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果汁とベンチと教典と

 三日目の探索は、まだ陽が高いうちに町まで帰ってこれた。

 もちろん歩くペースは遅い。休憩も多い。けれどすでに目的地の場所が分かっているというのは大きくて、まっすぐ歩いて行けるのに加え気分的にも余裕がでてくる。リルエッタとユーネがさっそく水筒を買ってきていたのも大きかったかもしれない。


 町の門をくぐってから、紫の花でいっぱいになったカゴを背負い直す。ちょび髭の兵士さんが軽く手を上げてくれたので、手を振って返した。

 今日はなにごともなく成功して戻って来れて、それが嬉しかった。僕がパーティを組むなんて不安しかなかったけれど、なんとかなってくれている気がして誇らしい。

 組んでいるうちはこの二人を無事に帰そう。


「ね……ねえキリ。貴方、二日続けて山登りしてもなんともないの……?」


 その声はけっこう後ろから聞こえて、ハッとして慌てて振り向く。リルエッタとユーネの歩みはかなり遅れていた。

 町の中に来たから油断していた。無事に帰って来れて嬉しくなったし、地面が平面で歩きやすくって、彼女たちを気遣うのをつい忘れてしまっていた。もう危険はないだろうけれど、歩調を合わせないと。


「ごめん。僕も疲れてるけれど、歩くのは前から慣れてるから」


 村は山に囲まれていたし、毎日水汲みでけっこう遠くまで歩いていたから、歩くのも道が悪いのも慣れている。石畳の平坦な道なんてこの町に来て初めて歩いたくらい。村の子たちと遊ぶときも、あまり遠くには行けなかったけれど野山だった。

 それが普通だと思っていた。けれどこの町ではきっと、それは普通ではないのだ。前に一緒に登った斥候のお姉さんもツラそうだったし。


 僕だって疲れている。シルズン山は山としては低いけれど、それでも山には違いない。

 であれば、彼女たちが限界なのは当然だ。町に入るまでは頑張ってついてきたけれど、門をくぐって安心したらへばってしまったとか、そんなところだろうか。


「キリ君はすごいんですねえ……」

「田舎者はこれだから……」


 まあ、田舎者だからだと思うけどさ。


「それより、まだ時間はあるでしょう? 町まで来たのだから少し休憩してみない?」

「え?」


 リルエッタが指で示したのは、大通りの端にある露店だった。






 見たこともない黄色い果物が半分に切られると、みずみずしい果肉が覗く。それが絞られると、びっくりするほどの果汁が流れ落ちた。果物二個で受け止めた木のコップがいっぱいになった。

 受け取ってお金を払う。今日の朝食とほとんど同じ値段。紫の花の薬草を見つけられて懐に余裕があるしいいけれど、ちょっと高いなって思う。


「これ、一度やってみたかったのよね」


 コップは返すため、背中のカゴを降ろしてお店のベンチで座って飲む。リルエッタが左端にハンカチを敷いて座って、なんだか困った顔をしたユーネは真ん中にそのまま座ったので、僕は右端。

 背もたれのない長椅子は三人で座ると少し狭くて、ユーネの膨らんだ袖が当たってくすぐったかった。


「へぇ、なかなか美味しいじゃない」


 果汁を一口飲んで、リルエッタから笑顔がこぼれる。どうやらお気に召したらしい。彼女の水筒はとっくに空だったし、きっと喉が渇いていたのだろう。


「お嬢様……道ばたで飲んだり食べたりするのって、はしたないって言われちゃいますよぅ……」

「ユーネ、それは古い考え方だわ。このお店はここで絞った果汁をここで飲むようにベンチを用意しているのよ。つまりこの果汁はこうして飲むのが作法なの」

「ものは言いようですねぇ……」


 ユーネが困った顔をしていたのは、道ばたで飲み食いするのに抵抗があるかららしい。両手でコップを持って、なんだかビクビクして縮こまってしまっている。

 逆にリルエッタは楽しそうだ。さっきの言葉からしてこれが初めての経験なのだろうけれど、見るからに顔が輝いている。よほど露店の果汁を飲むのが嬉しいらしい。

 なんだか普段は禁止されていることを、あえてやってる感じ。


「ねぇ、なんで外で飲むのがダメなの?」

「え?」

「はい?」


 よく分からないので聞いてみると、二人は不思議そうな顔をした。あれ? そんな顔する?


