変な人だ
「さっき君といた二人、明らかに君より着ているものが良かった。所作の端々から育ちの良さも感じられたし、僕が見たところかなりのお金持ちだと思うけれど。―――そんな彼女たちを相手に厩暮らしをしている君は、羨ましいとか、妬ましいとか、そういう感情を全然抱いてないように見えたんだけどね。どうだい?」
自分の観察眼を自慢するように、明るい緑の髪の青年はニッコリと笑って見せる。
……リルエッタはマグナーンと名乗らなかったけれど、見る人が見れば分かるくらいには、彼女たちの身につけているものは上等なのだろう。ペリドットはけっこう見る目がある人らしい。
むぅ、と考えてみる。どうだろう。僕は彼女たちをうらやましいとも妬ましいとも思っていないのか―――……そんなことはない。
ゴブリンと戦ったあの日、リルエッタに嫌味なことを言われた僕は、妬ましさから歩く速度を彼女たちに合わせなかった。今でも、あれは酷いことをしてしまったと思っている。
今日ユーネが貧乏を経験したことがないって言っていた時、僕はお金持ちの家の子っていいなあって思った。羨ましいと感じた。
僕にもそういう感情はあるのだ。全然ないなんてことはない。
「違う、という顔だね。うん、その通りなんだろう。そういう心がない人なんていないよ。ただ君はそれが薄く感じるんだ。きっとあまり強く感じることはなくて、すぐに忘れてしまうんじゃないかな?」
改めてそう言い直されると、ちょっと困ってしまう。
全然ないわけではない。けれど、それが普通の人とおんなじかと言われると……分からない。
「そんなことを言われても……他の人と比べたことないし」
「フフン、それだよ」
僕は首を横に振ったのだけれど、ペリドットはそれこそが答えだとばかりに指をパチンと鳴らした。
指ってあんなふうに鳴るんだ。後でやってみよう。
「他人は他人、自分は自分。君にはそんな考え方が普通より大きいんじゃないかな。君は人と自分をあまり比べようとしない。だからあの可愛い二人がお金持ちで生まれつき恵まれていても、自分とは違うと割り切ってしまえるんだ」
「はあ……」
そう言われれば、そうなのかもしれないとも思う。けれどそうでもないなとも思うし、あるけど弱いだけというならそれでいいのではないかとも思う。
「そうだとして、いったいなにがあるんですか?」
「いや? なにも」
なんなんだろう本当に。
「ああ、ちょっと困らせてしまったかもしれないね。ぼくはこういう性分なんだ。気になることはすぐに解消しなければ気がすまない。それだけなんだよ」
フフンと笑って、棒状に切られた野菜を囓るペリドット。本当に興味があるだけだったのか……。
「けれどね、今の話はもしかしたら、ちょっとだけ重要なことかもしれないね。ぼくにとってはそうでもないけれど、君にとっては違う気がするよ。その少しだけ珍しい性質のおかげで君は君のままここにいられるけれど……―――」
彼にとってはちょっと気になった程度のこと。でも僕にとっては違う。
僕は首を傾げ、それがいったいどういうことなのか耳を傾けたけれど……その先が口にされることはなかった。
「おう、誰かと思えばペリ野郎じゃねぇか。どういう組み合わせだこりゃ?」
僕の背後からそんな声が、ペリドットの言葉を遮ったからだ。
聞き慣れた男性の声に、僕は振り向く。べつに見なくても誰かは分かっていたけれど。
「やあリッキーノ。久しぶりだね、元気にしていたかい?」
「一文字も合ってねぇんだよ。相変わらず頭が幸せそうだなテメェは」
え、誰だリッキーノって……ってビックリしちゃったけれど、後ろにいたのはやっぱりウェインで、やたらと嫌そうな顔で後頭部をボリボリ掻いていた。
彼と今日会うのは二回目だ。どうやら二階の大部屋から降りてきたらしい。
「そろそろガキんちょが戻ってるだろうって訓練してやりに来たんだけどよ、なんだこのテーブルは。お前らこんなに食えるのかよ」
「フフン、馬鹿を言うなよ。食べきれるわけないじゃないかこんなにも」
「馬鹿はお前なんだよ」
