24 本当の意味での布石
将来に備えて行う手配りの事を、『布石』という。
時は前日の夕方に遡る。
王立学園貴族寮にある、王都の一流レストランもかくや、と思われるほど豪華絢爛な食堂の個室で、王立学園1年Aクラスの親睦会が開かれていた。
主催者は、フェイルーン・フォン・ドラグーン。
この由緒あるユグリア王国に、9家しかない侯爵領の一つ、ドラグーン家を将来背負って立つと目され、当主とその跡継ぎにしか認められていない『フォン』を名乗ることを許されている、超才媛だ。
ここにいる人間は、別に慌てて懇親する必要など無い程度には、お互いの事を見知っている。
だが、彗星の如く突如現れたその男の正体を握っていると思われる彼女が、このタイミングで開催する誘いを欠席するほど愚鈍な人間は、王立学園のAクラスにはいなかった。
参加者は、1年Aクラスの内、その男とパーリを除く18名。
パーリは、貴族寮の受付に、その男が現れないかを、フェイの命令に従い見張っている。
今夜の議題を話す上で邪魔だ、と判断したフェイによって、体よく厄介払いされた可哀想な男である。
ちなみに、この中にも実家から学園に通う予定の生徒もいるにはいるが、王立学園のDクラス以上の在学生であれば、この食堂はやはり破格の値段で利用可能だ。
お決まりの社交辞令を交わし、お互いAクラスでの合格を讃えあった後、本日のメインテーマに話が及ぶ。
そう、アレン・ロヴェーヌに関してだ。
「フェイから聞いていた通り、なかなか面白い子だったわね」
後ろで束ねた深紫の髪を、左肩から前に垂らせている女子学生、ケイトが、フレームの細い眼鏡を押し上げながら言う。
委員長風、と形容するのが一番しっくりくる容姿だろう。
「なかなか面白い、なんてものではありませんわ。
たった1日、挨拶とオリエンテーションだけで、同世代の男性にあれほどの存在感を見せられるだなんて」
黄色の強い金髪を、真っ赤なヘアバンドで押さえたジュエがクツクツと笑う。
「全くだ。
フェイが『面白い子を見つけたよ』、なんて軽く言うから、可哀想に、またフェイの実験道具になる奴がいるんだな、なんて聞き流してたら…」
ピンクの髪を、ツインに分けて束ねているステラが、面白くなさそうに相槌を打つ。
事前に知らされた情報不足を糾弾しているらしい。
この3人だけは、事前にアレンの事をフェイから聞かされていた。
だが、フェイ自身も、まさかアレンがAクラスに、しかも実技試験でS評価を獲得して同じクラスになるとは全く予想しておらず、大したことは何も話していなかった。
そこで、生まれながらの社交性の鬼、アルが、男子学生を代表して話に加わるべく、口火を切った。
「フェイは、どの程度アレンの実力を把握しているん――」
だが、この切り込みは、ステラによってかき消された。
「そんなことより、実際のところ、ど、ど、どこまでいったんだ?
ろろろ、6時間も虜にって、あいつはそんなに凄いのか??」
「「きゃー!!」」
女子学生から悲鳴が上がる。
話はいきなりドストレートなシモに流れた。
根性なしの男子は、アルを含めて全員が下を向いた。
この場の主導権は完全に女子が握ったと言えるだろう。
別にそうなるようにステラが計算したわけではない。
ただ単に、皆が気になるお年頃であり、裏でするシモの事情聴取は、女子の方が積極的かつ露骨であるという、古今東西の一般常識に則っただけだ。
「確か、ドラグーンから王都への直通列車でお知り合いになったって話でしたわよね?
自室には付き人がいたでしょう??
いったいどこでそんな事に?!」
「「きゃー!!ふけつー!!」」
ジュエのツッコミに、再び悲鳴が上がる。
その後も女子たちは、入れ替わり立ち替わり妄想を爆発させては、悲鳴を上げ続けた。
男子はその間、俯いたままである。
一通り盛り上がった後に、フェイが白状した。
「盛り上がってるところ悪いんだけど、実はまだ仕留める糸口も見えていないんだよね。
見ていたら分かると思うけど、全然相手にしてくれなくてさ」
「…まぁ、そうでしょうね。
フェイにいいようにからかわれて、真っ青になったり真っ赤になったりしていた彼は、どう見てもDでしょう」
一見、委員長風だが、先程までキャーキャーと一番大きな声で盛り上がっていたケイトが、途端に落ち着きのある声で答えた。
どうやら叫びたかっただけらしい。
ケイトの偉そうな分析に、女子全員が尤もらしく頷いたが、この世界でもこの年齢では未経験が当然と言える。
背伸びしたい年頃なのだ。
ちなみに、アレンは、前世も含めた都合48年、筋金入りのDだった。
◆
「皆をわざわざ集めたのは、アレンの推薦について、どう考えているのか把握しておきたくてさ。
僕も家の名前を出したからには、負けられないしね」
フェイはニコニコと笑いながら、皆を見回した。
「どう、も何も、自己紹介であれだけクラス全員の度肝を抜いたんですよ?」
歳の割には豊満な胸部の下を左腕で抱え込みながら、ジュエはくつくつと笑いながら右肘を折り曲げて唇を触った。
「しかも、あの『仏のゴドルフェン』が、国の危機を引き合いに出して、推薦を集めて直に陛下に推挙して許可を取ってくる、なんて言っている。
その上、ドラグーン家が露骨に後ろ盾として立とうとしている状況なんだ。