「冒険者ならうるさく言わないでしょとは思ったけれど……そもそも知らないとは思わなかったわ。でもそうね、田舎にはそういうの、ないかもしれない」

「キリ君と一緒にいると、いろんな発見がありますねー」


 なんだろう。もしかして二人とも、僕と住む世界が違うのかな。たしかに普通じゃない感じはするけれど。

 でも僕の知ってる町の人の普通って冒険者たちだから、彼女たちの方が普通だったりするかもしれない。


「貴方にとっては馴染みのない風習でしょうけれど、淑女にとってこういう道ばたでの買い食いははしたない行為だから、やってはいけないって言われているのよ」

「え? でも冒険者の女の人たち、普通にやってるの見たことあるよ?」

「冒険者の人たちはあまり気にしないかもしれませんねー。ただ気にする人は結構いるんですよ。上流階級の人だとかなり白い目で見られちゃいますし、普通の人でも女性はわりと勇気はいると思いますよー?」


 そういうものなのか。村にはそもそも露天商なんてなかったし、そういうの全然気にしてなかったからピンとこないけれど、たしかに道を歩いていて見る露店では男の人が食べものを買っていることが多い気がする。


「それとあと……ユーネみたいに修道院にいたことがあったりすると、厳しく躾けられます……」


 何か思いだしたのか、ブルリと身を震わすユーネ。修道院は知っている。村の神官さんが昔いたところだ。とても厳しい場所だって言っていた。

 あんなふうに震えるほどだったとは。


「あら、神さまだって女性が道で食べたり飲んだりすることを禁じてはいないわ。ただの古くさくって頭の硬い連中のさび付いた価値観よ。わたしはそういうの嫌いだわ」

「そりゃあたしかに、教典でそういう文言は見たことありませんけれどー……」

「うん、そんなお話はなかったよ」


 こんなことも気にしなければいけないなんて町の女の人は大変だ。なんだか理不尽な気さえする。

 そういう変な風習なんてなくしてしまえばいいのに、どうしてそうしないのだろうか。……そんなふうに思いながら、コップに口をつけて果汁を飲む。

 ―――え、すごく美味しい。なんだろうこれ、甘くて酸っぱくて、後味がすごくサッパリしてる。こんなの飲んだことない。


「おや、キリ君はアーマナ神の教典を読んだことがあるんですかー?」

「え? うん。全部読んだよ」

「……はい?」


 なぜかからかうような感じで聞かれて、答えると驚かれた。


「神さまの教典でしょ? 村の神官さんに借りて読んだよ。僕、教典を薄く簡単にしたヤツを写して文字を勉強したし」

「…………大地母神アーマナの子ヤルフザーグは無垢なる人の一人に鍛冶の秘技を教えましたが、無垢なる人は言いつけを守らず秘技をみなへ広めてしまいました」

「無垢なる人々はたくさん鍛冶をしていろんな道具を作ることができましたが、水と大地が汚れてしまい、悲しんだアーマナ神は恵みを枯らしてしまいました」


 あんまり細かくは覚えてない。神官さんみたいに一言一句間違えずに暗唱するなんてできない。けれど話の流れくらいは覚えている。

 これはたしか、けっこう後の方にでてくるお話。


「ほ、本当に読んでる……これは本当に読んでますよお嬢様!」

「落ち着きなさい、ユーネ。キリがいたのは田舎の村よ。教典が全部揃ってるはずないじゃない」

「あ、なるほどー」

「どういうこと?」


 リルエッタとユーネの会話に首を傾げると、ユーネがフフンと指を立てて教えてくれる。


「アーマナ神の教典はとても分厚いものが何冊もあるのですよー。一般にも広まってる基本的なものから、教会関係者しか目を通さないようなマニアックなもの、そして司教以上しか持つのを許されない専門的なものまで。キリ君が読んだ物は、たぶん基本的なものなのではないでしょうかー」

「あー、そういうこと」

「そうですそうです。そういうことにしておきましょう?」


 なんだかユーネが妙に必死だけど、なんでだろ?


「ちなみに、そういう教典にはどんなお話があるの?」


 気になって聞いてみると、ユーネは目を逸らした。


「それはー……それはとても専門的なお話になるので、また今度しましょうかー」


 前にリルエッタも言ってたね、それ……。


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[一言] 覚えてないんですね~ユーネ(笑)
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