お捜しの冒険者
やっぱり不思議な子だ。
ユーネを挟んでベンチの向こう端に座っている彼は、教典の一節をあっさりそらんじた。
原文のままではなくて分かりやすく簡略にしていたのだけれど、だからこそ理解までしているのが分かる。
もしかしたらユーネより詳しいのではないか。このおっとりとした幼馴染みは真面目だから毎日勉強してはいるけれど、教典を読むとすぐに寝てしまう性質をしている。
冒険者はならず者の集まりのようなイメージをされている。―――実際、大半はそうなのだろう。詩になるような英雄は一握りだけで、多くの冒険者はゴロツキとそう変わらない。冒険者の店で最初に会って言い合いをしたあの男など、その顕著な例だろう。
けれど、彼にそんな印象は一切持てなかった。
そもそも弱そうだから、というのはもちろんある。槍と鎧で武装していても、薬草採取のカゴを背負う彼に恐いイメージを持てない。
でも彼は自分の分の水筒の水をくれるほど親切で、アーマナ神の教典を読んで理解できる教養があり、なにより仕事に対する態度が真摯だった。
正直、冒険者らしくない。なぜ彼が冒険者をやっているのか分からないほどに。彼であれば普通の仕事にも就けると思うし、その方がきっといいのではないかという気すらする。
ただ……一つ言える。どうやら彼は信用できそうだ。
彼について行って、いろんなことが分かった。
失敗したし、足りない物も知れたし、なにより漠然と抱いていた冒険者のイメージとは全然違う彼の存在そのものがわたし自身の持っていた偏見を払拭してくれた。
流れで組むことになったパーティだけれど、そのきっかけになったあの無礼な戦士の男は気に入らないけれど、最初に彼と組めたのは幸運だったのではないか。
まあ―――彼はきっと、マグナーン商会が望む人物ではないのだろうけれど。
「む……」
果汁は甘酸っぱくて美味しいのに、役目を思い出してしまって渋い顔になる。
はぁ、とため息を吐く。正直あまり気が進まない。わたしは冒険をしたいのであって、マグナーンのために働きにきたわけではない。
「ユーネ、そろそろ観念して飲みなさい。飲まなければ帰れないわ。喉も渇いているでしょう?」
「うう……はいぃ」
両手でコップを持った幼馴染みが、手を動かすのではなく顔をコップに近づけるようにして、おそるおそる口をつける。途端、顔がほころんだ。
「わ、美味しいですねー」
「ええ、外で飲んでも不味くなったりはしないわ」
むしろ美味しく感じるほどだ。それが外だからなのか、疲れているからそう感じるだけなのかは分からなかったけれど。
「この果汁、おいしいよね。こんなに美味しい飲み物があるんだ」
キリはこの果汁がいたく気に入ったようだ。一口含んで、大切にじっくり味わってから飲み下すみたいな飲み方をしている。
田舎者だから、こういう味を楽しむ飲み物にあまり縁が無かったのかもしれない。……この果物、この町では珍しくないものだけれど。
わたしは彼の顔をじっと見る。……まあ信用できる相手だけれど、あまり頼りにはならないだろう。
とはいえ彼は一応先輩で、わたしたちが唯一知っている冒険者である。
だからやはり、マグナーン家としての役目を始めるならばまず、彼をとっかかりにするべきだろう。……大して役に立てている実感もないままに利用するようで、なんだか忍びないのだけれど。
「ねぇキリ」
「なに? リルエッタ」
「貴方、下水道の新しい区画を発見したパーティのことって知らないかしら?」
「な……」
「ウェイン、シェイア、チッカ。この三人が下水道で新エリアを見つけた冒険者だよ」
冒険者の店でキリが紹介してくれたのは、人間で戦士の男性、同じく人間で魔術士の女性、そしてハーフリングで斥候の女性の三人組だった。
「な…………」
テーブルを囲んでカードゲームに興じていたらしい三人はどうやら賭け事をしていたようで、各々の手元に銀貨を積み上げている。―――最も勝っているのは魔術士で、二番目は斥候。戦士の銀貨は三枚しかなかった。
「ようガキんちょ、今日ははえーな。……三枚」
「おかえり。……降りる」
「首尾はよさそうだねチビ。顔見れば分かるよ。……コール」
名前を紹介された三人は順番にキリに挨拶しながら、ゲームを続けていく。賭け額が決まって、戦士と斥候の手札が開かれた。
「だー! チクショウまた負けかよ!」
頭を抱えてそう叫んだのは、戦士の男。―――前髪の一房だけが白の、濃い茶髪をした背の高いその男性には、見覚えがあった。
「なんでこの男なのよ!」
この店で最初に会ってわたしと口論になった、あの無礼な男だったのだ。
「ほうほうなるほど? つまり嬢ちゃんたちは俺たちに話を聞きたいと」
「そうなんですよー。実は下水道の新区画の件、商人ギルドでは大変な騒ぎになってましてぇ。素晴らしい大発見だー、これでこの町はさらに発展するー、大手柄な冒険者の英雄に感謝ー、ってそんな話でもちきりですよー。まさか最初にお会いしたお兄さんが御当人だったとは露知らず、失礼な物言いをしてすみませんー」
