答えなんて自分次第だから-6
「あんなモンスター……見たことも聞いたこともありません」
これまでに人類が発見したモンスターを記録した本が王家の図書館にある。その中に記載されている最も全長の大きいモンスターは、この世界のどこかに存在していると言われる黒龍【ダークドラゴン】の18mのはずだった。
そのモンスターでさえ、どこに存在しているかもわからない幻の存在なのにも関わらず、今、接近しているモンスターはそれ以上に大きかった。
「……何だあれは? 知らん、私もあんなモンスター……見たことがない。いや、そもそもあれはモンスターなのか?」
本来、知っていて当然のメノウでさえ、驚愕の表情を浮かべてそう言いながらその巨兵を見ていた。その存在に恐怖を感じているのか、目に見える程に震えてさえいる。だが、それはメノウ以外も同じだった。
見ただけで足が竦み、今まで逃げたいという気持ちを押し殺してなんとか戦えていたが、さすがに今回ばかりは無理だった。
メノウの言う通り、モンスターなのかもわからない。黒い鋼の鎧を身に纏った二足歩行のモンスターは、金色に輝く鋭い眼光を放ち、その全身から黒いオーラを纏わせ、一歩一歩地響きを鳴らしながらゆったりと歩いて来る。
「……撤退ね。流石にこれはどうしようもないわ」
その時、巨大すぎる敵を前にして驚愕の表情を浮かべつつも取り乱さず、タカコは冷静にそう呟いた。
「っく……ここまで来て逃げ出すだと!? 馬鹿を言うな……僕は、僕は諦めないぞ!」
そう言うと、レックスはふらつきながらも地面に突き刺していた剣を抜き取り、前方へと構えた。状況から見ても、タカコの判断は正しかった。だが、それでも、本来なら越えられないはずの壁を何度も越えてようやく辿り着きそうだったゴールを、レックスはそう簡単に諦めたくはなかったのだ。
「現実を見なさい……その身体で何が出来るっていうの? あの巨大なモンスターが何なのかはわからないけど、これは……こんな所でそう簡単に解決出来るような事態じゃないわ。正真正銘……前代未聞の危機的事態よ」
タカコに言われずとも、それは全員理解していた。ここで引いたとしても、あれとはいずれ戦わなければならない。明らかに、サルマリアに集まった人間だけで対処出来る相手ではなかった。この国、もしくは世界規模で対処に当たらなければ、人類の存続にも関わるような相手。
元々、人類と魔族では圧倒的な力があったのだ。そしてそれを恐らく、【国】は知っていた。これだけの力を持っているが故に人類は表立って魔族には戦いを挑まず、暗殺という形で勇者達を魔王城に今まで送り込んできたのかもしれない。魔族が攻めてきたことは、一度も無かったから。
「鏡ちゃん……ここは一旦引くわよ! 悔しいけど……わからないあなたじゃないでしょ!?」
そして、黒い鎧の巨人が近付いているにも関わらず、荒野の真ん中で腰を手に置いて堂々とした様子で黒い鎧の巨人を見つめる鏡に対し、タカコはそう叫び伝えた。
「でっか」
だが、鏡の述べた言葉はそれだけだった。
直後、少しだけ悩んだ素振りを見せて首をコキコキと音を鳴らせて捻った後、タカコの忠告を無視して黒い鎧の巨人の元へと走り出した。
「ちょっと……鏡ちゃん!?」
タカコ以外のその場にいた全員は言葉が出なかった。もう今回の戦いで何度驚かされたかわからない。死に対する恐怖がないのは知っている。それでも、絶対に勝てないであろう圧倒的な敵を前にして、どうしてあんな迷う素振りもなく立ち向かえるのだろうか?
