第4話 クリミナル・マインド
気分は犯罪者だった。というか事実、犯罪者だった。
正義の味方である十五歳の少女の下着を覗き、その後三十秒間にわたり抱きつくという猥褻行為を働いた、犯罪者である。
そこまではまだいい(よくない)。
──問題はその少女が、俺の推しだったということだあああああああ!!! Yes!推し,No!タッチだろうがああああああ!!!
いくら推しの敵になったとはいえ、やって良いことと悪いことがある!
これではドルオタ高じてストーカー行為に及ぶ犯罪者と変わらないじゃないか……!
「おお、推しよ……! どうか卑しき我が身に天罰を……!」
無事(?)に陽動を終え、いつの間にか辿り着いていたCafé・Manhattanの片隅。
そこで俺は机に頭を打ちつけ続けていた。
あまりの不審者ぶりに、来店時は「おとといきやがれぇ〜」と温かく迎えてくれた店主のユイカさんも、今では絶対にこちらを見ようとしない。
と、そんな地獄に、蜘蛛の糸が垂らされたかのように店のドアが開いた。
「──アレはなに……?」
開口一番、その来客──クシナは引き気味に店主へ問う。
口を真一文字に結んだまま、ぷるぷると首を振るユイカさん。
どうやら嘘でも「わかるよぉ」とは言いたくないらしい。
「はあ、まったく……」
クシナは呆れ混じりのため息を吐くと、すっとこちらに歩み寄り、
「ほら」
そう言って、顔を背けながら──両腕を広げた。
「……え?」
「ん」
やや頬を赤らめて、こちらに何かを促す幼馴染。
「い、いつものでしょ……はやくして……」
いつもの……?
そんなハグ待ちみたいなポーズでなにを……──あ。
『接触』の支払いか……!
「あ、ああ! そう、いつものね!」
どうやら彼女は、俺が代償の「人に抱きつけ!」という強迫観念に抗って奇天烈な行為に及んでいると思ったようだ。
さすが付き合いの長い幼馴染。
いつもなら、あながち間違いでもない。
──いつもならね!
しかし今日の俺は犯罪者なので、払う代償はもうない。
だが、ここで断って「どこの誰にツケを払わせた?」となっては終わりである。
後ろめたいことがある俺は慌てて立ち上がり……ぎゅっとクシナを抱きしめた。
「んぅ、今日はつよいのね……」
「…………うん」
いつもと違って代償抜きで自発的に抱きつくのは結構、その、感触が違うと言いますか……。
支払いで頭がいっぱいになっている普段では分からない、クシナの息遣いとか熱とか柔らかさとかをもろに感じてしまう。
同時に頭の片隅に、自らの業の深さが渦巻く。
別の少女に抱きついて代償を支払った上、それを隠すためにただ意味もなく幼馴染を抱きしめている。
なんでこんな浮気を誤魔化すクズ男みたいな真似を……。
罪悪感から逃れようと周囲に目を向けて──目が合った。
「ぁ……ぇ、え?」
この世界の女性らしく、頬を上気させて口元を押さえる、初々しいユイカさんと。
目を回す店主のお姉さんを見て、逆に俺は冷静になった。
客観的に今の自分を見てみよう。
カフェで「いつもの」とか言いながら美女と熱烈に抱き合──あ、ダメだこりゃ。
♦︎♢♦︎♢♦︎
どうも、「犯罪者」兼「不審者」兼「クズ男」兼「バカップル」です。
聞いて驚け、ここまで全部、今日一日で起こった出来事。
「近所のお兄さん」とか遠き日の称号だ。
さすが『わたゆめ』第一話、話の濃さが違うぜ……ははっ……。
「あ、代償か〜。そ、そうだよね〜」
Café・Manhattanの奥まったテーブル席にて。
まだ少し火照った頬を手で仰ぎながら、ユイカさんがぎこちなく笑った。
相槌なら嘘をつかずとも喋れるんだなー確かに相槌に嘘とかないしなー、と現実逃避気味な考えが頭をよぎる。
