冒険失敗
できることと、知っていることはやろう。
そう決めてもやれることは、唯一知っているパーティリーダーのマネをすることだった。冒険者になってまだ日の浅い僕には、それくらいしかない。
ただ……あの人のように上手くやることはできないだろうと、なんとなく分かっていた。
そして僕は、すぐにそのことを思い知ることになる。
「キリ、キリ、キリ……なんだか慣れない響きだわ。貴方のそれ、ちょっと珍しい名前よね」
そんなふうに言われたのは、町の北西の門が見えてきたころだった。
初めて言われたし、珍しいというのにも驚く。たしかに同じ名前の人は知らないのだけれど。
「えっと……珍しくない名前ってあるの?」
「? それはあるでしょう。わたしのリルエッタだって、そこまで珍しくないもの」
「ユーネもあんまり珍しくありませんねー。でも、キリは聞いたことありません」
歩きながら、空を見上げる。今日は雲が少しあるけれど、雨が降ることはないだろう。
「キリって変な名前かな?」
「いいえ。でも格好よくはないし、馴染みがないから戸惑うわ。改名したらどうかしら? 一音か二音足すとかどう?」
「ええ……?」
無茶苦茶言うなこの子。なんで会ったばかりの初対面で、名前の改名を勧められるのだろうか。それにキリって呼びにくいわけじゃないし、彼女が慣れてくれればそれでいいと思う。
しかし、珍しい……か。なるほど。
「町だと人が多いから、同じ名前の人ってけっこういるんだね。僕の村だとみんな違う名前だったよ」
「あら? 貴方は町の生まれではないの?」
「うん。南西の門から、三日くらい歩いたところにある村の生まれだよ」
「ふぅん、田舎者なのね」
道中、大したことのない話をしながら歩く。門のところの兵士さんに挨拶すると、今日は仲間がいるんだね、と言われた。
僕はそれに、曖昧に笑って返す。
「ねぇキリ。さっきの門兵、貴方のことを知っているようだったわ。知り合いなの?」
門をくぐり町の外に出てすぐ、さっきのやりとりを見ていたリルエッタが話しかけてくる。
冒険者の店での様子からもっとつっけんどんしているかと思っていたけれど、彼女は意外と話好きらしい。
「いつも朝に挨拶するだけだよ。僕みたいな冒険者は珍しいから、覚えてくれてるんだと思う」
「キリって小さいものね。お店で見かけたときも小さいって思ったけれど、改めて見ても小さいわ」
……たしかに僕より彼女の方が背丈は高いけれど、だからってそんなに得意気になるのは納得いかない。彼女だって十二歳くらいにしては、かなり背が低い方だと思う。
「リルエッタだって小さいじゃないか……」
「わたしはこれから大きくなるもの。ねぇ貴方、ちゃんと食べているの?」
「食べてるよ」
「本当にですかぁ? お嬢様みたいに好き嫌いばかりしてません? 野菜もお肉もちゃんと食べないと大きくなれませんよー」
ユーネが心配そうに話に入ってくる。たしかに好き嫌いはダメだ。ちゃんと全部食べないとお腹が空いてしまう。
とはいえ、あんまり辛かったり苦かったりするのは苦手。大人になると美味しく感じるようになるって言われたギザギザの山菜も魚のワタも、食べられなくって兄ちゃんにあげていた。
正直、あれを美味しく感じる日が来るとは思えない。
「ユーネ、貴女は黙ってなさい」
「でも、キリ君ってお嬢様より小さいですしー。本当に十二歳以上なんです?」
「もちろん十二歳だよ。じゃなきゃギルドに登録できないでしょ?」
本当は九歳なのだけれど、ギルドから除名されたら困るので十二歳と言い続けてる。……いけないことではあると思うのだけれど、最近は少し、この嘘に慣れてきてしまった。
「二人は? 何歳なの?」
あまりそこを掘り下げられると困るので、逆に聞いてみる。話題は同じでも、自分から逸らしてしまえば失敗してバレることはない。