最早、それを知ることに使命感を抱いてしまう程に、その男の行く末……行動の結末から目を離すことなく見届けよう、そう思った。
「全員撤退だぁぁぁああ! 逃げろ! もう俺達がどうこう出来る相手じゃねえ!」
「おい! でも……まだあの野郎が残って!」
「俺達に何が出来る!? 逃げろ! 今は生きることを先決するんだ!」
残り、数百もいないであろうモンスター達の群れを前に、ずっと戦っていたサルマリアの冒険者達は次々に撤退を開始した。それが当然の判断、当然の選択。なのに、サルマリアの方角へと逃げ去る冒険者とは真逆の方向に、徐々に速度を上げて乾いた荒野の大地をまるで疾風が如く駆け抜けて行く。
「おらぁぁああああああああ!」
そして、その疾風が乾いた荒野の大地から跳び上がり、黒い鎧の巨人へと衝突する間際、多くの者が鏡の放った雄叫びを耳にする。その次の瞬間、
「か……鏡さん?」
鏡は、黒い鎧の巨人から遠く離れた場所のタカコ達が立っていた近くにあった大岩へと打ちつけられた。
3メートルはあるであろう大岩は鏡が打ちつけられた衝撃で粉々に吹き飛び、タカコ達の足元に岩屑を転がらせる。
一瞬の出来事だった。鏡が拳を打ちつけようとしたその瞬間、逆に黒い鎧の巨人の拳が鏡の全身を打ちつけていた。
「に……逃げろ…………駄目だ! 勝てねえ! サルマリアは終わりだ!」
「うわ……うわあぁああああああ!」
そして、もしかしたらの可能性を鏡に抱いて残っていたサルマリアの冒険者達が、鏡が倒されたことにより、次々に撤退を始める。気付けば、まだ数百程残るモンスターの軍勢と、黒い鎧の巨人、そしてレックス達だけがその場に残っていた。
「終わりね……鏡ちゃんでもどうしようもないんだもの。ここにいる冒険者達だけじゃどうあがいても無理よ」
「そんなことより鏡さんを!」
そう言ってクルルが鏡の元へと駆け寄ろうとするが、クルルが行くよりも早く、鏡の身体についた砂埃を払い、持ち運んだポーションを口元へと運ぶアリスの姿があった。
「鏡さん……鏡さんっ! しっかりして!」
「っ……アリス。危ないから……下がってろって、言った……だろ?」
「この程度の危険、鏡さんの危険に比べたら平気だよ。皆逃げちゃったけど……僕は逃げないから安心してね。最後まで一緒だよ」
目を半開きにしか出来ない程に弱っている鏡に対し、アリスは安心させるかのように微笑みかける。だが、鏡には自分を支えるアリスの手が震えているのがわかった。
「無理するなよな。震えてるぞ?」
そして鏡が安心させるかのようにアリスの頭に手を置いてそう言った瞬間、鏡の口の中にポーションの瓶が、遅れて近付いてきたクルルの手によって強引にねじ込まれた。
「震えてるぞ? じゃないですよ。アリスちゃんは鏡さんが無茶するから心配で怖くて震えてるんです……どうしてわからないんですか?」
そして同じく、心配そうな表情でクルルがそう呟き、予想外の言葉に鏡は視線を泳がせるが直後、鏡の表情は一瞬にして険しくなり、ある一点の方向に視線を向けた。
『……素晴らしい回復力だな。あれだけのダメージを受けてもう動けるまでになっているとは、それに耐久力、速度、力、どれも素晴らしい。どうして予定が狂い、サルマリアの冒険者達がああまで踏ん張れたかの理由がようやくわかったよ。最初……そこにいる勇者が奮闘したのかと思っていたが……君の力だったか』
そこには、メノウと同じく貴族の正装のような服装を身に纏い、サーコートのようなマントを羽織った長身の男性が空中に浮いて鏡を見下ろしていた。
アシンメトリーで右眼を覆い隠した黄緑色の髪型で、まだ若いのか、人間の年齢で二十代くらいに見える。そしてその頭には、魔族の証である角がしっかりと生えていた。
「エステラー……様?」
次の瞬間、空中に浮かぶ魔族の男を見て、驚愕の表情を浮かべたメノウがワナワナと震えながらそう呟いた。