第88話 片田舎のおっさん、挨拶する
「――総員、傾聴!」
レベリオの騎士が勢揃いした騎士団庁舎の中央広場。アリューシアの凛とした声が静まり返った場に響く。
今この場で、ざわつくような輩は居ない。全員が全員、これからの任務の重要性を嫌と言うほど理解していた。
「皆も周知のことと思うが、本日スフェンドヤードバニア使節団の方々が王国へ入国される」
いやあ、ついに来てしまいましたね、スフェンドヤードバニア使節団。
もう間もなく、彼らはレベリス王宮に到着する予定だ。現在は教会騎士団と王国守備隊の警護のもと、王宮を目指しているところだろう。
「本日十時より、第三王女殿下とともにバルトレーンの街中を御遊覧される予定である」
これから俺たちは王宮へ向かい、レベリス王国の第三王女殿下とスフェンドヤードバニアの第一王子殿下の御遊覧の護衛に入る。
無論、全員で身辺を固めるわけにはいかないので、王族の近くにまで寄れるのは選ばれた騎士だけだ。大抵の騎士は王国守備隊と連携して、街頭警備に回る手筈になっている。
まあそれでも十分過ぎると思うけどね。ただ、国の中枢を司る人たちの護衛だから、何かが起きてからでは遅い。その何かが起きないように、万全の体制を敷くのが俺たちの仕事というわけだ。
しかし、アリューシアの外行きの声はいつ聞いても凛々しいな。
普段が柔らかい声だから、余計にそのギャップが激しい。これぞ騎士団長、という感じだ。本当に立派になったものだなあ。
「かねてから通告していた通り、我々は五つの分隊に分かれ、それぞれ身辺警護と街頭警備を行う。第一分隊は私、ヘンブリッツ、ベリル氏の三名で構成し、第三王女殿下の身辺に付く」
アリューシアから本日の配置が改めて通達される。
俺の配置は直前まで上も悩んでいたようだが、結局王女様の護衛に付くことになってしまった。何がどうなってそうなったのかはさっぱり分からん。
「続いて第二分隊だが――」
それぞれ分隊の指揮官が任命され、警備の手筈を伝えられる。
いいなあ、俺もそっちに回りたかった。お偉いさんとの謁見はやはり逃れられない運命らしい。つらい。
「何か質問がある者は?」
分隊の構成を終えたところで、アリューシアが騎士たちを見回す。
誰も声を上げないあたり、どうやら質問はないようだ。その代わりといっちゃなんだが、皆分かりやすい熱意を顔に出していた。
まあただの警備と言えばそれまでなんだが、王族を相手にする数少ない機会である。ここでの働きは、王族や他国からの評価に直結することでもあるから、皆気合が入っているのだろう。
俺としては気合よりも気負いの方が大きいんだけども。ぽっと出の片田舎のおっさんが王族の身辺警護とか、飛び級にも程がある。
「――では、移動開始!」
「はっ!」
最後にアリューシアの号令で締められ、皆がぞろぞろと移動を開始する。
「アリューシア、お疲れ様」
「いえ、本番はこれからですから」
動きの波の中で彼女に声を掛けると、返ってきたのは柔らかい声色であった。外行きの声はお終いかあ。
「しかし……俺も王女様に付かないと駄目かい?」
「実力を加味して決定しましたが……何かよくないことでも?」
「いや、うん……大丈夫だよ。悪い、変なことを聞いた」
一応それとなく聞いてみるも、アリューシアの顔は何言ってんだこいつ、みたいな表情であった。俺の力を微塵も疑っていない顔である。
そこはちょっとは疑ってほしい。俺みたいなおじさんを表舞台に引きずり出すんじゃないよ、と文句の一つも言いたくなるが、それはここで言っても詮無いことか。
結局、特別指南役の任を受けてしまった時点で全ては決まっていたのだと、そう思うしかない。俺の長閑な師範生活はどこ行った。
「まあ、なるようになるか……」
それとなく呟いた言葉は、広場の空へと溶ける。
空は雲一つなく、御遊覧には正にうってつけとも言える晴天であった。
「あら、アリューシア。今日はよろしくお願いしますね」
「はっ。レベリオの誇りにかけてお守りいたします」
時を少々進めた時分。
俺たちは今、王宮の正門前で勢揃いして王族の方々と面会中である。三人を代表してアリューシアが王女様と言葉を交わしていた。
レベリス王国の第三王女様、名をサラキア・アスフォード・エル・レベリスという。俺は実際には初めて会うが、やっぱりというかなんというか、すげえ美人。
年は十と半ばほどだろうか。まだまだ可愛らしい、という言葉が一番似合う容貌だ。特に目元がくりっとしていて可愛らしい。タイプで言えばクルニの目に近いかもしれない。
しかし、そんな可憐な見た目以上に落ち着いた雰囲気と、年齢を下に見させないオーラがある。これが王族パワーというやつか。
「ヘンブリッツも。よろしくお願いしますね」
「はっ! お任せください!」
その王女様は、身辺の警護に当たる俺たち一人ひとりに優しく声を掛けていた。
まさか声を掛けられるとは思っていなかったのだろう、ヘンブリッツの返答が少し上擦る。そりゃ緊張するよね。俺だってドキドキしている。
「ええと……もしかして貴方は、特別指南役の?」
おおっと、やっぱり俺にも矛先が向いたか。
アレッ。ていうか王女様、俺の存在をご存知でいらっしゃる?
