第90話 片田舎のおっさん、初日を終える
グレン王子がいきなり予定にない店に立ち寄る、というハプニングはあったものの、その後は滞りなく御遊覧が進んでいった。
「うん、美味しい」
「うふふ、お口に合ったようで何よりです」
予定していた飲食店で、レベリス王国の調理人が腕によりをかけた料理に王子が舌鼓を打っていたり。
ちなみに俺たちも同じ店で昼食を取った。お肉が美味しかったです。
「へえ、こんなに多様な魔装具は初めて見たかもしれません」
「最近は魔鉱石の採掘も進んでいますから」
西区で立ち寄った店で、魔装具に感嘆の声を漏らしていたり。
その時の俺はぼけーっと魔装具を眺めながら、フィッセルならどんな反応をするのかなあ、なんて考えてました。
まあ、そんなこんなで初日の予定は恙なく消化されていった。
最初に感じた不穏な視線も、以降は鳴りを潜めていて、その点でも安心して護衛の任に付けたと思う。
あれは本当に俺の勘違いだった可能性が高いな。やっぱり少しナーバスになっていたのかもしれない。
「サラキア王女、本日はありがとうございました」
「いえいえ、私も楽しかったですわ」
で、一通り街を見て回り、今はこうやって王宮前に帰ってきたところである。
サラキア王女とはここで別れ、グレン王子は同じく北区にある、貴族の別邸に泊まる予定となっている。そこまで護衛して、俺たちレベリオ騎士団の初日の任務は終了となるわけだ。
俺としては、ほとんど馬車の中で座っていたから思ったより疲れていない。精神的な疲労は多少あるものの、これから訓練をします、と言われても対応できるくらいには、まあ元気であった。どっちかって言うと、座り過ぎてケツが痛いくらいである。
「うっし、そんじゃもう一仕事しますかね」
ガトガがその大腕をぐるりと回し、一言呟く。
ここまで来たらほとんど終わりみたいなもんだが、それでも気を抜くわけにはいかないのだろう。何より御遊覧は今日だけではない、明日以降も続くのだ。
王女との挨拶を終え、王子が再び馬車へと乗り込む。
王宮から貴族の別邸までは、そう距離があるものでもない。日は少し西の方へと傾いているが、このペースなら日没前には俺たちもそれぞれの家に帰れるだろう。
さて、それじゃ俺ももうひと踏ん張りしますかね。とは言っても馬車の中で、なんですけどね。
「――皆さん、今日はご苦労様でした」
「いえ、過分なお言葉恐れ入ります」
で、そんなに時間が過ぎ去ることもなく。至極順当に、王子様を貴族の別邸までご案内することが出来た。
グレン王子から労いのお言葉を頂き、アリューシアがそれに答える。
「明日もまた、よろしくお願いします」
「はい。国の威信にかけてお守りいたします」
最後に明日について少し触れ、王子ともここで別れる。さて、あとは帰るだけだな。
しかし、最初のお茶目を除けば礼儀正しく素直な王子様だなあ。
王族というともうちょっと自分勝手というか、横暴なイメージをどこか抱いていたが、サラキア王女といいグレン王子といい、こうやって触れる限りは実に良い人であった。
皆がこんな良い人なら、国も豊かになって然るべきなのかな。それともやっぱり、俺なんぞの小市民には予想もつかない悪辣や陰謀が渦巻いていたりするのだろうか。お偉いさんたちのことは俺にはとんと分からないや。
「じゃあ、また明日な」
「はい~。皆様も御機嫌よう~」
そしてここで、ガトガやロゼといった教会騎士団の面々も離脱。
そういえば彼らはどこに泊まるんだろうか。まあそこら辺は流石に手配されているか。俺が心配することでもないだろう。
「では先生、ヘンブリッツ、戻りましょうか」
「はっ」
「ああ、そうだね」
アリューシアの声に倣い、俺たちも一度騎士団庁舎へ戻るとしよう。
一応流れとしては、このまま庁舎で簡単に明日以降の打ち合わせを行って、以降は解散となっている。
まだ寝るには早いし、明日に残さない程度に一杯ひっかけるのも悪くないな、なんて考えながら、歩みを進めるのであった。
「――では、明日の予定ですが……」
ところ変わって、騎士団庁舎の一室。
俺とアリューシア、ヘンブリッツが残り、簡単に流れをおさらいしているところだ。手元には各分隊長から提出された簡易の報告書。
他の騎士たちは庁舎に集まった後、アリューシアの一声で解散している。
まあほとんど馬車に乗っていた俺や、近場で護衛していたアリューシアたちと違い、ずっと民衆と王族との間で壁になっていた騎士たちの方こそ疲労が激しい。御遊覧は今日で終わりじゃないからな、しっかりと休んで明日以降に備えてもらいたいものだ。
