第89話 片田舎のおっさん、暇を持て余す
「いい天気だなあ」
馬車に揺られながら、のんびりと外に視線を預ける。
用意された馬車は合計四台。本命の馬車に王子王女が乗り込み、それ以外の馬車には選抜された護衛たちが乗っている。あぶれた、と言うと言い方は悪いが、それ以外の騎士やら護衛やらは馬車の外で追従したり、往訪予定のポイントを警備していたりしている。
ちなみに、俺の馬車には俺しか乗っていない。せいぜいが馬を操る御者くらいである。
なので、護衛ではあるのだが実にのんびりとした、昼前の賑やかな北区と中央区を眺めることとなった。
「くあぁ……壮絶に暇だな……」
自然と出てくる欠伸を噛み殺しながら、一言。
国の重鎮である王子王女の移動は、基本が馬車である。
無論、昼食を取ったり予定の店に立ち寄ったりするため馬車を降りるタイミングはあるが、全体の行程で見れば、徒歩で出歩くより馬車に乗っている時間の方が遥かに長い。
つまり、俺が実際に王子王女の傍に立つのは存外短い時間なのである。それ以外は全部移動の時間だから、こうやって祭りで騒がしい街中を覗く以外やることがないのであった。
アリューシアやヘンブリッツはちゃんと馬車の護衛のために歩いてるんだけどね。何故か俺だけ馬車の中で囮役になってしまった。どういう流れでそれが決まったのかは、やっぱり俺にはさっぱり分からん。いやまあ、歩くより馬車で座ってる方が楽ではあるんだけどさあ。
もしかしたら、俺だけ鎧じゃなくてジャケットだってのもあるのかもしれん。知らんけど。
ただまあ、暇ですよ、みたいな顔と態度で公衆の面前に出るわけにはいかないので、その時はちゃんとするつもりだけども。
しかし馬車に乗っている間、特にやることがないのも事実。こうやって人知れず呟くくらいは勘弁してほしいところだ。
街並みは、一言で言えば普段より賑わっていた。
サラキア王女も言っていた通り、今バルトレーンはお祭り期間中である。なんのお祭りかは俺も知らない。ただ、毎年この時期にやっているらしいから、別段歴史が浅くもないのだろう。
北区は主に王宮と高級住宅街だから、店の類は中央区や西区に比べると少ない。それでも、街全体が俄かに活気付いており、様々な出店が軒先に並んでいるのを馬車の中からでも確認出来る。
あ、あの肉美味しそう。そういえば俺たちの昼食ってどこで取るんだろうか。護衛の観点から王子たちと同じ店だとは思うが。
「……うん?」
なんてことを考えていたら、馬車が止まった。
何事かと外を覗くが、他の馬車も止まっている。んで、侍従たちに続いて王子たちが馬車から出てきた。
おかしいな、ここで止まる予定は本来はなかったはずだが。
しかし、護衛対象が外に出たのなら俺たちも外に出ねばならん。やや慌てて馬車の扉を開いて外に出てみれば、同じようにアリューシア、ヘンブリッツ、ガトガ、ロゼといった護衛の面々が顔を出していた。
「どうされましたか?」
俺たちを代表して、アリューシアが王女の方に声を掛ける。
すると王女は微笑みを湛えたまま、王子は少しはにかんだような、ばつが悪いような半端な笑顔を浮かべていた。
「いえ、大したことではないのですが、お店に並んでいる髪飾りが気になって……」
「ええ、遠くからでも分かる、綺麗なものでしたの」
先に答えたのは、王子様であった。
ふむ、どうやら二人で仲睦まじく外を眺めていたら、アクセサリー屋の品物が目についた、と。髪飾りというくらいだから、男物ではないだろう。多分だけど、王女にプレゼントしたいんだろうな。
「……分かりました。護衛はお任せください」
「はい、お願いしますね」
一瞬の逡巡を見せたアリューシアだが、ここで王族に逆らうわけにもいかない。素直に従い、ヘンブリッツとともに店の前に付く。
ガトガとロゼも何事かという表情であったが、先ほどの会話を聞いてガトガは苦笑を、ロゼは微笑を浮かべていた。
まあ、勝手にスケジュールをずらすな馬鹿野郎、と言える相手でもないからなあ。文句なしの最上位者が相手なので、誰も何も言えない。
「ただ、今後は出来ればお控えください。それか、側仕えの者に事前に申してくだされば、出来る限り対応いたしますので」
