77・疑いの目を向けられて
リアム様は眼鏡を外し、私に探るような視線を向けた。
なぜかしら? ウィルフレッド殿下と同じその青紫の目で睨まれると、なんだか悲しい気分になってしまう。
ある意味、この方達とは敵対関係にあると言って良いフレドリック殿下が、ウィルフレッド殿下の関係者の定宿にたまたま来るなんて偶然、本来ならありえない事だ。
この広い王都内には、宿屋の数は大小合わせるとかなりの軒数があるというのに、その中から、私の営むこの小さな宿屋になど、何の理由も無く訪れるはずがないと思うのが普通だろう。
自分がもしリアム様の立場なら、私があちら側と通じ、何かしらの情報を流していると勘ぐってしまうに違いない。
ただし、その為にわざわざ殿下ご本人がここまで来るのかという疑問も残る。これで殿下の側近が来たという事ならまだありそうな話だけれど、実際に殿下の側近であるエヴァンが何度も来ているという想定外の事態が起きてしまっているのだ。
そういえば、その事をリアム様に伝えるのをすっかり忘れていたわ。だって一時期、ただ毎朝おにぎりを買いに来ていたというだけなのだもの。
あの頃は、リアム様達の出て行く時間が、おにぎりの販売開始時間よりも早かったおかげで、一度もエヴァンと鉢合わせるという事が無かったのよね。
「フレドリック殿下がこの宿にいらっしゃったのは、今日が初めてです」
私はリアム様に真剣に向き合い、やましいことなど何も無いという事を態度で示した。
「そうか、私が宿に戻る途中で、ドアの前に立つフレドリック殿下の姿が見えたので、離れた所から様子を見ていたのだ。こうして変装したとはいえ、ご兄弟であるウィルフレッド殿下に良く似た私は、出来るだけあの方に接触しないように気をつけなくてはならないのでな。それで、あの方はここへ何をしに来た?」
なるほど、私がリアム様を見失ったのは、そのせいだったのね。路地を入ってすぐ忽然と姿が消えたから、誰かに追われているのかしら、なんて考えてしまったけれど。そうじゃなくてよかったわ。
「フレドリック殿下は、どうやら私に興味を持ち、お忍びで会いに来たようなのです。しかし私は丁度用事があって外に出ていましたので、宿の者達が対応し、今日のところはお帰りいただきました。恐らくは明日以降、またいらっしゃるのではないでしょうか」
「女将に興味を? どこからあなたの存在を知ったのだ?」
どこから……話すと長くなるわね。なるべく短縮して、要点だけお伝えすれば良いかしら。
「実は、この部屋の植物達を購入するために、西門の外の市場まで出かけたのですが、そこで私が人攫いに遭い、その犯人を追っていたフィンドレイ様に保護されました。フィンドレイ様はその事をフレドリック殿下に報告し、それがきっかけで殿下は私に興味を持ったらしいのです」
簡単に言えばこういう事。
「何? 人攫いに遭っただと? 一体どこで? 西門の外の市場と言う事は、オズロの町か? 迷路のように入り組んだ町並みの……。あそこの治安はあまり良くない。たしか旅行中の女性があの町で何人か行方不明になっていたな。危うく女将も行方不明になってしまうところだったのか」
「その事件の犯人と、それを指示していた男は、その時逮捕されました。その犯人は、聖女を襲撃した男達だったようです。フィンドレイ様がそのような事を仰っていました」
「聖女襲撃の……? そうか、そんな事があったとは知らなかった。女将も災難だったな」
「ええ、まったく」
話がそれてしまった。
私はエヴァンがこの宿に来るきっかけになったチヨの話をして、それから何度もおにぎりを買いに来ていた事、またこれからも食事をしにくると言っていた事をリアム様に伝えた。
「そんなに前から側近が出入りしていたとはな。我々の出入りする時間と、エヴァンの来る時間帯が被らないようだし、他の意図も無いというなら、しばらくは様子を見よう。しかし、フレドリック殿下が女将に興味を持つのはいただけない。もしも殿下に求められれば、逃げる事は難しいだろう。しばらくは身を隠してはどうだ?」
その提案には、はい、とは言えない。私が隠れても、チヨ達が困るだけなのだから。
「それはできません。きっと隠れても何の解決にもならないでしょうから。どうにかしてフィンドレイ様と連絡を取って、殿下の暴走を止めていただこうかと思っています」
「ああ、それが良い。側近も連れずに単独行動をしていると分かれば、側近達は必ず動いてくれるだろうしな。女将、一瞬でも疑ってすまなかった。あのイヤーカフを付けていない状態であったし、万が一を考えてしまったのだ」
「いいえ、当然の事ですわ」
王太子がウィルフレッド殿下に決まっても、それで終わりではないのだもの。
今回のフレドリック殿下のように、何かの理由でその座から降ろされてしまう事だってありえるわ。
フレドリック殿下の場合は自滅しただけだったけれど、ウィルフレッド殿下の足を引っ張ろうとする者は、どこに潜んでいるか分からない。
その座を盤石なものとするためには、力のある家から伴侶を迎えるべきだと思うけれど、あの方には、これまで浮いた噂ひとつ無いのよね。
結婚相手の候補ならば、今はいくらでも居そうなものだけれど。
本来ならば、私が一番その役に見合う立場ではあるけれど、かつて私の元に来ていたという縁談は、フレドリック殿下と婚約した時点で消滅しているし、既に修道女になった事にされている私には、もう関係の無い話よね。
大体、あんな事をしておいて、あっちは駄目だったから、今度は第一王子の婚約者に、なんて話を、散々迷惑を掛けられた私に対して、良識ある王家が持ち込んだりするわけ無いわよね。
それにしても、どうやってエヴァンと連絡を取ろうかしら? こんな時ばかりは、早く来てと願ってしまうわ。
「そうだ、女将にお礼の品を持ってきたのだった」
リアム様は、今日、休暇を潰してまで自分達の為に変装道具を用意してくれた私へのお礼だと言って、小さな箱を渡してきた。
私はまさか、また守り石かと思って身構えてしまった。
「あの、お礼ならフレッド様から頂きましたから……」
「それとは別だ。私からも受け取ってほしい。イヤーカフの加護は消えてしまったから、代わりになるものを用意した。仕事の邪魔にならないよう身に付けておくと良い」
箱を開けると、中に入っていたのは、綺麗な青い紐に、白いビーズのような石が一つ付いたお守りだった。きっとこれも、加護のまじないが掛かっているのだろう。
どうやら高価な物ではなさそうだし、これは素直に受け取る事にした。
「ありがとうございます」
「フレドリック殿下の件、こちらでも対処を考える。あの方には、この宿に来る暇があるのがいけないのだろう」
リアム様はそう言うと、ニコッと笑って自分の部屋に帰っていった。
さて、夕食の支度をして、シン達を待ちましょう。エヴァンを頼りにしても駄目だった場合の事も話し合わなくちゃ。