃあさんが起こしたもので、にゃあさんの力の証だ。



「こんなこともわからないなんて、人間って難儀ね。……あたし、火車(かしゃ)なの。言わなかったかしら。炎を纏い、生者や死体を攫って地獄へと連れて行くあやかし。好きな食べ物は、人間の死体」



 にゃあさんは前脚で顔を洗うと、空色と金色のオッドアイを細めて、ぺろりと舌なめずりした。



「魚も美味しいけれどね。人間の美味しさったら! 言葉で言い表せないくらいだわ」



 すると、水明が怒りを露わにして怒鳴った。



「お前は、クロが母の骨を美味いから食べたというのか!! 巫山戯るな、クロは人間は喰わない!!」



 ……あああ! 水明の逆鱗に触れた!


 こんなに怒っている水明を見るのは初めてだ。私がひとりオロオロしていると、にゃあさんは水明をちらりと見て、鼻で笑った。



(ひと)の話を最後まで聞きなさいよ。だから、こんな風にすれ違う(・・・・)のよ。……あたしがね、人間を食べる理由はふたつある。ひとつは美味しいから。もうひとつは――」



 すると、にゃあさんはひらりと水明の肩に飛び乗ると、楽しそうにクロを見つめた。

 クロは、にゃあさんの視線を受けるなり、耳をぺたんと伏せ、しっぽをお腹に巻いて怯えている。



「あんた、その人のことが好きだったのね?」

「……キャイン!?」



 図星を突かれたのか、クロは甲高い鳴き声を上げると、ノズルを水明の脇の下に差し込んでブルブル震え始めた。



「まあ、可愛い鳴き声だこと。いじめ甲斐がありそう」



 にゃあさんはSっ気たっぷりにそう言うと、わざとクロを踏みつけて水明の肩から降りた。「ぎゃんッ」と痛そうな声を上げているクロを一瞥もせずに、気取った風にとことこと床を歩き、日当たりのいい場所に座り込む。そして、意味ありげな視線を水明に送った。



「あやかしは、その相手を好めば好むほど、食べたい衝動に駆られるの。死後なんて特にね。(はらわた)を喰らい、骨を齧り、血を啜る。――大切な相手を、自分の一部にしたくなる。その人との思い出を、自分の中で大切にとっておくために」



 にゃあさんは、「勿論、空腹を紛らわしたいわけではないのよ」と笑う。

 そして、私をじっと見つめて言った。



「あたし、夏織が死んだら、亡骸をもらうことになっているの」

「――は!?」



 水明は、にゃあさんの言葉に驚愕の表情を浮かべると、次に私を見た。まるで信じられないものを見るような視線を受けながら、私はにゃあさんの陽に当たってほんのりと温くなっている毛を撫でた。



「そうだね。綺麗に食べてね。残したら嫌よ」

「勿論よ! じっくり、ゆっくり……大切に食べるわ。それが――供養だもの」



 私の手に愛おしそうに擦り寄るにゃあさんは、とても可愛らしい。

 私は苦笑を浮かべると、呆然としている水明に言った。



「――人間(・・)からしたら、裏切り。けれど、あやかし(・・・・)からしらたら……全く反対の意味を持つのよ。ねえ、水明。クロ。ふたりは人間とあやかしなのよ。まったく違うものなの。きちんと話し合った?」



 私はすっくと立ち上がると、両腕を組んで笑った。

 そんな私を、水明はなにか眩しいものを見るように目を細めて見ている。



「――それに、たとえあやかしが好きな人の亡骸を好むと言っても、水明にとっても大切な人なのでしょう? 勝手に食べるのは、違和感がある。きっと事情があるに違いないわ。人間とあやかしが一緒にいられる時間は、長いようで短いのよ」



 すると、「にゃあん」と甘えた鳴き声を上げて、にゃあさんがすり寄ってきた。

 私は彼女を抱き上げると、その小さな頭に私の頬を寄せる。にゃあさんは、ゴロゴロと喉を鳴らして私に応えてくれる。それがとても嬉しい。



「今、この瞬間を大切にしなくっちゃ。人間の生命は儚すぎる――すれ違ったままなんて勿体無いわ」



 この広い世界で、大切だと思える相手に出会えること――それ自体がとても貴重なことなのだから。



「ね、水明。ちゃんと、自分の気持ちを伝えよう。黙ってちゃ駄目。俯いてちゃ、大切なことを見逃しちゃう。寂しかったら、そう言えばいい。泣きたかったら、泣けばいい。怒りたかったら、怒ろう。……大丈夫。役に立つかわからないけど、私が傍にいるから」



 私はにゃあさんをぎゅうと抱きしめると、わざと明るくへらりと笑った。



「大丈夫だよ! あやかしと人間だって、こんなにも仲良くなれるんだよ!」



 そんな私たちを見て、水明は何度か目を瞬いた。

 するとその時、急にじたばたとにゃあさんが暴れ始めた。



「……ぐむむ! 夏織、苦しいわ!?」

「あ、ごめん」

「それに、あたし抱かれるのあまり好きじゃないって言っているでしょう!? あたしが抱いて欲しい気分の時に自分から行くから、積極的に来るのはやめてくれないかしら」

「にゃあさんの取扱いは難しいね!?」



 ……あああ! 折角、水明を元気づけようと、それっぽい感じで言ったのに、にゃあさんのせいで台無しじゃない!?


 私は、若干涙目になりながらにゃあさんを床に降ろす。

 すると、誰かの笑い声が聞こえて来て、ふと顔を上げた。



「……くっくっく。ああ、まったくお前らは」



 ――笑い声の主は水明だ。



「夏織はやっぱり、あやかしの心を持つ人間なんだな。どちらにも寄り添える。……最高だ」



 水明は肩を揺らして、顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 すると、そんな水明を見て、クロが意外そうに呟いた。



「……相棒は変わったね」



 するとクロはひらりと水明の手から抜け出し、地面に降り立った。

 そして、その場でちょこんとおすわりをすると、つぶらな瞳でこちらを見つめた。



「わかった。話そうじゃないか。オイラが相棒の下を離れた理由(わけ)を。語ろうじゃないか。愚かな犬神の話を――」



 そう言って、尻尾を一度だけ揺らした。

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