シロツメクサの想い2:探しものとりんご飴
ガス灯に入れられた幻光蝶が、パタパタとせわしなく羽ばたき、隠世の町を照らしている。
往来の人通りは、結構多い。それもこれも、夏が盛りを迎えようとしているからだ。
あやかしは、夏になると一番活発になる。普段は山の中に居るあやかしも、この時期は町に出てくることも多い。
そんなおのぼりさんを目的に、商魂たくましい商人たちが動き出す。
大通りには、いくつもの屋台が並び、食欲をそそる匂いが辺りに立ち込めている。更には、怪しげな土産物を売る店から、強引な客引きまで――そこは、現世のお祭りと大差ない。
あやかしたちが棲み家へ帰るお盆の頃まで、このお祭り騒ぎは続くのだ。
「おばちゃん、これ頂戴」
「あいよー」
道端にあった屋台で売っていたのは、真っ赤なりんご飴。小さな小さな姫りんごを包み込む、目にも鮮やかな飴の赤色が、幻光蝶の光を反射してゆらりと揺れる。
それを二本買って、憮然とした表情をしている水明に一本押し付ける。
「……いらない」
「だあめ」
じっとその目を見つめて、ニッと笑う。すると、水明はしぶしぶ割り箸部分を掴んだ。
――意外と甘い物好きだって、バレているんだからねー。
そんなことを思いながら、しゃくりとりんご飴に齧りつく。パリパリの飴の甘さ、りんごの酸味と瑞々しさが混じり合うと、自然と頬が緩む。ちらりと水明を覗き見ると、満更でもない表情で、遠慮がちにりんご飴を食べていた。
その様子を微笑ましく見ていると、私の視線に気が付いた水明は自棄糞気味にりんご飴に齧りついて、ぼそりと言った。
「……で、探しものとはなんだ」
私は鞄の中から、栞を取り出すと水明に見せた。
「この栞の持ち主を探そうと思って」
遠近さんの借りた本は結構な希少本だ。だから、ここ数年で借りた人は数人程度。しかも、うちの常連さんばかり。持ち主の特定は簡単だろう。
「折角だから、挨拶がてら回ろうと思ったのよ」
「そうか」
「――それにさ」
私はじっと水明を見つめた。水明はその薄茶色の瞳に、何の感情も浮かべずに私を見つめ返している。そんな彼に、私はわざとへらりと笑って言った。
「皆に挨拶しておけば、君の捜し物を見かけたら教えてくれるかもしれないじゃない」
「……」
すると、動揺したのか水明の瞳が揺れた。そして彼は、眉を僅かに顰めた。
「俺は祓い屋だぞ」
「大丈夫よ。そんなの関係ない」
「……大丈夫なわけがあるか」
「大丈夫だって」
「……」
私の言葉が信じられないのだろう。黙りこくってしまった水明に、苦笑する。
「今にわかるわよ。だからさ、君の探しているあやかしを教えてよ」
すると、水明は俯いてしまった。
水明と私は、まだ出会って間もない。それに、彼は力を失っているとはいえ、祓い屋だ。もしかしたら、あやかしの世界で生きてきた私を信用できないのかもしれない。
するとふいに脳裏に蝉の鳴き声が蘇ってきて、途端に胸が苦しくなる。でも、水明の言葉を思い出すと、不思議と辛さや悲しみが和らぐのだ。水明がくれた言葉は、今や私の中で大切なもののひとつとなっている。
……お礼したかったのにな。でもまあ、無理に聞き出すのも違うよね。
そう思った私は、くるりと水明に背を向けた。
「ごめん。無理には聞かないよ! さあ、行こ! でも、挨拶はしておいて損はないからさ。付き合ってもらうよー」
――しゃくっ。
瑞々しい姫りんごを噛み締める。
背中に水明の視線を感じるけれど、私は気にせずに目的地に向かって進むことにした。
すれ違う顔見知りと挨拶をしながら、通りを東に向かって進む。水明は暫く黙って私の後をついて来ていたけれど、気がつくと姿が消えていた。驚いて彼の姿を探すと、少し離れた場所に、ぽつんと立っているのが見えた。
この辺りは、普段私たちが住んでいる場所と違って、時代劇に出てきそうな長屋がずらりと並ぶ地区だ。通りの中央にある井戸の周りでは、あやかしの奥様方が井戸端会議を開いている。その直ぐ傍では、小さな子どもがはしゃいだ声を上げて、大きな桶の中で水浴びをしている。その子の飼い犬なのだろうか。子犬が尻尾を千切れんばかりに振り、くるくるとその場で回ってはしゃいでいた。
その様子を、水明がじっと見つめていた。視線を追うと、どうも犬を見ているようだ。瞳は優しく細められ、けれどもどこか淋しげに見える。
「……犬が好きなの?」
なんとも寂しそうなその姿を心苦しく思って、思わず声を掛ける。けれども、私の方を見た水明の瞳からは、感情が掻き消えてしまっていた。
「別に。俺が探しているあやかしに、似ているだけだ」
すると水明は、自分の探しているあやかしの特徴を何個か上げた。
――黒くて赤い斑がある。犬にしてはひょろ長い。イタチにしては頭が大きく耳が尖っている。
「犬神」……それが、水明が隠世に来てまで探しているあやかしなのだそうだ。水明は、祓い屋としてその犬神と一緒に戦ってきたのだという。
「……頼めるか。俺の――相棒なんだ」
……相棒。それは、祓い屋の武器としての意味だろうか。
それとも、パートナーとしての意味だろうか。
感情を宿していない水明の瞳からは、意図を読み取ることは出来ない。
「まっかせなさい!!」
でも、私は思い切り胸を叩いて請け負った。
「――受けた恩は返す。それがあやかしの礼儀だもの!」
「恩?」
すると、水明は不思議そうに首を傾げた。彼にとって、私に掛けた言葉は特別な言葉でもなんでもないのだろう。でも、私はそれで救われた。今、心が晴れ晴れとしているのは、水明のお陰だもの。
私は笑顔になると、水明に向かって手を差し出した。
「わからなかったら、それでいいの。手伝わせてくれて嬉しい。ありがと!」
すると、水明は若干複雑そうに眉を顰めると、ボソボソと「すまない」と呟いて、遠慮がちに私の手を握った。
その時、にゃあさんが、私たちを急かすように一声鳴いた。
「ねえ、とっても暑いの。用事をさっさと済ませて、早く帰りましょうよ……」
にゃあさんは、道端にぺたりと横になると、恨めしそうに私たちを見つめた。
確かに、現世と比べると過ごしやすいとは言え、じわじわと汗が滲む程度には暑い。私は水明と顔を見合わせると、目的の家に向かって足早に歩き出した。