マグナーン
不思議な子に出会った。
その子はわたしよりも小さくて、槍と鎧と鉢金で武装してるのに弱そうで、イメージしていた冒険者とは全然違っていた。
彼よりも下だ、と無礼な冒険者に言われて、憤慨した。けれど彼について行ってみれば、わたしは足手まといだった。
町を出発してすぐ靴擦れし、戻ることになったのは完全にわたしの落ち度。せめて翌日にそんな恥ずかしい思いをしないよう薬草について予習をしていったけれど、彼より先に見つけることは一度もできなくて、途中からは歩くだけで精一杯でろくに探してもいなかった。
水筒の水をもらって酷い味と言ったのは、半分は悔し紛れ。不味かったけれど飲めないほどではなくて、カラカラの喉が潤って活力が湧く思いだったけれど、それはそれとしてなにか言っておかなければ負けのような気がしたのだ。……素人の彼には必要もない知識なのに、調薬と錬金術の細かい違いを指摘してしまったのも、それと同じ感情のせいだと思う。
たかが薬草採取。冒険者の仕事としては初歩の初歩。
それでもわたしは、そんな不細工な意地を張ってしまうほど、足手まといだった。
「……ユーネ」
「はい、なんでしょう?」
冒険者の店で薬草を換金してもらい、あの子と別れた後。
もうすっかり暗くなってしまった帰途の道で、幼馴染みに問いかける。
「わたし、役に立てたのかしら?」
「そうですねぇ」
大きな帽子をかぶったふわふわ髪の彼女は、唇に人差し指を当てて考える。
「あのマナ溜まり? の場所を見つけたのはお嬢様なのですし、ユーネよりはお役に立てていたと思いますよー?」
たしかに、それはそう。
あの一件がなければきっと、わたしはみじめな気持ちでこの道を歩いていただろう。なんの役にも立てなかった、ただの足手まといとして。
―――ありがとうリルエッタ。
そう言われて、びっくりしてしまった。
初歩の魔術……それも一番簡易な探査で、あんなふうにお礼を言われるなんて予想もしていなかった。あの心から喜んでくれている笑顔を、演技ではないと確信するまでに時間がかかってしまったほど。
彼は……―――
「ねえユーネ……あの紫の花、綺麗だったわね。素晴らしい光景だったわ」
「はい、それはもう」
ニコニコふわふわと、幼馴染みは頷いてくれる。
彼女の笑顔と同じくらい、わたしの心もふわふわしていた。
「世界にはもっといろんな、綺麗で素晴らしい光景があるのでしょうね」
「でしょうねぇ」
立ち止まって、夜空を見上げた。今日は朝からずっと雲一つなくて、だから満天の星空もよく見えた。
星に手を伸ばす。掴めないのは分かっていたけれど、そうしたかった。
「わたし、その全部を見たいわ」
エルフみたいに千年の寿命があれば、もしかしたら可能かもしれない。でも人間の自分には無理だと分かっている。
けれど見たいものは見たいのだ。そう想うことに、願うことに、なにを憚ることがあろうか。
「なら、まずはたくさん歩けるようにならなくちゃですねー」
この幼馴染みは、たまに痛いところをついてくる。たしかにそれは必要だろう。わたしの夢は、世界中を旅して回らないと叶わない。
「まあ、しばらくキリ君について薬草採取していれば、体力もつくでしょう……ただ、冒険者になったもう一つの目的の方も、忘れないようにしてくださいねー。でないと連れ戻されてしまいますよ?」
「……分かってるわ」
はぁ、とため息を吐く。
夢は夢だ。叶えたいけれど、そう簡単ではない。
まずはマグナーン家の人間として、やるべきことがある。
「へー、爺さんの宝探しか。面白そうじゃん」
小さな姿が踏み込んでくる。小賢しくフェイントを入れて、顔を狙うと見せて途中で止め、足を払ってくる。―――この訓練も三日目だ。そろそろ慣れてきたのか、ガキんちょも攻撃に遠慮が無くなってきた。
狙いは悪くない。だが、技と技の繋ぎがまだまだ。見てから反応で十分対応できるし、そもそも目線でバレバレだからなにも恐くない。
無理な体勢で隙が出たところを、踏み込んでやって鉢金を叩いてやる。
「……ぐぅ」
夜の暗さごしでも、悔しそうな顔をするのがわかる。いいな、そういうヤツは伸びしろがあるもんだ。なにせ昔の俺はそういうヤツだった。
まあ、この歳のガキんちょなんて伸びしろしかないんだが。
「宝探しって、薬草なんだけど……」
「いいじゃねぇか。マナ溜まりってのは特別な場所なんだろ? 冒険して、爺さんの遺した宝の在処を見つけるなんてよ。なかなか冒険者って感じしてるぜ」
聞くだに面白そうだ。なんなら俺も仲間に入れてくれねぇかな。宝探しなんて楽しそうだし。
探索系とかマジで役に立てないだろうからやんねぇけど。もうCランクになるってのに、低ランクの足手まといとか恥ずかしくって死ぬかも。
「まあ……うん。そう言われればそうかも?」
難しそうな顔をするなよ。冒険者はそういうところテキトーに生きてるもんだぞ。
「それよりウェイン。叩くときズルしてるでしょ」
「は?」
図星だから変な声出た。
「叩く直前、手の中に枝を引っ込めてる。指で叩いてるんだから枝が折れるわけないじゃん」
見やがった……! 攻撃されても目を開けたままでいられる訓練、コイツの性格ならまだ時間かかると思ってたのに!
