第100話 片田舎のおっさん、一刀両断する
――俺は今から、元弟子を斬る。
出来ればこんなことは、やりたくなかった。今でも覚悟が決まっているかと問われると、ちょっと怪しい。
ロゼは一年と半年という短い期間ながら、俺の道場に通っていた元弟子だ。スフェン教を熱心に信仰していて、隙あらば神への祈りを捧げていた。
彼女の熱心な布教に、苦い顔をしてしまったのも数えられないくらいある。ただ、過ぎ去ってみれば慌ただしくはあったものの、常に笑顔を絶やさず接してくれた彼女には、それなり以上に良い思い出もあった。
「……ふふっ。それじゃあ、抵抗しますね~」
彼女はフルプレートを着込んでいる。素直に駆けっこすれば、流石に俺の方が速い。それは彼女も分かっているのだろう。
カイトシールドを半身が隠れるように構え、エストックは剣先を下げ、下段気味に。
俺の道場に通っている時は盾を使ってはいなかった。しかし、道場での稽古を思い出してみても、彼女はやっぱり防御からの反撃を得手としていた。
あの頃から、技術も更に磨かれていることだろう。盾を得たことで、防御もより堅牢になっているに違いない。
果たして俺の力で、彼女の守りを抜けるのか。
そもそも俺は、ロゼに対してちゃんと剣を向けることが出来るのだろうか。
弟子に対して、木剣でなく真剣を振るう機会は、今までになかった。彼女を止めたいのは事実だが、可能性として見知った弟子を殺めてしまうことを考えると、どうにも決断が鈍る。
「はっ!」
未だその答えがはっきりしないまま、ロゼの踏み込みによって戦いの幕が切って落とされた。
「っとぉ!」
真っ直ぐに突かれたエストックを、横に弾く。
ロゼは防御が上手いが、別に攻撃が下手なわけじゃない。やろうと思えば先手だって十分に取れる実力がある。
事実、先ほどの踏み込みは重鎧を着込んでいるとは思えないほどの鋭さだ。
「ひゅっ!」
弾かれたエストックの力に逆らわず手首を上手く回したロゼは、そのまま水平斬りを仕掛けてくる。
独特の呼気の音が響き、ロゼのエストックが二度三度と跳ねた。
「……くっ!」
襲い来る細剣を捌く作業が始まった。
くそ、分かっちゃいたがロゼも強いな! フルプレートからは想像もつかない速さと重さだ。
この強さには、最近の戦いで身に覚えがある。
レビオス司教を捕える前に戦った、シュプールの剣技に近いやつだ。
全体重を乗せず、肩と腰の回転を上手く使って剣先の速度を出している。つまり、こちらとしては弾いたり防ぐことは出来るが、いなして反撃を加えるのが難しい。
なので、当然ながらこの状況を打開するには、こちらから攻めるしかないのだが。
「ふふっ! 先生、どうされましたか!?」
「……ッ!」
俺の決意が固まっていないことを察したのか、彼女はエストックを振り続けながら興奮気味に語りかけてくる。
俺もロゼも、本来は守勢を得手とするタイプだ。
厳密に言えば俺は受け流し型、ロゼは完全に防御型と少しばかり異なりはするが、どちらにせよ自分から積極的に仕掛けるタイプではない。
しかし、俺の知るロゼはそれこそ防御一辺倒で、攻撃の手数はいやに少なかった。相手をよく見ている、といえば聞こえはいいが、どうも見過ぎているきらいもあったくらいだ。
だから効果的な攻撃の仕方とか下半身の動かし方とか、そういうのを中心に教えていた記憶が蘇る。
あの時に教えたことがちゃんと今に活かされている。そんな気持ちを抱いてしまうほどには、ロゼの実力は増していた。
「……ッ戦ってはくれないのですか、先生!」
俺は気持ちの揺らぎから攻めることが出来ず、ロゼはもう後がないからか、積極的に手を出してきている。
