月下の二試合
「いいか、ニグは態度と声がでかいギャーギャーうるせー系のチンピラだ。どうせ力任せのゴリ押しで来るから、いい感じにあしらって一発喰らわせてやれ」
「聞こえてんぜウェイン兄ぃ」
ウェインのそれはただの悪口なのか有用な助言なのか分からないけど、とりあえず相手にも聞こえちゃってるならもう忘れていい気がした。
はぁ、と肩を落としてため息を吐く。
僕は棒を持っていて、数歩の距離を離れたところにボサボサの黒髪の冒険者が同じく棒を持って立っていて、月明かりの下で向かい合っていた。
ニグ。たぶん十五歳くらいで、ギョロッとした目が怖い人だ。僕はまずこの人と戦うことになったらしい。
なんでこんなことになったんだろう。べつに、普通にみんなで訓練すればよくないか。僕は彼らが訓練に加わることに反対してないのだけれど。
というか、僕に勝てたら、とかどういう条件なのか。あちらの方が身体が大きいし力も強いのは明白で、こうして向かい合っていて勝てる気がしない。
「自分を信じろガキんちょ。お前は今まで俺の訓練を受けてきた。もう鎧どころか武器も持たずに森行って、チッカに引きずられて怒鳴られてたクソド素人のお前じゃねぇ。ゴブリンだって倒した経験もあるだろ?」
「たしかに丸腰だったころよりは良くなっただろうけれどさ……」
だからって相手はちゃんとした戦士だ。つい最近まで武器も持ったことがなかった僕とは、なにからなにまで違う。
けれど次のウェインの言葉は、僕にとってすごく意外だった。
「いいこと教えてやるよ。ニグとヒルティースはゴブリン退治もまだのFランクだ。お前の方が戦功は上だぜ」
チッ、という舌打ちが聞こえた。ニグの方からだけれど……反論はない。どうやら本当のことらしい。
すごく驚いた。
僕から見て、ニグとヒルティースは強そうに見える。ウェインと比べれば体付きや装備が見劣りするし、若いから新人ではあるのだろうと思ってはいた。……けれど、しっかりと装備された鎧の傷や太い手首なんかを見れば、自分と同じランクだとはとても思えない。
それなのに、この人たちより僕の方が戦功が上?
「よし、それじゃあ行ってこい」
背中を押されて、強制的に前に出される。すぐ前には木の棒を持ったニグがいて、ギョロ目でジロリと僕を睨み付けていた。
「開始の合図はないのかよ、ウェイン兄ぃ」
「んなもんねーよ。好きに始めろ」
ウェインがそう答えると、ふん、とニグは不満げに鼻を鳴らした。
つまりもう始まっているってことか。―――戦功の件はとりあえず置いておこう。
僕は棒を槍に見立てて構える。腰を落とし、身体は半身。重心は心持ち後ろへ置いて、棒の先端は真っ直ぐ相手へ。
「戦功ね……。なあガキ、Eランクに上がんにはゴブリン討伐くらいの実績が必要って話だが、じゃあお前がFランクなのはなんでだ?」
ニグは棒を構えなかった。両手ともだらりと下げたまま、話かけてくる。
さっきの話だ。彼らはまだゴブリン討伐の実績がないからFランクだという。―――たしかに、ゴブリンを倒したことがある僕が証なしなのは変かもしれない。
戦功の話は考えないようにしようと思った矢先だけれど、たしかにちょっと気になった。
最初の一回は分かる。ウェインにシェイア、そしてチッカという、明らかに上のランクの冒険者たちに連れて行ってもらったからだ。
でも二回目はリルエッタとユーネという初心者二人とだったし、状況的にはひどいものだったけれど、戦って勝ってきたのは事実である。
Eランクの条件は、一応満たしているのではないか。
「ゴブリンを倒すってなぁ、強さの目安なんだよ。Eランクならそれくらいの実力があって最低限。メチャクチャ苦戦してギリギリで勝って来るんじゃ、まだ早いってこったよ!」
耳が震えるような大きな声と同時に、ニグが棒を振りかぶる。
大声に気圧されて思わず腰が引けてしまう。半歩、後ろに下がってしまう。―――けれど、構えのないところから思いっきり大上段に振り上げられたニグは……隙だらけに見えて、一瞬呆気にとられた。
え? と。
踏み込めていれば、当てられたぞ?
