7・被害者だけど、処分を甘んじて受けましょう
兄は慌てて廊下に出て、近くで待機していた私の側仕え達を室内に呼び入れた。怪我をして帰って来た私の事が心配だったらしく、痛み止めの薬や湿布薬など、手当ての道具を用意して廊下で待ってくれていた。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「お前たち、この子の着替えを手伝った時、身体のどこかに怪我を負っているのを見なかったか?」
側仕え達は動揺して目を泳がせた。私が着替え終わった後、転んだ事が恥ずかしいから内緒にしてと頼んだせいだ。それでも主に答えなければと一人が代表して怪我の状況を話し始めた。
「あの、お嬢様は、太ももの付け根辺りと肘に青痣が出来ておりました。転んだと仰っていましたが、御召し物の汚れ方が変でした。洗濯の為に広げて汚れを確認したのですが、肩の辺りと、胸からスカートにかけて点々と赤いシミが着いておりましたし、それから、立った状態では踏まれる事は無い場所に薄らとですが男性の物と思われる靴の跡が残っておりました」
「わかった、もう下がって良い」
側仕え達が一礼して部屋を出ると、父は私をソファに座らせてくれた。
「説明しておくれ。誰が、お前に乱暴したのだ?」
「……パーティーが始まった頃、突然殿下に……突き飛ばされて、思い切り床に倒れました。痣はその時に出来たものです。スカートを踏まれていたのは気が付きませんでしたが、靴跡は多分あの時近くに来たエヴァンの物だと思います」
「そうか、エヴァンが助けてくれたのだな」
本当にそうだったら、どんなに良かったか。私はあの時の悲しい気持ちを思い出した。エヴァンが此方へ近づいて来た時、私を庇ってくれると期待してしまった。本当、馬鹿みたい。
「いいえ、私を押さえつけて殿下と一緒に私を責めたの。誰の仕業なのか分からないけれど、サンドラが暴漢に襲われたのですって。それを、嫉妬に狂った私が差し向けたと思い込んでいるの。彼らの主張を聞く限りでは、私はサンドラに数々の嫌がらせをしていた事になっていて、だから手加減なんてしてくれなかった。その都度言ってくれれば無実を証明出来たかもしれないのに、彼らは怒りを蓄積させて、今日のパーティーで衆目の中私を吊るし上げたのです」
父はワナワナと怒りに震えた。娘に暴力を振るった王子は言うに及ばず、親友の子であり、娘の幼馴染として長年可愛がってきたエヴァンの裏切りを知り、言葉に出来ない憤りを感じていた。
おじい様は溜息を吐いたかと思うと、低い声で話し始めた。もっと激昂して、いつもの躾と称した折檻と同じように、杖で叩かれるものと思っていたが、今日はどうにもいつもと調子が違っていた。そういえば、最後に杖で叩かれたのはいつだっただろうか。思えばこの一年ほどは、叩かれた記憶が無い。
「男一人もまともに繋ぎ止められんとは、情け無い。聖女かどうかもわからん平民女に居場所を取って代わられたというのに、お前は指をくわえてそれを見ていただけか。自分の周りで何が起きているのか調べもせんで、濡れ衣を着せられたまま私は知らなかったでは済まされないぞ。お前には危機管理能力が足りんようだな。そんな事では王妃などとても務まらん。明日になれば、心配する振りをした野次馬共がお前の顔を見に大勢ここに詰め掛けるだろう、お前は我が家の恥だ、即刻出て行け。但し、ノリス公爵家の人間と分かる物は何一つ持ち出すな。分かったな、私が明日の朝起きた時にまだ屋敷内をうろついているようならば、問答無用で北の修道院に入れるから、そのつもりで居ろ」
おじい様はそう言い残して席を立ち、ゆっくりとドアに向って歩き出した。北の修道院とは、未婚で子供を宿した女性や、不倫した女性など、世間体を気にして家を追い出された貴族女性が送られる場所だ。