奇妙な状態だ。道場で手を合わせていた時はもっと和やかで、それでいて流麗な打ち合いだったはずなのに。
「私は、決断してここに居るのです!」
「……ッ!」
やや大振りに振り下ろされたエストックをいなす。
今のは反撃のチャンスだった。振り被った後を狙えば、致命傷とはいかずとも一撃は見舞えただろう。
しかし、俺の剣はやっぱり前に動いてはくれなかった。
「止めるのでしょう!? 私を!」
ロゼの攻撃と口撃は、止まらない。
剣筋は確かに綺麗だが、どう考えてもこの攻勢は、俺の知っている普段のロゼの姿からはかけ離れていた。
俺にも迷いはある。
だがそれ以上に、ロゼの剣にこそ戸惑いがあるように感じた。
「止められるのなら、止めてみてください! ……私のことを!!」
叫びとともに振り被られたエストックを、縦に弾く。
その勢いでロゼの足は少し止まり、その間に俺は一歩、二歩と後退する。
「……ロゼ。君は……」
「……うふふ。少し、気が昂ってしまいましたかね」
何かを発しようと動かした俺の口は、返ってきたロゼの普段通りの口調に封じられた。
――ロゼ、君は。
迷っているのかい。
そう問おうと開きかけた口を、閉じる。
仮に今それを問いかけたとて、ロゼは素直に口を割らないだろう。そもそも、俺の説得で彼女が剣を収めるのであれば、この戦いは発生していない。
戦いの場では、気が滾るものだ。
そんな状況下で隠していた本音が漏れ出ることも、そう珍しいことではない。実際、ヘンブリッツやスレナと打ち合った時も、彼らは心中を叫びや感嘆という形で打ち合いの中で吐露していた。
もしロゼが、自身の凶行を誰かに止めてほしいと願っていたら。
俺の都合のいい思い込みかもしれない。勘違いかもしれない。
けれど。
俺の知るロゼは。
過去にどんな打ち合いをしていても、ああまで口を荒げることはなかった。
「……ふぅ、先生は強いですね~。抜ける気がしません」
激しい攻勢を見せたロゼ、しかしその息は上がっていなかった。
まだまだ体力に余裕はあるのだろう。しっかりと鍛え続けていないと、このスタミナは維持出来ない。日頃から鍛錬を怠っていない証拠だ。それ自体は嬉しくもあるが、鍛え上げられた力がこんなことに使われている事実に気を揉む。
「じゃあ、降参してくれるかい?」
一縷の望みをかけて、問いかけてみる。
これでロゼが折れてくれれば、結果としてはほぼ最良だ。俺も彼女を傷つけずに済むし、思想への説得は後でゆっくりやればいい。
「……それは出来ません。出来ないんですよ。先生」
しかし、そうは問屋が卸してくれないようだ。
淡い希望は、彼女がはっきりとしたノーを突きつけることで潰えた。
「……私ではきっと、先生には勝てません。さっき打ち合って、改めて分かりました~」
「なら――」
「でも、止まれないんです。ここまで来てしまったら、もう」
ロゼは今までと同じように、笑う。
「私がここでしくじれば、囚われている子供たちが、死にます」
「な……」
告白をするロゼの顔は、どこまでも澄やかであった。
「教皇様は必勝を期したいのでしょうね~。そんなことをせずとも、私は手を抜くつもりはないんですけど~」
「……ッ」
下種め。
そんな言葉が喉まで出かかって、どうにか抑えた。その感情をロゼにぶつけたとしても、状況は変わらない。
容易に想像は付く。子供たちを盾に取られ、彼女は動いているのだろう。無論、国を救いたいという気持ちに嘘がないことも分かる。
しかしこれは、あまりにも。
スフェンドヤードバニアの内情がどうなろうと俺は知ったこっちゃない。が、可愛い元弟子がこんな非道に堕とされている様を見て、見て見ぬ振りは出来ない。