「後払いで他人を巻き込む、傍迷惑な代償よね」
落ち着かない俺たちをよそに、クシナが澄まし顔でコーヒーを口にする。
が、隣席の彼女は時折もじもじと脚を擦り合わせていた。
内心、羞恥に悶えている証拠である。
対面のユイカさんはそれに気づいた様子もなく頷いた。
「楽そうだね〜……」
本当は「大変そうだ」と言いたいのだろう。
それでも常に嘘を強要されている彼女の前だと、言葉通りに受け取りたくなる。
「ユイカさんよりは楽ですよ。人に触れさえしなければ、半日くらいは我慢できますから」
彼女は困ったように眉を下げた。
……元々隠しているわけでもないし、この人ならいいか。
「《分離》。それが俺の天稟です」
出し抜けにそう言うと、ユイカさんは丸くて大きな目をぱちくりと瞬いた。
それから胸の前で両手を合わせ、にこぉ〜っと嬉しそうに微笑む。
「ありがとう〜!」
天稟が個人情報とは言え、感覚的には身長や体重に近い。
痩せていて自信があれば喋るし、太り気味で隠したければ他言はしない。
一目見れば大体どのくらいか分かる身体的な特徴と同じで、天稟だって人前で使えば大雑把にはバレる。
わざわざ隠すのなんて天稟が生命線で、後ろ暗いところのある悪い奴ら──そうです、僕らです──だけだ。
けれど、それを明かすということは間違いなく信頼の証なのである。
「でも〜……ブンリって、分離?」
ユイカさんが合わせた両手をパッと離しながら、小首をかしげる。
「そうそう、その分離です。“天啓”によれば《接触している二つの物体を引き離す天稟》だそうですよ」
「それはぁ、便利な天稟じゃない?」
「そうなんですよね。問題は発動条件で、『二つの対象の視認』が必要なんです」
「ん〜っと……」
頬に人さし指を当てがって悩むユイカさんを見て、黙していたクシナが口火を切った。
「例えば」
彼女は自分が飲んでいたコーヒーカップを前に押し出す。
「このカフェラテ、コーヒーとミルクで出来ているわよね?」
「あと甘党のクシナちゃんのためにたぁっぷりの蜂蜜ねぇ」
「…………それは今はいいのよ」
ちょっぴり耳を赤くしたクシナは「そんなこと態々言わなくていいでしょ」と悪態をつく。
「それで〜?」
「……。貴女はこのカフェラテのコーヒーとミルクをそれぞれ視認できるかしら?」
「できないわぁ」
「ん、それと同じ。イブキが認識できないものは対象外なのよ」
「へぇ、意外と厳しい条件なのね〜」
「言葉以上に面倒なんですよね」
完全に説明をクシナに丸投げしていた俺はぬるっと会話を引き継ぐ。
有能な幼馴染がジトッとした目でこちらを見てくるが無視した。
「そもそも見えないほど遠くのものは無理ですし、カメラ越しの物体とかも無理です」
「となると〜……」
「基本的に目の届く範囲の固体にしか使えません。しかも……」
俺は先ほどから説明に使われているカップを視た。
天稟を発動すると、木製の長机に置かれているそれが浮かぶ。
──極々僅かな時間、極々僅かな距離だけ。
「…………」
ユイカさんは絶妙に微妙な表情を浮かべた。
そんな表情にもなるだろう。
なにせ傍目には、コーヒーカップがことり、と音を立てたようにしか見えない。
「え、え〜っと、でもぉ──」
「あらかじめ言っておくと、カップの取手を本体から分離させることもできませんよ。俺が『取手も含めて一つのカップである』と認識していますから」
「…………」
「いいんですよ!『粗大ゴミの解体にすら使えないとかw』って笑ってもらっても!!」
「そ、そこまではぁ……」
俺の勢いに身を引いたユイカさんが頬に手を当て、目を逸らす。
汎用性が低い上に、攻撃力は皆無。この攻撃手段の無さでどうやって戦う気だったんだろう原作のイブキくん、というレベルの弱天稟だ。