「おじい様! なぜそこまで冷たい事を言うのですか! ラナは今傷ついているのですよ、少しは孫娘に優しくしようとは思わないのですか? それに、金目の物を何も持たずに出て行けだなんて、どこかでのたれ死ねと言っているも同然ではありませんか! 父上も母上も、何とか言って下さい、ラナは被害者なのに、こんなのはあんまりです! 今は父上こそが当主なのですよ? いつまでおじい様の言いなりになっているのです。外に放り出すくらいならば、ほとぼりが冷めるまで屋敷に篭らせておけば良いではありませんか」
兄は私を庇おうと必死に父と母に訴えかけたが、どちらもおじい様には逆らわなかった。母は泣いていて、父はそれを慰めるように肩を抱いて悔しさに耐えていた。
この家では、おじい様が絶対だから。
私の両親は、それこそ父にはおじい様の決めた婚約者が居たにも関わらず、隣国の姫である母が公式行事で訪れた際、父が警護についたのがきっかけで互いに惹かれあい、若かった父は無断で婚約を破棄しておじい様とは激しく対立した。それでも父の選んだ相手が隣国の姫であるお陰で結局はおじい様が折れ、結婚に至ったのだ。おじい様は当時、元の婚約者だった伯爵令嬢の元に頭を下げに行き、その後密かに条件の良い別の男性との縁を取り持ったそうだ。それがあって二人は未だにおじい様に頭が上がらない。
だから両親にしてみれば、自分達のした事が娘の私に返って来たというバツの悪さを感じているのだろう。
私自身も、おじい様に言われた事に反論出来なかった。まったくその通りだったから。殿下が誰を想っていようと政略結婚なのだからと割り切って考えていたし、何ならサンドラを愛人として囲っても構わないとすら思っていた。婚約中だというのに、殿下の気持ちを自分に向けさせようなんて少しも考え無かった私も悪いのだ。
それに、実はサンドラがおかしな行動を取っている所は何度か目撃していた。
インクの件の真相は、私のインク壷をサンドラが手に持って見ていた事が発端だった。それは私が土産物屋で気に入って買ったチープな模造品。本物ならば金貨5枚は下らないアンティークなのだが、彼女は本物だと勘違いして盗ろうとしていたのか、私が戻って来た事に驚いてインク壷を落としてしまい、床に飛び散ったインクごとスカートの裾で覆い隠して誤魔化そうとしたのだ。
私は別に構わなかったのに、彼女は平謝りして誰にも言わないでと懇願し、自分のスカートで床を拭き始めた。私は驚いて掃除道具なら向こうにあると教えてあげたけれど、パニックになった彼女はそれを無視して最後までスカートで拭き続けたのだ。あの時その状況を見かけた誰かが、私がやらせていると勘違いして殿下の耳に入れたのだろうか。
もしかしたらあれが始まりだったのかもしれない。私にやられたと殿下に泣き付けば綺麗なドレスが手に入ると学習したのね。
あの頃の殿下はオドオドするサンドラをからかって、ただ面白がっていた。まだ恋愛感情には発展しておらず、気になる女の子を苛める小学生男子かと思う様な行動だったけれど、婚約者である私にサンドラが苛められていると誰かから聞いて庇護欲を擽られ、お気に入りのおもちゃから、守るべき対象へと変化していったのだろう。
あの翌日、質の良いドレスを身に着けて登校したサンドラを見た時は正直驚いたけれど、それを殿下が買い与えていたとは思わなかった。そんな事をせずとも、彼女には国から多額の支度金を渡されていたのだから、そこから学園に通うに相応しいドレスを何着も仕立てているはずなのだ。なのに、登校初日以外はこれまで通りの質素なドレスで通学していた。国から出たお金は家族に取り上げられてしまっていたのか、それともわざとそうしていたのか。
殿下は人気者になった彼女の心を繋ぎ止めるために、他の男性と張り合うように彼女に尽くし、どんどんのめり込んでしまったのだろう。