「ハッハッハ、いいさいいさ。しかし、そうかそうか! いやぁ、下水道の探索には結構苦労したからなー!」
六人で座るには、さっきのテーブルは小さかった。なのでわざわざ三人組には移動してもらって、大きめのテーブルを囲んだ。
こちら側はさっきのベンチの時とは違って、ユーネ、わたし、キリの順で席に座った。あちら側は戦士、魔術士、斥候の順で座っていた。―――たしかウェイン、シェイア、チッカだっただろうか。
今は端同士で向かい合ったユーネとウェインが話しているところだ。……本当はマグナーン家であるわたしが主導で話さないといけないのだけれど、向こうにあの男がいる時点で無理だ。どうしてもケンカ腰になってしまうと判断したので、この場はユーネに任せている。
「ユーネたちはその話を聞いて、冒険者って凄いなー格好良いなーって憧れて、このお店に来たようなものなのです。それでですねー、皆さんにはぜひ、下水道の冒険についてお話を伺えないかなと思っていたんですよー」
「おお、いいぞいいぞ。何が聞きたい? やっぱ洞窟ワニのことか? ヤツら濁った水の中に潜って近づいてくるから、本当に跳びかかられる瞬間まで全然気づけなくってよ……」
さっき賭け事で負けたばかりの男は、ユーネの棒読みな持ち上げ方にも気づかずすぐに上機嫌になった。最初に会った時も思ったが、どうやらずいぶん頭が弱い男らしい。
対して、真ん中に座った魔術師の女は不気味だ。この席に座ってから一言も喋らず、背筋を伸ばした姿勢で静かに湯冷ましを飲んでいる。
キリの前に座った小さな斥候は頬杖をついて、面白そうにわたしとユーネを観察している。目も口元もニヤけているけれど、まるで一挙手一投足の全てを見られているような気分になる視線だ。ハーフリングの感覚は人間よりも鋭いと聞くが、それが全て自分たちに向けられているような気がする。
……ちなみに、キリは居心地悪そうにわたしの隣で座っている。
「下水道のマップについては話せない」
コトン、と小さな音を立てて木のコップがテーブルに置かれた。真ん中の魔術士……シェイアの声は静かなのに、左側の戦士のバカ声を押し止めるように響く。
―――正直、なかなかやるな、と思った。
「なぜ?」
この場について、わたしは初めて声を発する。……いや、発してしまった。これでは、こちらの狙いはそれですよ、と白状しているようなものだ。
「すでに領主へ売った後」
なるほど。理由は理解したし納得できる。……ただ、それは商人としてだ。
わたしはチラリとシェイアの隣に視線を向ける。ハーフリング……チッカというらしい斥候は、やれやれと頬杖を解いた。
「正確には、売ったのはここの店主にだけれどね。バルクがちゃんとやってたらそのまま領主に渡ってるはず。つまり下水道新エリアのマップは、領主とバルク、そして実際に隅々まで探索したこの三人しか知らないわけ。……だからこそ、あのマップは高く売れたんだよ」
しっかり守秘義務をわきまえている。冒険者なんてゴロツキと一緒だと教えられてきたけれど、ちゃんとしている者もいるのだろう。
「お金を払うと言っても?」
「もちろん断る。冒険者は信用が大事だからね。どうしてもって言うのなら他の冒険者を雇って探索させなよ。……もっとも、この町の冒険者の店の壁は使えないだろうけれど」
「そう。いいお話を聞けたわ。ありがとう」
フフ、と。思わず笑ってしまった。今から店を介さずに依頼できる冒険者を見つけて探索させたとしても、さすがに間に合わないだろう。
冒険者は守秘義務を守る。冒険者の店は、依頼人の利益を損ねるような別の依頼は受け付けない。
存外に、商人の常識は通用するらしい。
「えっと……なにがいい話だったの?」
隣のキリが首を傾げている。まあ無理もないだろう。賢い子だとは思うけれど、田舎者に今の話は理解できないはずだ。
「新しく発見された下水道の区画がどの辺りなのか分かれば、大きな商機に繋がるわ。……例えば誰も知らない内にその辺りの土地を買い占めることができれば、数日待ってるだけで値段は何十倍にもなるでしょう」
「地面に値段がつくの?」
……そこからなのね。キリって世間知らずだ。
「まあ、それにはもう間に合わないけれど、これから間違いなく活気づく場所が分かっていればいくらでも抜け駆けができるわ。……でも、そういうのは無理みたい。残念ね」
「そこまで残念そうには見えないけれどね」
チッカはしっかりこちらを見ている。やはり彼女もなかなかやるようだ。
ダメなのは話についてこれていそうにない、目を白黒させている戦士の男のみらしい。
「ま、アンタがここに来た理由はだいたい分かったよ。どうやら、海塩ギルドは商売の手を広げたいらしいね」