「そらぁっ!」
気合いと共に棒が振り下ろされる。
大上段からくる、自分よりも背が高く力も強い相手からの、力任せの一撃。とても受けきれる気がしないそれを、後ろに大きく跳んで避ける。
「オラよぉ!」
間髪を入れずニグが追撃してくる。大声を出して、大きく踏み込んで、またも大振り。
横薙ぎのそれは避けることができなくて、なんとか棒で受けた。……けれど重い一撃は完全には受けきれなくて、身体ごと弾かれ体勢が崩される。
これは、マズい。
「どうしたどうしたぁ!」
さらに追撃。三度目の大振りがくる。僕は歯噛みした。
ウェインはさっき、ニグは力任せのゴリ押しでくると言った。その通りだった。向こうだってそれを聞いていたのに、その通りにしてきた。
バレた程度でわざわざ戦い方を変える必要なんてないと、そう判断されたのだ。―――僕が小さくて、弱そうだから。
ギゥ、と奥歯を噛み締める。叩きつけるように振り下ろされた棒を、地面に身体を投げ出すようにして避けた。土の上を転がって距離をとって、その勢いのまま両手をついて跳ねるように起きる。
体勢を立て直す。
分かった。よく分かった。
あの大声はやっかいだ。思わず身体が引けてしまう。さっきはそれで踏み込めなかった。
あの大振りはやっかいだ。避けても受けても体勢を崩してしまって、戦いのペースを持っていかれる。
ニグはやっかいだ。あのギョロ目が恐い。
「強そうって、こういうことか」
たった三撃を見て痛感した。もし彼だったなら、レンガのおじさんはちゃんと護衛されてくれたに違いない。
「逃げてばかりいんじゃねぇよ!」
大声。踏み込み。大振り。荒っぽい言葉使い。ギョロ目の眼力。全身から放たれる気合い。
全部僕を怯えさせるためだ。あれで自分を強そうに見せている。
でも、彼は僕と同じFランクだ。
腰を落とした。棒を構えた。フゥッ、と鋭く息を吐いて、呼吸を止める。
―――馬鹿にするな。
「オラァ!」
「せやぁっ!」
大声に大声を被せた。威圧してくるのを気合いで跳ね返した。
踏み込む。
「なんてな」
カン、と突き出した棒を棒で弾かれた。……え?
「うりゃ」
ゴン、と頭をゲンコツで殴られた。痛ぁ……。
「はい勝負ありー」
気の抜けたウェインの声で、試合が終わる。
「いい気合いだったぞガキんちょ。ニグ、テメェは雑すぎだ」
「うっす」
「………………」
僕は負けたのに褒められて、怒られたのにまったく反省していないニグは適当な返事をする。
つまり、さっきのはそういう試合だったのだろう。なんか納得いかない。
「次、ヒルティース」
「はい」
灰茶色の髪のヒルティースがニグから棒を受け取る。
彼は確かめるように木の棒を二回振ってみてから、僕へと向き直る。
「よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします」
なにかの作法なのだろうか、棒を持ったままの右手で自分の左肩をポンポン叩き、ヒルティースは丁寧に挨拶する。僕は慌てて頭を下げた。
ちゃんと礼節を大事にするなんて、こんな人、冒険者にいるんだ……。
「騙されんじゃねーぞガキんちょ。ヒルティースは陰湿でねちっこいからな。性格悪いことばっかやってきやがるから油断するな」
離れた場所にいるウェインの助言は当然ヒルティースにも届いたけれど、彼は無表情で反応もしなかった。そういう人かぁ。
棒を構える。さっきと同じ、槍に見立てた構え。僕はこれしか知らない。
対してヒルティースは、剣のように構えた。身体を右半身が前の半身にして、右手だけで握った棒の先端はこちらではなく横に向ける。重心は―――かなり後ろ。
