シロツメクサの想い1:心配性な養父
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「いらっしゃいませ〜」
「きゃあ! 可愛い!」
ぼんやりと、ランプの灯りが照らす狭い店内。
古き良き時代の古民家を思わせるような、落ち着いた雰囲気の店内には、所狭しと和風の品物が並んでいる。アクセサリーから普段使い出来るような小物、和紙が貼られた行灯風ランプ。古びたアンティークの箪笥。額縁に入った日本画まで――この店は、「和」をテーマにした雑貨を取り揃えている。顧客は若い女性から、和物を好む老人まで幅広い。
ここは、東京都台東区にある日本一の道具街、合羽橋の路地裏にひっそりとある雑貨屋だ。創業は古く、店舗での販売の他に、取引先への卸も兼ねている。
私は、きゃいきゃいと楽しそうに雑貨を眺めているお客さんの声を聞きながら、新商品を並べていた。あと一ヶ月もすれば、東京や近郊の県では沢山の花火大会が開催される。
それに伴って、浴衣を着る時に使う小物類の需要が高くなる。かんざしや、可愛らしい鼻緒の下駄。ちょっと変わり種の巾着。ひとつひとつ、商品の顔が良く見えるように飾り立て、お客さんの目につきやすいように頭を捻る。商品の売れ行きは、このディスプレイにかかっていると言っても過言ではない。
――頑張らなくっちゃ。
私は気合を入れて、ひとつひとつ商品を並べていく。大変だけれど、これほどやりがいのある仕事はない。私は時間を忘れて作業に没頭していた。
するとそこに、ひとりの男性がやって来た。
「やあ、精が出るねえ」
「オーナー。お疲れ様です」
その人は、この店のオーナーである遠近さんだ。遠近さんはハイブランドのスーツをきっちりと着込み、夏だと言うのに皮の手袋をしている。いつもハットを深く被っていて、綺麗に整えた口ひげに穏やかな笑顔を浮かべている、50代中ほどに見えるダンディなおじさまだ。
彼は細い目をうっすら開けると、私の耳元に顔を寄せて、お客さんに聞こえないようにボソボソと言った。
「この間借りた本、君に預けてもいいかな」
「あ、はい。大丈夫ですよ。でも、珍しいですね。いつも、読み終わった本を並べて、東雲さんとお酒を飲みながら批評するのに」
すると、遠近さんは眉を下げると、ハットを少しずらした。
遠近さんの頭の天辺には、真っ白な皿があった。その皿には、小さなヒビが入っているように見える。
「ここ最近の暑さにやられてしまってね。暫く、四万十川にでも行って療養しようと思っている。久しぶりに、あちらの友人にも会いたいし。そのせいで、隠世に行く都合がつかなくなってしまったんだ。東雲によろしく言っておいてくれ」
――遠近さんは、河童のあやかしだ。
それも、かなり古い時代から生き続けている、この合羽橋でも古参のあやかしである。
以前、ふと思い立って、合羽橋の由来でもある河童伝説に関係あるのかと聞いてみたところ、笑って誤魔化された。もしかしたら、それよりももっと昔から、この場所に居続けているのかもしれない。そんな彼も、今や雑貨屋をはじめ、様々な商品を取り扱う商人だ。
実は、隠世に流通している家電製品等も、遠近さんが卸していたりする。
彼のように、現世に紛れ込み、あたかも普通の人間のように過ごしているあやかしは、結構多い。話によると、政治の中枢にまであやかしは入り込んでいるのだと言う。
――隠世と現世。そのふたつの境は、人間が気づいていないだけで本当に曖昧だ。
私は笑顔で彼に頷く。どうせ我が家に返却するのだから、問題ない。
すると、遠近さんは満足気に笑うと、ほう、と熱い息を吐いた。
「やっぱり、君のところの貸本屋はいいねえ。まさか、あの本の実物をこの手に出来るなんて。一週間、夢中になって読んだよ。非常に有意義な時間だった」
遠近さんは胸に手を当てて、本の余韻に浸っているのか、うっとりと目を瞑った。