なんにせよ、恋心に火のついた男性を振り向かせるだなんて、たとえ私が絶世の美女だったとしても無理な話。そもそもが、おじい様が根負けして婚約を受けてしまったこと自体が間違いなのだ。今となってはそんな文句を言っても仕方が無いけれど。おじい様に圧されたとは言え、最終的に了承したのは自分なのだし、好かれる為の努力を怠ったのが悪いというのなら、この処分も甘んじて受け入れるしかない。
おおかた予想通りの展開で、私はこの堅苦しい家を出る事が出来ると密かに心が踊っているのだけど。
そう言えば、彼女が最初に襲撃を受けたのは殿下に買って貰ったドレスを着て登校した日と言っていたわね。あれはいつの事だったかしら。二度目の時は、私が襲撃犯を逃がしたと言っていたけど、目撃したのがサンドラだけと言うなら、逃がしたのは別人だけど嘘を付いて私に罪を擦り付けたという事か。それは私ではないと、最後に証明したかった。
私はその晩、側仕え達を下がらせて一人で荷造りを始めた。アルフォードの祖母に送られた品だけを、祖母のお下がりの大きな鞄に詰め込んで、最後に下着から何から全てをアルフォードの物に取り替えた。デザインはこの国の物とは違い、飾りが少なくシンプルな物ばかり。どちらかと言えばこちらの方が私の容姿には似合っている。
夜も空けきらぬうちに大きな鞄ひとつを持って、使用人達が使う通用口から外へ出ようとそこへ向った。タイミング良く食材の買出しに行こうとしていた下働きを見つけ、荷馬車に同乗して町まで運んでもらう事にした。中央広場で別れた彼は昨夜何があったのかまだ知らされていなかったようで、こんな早朝からどこへ行くのかと不思議そうに尋ねてきた。
私はそれに対し、ちょっと隣国の祖母に会いに行くと嘘をついた。貴族令嬢がたった一人で、従者や護衛も連れず、家の馬車も使わずに旅をするなんて有り得ないのに、新入りだった彼は素直に「お気をつけて」と送り出してくれた。
私の部屋には、「ごめんなさい」と書いた手紙を一枚置いてきた。居場所を明かすつもりは無いけれど、せめて兄には元気にしていると知らせるだけの手紙は出そうと思う。
あの悪夢のような創立記念パーティーから、早いもので一ヶ月が過ぎようとしている。
私が王太子殿下に婚約破棄された事は瞬く間に世間の知るところとなり、私の消えた翌日、ノリス公爵家は大変な恥をかかされたと王家に猛抗議した。国王と王弟殿下からの謝罪の言葉はあったが、当の王子からは何も言っては来なかった。その為、謝罪の品として国宝級の宝石を送られても、家族の怒りは少しも収まらなかった。
表向き、私はショックで体調を崩し、回復を待って修道院に入れられた事にされたのだが、おじい様の言った通り、あの翌日、私を嫌う同年代の従姉妹達や、普段あまり付き合いの無い遠い親戚などが屋敷に詰めかけ、様子を見に来ていた。当然、来た所で私に会えるはずも無く、今は臥せっていて会わせられないの一点張りで追い返した。そのせいなのか、本当は捨てられたショックで自害したのだと、まことしやかな噂が流れてしまっていた。
私は後日、兄宛にアルフォードのおばあ様経由で元気に暮らしているという内容の手紙を出した。これで、家族は私がアルフォードに居ると思うだろう。私の良き理解者であるおばあ様には、全て事情を説明してある。居場所を知っているのもおばあ様だけ。
あの後、あの二人がどうなったかと言えば。
私の予想に反して、サンドラに聖女の力が現れたとして、一週間前に都では三日に渡り盛大な祭りが開催された。フレドリック王子との熱愛は美談として語られ、サンドラは正式に王子の恋人として傍らに寄り添う事を許された。
あの騒動の後、ヒューバートは希望通り第二王子の側近候補から外れ、第一王子ウィルフレッドと同じ学校に編入し、殿下の身の回りの世話係から再出発していた。