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腰抜けムジナ

「あー、まあ。よくあることかもな」


 自分の説明に大した時間はかからなかった。二、三言ですむほどだ。

 けっこう酷い目に遭ったと思っていたけれど、口にしてしまえばそれで終わってしまうのだから、自分のことながら拍子抜けしてしまう。

 歩きながら聞いていたムジナ爺さんは、髪のない頭頂部を掻いて肩をすくめた。


「行商人さんに騙されることが?」

「行商人が奴隷を売りに来ることが、だ」


 ある程度進むと、ムジナ爺さんが枝を払う回数がぐっと減った。その分だけ歩く速さが上がる。

 獣道であることに変わりはない。ただ、この道は邪魔な枝が払われた後に見えた。


 ムジナ爺さんがよく使っている道に合流したのか。


「小さな村で考え無しの夫婦がガキをポコポコこさえてよ、貧しくも明るく幸せな家庭ってのをやるわけだ。で、何年か何十年かに一度の不作が起きるだろお? ああダメだ、このままじゃ一家全員餓死するしかない、ってなって絶望してるところに行商人が来るわけだ」


 子供を雨上がりのキノコみたいに言うのはどうかと思う。……けど、たしかに不作はダメだ。あれは悲しい。村中を回って食べ物を分けてもらったり、森に入って食べられるものを探して寒い冬を越さなきゃならない。小さい兄ちゃんはあれから狩人を目指すようになった。


「そうして行商は子供を安値で買って、町の奴隷商に連れて行って高く売る。夫婦にとっちゃ悲しい別れだが、子供は死ぬわけじゃねえ。ちっとでも金が手に入って口減らしができるんだから、みんな幸せの取引ってヤツだな。お前さんを連れてきた行商人も、そういうことやってきたクチだったんだろ」

「なるほど……」


 レーマーおじさんのそういう噂は聞いたことがない。たぶん村の誰も知らないだろう。誰か知っていたら、もう少し強く止められたと思う。

 そもそも村で不作の年はあっても、お腹が減って死んじゃう人はいなかった。……僕が産まれる前にはそういうことがあったって、大人たちからは何度も聞いたけれど。


「しっかし、それで冒険者にねえ。ヒヒヒ! もしかすっと、そのまま奴隷になってた方が良かったかもしれねえぜ!」

「え、そうなの?」


 それは考えたことがなくて、驚いて聞き返す。お話で聞いた奴隷はどれも酷い扱いを受けていたのに。


「おう。主になるヤツにもよるが、少なくともメシは食えるし、だいたいは町の中で過ごせるからなあ。今日にも町の外で魔物に襲われて死ぬかも、なんて冒険者よりマシだろおがよ」