僕でも分かる守備の型だ。
半身になるのは的を小さくするため。横に構えた武器は盾の役割で、重心が後ろなのは後方に退きやすいから。なにより自分から前に出てくる気が感じられない。
ニグとは正反対。どうやら今度は、僕から仕掛けるしかないらしい。
「やっ」
―――僕から仕掛けるしかないとはいえ、いかにも踏み込んでくるのを待っているって感じのところに突っ込みたくはない。
だから試しに、まだ遠間から棒を繰り出してみる。大振りはしない。最小限の動きで、狙うはヒルティースの手。
一歩下がるだけで避けられたけれど、一撃目がそうなるのは分かってた。だからすぐに棒を引っ込めて、間髪入れずもう一撃を放つ。……それは棒で受けられた。
牽制の二撃はあっさりと失敗に終わり、僕は後方へ下がる。ヒルティースは追ってこなかった。
なるほど―――やっぱり驚くほど前に出る気配がない。そして、これはこれでかなりやりにくい。
「君さ、ウェイン兄がなぜこの試合を組んだか分かる?」
ヒルティースが話しかけてくる。純粋に僕と話したいのか、ニグのように喧嘩腰な言葉遣いではなかった。
「なぜって……」
「同じ相手とばかり試合していると、戦い方に変なクセがついてしまうからだ。ウェイン兄は君に経験を積ませてあげようとして、こうして自分たちと戦わせているんだ」
月明かりに浮かぶ色白の肌に、自嘲の笑みが宿る。
「つまり自分たちは、どこまでいってもオマケでしかない。ここで君に勝ってこれから訓練を共にする間柄となっても、それは君を成長させるための一要素として使われているだけというわけだ」
「そんな……」
ことは、あるのだろうか。ウェインがなにを思って僕の稽古をつけてくれているのか、実のところよく分からない。
けれど、そこまで特別視されるほどのなにかは……―――
「本当に羨ましいよ、今の攻防を見ても君はなかなかスジがいいようだし、なにより君は若い。その歳から訓練して強くならない戦士はいないからね。ウェイン兄はきっと、訓練していけば君がとんでもなく強くなると見定めているんだろう。そんなふうに目を掛けてもらえるなんて、君は幸運だね」
……………………うん、そうか。
「嘘くさい」
僕はそう断じた。陰湿でねちっこい。性格悪いことばかりしてくるヒルティース。
心にもない褒め言葉で浮き足立たせてやろうだなんて、なんて意地の悪い。そんなことしなくても実力は上だろうに。
「バレたか」
ふ、と笑って、彼は構えを変える。身体は半身のまま、重心を前方に、棒の先端はこちらに向けて。
取り繕いすらせず、馬鹿にして。
「じゃ、普通にやろう」
ヒルティースが踏み込み、払うように棒を繰り出す。片手での攻撃。ニグのそれより威力も迫力も弱いそれを、僕は棒で力いっぱい撃ち払った。
相手の目が見開かれる。その顔を睨み付けてやる。
明らかにこちらを見くびった、甘い攻撃だった。ふざけすぎてる。
「せやぁっ!」
踏み込む。棒を繰り出す。得物を弾かれ体勢を崩した相手には避けられない、会心の一撃を―――
「なんてね」
ヒルティースが左手を振るった。―――試合開始から今まで武器である棒すら握ることなく、半身になった身体の後ろに隠れて見えなかった、左手。
そこにずっと握り込んでいた砂が、投げつけられる。
「うぁっ……!」
小石まじりの砂が顔にぶちまけられ、目に入った砂粒に視界を奪われて、その痛みに悲鳴を上げて仰け反る。鼻と口にも入った。
「子供には子供だましで十分だろ?」
トン、と肩の辺りを棒で叩かれた感覚があって、聞こえた声がすごく嫌味で。
「勝負あり」
ウェインの判定で、試合が終了する。