ヤベぇ次の訓練なんかなんの用意もしてねぇ。なにやるかも考えてねぇぞ。
「ほ……ほう、よく見抜いたな。なかなかやるじゃねぇか」
「なんであんな小枝が全然折れないのかなって、ずっと気になってたからね。まさかズルされてるとは思わなかったけど」
謎に対する好奇心が肉体の反射を上回りやがった……。頭はいいと思ってたが、やりにくいにもほどがある。俺が、これやられたときは、種明かしされるまで疑問にも思わなかったぞ。
「えー……えっとだな、これは……そう。この訓練はそれを見破れてやっと一段階目ってところだ。一回できた程度じゃまだまだだからな、実戦でできるようになるためにはさらなる段階を……」
「ホントにそういう訓練なの?」
ちくしょう厄介だなコイツ……! 嘘が通じねぇ。
「く、訓練の効果は疑うんじゃねぇ。前衛なら攻撃を食らいながらでも目開けとかないと、脇抜けられて後衛狙われっぞ!」
「むぅ……」
お、やった怯んだ。
魔法使いの二人とパーティを組んだからか、今のは効いたらしい。いやぁ良かった、コイツにあの面倒くさい新人押しつけといて。
「でも、あの二人はすぐに他のパーティにいくでしょ」
その言葉はさらりと、当然のことのように。
……あー、と。まあそうか。
「魔法を使える人って珍しいって話だし、入れてくれるパーティはあると思うよ」
実際、そうなるのだろう。魔法が使えるヤツがパーティにいるとできることにグッと幅が出る。あの小さいのの性格には難がありそうだが、それでも欲しいというヤツらはいるはずだ。
あの二人が、薬草採取しかできないヤツのところに残る理由はないだろう。……それをこのガキんちょは、正しく理解している。
「つーか、惜しくもなさそうに言うよな……」
「だって僕一人だったら、危ないことがあっても全力で逃げられるし」
前衛はそれがダメだって分かってるんだろうな。逃げるにしても、殿を務めないといけないのが装備の厚いヤツの義務だ。
なるほど一人の方が気楽か。
「んー……」
かけるべき言葉はあるだろうか。教えとくべき話はあるだろうか。心がけさせるべき教訓はないだろうか。
いろいろ考えて、ねぇな、と舌を出した。
流れで組んだ仮のパーティだ。流れで解散すればいい。あの二人には本格的な冒険者活動をする前のいい経験になっただろう。ガキんちょも探し場所を見つけられてハッピーだ。お互いに良い結果を残せたなら上々である。
「ま、冒険者やるならいずれは、他のヤツらとパーティ組むこともあるからな。今のうちにできるようになっとけよ」
「いつか必要になったときのため、ってのは分かるよ」
そうか分かってくれるか。頭いいもんなお前。先を見据えて地道に訓練していくとか、俺はスゲぇ嫌だった。
「でも、いつかじゃなくって今必要になるかもしれないことも教えてくれない? そもそも僕、攻撃の技って突きと払いしか教えてもらってないんだけど」
「おぅ……そっか」
たしかに攻撃の仕方とか全然教えてねぇわ。適当にやらせて鉢金叩いてただけだもんな。俺は馬鹿か。どうしようなんも思いつかねぇ。馬鹿だったわ。
「よ……ようし分かった。なら、今日はアレだ。アレ。アレ教えてやる」
「どれ?」
「あーっと、アレだ。うん、アレ」
アレ、アレと繰り返してなんとか自然に時間を稼いで、そして頭にやっと浮かんだ単語を縋るように口に出す。
「奥義」
……コイツには絶対に早ぇ。
言った直後にそう、自分の胸の内だけでツッコミを入れた。
「えっと……何やってるのさシェイア?」
夜になって冒険者の店に顔を出すと、とんがり帽子の魔術士がテーブルに突っ伏して頭を抱えていた。
「チッカ」
「ああチッカだよ。で、どうしたの。悩み事?」
「後悔してる」
極度の面倒くさがりの彼女は、話すのも面倒くさがるからいつも言葉が足りない。普通の雑談であればここで話が終わることも珍しくはない。
「あの子が、探査の魔術を教えてくれと言ってきた」
話が続くのなら、聞いてほしいことなのだろう。
「それで?」
「面倒くさい」
整った顔をこれでもかってほど歪めるシェイア。ハーフリングの自分から見ても美人だと思うが、この人間の女は性根がもうダメだと思う。
「魔術は危険も伴う。適当には教えられない」
まあ、そういう常識があるだけマシではあるけれど。
「面倒くさいのに断らなかったんだ?」
「……私は、約束は守る方」
約束ね。―――だから面倒くさいけど請けるしかなかったのか。
誰と交わした約束なのか、シェイアは言わなかった。……言わなくても伝わると思ったのであれば、その相手はきっとムジナ爺ちゃんだろう。
あの老冒険者の最期に立ち会ったとき、その場にいた自分たちは彼のことを頼まれてしまったから。
まあ、だからって何から何まで世話をしてやったりはしない。そんなものは冒険者のやり方じゃない。
今も店の裏手でウェインが戦い方を教えているが、ああいう感じでちょうどいい。魔術を使うというのなら教えてやるのもいい。けれどそれ以上の干渉をしたらダメだ。やめた方がいい。
なぜなら……冒険者なんかに、マトモに子供を導くなんてできるワケがないのだから。
「そういえば、そのチビのパーティに入ったあの新人二人。面白い噂を聞いたよ」
「噂?」
「あの小さい方の子、リルエッタ・マグナーンだってさ」
「マグナーン? 海塩の?」
さすが話が早い。シェイアはこの町の人間だから、その名はよく知っているのだろう。
「そう、町の塩田を牛耳る海塩ギルドの長の孫。言わば、お塩のお姫さまだ」