名前くらい覚えろ
厩に入るときは少し怖い。単純に暗いから。
夜だから外だって当然暗いけれど、厩の中に入るとなにも見えなくなる。しばらく立ち止まって待って、目が慣れてうっすら見えるようになってから、壁に手をついてゆっくり歩かないといけない。
リルエッタの明かりの魔術は良かった。あれさえあれば暗闇に困ることはない。一番使いたい魔術は探査から明かりに変更しよう。
「うぷ……」
歩くだけでお腹の中のものが出そうになって、口元を押さえる。足取りがゆっくりなのはなにも暗いからだけではない。最近は厩の構造に慣れてきたので、普段ならもう少し早く歩ける。
お腹がいっぱいすぎて苦しい。……こんなの久しぶりだった。小さい兄ちゃんが狩りで大物を獲ってきたとき以来かもしれない。
料理はどれも美味しかったけれど、さすがにお腹いっぱいになった後も食べろ食べろとすすめられるのはツラかった。これも修行だよ、強くなるためだよ、とあのキラキラしたニコニコ顔で言われると断れなくてがんばって食べたけれど、お腹が張ってかなり苦しい。
「ウェインがきてくれて良かった……」
結局、三人の中で一番食べたのはウェインだった。呼ばれてもないのにやってきて、席に座りもせず横からテーブルの料理をさらえていく彼の姿は……まあ全然カッコよくなかったというか、正直どうかと思ったけれど。
たぶんウェインは料理目当てで会話に混ざってきたんだと思う。でもあれがなかったら僕はもっと食べないといけなかったから、きっと吐いていただろう。
そう考えたら今日の彼には感謝しかない。ウェインが礼儀とか知らない人でよかった。
壁に手を突き、おぼつかない足取りで暗い厩内を奥へ進む。今転ぶと大変なことになるだろうから、慎重にゆっくりと歩く。
三つ目の馬房の前まで来ると、ヒシク……メルセティノの姿が、窓からの星明かりで輪郭だけ見えた。もう寝ているようで、横になって全然動かない。
僕は立ち止まって、声を掛ける。
「メルセティノ。君のご主人、変な人だね」
返事はなかった。やっぱり図太い馬だ。いつものことだから、僕はそのまま続ける。
「どうやったら、ああなれるのかな?」
―――君は、ぼくを目指すといい。
そう言われて、無理でしょと口の端を曲げた。
なにかもう僕とは違いすぎて、同じ人間だとすら思えない。実はよく似た異種族なのではないか。ああいう人ばかりの種族って、ちょっと想像しにくいけれど。
ただ……もしああなれたら。あんなふうに生きられたら、きっと楽しそうだろうなって。ちょっとだけ、思ってしまった。
メルセティノはやっぱり返事してくれなくて、僕はそのまま三番目の馬房を通り過ぎて、一番奥の四番目へ到着する。中に入って、苦しいお腹を押さえながら寝藁に身を横たえた。
「パーティを、輝かせる……」
満腹のせいかすぐに眠たくなったけれど、眠りに落ちる前に考えなければならない宿題があるのを、僕は忘れていなかった。
そう、宿題。……暴れケルピーの尾びれ亭においての最高ランクパーティ、海猫の旋風団リーダーからもらった、助言。
たぶんあれは、明日リルエッタとする話に必要なことだと思う。
「リルエッタ……ユーネ……」
二人の名前を呟く。魔術士と治癒術士。
魔術が使える人材は貴重だ。本来なら薬草採取しかできない僕と組むような子たちじゃない。
なりゆきで正式にパーティを組むことになりはしたけれど、やはりもったいないのではないかと思う。
この前のゴブリン戦では、二人が危ないところを僕が助けた形になった。
けれど、もっとマトモなパーティに二人が入っていればそもそもあんなことにはなってないわけで、魔法が使える二人なら入れてくれるパーティを探すこともできるはずで、能力的には僕よりも彼女たちの方がよほど―――
「あ」
なるほど、と。考えてみればすごく簡単なことだった。なんでこんなことに気づかなかったのだろうかと呆れかえるくらい。
お腹を押さえていた手から力が抜けて、藁の上にずり落ちる。
今日はいろいろあったし満腹だしで、分かったらもう眠気に抗えなくなってしまって、落ちるような睡魔に身を任せた。
単純な話だ。僕のパーティには、魔法を使える貴重な人材が二人もいる。