我が家の貸本屋には、今は現世では失われてしまった本や、手に入れるのが難しい希少本なども取り揃えている。なので、主に現世に活動しているあやかしにも、需要はあるのだ。尤も、そう言う本は結構な高額で貸し出ししているから、滅多に出ないんだけれど。
その時、ふとあることを思い出して、私は慌てて遠近さんに向かって頭を下げた。
「……あ、それと。この間は急にお休みしてすみませんでした」
「いいんだよ。夏はあやかしどもが騒がしくなる。貸本屋も一番忙しい時期だろう? お安い御用さ。それに、東雲の大事な大事なお嬢さんだ。これくらい、どうってことないさ」
「おじょ……子ども扱いしないでくださいよ。もう大人なんですから」
私が抗議の声を上げると、遠近さんは何度か目を瞬いて、笑い皺を顔中にたくさん作って朗らかに笑った。
「あはは。つい最近まで、こおんなに小さかったからね、つい。……それは冗談として、持ちつ持たれつさ。夏織くんだって、他のバイトが急に休んだ時に入ってくれているだろう? 随分と助かっている」
「それならいいんですが……雇っていただけているだけで、ありがたいことなので」
「君は謙虚だね。そこが可愛らしいところなのだけれど」
すると、遠近さんがぱちりと片目を瞑った。すると、私の背後できゃあ! と小さな悲鳴が上がる。思わず声がした方向を振り返ると、若い女性や、老齢の女性のお客さんが、顔を真っ赤にして身を捩っているのが見えた。遠近さんは、可愛らしい反応を返したお客さんを見てにこりと微笑む。すると、また黄色い声が上がった。
……絶対に狙ってやっているよね!?
このオーナー。実はお客さんから、渋い、イケオジ、ダンディなんて言われて、人気があったりするのだ。……河童なのに。
私は、顔を引き攣らせて遠近さんを見た。一体何をしているのかと視線で問いかけるも、彼は楽しそうに、今度は私に向かってぱちりとウィンクをした。
途端に、背後で殺気が膨れ上がったような気がして、背中に冷たい汗が伝った。
――勘弁して欲しい。
すると、遠近さんは何かを思い出したのか、いそいそと胸ポケットから何かを取り出して私に渡した。
「そう言えば、これ。借りた本に挟まっていたんだ。お客さんのじゃないかな?」
私はそれを受け取ると、じっと見つめた。
それは、和紙で出来ていた。押し花を一緒に漉き込んだ手作りの栞。素人が作ったものなのだろう。随分と端の処理が雑で、毛羽立ってしまっているし、薄汚れているようにもみえる。
「そうかもしれませんね。前回、その本を借りた人かしら」
「多分、そうじゃないかな……。あ。じゃあ、僕は行くよ。本は事務所に置いてある。……ほら、午後のアルバイトが出勤してきたよ。今日は午前上がりだろう? 後のことは彼女に任せて、君は早く帰りなさい。あんまり遅くなると、あの馬鹿が、鬼のような形相で探しに来かねない」
「……あ、はい」
「気をつけて帰りたまえ」
そう言って、遠近さんは颯爽と去って行った。
私は手の中の栞をじっと見つめる。栞に使われている花は、シロツメクサに四葉のクローバーだ。
――何故だろう。何の変哲もないその栞がどうにも気になった。
*
「……」
私は家に帰った後、まるで能面のような顔で、ひたすら掃除をしていた。
昼食を食べた後、やり残した家事をしようと、店番を水明に任せて掃除を始めた。ただそれだけなのに、何故こんな顔をしているのかと言うと――。
「なあ、夏織。夏織ってば」
東雲さんが、落ち着かない様子で私の後を付いて回ってくる。その姿は、まるで親子のカモのよう。勿論、東雲さんが子ガモの方だ。彼は、うろうろ、オロオロして私の顔色を伺っている。
でかい図体をした養父から注がれる視線に、私はとうとう堪忍袋の尾が切れて、ギロリと睨みつけた。
「――もう! なんなのよ! うざったい!」
「うざ……ッ!?」
東雲さんは、ぽかんと口を開けると、さっと顔を青ざめさせた。
「お、俺はだな。お前が心配でだな」
