大歩危の爺1:娘と養父と白髪の重傷人
「不味い……」
私は、突き返されたお椀を目にして、ピクピクと眉を引き攣らせた。
そんな私を、感情の篭っていない薄茶色の瞳が見つめている。けれど、私にはわかる。目の前のこいつは、無表情なのにお腹の中は不満でいっぱいだと言うことを!!
「俺は、特Aランクの米を使って、土鍋でじっくり炊いた粥しか食わない」
そいつはそう言うと、ふいとそっぽを向いてしまった。
「……餓死してしまえばいい……」
思わず、普段滅多に出さない低音で本音を漏らすと、その人はさも不思議そうに私を見つめた。
「それが怪我人に言う台詞か?」
「人様の家で、殿様みたいなことを言う人には相応しいと思う。それに、元気いっぱいじゃない!! 看病なんていらないでしょう!?」
私はその人の手からお椀を取り上げると、はあ、とため息を吐いた。
彼は、白井 水明と名乗った。雪のように白い髪に、薄茶色の瞳を持った彼は、確かに怪我人であることは間違いない。彼は東雲さんに手当をされて、頭を包帯でぐるぐる巻きにされている。そう、怪我人。怪我人なのだ……。
……怪我人には、優しくしなくちゃいけないよなあ。
私はふるふると頭を振ると、半ば自棄糞で水明に向かって言った。
「――ああ、もう! 仕方ないから、面倒見るけどさ。元気になったら、帰りなさいよ。人間」
「……なあ」
すると、水明は私を真っ直ぐに見つめて言った。相変わらずの無表情。けれどその眼差しには、私を観察するような、そんな趣があった。
「お前も人間だろうに。どうして、隠世にいるんだ」
「……あなたに、話す必要があるの?」
私は嘆息すると、自称看病が必要な重傷人に背を向けた。
そして、台所に立ちながら、彼との出会いのことを思い出していた。
*
――昨日の夜。私は、幻光蝶が舞う大通りで、顔面蒼白になっていた。
「東雲さんの人殺しー!」
「違うわ! 阿呆!」
咄嗟に、そう叫んだ私は悪くないと思う。
だって、ただでさえ人相がよろしくない養親の足下に、血を流して倒れている男の人……。
ひええ、なにそれ。どこのサスペンスドラマ。あ、私ってば、ドラマだったら証拠隠滅のために殺されるか、罪を被せられる役になりそうじゃない!?
そう思った私は、さっと東雲さんから距離を取った。
「命だけは助けて欲しいの! あと、冤罪は良くないと思う。罪は自分で償って!!」
「だから、うちの娘はどうしてこうも思考が飛ぶかね!?」
東雲さんは、私の発言に頭を抱えている。
――まあ、冗談はここまでにするとして。
私は、その人――水明の傍らにしゃがみ込むと、顔を覗き込んだ。白い睫毛で縁取られた瞳は硬く閉じられていて、すぐには意識を取り戻しそうにない。
「……生きてはいるの?」
「ああ。意識を失っているだけのようだ。額が切れているが、血の量の割りに傷は深くない」
そんなことを話している間にも、幻光蝶はみるみるうちに集まって来る。
蝶の光に照らされている水明は、とても整った顔立ちをしていた。鼻筋は通っているし、顔がびっくりするくらい小さい。所謂、王子様っぽい顔立ちという奴だ。更には、常夜の隠世にあって、雪のように白い髪色は鈍く光っているように見える。
「……このまま、放っておくわけにはいかないよね。誰かに食べられちゃう」
隠世の街が幻光蝶の大量出現のせいで、ざわついている気がする。きっと、すぐにでもたくさんのあやかしたちが集まって来ることだろう。彼らにとって、意識のない人間なんて、ご馳走以外の何物でもない。
「現世まで連れて帰ろうか」
――救急車にさえ乗せてしまえば、搬送先の病院で家族に連絡を取ってくれるだろう。
私自身は、救急車が来たら戻ってくればいい。冷たいかもしれないけれど、現世のことにはあまり関わりたくない。中々、名案だ。そう思って、東雲さんに相談しようとしたところ――急に、誰かに腕を掴まれた。それは、今まで気を失っていたはずの水明だった。
「……やだ。おいていかないで……そばにいて」
水明はうっすら目を開けてそう言うと、また目を瞑ってしまった。