「んで、なんでガキんちょにあんなこと言ったんだよ? これ以上お前みたいな変人が増えるとバルクがキレるぞ」
ガリ、と最後の鶏肉の軟骨を噛み砕いて、テーブルの上の空いた皿に骨を投げ捨てる。
これで料理はほぼなくなった。まだ野菜の漬物はのこっているが、この店の……というか、この町の漬物は塩が利きすぎてるから好みじゃない。いつだったか塩の塊を割って取り出すのを見た時は目眩がした。あんなの内地じゃ考えられないやり方だ。塩田のある港町だからこそできる保存方法なのだろうが、結果としてできるのが塩辛すぎるとなれば、バカバカしくて呆れてしまう。あんなの、冬でもなければ食べたくない。
「フフン。憧憬を胸に背を追ってくる存在がいれば、ぼくはもっと輝けると思わないかい?」
「テメェのためかよ」
ペリドットは残った漬物を美味そうに囓って、優雅にお茶で飲み込む。
この町の出身だからか、コイツは普通に食べるよな……。
「もちろん彼のためでもあるとも。ああいうタイプは生き残りやすいけれど、どうにも向上心に欠けるからね。ぼくを目指せくらいがちょうどいいサ」
俺は指についた油を舐めとって、ふん、と爽やかに笑む男を半眼で睨む。
たしかに思い当たる節はある―――さっきもそうだ。ひとしきり食べて喋ったガキんちょは、もう先に厩へ帰った。腹一杯で苦しそうにしていたし、もう子供には眠い時間だからそれはいい。こちらとしても吐かれたら汚いしメシがもったいないから、今日の戦闘訓練は無しにしてやった。が……そう告げると、ガキんちょはそのまま素直に頷いて帰ったのだ。
冒険者にとって強くなることは、できる仕事が増えるということだ。わざわざ強くしてやろうっていう訓練の機会をあんなにあっさり手放せるアイツは、たしかに向上心ってヤツが薄いのだろう。
……いや、そもそもあのくらいのガキで男なら、棒っキレ持たせれば一日中振り回してるもんだろ。俺はそうだったぞ。戦いの訓練とか楽しくって休むとかありえなかった。
もし俺がガキんちょだったら絶対にやるって言って、結局吐いて後悔しただろう。なんだアイツ帰って正解じゃねーか。
「一応お前はこの店の筆頭冒険者だろ。今のアイツがお前を目指して、無茶でもしたらどうすんだよ」
「どうもしないよ。冒険者は危険へと赴くし、無茶をするし、死ぬものだ。助言の一つや二つしたくらいで、いちいちそんな責任をとる気はサラサラないとも。―――もっとも、たとえ責任をとらなければならなかったとしても、ぼくには助言をしないなんて美しさの欠片もない選択はできないけれどね。それは彼のためではなく、自分が傷つきたくないだけだろう?」
チッ、と舌打ちする。
コイツは変人だが、変人なりに自分のスジを通している。むしろスジを通しているがために変人となっているフシすらある。
こういうのは本当に厄介だ。だが、だからこそ冒険者なんてやってるのだろう。
「それに、キリネ君はなかなか見所があったからね。ついついお節介を焼いてしまうのも仕方ないだろう? ―――彼は特に目がいい。とても綺麗でいい目をしている。もしかしたら、いずれは英雄になれる器かもしれないよ」
「お前、近所のガキ共全員にそう言い回るのやめろよ。バルクがぼやいてたぞ」
「そんな、こう言うとみんな喜んでくれるのにかい?」
思わずため息が出る。ペリドットはこういうヤツだ。軽口を言い合うくらいならまだいいが、真面目に相手すると疲れてしまう。
でもガキ共には人気あるんだよな、コイツ……。
「ところでベクター。話は変わるけれど君、新しいパーティを組んだんだって?」
「ウェインだ。べつに正式に組んだわけじゃねぇよ。ソロが三人集まって何回か仕事しただけだ」
「まあ君たちのその辺の事情はどうでもいいんだけれど。あの麗しき女性と美しい女性ハーフリングの、たまに見かける二人だろう?」
「麗しきとか美しいとかはともかく、シェイアとチッカな。お前やっぱ同業の名前くらい覚えろ?」
「やっぱり。あの魔術士と斥候だね? うん、いいじゃないか」
ニコリと笑って、ペリドットはウィンクする。―――あ、ヤベ。
「今日はずいぶん食べたねグンバル。美味しかったかい? ところで仕事の話があるんだが―――まさか食い逃げなんて美しくないマネ、君はしないよね?」
「……ウェインだっつってんだろ」