「で、でも、よく天翼の守護者相手に捕まらなかったねぇ」
ユイカさんが誤魔化すように微笑んだ。
「ああ、《分離》を応用して逃げ回ってただけですよ」
「応用……?」
「はい」
俺は気を取り直して背筋を伸ばす。
「この《分離》には二つのプロセスがあるんです。最初に、一方の対象が持つエネルギーをゼロにすること。次に、二つの対象間に僅かな空間を生むこと、です」
机上のカップならば、万有引力とかの力学的エネルギーを一瞬だけゼロにする。
同時に両者の間に一ミリにも満たない空間を生み出す。
その結果、カップがちょっとだけ机と分離する。こんな感じ。
「ビルから飛び降りてたのは〜?」
「一つ目の応用です。激突の瞬間に落下のエネルギーをゼロにしたんですよ」
「え、え? あの、カップを浮かせるくらいのちょお〜っとの発動時間で……?」
「〇・一秒でもタイミングをミスると普通に潰れますね」
「うそぉ……」
嘘吐きに嘘って言われた……。
ふと気付く。
「あれ、なんで俺がビルから飛び降りてたの知ってるんですか?」
「え〜? 普通にラジオだよ〜?」
「ラジオ……?」
そんな詳細に分かるものか?と首を傾げる俺に、ユイカさんは店の片隅を指差す。
その指の先、天井付近にごく一般的な液晶テレビが据えられていた。
「ああ、ラジオじゃなくてテレビか……。へえ、天稟絡みの事件の中継とかもやってるんですね」
「うん。まあ今回は二人が速すぎて途中でついていけなくなったんだけどぉ──って、知らないのぉっ?」
驚愕まじりの声をあげるユイカさん。
クシナが肩を竦めて言った。
「イブキ、眼に悪いからって電子機器にまったく触れないのよ」
「あはは、俺の天稟は眼が悪いと話にならないので」
「やりすぎだって言いたいんだけどね」
体質なのか知らないが、俺は昔から眼が異常に良かった。
静止視力に伴って動体視力も常人離れしている。本気で集中すれば、通過する電車の乗客一人一人の特徴を余裕で細かく見分けられる程度には。
「そのおかげで高い所から飛び降りても着地の瞬間に《分離》できてますから」
「ほぇ〜……」
眼の良さ=生命線と同義である以上、やりすぎってくらいで丁度良い。
「とにかく、そういうわけで《分離》と『接触』なんですけど……クシナとここで代償の支払いを済ませることもあると思うんで、その時はよろしくおねがいします」
「い〜え〜」
ユイカさんは「お断りです」とも「お気になさらず」とも取れる器用な嘘で返事する。
慣れてるなあ、と思いつつ補足。
「まあ、今日ほど強いことはそうそう無いと思いますけどね」
「まったく、もう」
「昔から助かってるよ。ありがとう」
「ふん、いい迷惑よ……」
唇を尖らせ、ふいっと顔を逸らすクシナ。
しかし何を思ったか、ふとユイカさんの方へと目を向ける。
そして彼女の目がじいっと自分を見つめていることに気付いてビクッと肩を跳ねさせた。
……ふむ。
「ひょっとしてユイカさんの異能って《嘘を見破る》とかですか?」
「すっご〜い。大ハズレだよぉ!」
うん。大正解らしい。
彼女の代償は『嘘しかつけない』、つまり『真実を言えない』だった。
天稟はその反対で、あの様子だと嘘が視えるのだろう。
「やっぱり、そうでしたか」
「──って、ちょっと待ちなさい。なんで今ので気づくのよっ!?」
「なんでだろうね〜」
「う、嘘なんてついてないわよ……っ」
「ユイカさん」
「本当だよ〜」
「嘘だってよ?」
「嘘じゃないからっ」
もはや嘘なんだか本当なんだか分からない会話を繰り広げる俺たち。
一人は男だが姦しい話し声が響く店内に、
──カランカラン。
新たな客が、呼び鈴の音とともにやってきた。