言葉で彼女が折れない理由が、ようやく分かった。
「先生」
「……なんだい」
歌うように、彼女は紡ぐ。
「私を、止めてください。不出来な弟子を、叱ってください」
彼女は悲壮なまでの決意を瞳に込め、エストックを構えなおす。
「……ふぅーーーーっ」
大きく。大きく息を吐く。
このまま迷っていても、何も事態は好転しない。
この戦いは、これ以上長引かせられない。
俺も、覚悟を決めよう。
「ロゼ」
「……はい~」
剣を真っ直ぐに構え、視線は中央に。
「君を、斬るよ」
紡いだ言葉の答えは、返ってこなかった。
「……」
代わりに返ってきたのは、いつも通りにも思える微笑み。
しっかりと盾を構え、攻撃に備える。ロゼ本来の形が、そこにあった。
彼女が道場を離れてからどういう成長を遂げたのか知らない。一方でロゼも、俺が最近どういう生活をしてきたかは知らないだろう。
俺の力は現時点でほぼ頭打ちだ。この歳になってたかだか数年剣を振り続けても、劇的な成長は見込めない。
しかし、当時の俺にはなく、今の俺にあるものが一つだけある。
「――ふっ!」
二歩。
大きく踏み込んで、斜め上に剣を振り上げる。
俺は、そこまで踏み込みが鋭いわけじゃない。反応速度にはちょっとばかし自信はあるが、単純な肉体能力で言えばアリューシアやヘンブリッツには大きく劣る。
せいぜいが、同年代の男よりは幾らか優れている程度。
共に時間を過ごしたロゼも当然ながら、同程度の情報を持っている。
なので彼女は、大きく動く回避ではなく、盾での防御を選択した。
俺の膂力では、防御に徹したロゼを一撃で破るのは不可能。それは、自分の力をよく知っている俺が一番分かっている。そして勿論、ロゼも分かっていたことだろう。
盾で俺の攻撃を防ぎ、万全の態勢でカウンターを。
その目論見自体は正しい。彼女の高い技量も相まって、通常の手合いならそれで必殺を取れる作戦だ。
しかし。
俺は確かに通常の範囲に収まる使い手ではあるが。
ロゼはこの剣の切れ味を、知らない。
「……え――」
絶対の防御に対する自信に裏打ちされたロゼの微笑みが、消える。
振り下ろした剣は勢いそのまま、ロゼのカイトシールドを難なく切り裂き。
重厚なフルプレートをいとも容易く打ち砕き。
彼女の胸元に、一生消えない一文字を刻み込んだ。
「がっ……あ……ッ!?」
想定していなかったであろう威力の斬撃に、ロゼが一歩二歩とたたらを踏み、遂には片膝を付く。
ボタボタと、胸元から鮮血が零れ落ちていた。
その表情からは今度こそ微笑みは消え、驚愕と焦燥に塗れている。まさか愛用の盾と重厚な鎧ともども、たった一撃で破られるとは思ってもいなかったのだろう。
喀血していないところを見るに、幸か不幸か肺まで剣は届かなかったらしい。
だがそれでも、戦闘の続行は不可能だと一発で分かるくらいには重傷だ。早めに止血しないと、命にも関わりかねない。
「……勝負あり、だね」
俺は、手加減はしなかった。
殺しても已む無し。そんな気持ちで剣を振った。
事情がどうであれ、王族殺しの嫌疑がかかっている手練れを相手に、命の勘定までは出来なかった。
そして今なら、ガトガの気持ちも少し分かる。
俺はロゼの身内ではないが、それでも元弟子が不埒を働いていたのなら、元師匠である俺がけじめをつけるべき。そういう気持ちも湧いて出ていた。
「う……ぐぅっ……!」
どうにか立ち上がろうと呻くロゼを、見下ろす。
俺は今、どんな顔をしているだろうか。悲しんでいるのだろうか。自分ではよく分からない。
「終わりだよ、ロゼ」
出てきた声は、自分でも驚く程度には、冷淡だった。