たぶん背丈からして、リルエッタは十二歳。ユーネは十五歳くらいだろうか。
「わたしはこのまえ十二歳になったわ」
「ユーネは十四です。キリ君とお嬢様より少しだけお姉さんですねー」
リルエッタは当たって、ユーネはちょっとハズしてしまったけれど、やっぱりかなり若かった。このくらいの子……それも女の子というのは、冒険者の店だと珍しい。
少しだけ、不思議だ。
二人とも綺麗な服を着ているし、カゴもすぐに買えるくらいだからそこまでお金に困っているようには思えない。ユーネにいたってはちゃんと防具まで用意していて、革の小手をつけているし、あのダボついた服の下に革の胸当ても着込んでいるらしい。なんでも、治癒術士の聖職者がよくする装備なのだとか。
お金があって準備ができるのはいい。それはいいことだ。けれど、彼女たちが冒険者になった理由が分からない。ユーネはリルエッタのことをお嬢様と呼んでいたし、もしかしたらいいとこの子だったりするのではとか思うのだけれど。
聞いてみようかと迷って、けれどなんとなく聞きたくなかった。その理由はきっと胸の奥でモヤモヤしてる何かで、なんだか納得いかない気分で歩いていく。
「ところでキリ君、ユーネたちはどこへ向かっているのでしょう? まだまだ歩きますかー?」
「ああ、目的地ならもう見えてるよ。あそこの……―――あれ?」
ユーネがそう質問するのは当然で、そういえば行き先を言ってなかったなと反省して、答えようと振り向き―――異常に気づいた。
リルエッタがいない。
いきなりはぐれた? こんなところで? まだ街道も逸れてないのに? 驚いて捜して見れば、少し後ろで蹲っている姿があった。
「ど、どうしたのリルエッタ!」
「え、あっ! お嬢様っ?」
二人で慌てて駆け寄る。彼女は足を押さえていて、顔には苦悶の色が滲み出ている。
……ここはもう、町の外だ。壁と門で守られている場所じゃない、すでに危険な区域。
矢を受けたのだろうか。たしかゴブリンとかは粗末だけど弓矢を使うものもいるって聞いたことがある。
それとも罠とかか。魔物がそういうのを使うのかは知らないけれど、罠を設置できるやつがいても不思議じゃない。
いや、もしかしたら毒蛇とか毒虫のとかかもしれない。それも種類によってはかなりマズい。
「く……」
痛みに耐えながら、リルエッタが口を開く。
「靴が、痛いわ……」
………………靴。
改めて彼女の足を見る。複雑な模様が彫られて、染料で綺麗に塗られ、色とりどりの紐で飾られた、僕が見てもオシャレな木靴を履いていた。
「……わぁ、可愛い」
どう考えても長く歩けそうにないそれを見て、僕は両膝を地面に突き、両手も突いて、ただただ絶望したのだった。
「あー、靴なぁ。重要だよな、靴」
僕の突きをほとんど動かず紙一重で避けながら、ウェインがウンウンと頷く。
「俺はそんなオシャレ靴なんて履いたことねぇしなー。つーか、そんなん冒険に履いてくるヤツもいねぇしな。ちとそれは気づかなかったぜ」
夜。僕は月明かりを頼りに、昨日と同じルールでウェインと稽古していた。―――あの鉢金ぶっ叩き訓練だ。
今日も相手の手には短い枝しかなくて、僕は槍くらいの長さの棒を持っているのだけれど、全然当たる気がしない。もう三度も鉢金を叩かれて、まだ枝は折れていなかった。
「あんなに見事なのはなかったけど、僕の村にもああいう靴はあったよ。本当に特別な時にしかみんな履かなかったけどさ」
はぁ、とため息を吐きたい気分だ。稽古の最中じゃなかったら、きっと大きなのが出ていただろう。
僕は村から三日の旅をしてこの町に来て、着の身着のままで冒険者になった。だから当然、靴は旅用の歩きやすい物だったけど……そもそも僕だってウェインと同じでオシャレな靴なんて一回も履いたことないから、靴の選択を間違えるなんてことは有り得なかったわけで、偉そうなことは言えないけれど。それにしたってリルエッタは、あんな靴で冒険は無理だと思わなかったのだろうか。