「明日も同じく十時から、サラキア王女と中央区をお回りになった後、観劇なさる予定となっています」
「ふむ」
観劇かあ。
俺は見たことないが、やっぱりそういうのって王族の嗜みだったりするのだろうか。俺個人としては芸術にはまったく明るくないので、見てもサッパリだと思うが。
「それって俺たちも一緒に見るのかな」
「その予定ですね。護衛の都合もありますので」
「そっか……」
うーん、途中で寝てしまいそうで怖い。
王族の方が見るということは、貴賓席か何かで見る形になるだろう。そんな中でうたた寝してしまうのは実にマズい。やっぱり今日はお酒飲まずに早めに寝ようかな。
「あと、明日以降、分隊の一部を再編成します」
「あれ、どうして?」
特に今日の警備に不備はなかったはずだが、どうしたんだろうか。
「いえ、王子殿下が立ち寄ったアクセサリー屋がその影響で、国民からの反響が物凄いものになっていまして。こちらが原因でもありますので、少し警備の者を割くことになりました」
「ああー……」
なるほどな。あのアクセサリー屋は本来寄る予定がなかったもんね。
予定もなしに王族御用達のお店となってしまえば、その注目度たるや、といったところである。大型のハリケーンが突如襲来したようなもんだ。店主さんは今頃嬉しい悲鳴を上げていることだろう。
「あ、そういえば」
折角だ。一応今日感じた違和感を二人には共有しておくか。
現場に混乱を来す可能性を考えてあの場では言わなかったが、今ここにいるのは練達二人である。不安要素は共有しておくに越したことはない。
「今日、護衛中に不穏な視線を感じてね。あれは多分……殺気だったと思う」
「それは――」
俺の言葉に、二人が息を呑む。
和やかに進んでいた明日のための打ち合わせに、少しばかり緊張の空気が走った。
「先生があの時固まっていたのは、その視線があったからですか」
「そう。すぐに消えたから気のせいだとは思うんだけど、一応ね」
具体的な危険性は、まだ分からない。繰り返す通り、俺の勘違いという線も十分残っている。
しかし、警戒しておいて損はないはずだ。様々な万が一を想定して、それをクリアしていくのが俺たちの目的でもあるんだから。
「分かりました。明日改めて周知を行い、警戒を徹底させましょう」
「うん、そうした方がいいと思う」
なんでもいいけど、俺が殺気を感じたってことをアリューシアもヘンブリッツも疑わないんだね。無条件の信頼が少し恥ずかしい。
ただまあ、多少の殺意があったとて、レベリオ騎士団と教会騎士団の二重の守りを突破出来るかはまた別問題だ。
選ばれし精鋭のみが集まっているあの場では、こんなおっさんの場違い感が凄い。いや、だからこそ俺だけ馬車に押し込まれていたのかもしれないけどさ。
「懸念事項としてはそれくらいでしょうか」
「そうだね……他は特に問題なかったと思うよ。とは言っても、俺はほとんど馬車の中に居たけどね」
本当にほとんど馬車の中に居たからなあ。まあその立場から見る限りでは、特に警備に問題があったとも思えない。
そもそも、そこら辺は俺なんかより遥かに経験値のあるアリューシアやヘンブリッツがまとめているから、俺視点で問題が出ても困るわけで。
「では、以上で我々も解散としましょう」
「うん、お疲れ様」
そんなわけで、最後に不穏な視線のことを共有したのち、俺たちも解散となった。
願わくは、このまま無事に使節団の予定が消化されることを願う。無論、無事に終わらせるのが俺たちの仕事でもあるのだが、余計な手間が極力かからないに越したことはないのである。
「さて、と」
どうしようかな。さくっと帰ってミュイと晩飯をつっつくもよし、酒場に立ち寄って一杯やるもよし。
騎士団庁舎の周辺は大分地理を覚えたから、大体この区画にこういう店がある、みたいな傾向は掴めつつある。
ここで新たな店を開拓する、という選択肢も悪くはないが、迷子になったり時間が遅くなっても困るからなあ。明日の予定がなければ開拓してもいいんだが、ここは素直に見知った店に入って軽く済ませるか。
祭りの雰囲気も個人でじっくり肌に感じておきたいところだしね。
仕事終わりのエールはいつだって美味いのだ。
明日への活力の補充のためにも、エールを身体に入れておいて、気合充填といくか。
おじさんは芸術や芸術品といったものにてんで素養がありません。
美味い飯と美味い酒と剣があればいいやくらいに思っています。
剣士としては優秀ですし性格も善良ですが、人としてはどうなんでしょうね。