「なんで? 見てのとおり、私は元気よ」
すると東雲さんは、もごもごと何やら口の中で呟くと、気まずそうに頭を乱暴に掻いた。
「……あー、なんだ。ほら、こないだのアレで、泣いたって聞いたからよお。俺ァ、もしやお前が寂しい思いをしているんじゃねえかって」
「なによそれ。寂しくなんてないわよ。心配しなくても平気」
「そ、そうならいいんだけどよ〜」
東雲さんはなんとも情けない声を上げると、がっくりと肩を落とした。
……確かに、はつと佐助の件は、正直なところ辛かった。
弱っていく彼らの世話をしていた時は、胸が張り裂けそうなくらいだったし、本当は全てから目を逸して逃げ出したかった。これから死を迎える友人に、なんて声を掛けてあげればいいかわからずに、必死に平常心を保ちながら接することしか出来なかった。
それでも、家族と友人に励まされて、覚悟して彼らの最期に臨んだつもりだった。泣くまいと思っていた。でも……また、生まれ変わって再会出来ると言われても、目の前で友の体が亡骸に変わり、体温が失われて行くのを見るのは耐えられなかった。だから、結局泣いてしまった。笑顔で送り出すべきだと思っていたのに。
『これは魂の抜け殻。もう、これに価値はない。悲しむことじゃないわ』
最期の時、にゃあさんが放った言葉。それは、この隠世で生きてきた私には、充分に理解できたし、仕方の無いことだと思った。けれど、モヤモヤしたものがお腹の底を渦巻いて、どうにもやるせなかった。
――その時だ。
『――悲しんで何が悪い。寂しくて何が悪い。別れを惜しんで何が悪い』
その水明の言葉が、やけにしっくり来た。心に響いて、張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまった。
……どうも、泣きすぎたらしい。あの時の様子を聞き及んだ東雲さんは、過保護スイッチが入ってしまったようで、こんな風に面倒なことになっている。私は大きく嘆息をすると、東雲さんの頬を指で抓った。
「……いひゃい」
「心配しすぎ、駄目親父」
「うっ」
すると、東雲産は気まずそうに私から目を逸した。
「……心配したら、駄目なのかよ」
そう言ってはみたものの、自信がないのか、語尾がしゅるしゅると尻すぼみになってしまった東雲さんに、思わず噴き出す。私は拳を突き出して、東雲さんの胸にとん、と置いた。
「別に、心配しちゃ駄目だとは言ってないでしょう? でも、何事にも加減ってものがあるでしょうに」
「……ッ」
東雲さんはぐっと息を飲むと、出会った頃から全く変わっていない顔をくしゃりと歪めた。
その時、ふいに居間を水明が覗き込んだ。
「……おい、そろそろ出かけたいんだが」
その時、はたと思い出した。そうだ、午後は水明の探しものに付き合いがてら、隠世の街を案内する予定だったのだ。私はがっくりと項垂れている東雲さんに向き合うと、その肩を軽く叩いた。
「じゃあ、水明と出かけてくるね。店番お願いね。――後は、ちょっと頭を冷ましておきなさい」
「夏織ぃ……」
「行ってきます! さあ、にゃあさんも行くよ!」
「にゃっ!?」
昼寝をしていた親友の首根っこを掴んで、貸本屋を出る。
ちらりと見た店の奥では、東雲さんがごろりと畳の上に横になったのが見えた。
近寄ってきた野生の幻光蝶を引き連れて、街へ繰り出そうとする。
その時、ふと――あの栞のことを思い出して、慌てて店に戻った。そして、貸し出し帳を手に戻ると、水明が不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
「ね、水明。探しているあやかしの行きそうなあてはあるの?」
「……いや。特にない」
「そっか」
私はにっこりと笑うと、水明に見えるように貸し出し帳を持った。
「じゃあ、私の探しものにも付き合ってくれる?」
水明は薄茶色の瞳を何度か瞬くと、こくんと頷いてくれた。