ウェインは呆れ顔でテーブルの横にまでやってきて、手づかみでテーブルの上に骨付き肉を取り齧りつく。……当然のように食べたね。残すよりいいけど。
「というか君、彼に稽古をつけてあげているのかい? 驚きだね。そういうことするタイプだったっけ?」
「なりゆきでな。テメェこそガキんちょになんの用だよ。他人に興味ないタイプだろ?」
「なにを言うんだエイシン君。ぼくだって人並みに他者のことを気にするサ」
「だったら名前くらい覚えろ」
椅子には座らず背もたれに寄りかかり、さらにテーブルから掠め取った肉を食べるウェイン。それを咎めることなく笑うペリドット。このやりとりからして、仲が良いのか悪いのかはイマイチ判別つかないけれど……どうやら二人は知り合いらしい。
それだけでちょっと肩の力が抜けてしまった。
「ねぇウェイン。ペリドットさんってどんな人なの?」
「馬と自分のことが大好きな変人野郎」
聞いてみたらもっと肩の力が抜けた。だるんだるんだ。
「借金して馬買って、餌代とかでさらに金がかかることに頭抱えて、結局冒険のために馬買ったのに馬のために冒険することになった馬鹿だよな?」
「フフン。そんな借金はとっくに返したとも。第一、メルセティノの活躍を考えれば大した出費じゃなかったサ」
…………ま、まあ、ちゃんと馬の世話をしていることと、借金を返したのは偉いのではないか。
そう考えるとやっぱり、変な人ではあるけど悪い人ではない気がする。
「それに想像してごらん。美しき白馬に跨がる美しきぼくの姿を。それだけで詩になると思わないかい?」
自分で美しいって言っちゃうんだ。すごいな。たしかにカッコいいしキラキラしてるけど。
「ヒシ……メルセティノは芦毛でしたけど」
「芦毛の馬は歳を経て白馬になるのだよ。そう、ちょうどぼくの名声がこの世界の隅々まで響き渡るころにね!」
ビシィ、とポーズをキメるお馬さん好きの人。
うん、強い。たぶんこの人は心が別格に強いんだと思う。なんかそんな感じがする。
「もう分かったろガキんちょ。コイツの相手を真面目にすると疲れるだけだぞ」
「まあ……うん。そうかも」
ここまで話して、やっぱり変な人だなとしか思えない。綺麗だし笑顔がキラキラしてるし食事も奢ってくれたけれど、メルセティノの仲間だけれど、それはそれとして変な人だ。
「そんでマジな話、自分が好きすぎて他人に興味ないお前が、ガキんちょになんの用だよ。ただの気まぐれならそろそろ訓練連れてくぞ」
「ううーん、なかなか心外だ。君のぼくに対する評価は後々話し合う必要がありそうだけどね? まあ彼になんの用かと言うと、実は聞きたいことがあるんだよ。だから今日は引き下がってくれないかい? 今日の彼の訓練はぼくがしておくから」
「お前が? ガキんちょの訓練?」
「フフン。彼は戦士志望なのだろう? だったらたくさん食べて身体を大きくするのも修行サ。今日は動けなくなるまで食べてもらうつもりだから、君の稽古は無しだ」
「……まあ、たしかにガキんちょは細っこいからな」
たくさん食べるのも訓練……そんなの考えたこともなかった。
好き嫌いすると大きくなれないぞ、と言われたことはある。なるほど食べる人は大きくなるのは当然だ。そして、大きい人は力が強い。なら、たしかに戦士にとって食べるのは訓練になる。
―――意識して強い身体をつくる、か。もしかしてこの店の食事の量が多いのって、そういうことなのかな。
「で、ガキんちょに聞きたい事ってなんだよ?」
「ムジナ翁のこと」
ドクン、と心臓が鳴った。その驚きは声をあげるような類のものではなくて、もっと静かで、心の隙を突かれたような。
視界の端でウェインが、ああなるほどな、みたいな顔をしていたのが印象的で、けれど僕はそちらを見る余裕なんてなかった。
「彼はぼくの友人だったからね。できれば君の口から、彼の話を聞かせてくれないかい?」
そう言ったペリドットは悲しそうで、寂しそうで、今ばかりは―――大切な友人を亡くしたばかりの、普通の人に見えたのだ。