それでも、アリューシアがその声色と表情を少しも変えず、穏やかかつ精いっぱいの注意を告げていた。
横暴に振舞われるよりはいくらかマシだが、それにしたって予定にない往訪を突如挟み込むのは、褒められたことじゃないだろうしな。この注意は妥当とも言える。勝手に動かれたら、守れるものも守れなくなる。
ただまあ、危険性がまったくないとは言えないが、それでも周囲は騎士たちがぐるりと囲んでいる。余程の手練れでもない限り、この包囲を突破するのは不可能だろう。俺でも多分難しい。今回限りのお転婆として見逃すしか、現状の選択肢はなかった。
「あら、やはり綺麗ですわね」
「ええ。王女にもよく似合うと思います」
「うふふっ」
そんな俺たちのどこかやきもきした気持ちを他所に、お二人はお二人で優雅にお過ごしになられていた。
アリューシアの方に視線を向けてみれば、俺に気付いた彼女が僅かに肩を竦めている。何も言わず、今はとりあえず守れ、ということだろう。
別段、王族の命を狙われているだとか、そういう話は聞かない。そんな話題があれば、そもそもこの御遊覧自体が中止になっているだろうからだ。
なので現状は、警戒は怠らないが、そこまで過剰に対応するまでもない、くらいの心情である。
視線を外に外せば、普段はお目にかかれない王子王女を一目見ようと、物見遊山的な人だかりが出来ている。ただ、外縁を守る騎士たちによってがっちり距離は取られていた。
うーん、やっぱり王族が来ることによる効果って凄い。バルトレーンは確かに人が多いが、それにしたってすごい数の国民が集まっている。
一見騎士たちが上手く全周囲をカバーしているようにも見えるが、ここまでごった返していると、どこかに隙が生まれそうで怖いな。
「やはりお似合いです。ここで馬車を降りてよかった」
「ふふ、ありがとうございます」
で、どうやらお目当ての髪飾りは無事に手に入ったらしい。
サラキア王女がそれを付けているところにグレン王子が感想を述べ、そこに笑顔のお礼が入る、という流れ。
いやー、お熱いことで。
王族らしからぬ、どこかほのぼのしたやり取りではある。
この二人はなんなんだろう、互いが許嫁だったりするのだろうか。それとも、互いに面識があって王子様の方が王女様を気に入ったのだろうか。
まあ俺なんぞが考えても詮無いことだが、ここまであからさまに見せつけられるとそういう方向に思考が寄ってしまうものである。
ここら辺も後でアリューシアあたりに聞いてみようかな。
「王子、こういうのはこれっきりでお願いしますよ」
「うん、ごめん。もうしないようにするよ」
二人のやり取りを一通り見届けた後、傍観者に徹していたガトガが苦笑とともに苦言を呈する。
それを受けたグレン王子は、なんだか最初の印象よりもフランクな対応であった。やはり王族と教会騎士団のトップだと、普段から親交もあるんだろうか。
「……うん?」
王族を一目見ようと数多の人が押し寄せる最中。
向けられる視線のほとんどは奇異と好奇によるものだったが、その中に一瞬、歪な感情が混じっているような気配がした。
「……先生? どうされましたか?」
「ああ、いや……」
俺が一方向に視線を固めている様子を見て、アリューシアが疑問を投げかける。
彼女の方へ一瞬気を逸らした隙に、先ほど感じていた不穏な気配は綺麗さっぱりなくなっていた。
「――多分気のせいだよ。なんでもない」
「そうですか……」
俺の勘違い、という可能性も大いにある。
王族の護衛という大任を任されて、俺も少しばかり神経質になっていただけかもしれない。実際に事が起きていない以上、いたずらに現場を混乱させるのはよくないだろう。
「……」
王子たちが再び馬車に乗り込むのを確認して、俺も自分の馬車へ足を運ぶ。
勘違いであればそれでいい。民衆の中に、もしかしたら王族を快く思っていない人もいるかもしれないし、そういう類の視線があってもおかしくはない。
しかし、俺の経験則だけで述べるならば。
先ほど覚えた違和感は、殺気と表現して差し支えない。
そんな、不穏な気配だった。
明けましておめでとうございます。
本年も読者の皆様のご健勝をお祈りするとともに、「片田舎のおっさん、剣聖になる」を何卒よろしくお願いいたします。