逆にあたしらには、あいつを無理して排除する理由なんて何もない。
負ける要素なんてないだろう」
一見、脳筋風のツインテール、ステラが冷静に指摘した。
性格はさっぱりしているが、ステラも頭はキレる。
ゼネラリスト育成を標榜するこの王立学園、しかもAクラスへ入学する人間にバカはいない。
「普通に考えたらそうなんだけどね。
アレンはちょっと僕にも読めないところがあってね。
不確定要素はできるだけ潰しておきたいんだ?」
フェイは、ここまで一言も発せずに黙っていたライオを見据えた。
ライオはため息をつきながら答えた。
「見損なうな、フェイルーン。
あいつの生き方とやらは理解不能だが、個人の感情と、推薦の件を混同するほど俺は間抜けじゃない。
ゴドルフェン翁を始めとして、全試験官が満場一致で実技試験トップ評価を下すほどのやつだ。
元より才能ある学友と切磋琢磨して、己を高めるためこの学園にいるこの俺が、奴を除外する理由など無い。
ただし、ザイツィンガーを出して推薦するかどうかは、一度手合わせをして、この目で確かめてから決めるつもりだ」
「そうだな…、アルとココへの自己紹介で、ある程度、知性の深さも見えているしな。
俺は今日1日のやり取りを見ただけで、不正をやって何とか潜り込んだ奴ではないと確信しちゃってるよ」
後に、アレンとともに、『Aクラスの凡顔三兄弟』の一翼を担う事になる、ダンも賛同した。
「ちょっと頑固そうだけど、いい奴そうだしな」
後に、アレンとダンとともに、『Aクラスの凡顔三兄弟』の一翼を担う事になる、ドルも賛同した。
ココはコクコクと頷いた。
「みんないいかな?
じゃあ、明日の朝一でゴドルフェン先生へ推薦にいってくれるかな。
家名を出すかどうかは任せるからさ」
「明日の朝一だって…?
ここまで根回しも終わっているんだ。
そこまで急ぐ理由が何かあるのか?」
困惑するクラスメイトを代表して、アルが聞いた。
フェイは困ったような顔で答えた。
「うーん。
これは僕の勘なんだけどね。
アレンはAクラスでの合格なんて、どうでもいいと思っていると思うんだよね。
…もしかしたらEクラスの方がいい、なんて思っている可能性すらある」
その言葉に、クラスメイト達は絶句した。
どれほどの良家に生まれようと、王立学園受験は決して甘くない。
才能に恵まれた一握りの人間が、血の滲むような不断の努力をして、やっと掴み取れるかどうかの快挙だ。
さらにその中でもAクラス合格など、ザイツィンガーや、ドラグーンほどの家でも100年に1人出るかどうか、それ以下の家では歴史上皆無、というのが当然と言えるほどの栄光だ。
そして、その栄光に相応しいだけの、途轍もない見返りが約束されている。
「ははは。
俺は今朝の合格発表では、家族みんなと抱き合って、涙を流しながら喜んだんだけどな」
アルが沈鬱な表情で呟いた。
「アレンはちょっと、違う次元で生きている感じがするんだよね。
初めて会った時も、ドラグーンの名前を名乗ったら露骨に嫌な顔をしていたし。
不正なんてしていない、僕はそう思っているのだけど、それで大人しく引き下がったのも『らしく』ない。
…きっとアレンにはどうしてもやりたい事があって…
それが何なのかは分からないけど、それを成すために必要なら、きっと戸惑いなくAクラス合格を蹴るよ」
「失礼致します」
と、そこで、どう見ても一流レストランのウェイター風の、食堂の職員さんが入室してきて、一枚のメモをフェイに渡し、恭しく礼をして出ていった。
「ぷっ」
フェイは手元のメモを見て楽しそうに笑った。
「オリエンテーションが終わった途端に慌てて帰るから、うちの人間を使って、アレンの事を見張らせていたんだけどね…
アレンは真っ直ぐ一般寮に向かったみたいだよ。
すでにAクラスには未練はないみたいだ」
この王立学園には、たとえ付き人の類であっても職員もしくは在校生でないものは入れない。
なので、外の人間が情報を伝えたい際は、手紙を門の守衛に託けることになる。
ちなみに、この貴族寮にはあらゆる類の家事代行サービスがただ同然の値段で完備されており、良家の子女でも生活に困る事はない。
「あんにゃろう、あたし達の事なんて眼中に無いってか」
ツインテールのステラが悔しげに言った。
全員が苦々しい顔をしている。
将来の確かな栄光を掴み取った、その夜とは思えないほど、沈鬱な雰囲気だ。
「パーリは僕が何とでもする。
残りの1年Aクラス全員が全力で捕まえに行くよ。
わかっていると思うけど、今日の話し合いのこと、推薦した事は黙っておいてね。
出来れば、自分は嫌われてる、と思わせておくくらいが丁度いい。
アレンが油断しているうちに、1日で決める」
ネコ科の肉食獣を思わせる獰猛な目を光らせて、フェイは締め括った。
こうしてアレンと、可哀想なパーリ君を除き、1年Aクラスは、1日で団結した。
ちなみにアレンは、その時裏門の近くに美味しい蕎麦屋を見つけて上機嫌でいた。
アレンが美味そうにざる蕎麦を啜っている間に、勝負はすでに決しようとしていた。
「…彼のDは、私が貰い受けます」
ジュエが宣言した。
「「きゃー!!宣戦布告ぅ〜!!」」
「ちょっと待った!」
「「きゃー!!」」
…夜はふけていく。