それはまるで、熱に浮かされた子どものうわ言のような……そんな幼さがあった。
――うっ。
「あーあ。こりゃあ、駄目だな」
すると、東雲さんは呆れたようにそう言うと、徐に水明を肩に担いだ。
「……東雲さん!?」
驚いて養父に声を掛けると、彼はやれやれと言った風に肩を竦めて、小さく笑った。
「お前、昔っから小せえ妖怪だの、弱った動物だのを見捨てられない性分だったものなあ。今回も駄目だな。あー。ちくしょうめ」
そして、大通りを水明を担いだまま、ゆっくりと歩き始めた。
「しゃあねえな。そういう風に育てた親が悪い。保護者が責任とらねえとなあ」
「も、もう! 子ども扱いしないで!」
「そんかわり、明日の晩飯は肉だぞ、肉! 血も滴る極厚の肉に決定ー!」
「給料日前で苦しいんだけど!?」
私は怒ったふりをしながらも、頬が緩むのを抑えきれなかった。
……ああ、もう。やっぱり東雲さんは最高だ。
私は顔を上げると、家路を急ぐ養父の背中を追ったのだった。
*
「……で、起きてみたらこれだもんね」
「それは感謝している。だが、粥の件はまた違うだろう?」
「違わないわ! 看病が必要だって言い張るなら、もうちょっとしおらしくしていなさいよ! 折角、アルバイトお休みなのに! もう夕方じゃない! 休日を返してー! 詐欺よ! 詐欺ー!」
……あの弱々しい姿は何処に行ってしまったのか。
私はげんなりしながら、そっぽを向いた。そして、ちらりと玄関の方を見る。水明を手当した東雲さんは、何処かに出かけてしまった。それから、一晩帰って来ていない。もうそろそろ、時刻は夕方に差し掛かろうとしてる。一体、どこで何をしているのだろうか。
正直なところ、この横暴な白い男と一緒にいるのは、不愉快極まりない。早く帰ってこないだろうか……。
すると、玄関の方から何か物音がした。
東雲さんが帰ってきたに違いないと、期待を込めて引き戸を開ける。けれど、そこにいたのは、昨日、本を借りていったばかりの小鬼だった。
「こ、今晩は……」
小鬼はもじもじと視線を彷徨わせると、ちらと居間の中を覗いた。もしかしたら、東雲さんを探しているのかもしれない。
「どうしたの? 何かあった? 店主なら、出かけてしまっていないわよ」
「そ、そうなの!?」
すると、小鬼はあまりにショックだったのか、その場に座り込んでしまった。
「……どうしたの?」
私は小鬼の前にしゃがみ込むと、藁みたいなごわごわの頭を撫でてやった。小鬼は、ビクリと身を竦ませると、私を上目遣いで見つめた。
「借りて行った本を読んでもらおうと思って、友だちのところに行ったんだ。そうしたら、そいつ……具合を悪くしていて。凄い苦しんでいるんだ……! オラ、山奥育ちで世間知らずだから、どうすればいいかわからなくて途方に暮れちまって」
「それで、うちに来たの?」
小鬼はこくりと頷くと、泣きそうな顔になってしまった。よく見ると、ふくふくしたほっぺに泥がこびり着いているし、全身汗に塗れている。余程急いで来たのだろう。
私はふむ、と考え込むと、その「友だち」とやらの名前を聞いた。すると、小鬼はおずおずと答えた。
「……山爺だ」
「山爺? どこの山爺かな?」
「お、大歩危……」
「ああ! なるほどね!」
私はぽんと手を打つと、笑顔になった。大歩危の山爺なら、知り合いだ!
私は小鬼から山爺の病状を聞くと、支度を始めた。どうやら、いつもの症状が出ているだけのようだ。テキパキとリュックに薬箱の中身を入れていく。その様子を、水明が目を白黒させて見ているけれど、それは無視だ。今は、こいつに付き合っている場合じゃない。
私は、たっぷり荷物が詰まったリュックを背負うと、小鬼に手を差し伸べた。
「よっし。小鬼くん、行こうか」
「えっ、おねえちゃんが付いてきてくれるの」
「そうよ、大丈夫。私に任せておいて!」
私はどんと胸を叩くと、小鬼に向かってにっこり笑った。
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