アリューシアもヘンブリッツもきっかりした鎧に身を包んでいる中、俺だけジャケットだもんで、なんだか物凄く悪目立ちしている気がする。
今更ながら物凄い場違い感がこみあげてくるが、ここまで進んでしまった以上はもうどうしようもない。俺も腹を括ろう。
「お初お目にかかります。私、レベリオ騎士団の特別指南役を仰せつかっております、ベリル・ガーデナントと申します。本日は騎士団長、副団長とともに御身の警護を任されております」
「はい、よろしくお願いいたしますわ」
大丈夫だろうか、俺はちゃんと言葉を喋れているだろうか。腹を括ったとはいえ、それは緊張しないわけではないのだ。初めてお目にかかる人類トップ層との邂逅に、自然と心の臓が早鐘を打つ。
「サラキア王女」
なんてことを考えていたら、横から凛々しい男の声が耳に入る。
振り向いてみればそこには、これまた凄いオーラを纏った青年がこちらに目を向けていた。
年齢は成人するかしないか、といったところだろう。整った金髪が日の光を浴びて、眩しく煌めいている。翡翠を思わせる透き通った瞳は、まっすぐで実直な人柄を思わせる色であった。
恐らく、いや間違いなく、彼がスフェンドヤードバニアの第一王子殿下だな。
「グレン王子。本日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。バルトレーンは美しい街です。今日は楽しませて頂こうと思います」
二人は和やかに挨拶を済ませ、握手を交わす。
スフェンドヤードバニアの第一王子殿下と、レベリス王国の第三王女殿下の邂逅だ。なんか花びらとか舞ってそうな雰囲気である。やっぱりおじさん場違いじゃない? 大丈夫かなこれ。
グレン王子の傍には、先日会ったガトガとロゼの姿もあった。やはりこの二人が王子の護衛に付くんだな。
二人が俺の視線に気付き、ロゼの方が笑顔で控えめに手を振っていた。お前は護衛に集中しなさい。
「では、参りましょうか。バルトレーンでは今丁度、お祭りの時期でして」
「ええ、聞き及んでおります。来る時にも思いましたが、活気があって実に好い国ですね」
二言三言とお言葉を交わされるお二人。互いに悪くない空気のようで何よりだ。
まあ二国間の友好の証としてこの国事があるわけだし、何より国民の目もある。仮に快く思っていなかったとしても、それを表に出す程二人とも愚かではないのだろう。
「けれど、本日が良い天候に恵まれてよかったですわ」
「本当に。……サ、サラキア王女の御顔もよく見えます」
「まあ……! うふふっ」
王子様よ、それなんか微妙に口説き文句入ってない? 近くに居るもんだから彼らの会話も聞こえてくるのだが、さっきから絶妙に王子側がアプローチを仕掛けている気がしてならない。
そして王子様、照れている。
照れるならやるなよ、って突っ込みそうになったが、それをここで口に出してしまうのは不躾の極みだ。流石に俺もそこまで無礼じゃない。ここは微笑ましく見守っておこう。
王女側もそう悪く思っていないのか、空気は終始和やかである。
やっぱり王族は王族同士で、みたいなのもあるのかなあ。俺にはとんと分からない世界だけれど。
「ではサラキア王女、お手を」
「はい、ありがとうございます」
正門前に用意された立派な馬車に、王子と王女が乗り込む。
俺たちには護衛用の馬車が用意されている。万が一が起こることも想定して、馬車は囮も含めて複数台用意され、それぞれに護衛が乗り込む形だ。
馬車に乗るのは王子、王女、それに侍従が一人ずつ。
言葉は交わしていないが、侍従の二人も身のこなしからして、恐らく戦闘がデキるタイプの人間である。ただの側仕えじゃないってことだな。
しかし、王子と王女って同じ馬車に乗るんだね。てっきり別で用意するもんだと思っていたが、何か思惑でもあるのだろうか。
まあいいか、そこら辺は俺が考えても仕方がないことだし。
今日はこのまま北区から中央区を回り、そこで昼食を挟んだ後、西区へと赴く予定となっている。
想定しているスケジュールでは夕方前、多少押したとしても日没前には王宮に戻ってこれる算段だ。明日以降どうするのかは俺は知らんが、まあ何かあったらまたアリューシアから命令が下るだろう。
こういう時、騎士の叙任を受けていない特別指南役って肩書は絶妙に気楽でもある。そういった会議だったり会合だったりに顔を出す必要がない。
アリューシアは何故か俺を押したがっているが、そこら辺は仕組みの問題もあるからな。
今でさえおっさんには身に余る重責なのだ。これ以上はなんとしても避けたいところである。第三王女殿下に顔と名前を憶えられたこと自体、俺には荷が勝ちすぎているというのに。
「では、参ります」
馬車に乗り込んだ先、御者を務める男性から声が上がる。
そんなことを思いながら、スフェンドヤードバニア第一王子殿下の御遊覧は、恙なく開始された。
こんにちは王族。
おっさんは一人だけ場違いだろ……みたいな感じで思ってますが、周りが全員鎧なのに一人だけジャケットなので実際まあまあ浮いています。