いや……リルエッタはたしかにダメだったけれど、問題はそれだけじゃない。
だって―――ムジナ爺さんならきっと、出発前に気づいていた。今日の冒険があんな馬鹿みたいな失敗で中断したのは、僕がリーダーだったせいなのだ。
本当にため息を吐きたい気分で、僕はその気分を振り払うように棒を繰り出す。当たらなかった。
「んで、どうしたんだよ?」
「戻ったよ」
戻ったさ。
「ユーネが治癒術? ってやつでリルエッタの足の痛みを治したから歩けるようにはなったけれど、そのまま行くのは無理だと思って町に戻った。武具屋で靴を買おうとしたら小さいから合うのがなくって、売ってるところを教えてもらって連れて行ったけど、元から出発が遅れてたところにそんなんだったからもう今日はダメだってなって解散した」
「アッハッハ」
笑われたのがムカついて、大振りで棒を横薙ぎにするけど余裕で避けられて、さらにムカついただけだった。
誰のせいで今日一日なにもできなかったと思っているんだ。
「つまりアレか。今日は女二人と買い物デートしてきただけかよ。なんだよ羨ましいな色男」
「とりゃぁ!」
基本の型も無視で、振りかぶって思いっきり叩きつける。簡単に避けられて鉢金を叩かれた。くそぅ。
「ハハハ、こんな挑発に心を乱されるようじゃ、命がいくつあっても足りねぇぞガキんちょー」
「うるさい」
もうヤケになって棒を振り回す。でもかすりもしなくって、ヘラヘラしたウェインの顔が余計にムカつくだけだった。
「んで靴買ったってことは、明日もアイツらと一緒に行くのかよ?」
「一応、そういうことになってる」
そう答えた僕の苦々しい顔を見て、ウェインはまた笑ったのだった。
「お疲れ」
「お疲れさん」
冒険者の店に戻ると、シェイアとチッカがまだテーブルにいた。夕食の皿はもう下げられていて、木のコップだけしかないところを見るに、二人ともチビチビ酒を飲みながら待っていたらしい。
まだ店はざわついている。まだメシを喰ってるヤツもいるし、酒飲んで騒いでるヤツらもいるし、明日の仕事の話をしているのだっている。
子供のガキんちょは寝る時間だが、不健康な冒険者なら朝方まで起きてるヤツも珍しくない。
「チビはどうだよ? 見込みはありそうか」
だいぶん酔った顔でチッカが聞いてくるが、コイツはすぐ顔が赤くなるだけで酷い酔い方はしない。自分がどれだけ飲めるのか完全に把握しているタイプだ。斥候やってるのはこういうヤツか、そもそも酒を飲まないヤツが多い。
ちらりとシェイアを見ると、彼女はいつもと同じ顔でチビリとコップに口をつけている。いつも静かだから分かりづらいが、こっちは相当強いタイプ。いくら飲んでも顔色が変わりやしない。
はぁ、とため息を吐く。
二人して用もないのに、毎日店に来やがって。ガキんちょが気になるなら稽古も見に来りゃいいのに。
「分かんねぇよ。人に教えるなんざ初めてだしな」
正直に答えてやって、空いている椅子に座った。
見込みがどうかなんて分かるはずがない。戦い方を教えるのは本当に初めてなのだ。それもあんな子供が相手では、他のヤツと比べることもできない。
俺にできることは、かつて自分がしたのと同じ訓練の焼き直しだけ。それもうろ覚えなうえに、いまだどんな意味があったのかイマイチ理解できてないものもあって、わりと困っている最中である。……鉢金ぶっ叩き訓練で目を閉じなくなるのはもう少し先だろうから、ゆっくり思い出せばいいだろう。
まあ―――それはいい。というかチッカもシェイアも、ガキんちょに見込みがあるかないかなんか、大して気にはしていないだろう。頭の悪い俺だってそれくらいは分かるのだ。
だから俺は、彼女たちが本当に知りたいことを教えてやる。
「ちったぁ元気になったよ」
シェイアはクスリと、チッカはニカッと笑って、俺は酒を注文する。