 ……そうか。たしかに今だって、僕は危険のただ中を歩いている。

 あの時は奴隷って文字で恐くなって思わず逃げたけれど、べつに殺されるわけじゃないのだから、あのまま売られていても僕は今頃どこかで働けていたのではないか。

 働く。そう、僕はこの町に働きに来たのだし、食べるものと住む場所、そして着る服に困らないのであれば、それは決して悪くはなかったのでは……―――。



「冗談だ。奴隷なんぞなるもんじゃねえ」



 そのムジナ爺さんの声音は、今まで聞いたことがないほど固かった。聞いた僕が思わずハッとして、顔を上げてしまうくらいに。


 いつもより荒々しくククリ刀が振るわれ、枝が落ちる。……あの枝は僕たちの背丈なら、少しかがめば潜れる位置だったように見えた。


「奴隷用の共同墓地って知ってるか?」


 ムジナ爺さんは前を向いていたから、顔は見えない。けれど声とその内容に、背筋がゾクリとする。


「……知らない」

「町の外れの共同墓地の、一番奥にある。草がボーボーで、墓標は全部ボロボロで、墓守も滅多に見回らないからたまに生ける屍が這い出してくる場所さ」

「そんな場所があるんだ?」


 墓地なら村の教会の裏手にもあった。僕はよく神官さんのところへ行っていたから、お祈りついでに掃除や草むしりもしていた。

 でも奴隷なんていなかったから、当然奴隷用の墓地なんてない。町にはそんなものがあるのか。


「奴隷は一般の共同墓地には入れねえ。だから死んだ奴隷はみんなそこに入るわけだが、その費用は主が払うのが町の決まりだ。……だがな、そこに埋葬されるヤツはまだ大切にされてる方さ。あまり管理もされてない場所だから大した額じゃねえ。棺桶も一番安いヤツならさほどはしねえ。けど、世の中にはその程度の出費ももったいねえ、ってケチな野郎がザラにいてな」

「…………」


 なんだか、恐い話だ。働く話……働いて生きていく話なのに、なぜか死んだときの話になっている。


「まあそれくらいケチな野郎なもんだから、奴隷にやるメシは犬の餌より粗末なモンを一日一回だけとかで、服は薄いボロきれ、寝る場所は雨漏りに隙間風ってな。そりゃあ身体を壊すヤツも出てくるわけだ。で、いざ奴隷が酷い病気や怪我をして、ああこりゃもうダメだなってなったら……お前はよく働いたから自由にしてやる、って奴隷契約を切って放り出す。共同墓地代と棺桶代を払いたくねえからな」

「……それは、ひどい」

「ああ、酷いもんさ。奴隷なんざ使い捨てだってなあ。ヒヒヒ!」


 ムジナ爺さんはあの特徴的な笑い方をして、天を仰ぐ。日はだいぶん傾いてきていた。



「オレっちは、そうやって自由になった」



 ―――言葉が、出なかった。

 そういうことをする酷い主がいる、そういうことをされる憐れな奴隷がいる。そういうことを、噂かなにかで聞いたことがある……という、話だと思っていた。

 ムジナ爺さんはまた歩き出す。止まって話すほどのことではないと、軽い調子で話を続ける。


「かかったらだいたいは死ぬって病で死にかけて、奴隷契約切られて放り出され、それでもしぶとく生き残った。生きるために冒険者になろうとして、登録料のために盗みをしたのがバレるとボコボコにされて追い出された。けれど五歩も歩く前に戻って地面に頭擦りつけて、なんとか置いてもらった。満足に食ってなかったから普通より痩せ細った小せえ身体しかなくて、魔物なんかとうてい相手にできねえ。だからとにかく自分でもできる薬草採取を毎日やった……何十年も前の、まだバルクが坊主くらいの背丈だった頃のヒデぇヒデぇ話さ。今となっちゃ笑い話だがな」


 ヒヒヒ、とムジナ爺さんは笑う。僕はとてもじゃないけれど笑う気になれなかった。

 冒険者の店の登録が無料になった理由は聞いていたけれど、それはこの人のことを言っていたのだ。


「文字が読めたから、奴隷商に売られる前に逃げられたって? そりゃあ幸運だ。いやさ、お前さんの実力だ。あるいはどっちもで、べつにどちらでもいいことだ。ただ一つハッキリしているのは……」


 ムジナ爺さんが立ち止まって振り向く。顎をしゃくって先を示した。

 森の中なのにそこだけぽっかりと木がなくて、日の光が斜めに差し込んで明るい、ひらけた場所。



「奴隷じゃ、こんな気分は味わえねえ」



 一目で分かった。依頼書に描いてあった薬草の一つ。他とは値段の桁が違う、上から三っつの内の一つ。三番目の薬草。

 風に揺れる美しい紫の花が、一面に咲いていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 他の人の感想で気づいた。 本作は書籍で出版されてるのですね。 納得のクォリティーです。
[一言] シーンを映像で想像すると思わずちょっとウルッとくる演出。
[良い点] きつい過去話が終わった後で、それ話や吹き飛ばすような美しい風景での締め 読んでて楽しいです
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