暮れゆく季節と、紅葉弁当3
「本当にすみませんでした」
取り敢えず私は、腰に手をやって仁王立ちになって怒っているジェイドさんに頭を下げた。
栗フィーバーの熱が下がると、途端に冷静になった私は、自分の仕出かしたことに気がついたのだ。
――私の旅の目的は、妹のサポート。こんなところで遊んでいる場合じゃない。
「……まあ、まだ霧は晴れていないからね。……どうせ出発は明日になっただろうから、いいんだけど。それに、日程は余裕を持って組んでいるから大丈夫。でも、勝手に勢いで決めたらだめだよ?」
「……本当に調子に乗りました。申し訳ございません」
「それに、ケルカさんはいいお歳なんだから、気をつけないと」
あのあとケルカさんは疲れが出たのか、寝室で眠ってしまった。
私が、興奮させてしまったことも原因のひとつだろうと思う。
――ああ、私の馬鹿! 大馬鹿! 阿呆おおおお!
年甲斐もなくはしゃいでしまった自分を、あの時まで戻って殴りたい。
……行楽弁当と紅葉を見ながらの飲酒に浮かれてしまった、私、反省しろ……!
頭を抱えてしまった私に、ティルカさんは優しく声をかけてくれた。
「まあまあ。兄さんも楽しそうだったからいいよ。あんなにはしゃいでいる兄さんを見るのは久しぶりだったしね。元々、ここまで来るのに体力は使っていたんだ。気にしないで」
「ティルカさん……ありがとうございます」
「それに、うちの兄さんも僕になんだかんだ言う割には、子供っぽいからね。興味を持ったことに対してはとことん突き進むというか……。悪ノリしたのも兄さんだからね。それこそ、あの場に居た人間の中では兄さんが一番の大人なんだから」
ティルカさんはそういうと、困り顔で頭を掻いた。
――そういえば、ケルカさんは一体何歳なんだろう。
「……ケルカさんは、今おいくつなんですか?」
「ん?兄さんかい?……ええと、何歳だっけ?……多分、700歳くらいかなあ……数えてないからわからないけれど」
「おお……凄い」
700歳なんて、100歳ですら凄いと言われる人間からすると、未知の数字だ。
そんなにも長い人生のなかでさえ、今まで出会うことのなかった新しい発見に出会ったら――私がケルカさんの立場だったとしても、はしゃいでしまうかもしれない。
私は拳を握りしめて、気合を入れた。
自分で蒔いた種だ。こうなったら、ケルカさんに最高の紅葉狩りを体験して欲しい。
「――ジェイドさん。私、張り切ってお弁当を作ろうと思います!」
「……まったく。仕方ないな。俺も手伝うよ。……でもなあ、外の霧が酷い。紅葉狩りなんて、この霧のなかで出来るものなのかな」
ふと窓の外に視線をやると、濃い霧で未だ煙っている。
確かに、このままじゃあ紅葉狩りどころじゃない。
そのとき、ティルカさんがこんな提案をしてくれた。
「このあたりは、霧が多いからね。この時期、よくあるんだよね。……大丈夫。心配しないで、特別な方法があるから。そこは、僕にまかせておくれよ」
そう言って、ティルカさんは薄っすらと紅い瞳を開けて、肩を揺らして笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
お弁当に入れるのは、栗と茸の炊き込みご飯。それに、だし巻き卵に、里芋の煮物。あとは、前に山の主から貰った銀杏が残っているので、それをいれることにした。
「茜! 僕も、僕もっ! 紅葉狩り一緒に行くし、調理も手伝うからねー!」
そこに、騒がしい人がやってきた。言わずもがな、ユエだ。
ユエのことだ。きっと拒否しても諦めないだろうから、素直に私の換えのエプロンを貸した。
「ヒトってこんなの着て料理をするの? ……随分無駄な布が多い気がする」
ユエはエプロンの布を摘んで顔を顰めた。
そのエプロンは、真っ白なフリフリのレースがたっぷりとあしらわれ、上半身部分がハート型になっている、所謂新婚さんエプロンだ。……前に、春先に妹がカイン王子に冗談で着せようとしていたエプロン。……何故か、荷物に紛れていたものを、私はユエに貸した。
それにユエの長い黒髪は料理をするときには邪魔だ。
だから、可愛らしく両サイドにお団子に結ってあげた。
「ねえ、茜。これって変じゃない?」
「変ではありませんよ、ユエ。とっても似合ってますよ。ねえ、ジェイドさん」
「アア、トッテモ」
ジェイドさんは顔中を引き攣らせて笑いを堪えていた。
私は、とても晴れ晴れとした気持ちで、お団子でふりふりのエプロンを身に着けているユエを眺めた。
ふふふ……お腹をがぶっとされた件は、まだ忘れてはいないのだ。
「よかったら、差し上げますよ。異界の珍しいエプロンですから。ユエが料理をすることがあったら、是非使ってやってください」
「ほんとう?……じゃあ、貰おうかなあ」
「……ッ、……ッッッ!」
私はこっそりジェイドさんの手の甲をつねった。ここで吹き出したら、全部が台無しだ。
それに、正直いってユエに新婚さんエプロンは似合っているような気がした。だから問題ないのだ。……うん、似合ってる似合ってる。お団子も。うん、似合ってる似合ってる。
「じゃあ、料理を始めましょうか。ユエ、昨日食べた茸ってまだありますか? あるようなら、また使いたいです。あと、ジェイドさんは出汁をとってくださいね――」
私は、新婚エプロン姿で張り切って茸を取りに行ったユエを見送って、お腹を抱えて蹲ってしまったジェイドさんの尻を叩き、早速調理に取り掛かることにした。
お米はさっと水洗いをして、浸水。本当はもち米があれば最高だけれども、今日は我慢。その間に、具材の準備だ。
栗の炊き込みご飯で一番大変なのは、栗の皮むきだとおもう。鬼皮という外側の硬い皮を剥いたあとに、中の渋皮を剥かなければならない。それが意外と大変だ。鬼皮を剥いていると爪が痛くなってくるし、渋皮もなかなか取れなくて苛々する。けれど、それを越えた先にあるほくほくの栗。苦労が多いからこそ辿り着いた先の栗のなんと美味しいことよ。
次に苦労するのは、皮を剥いていると時たま栗の中からこんにちわする、にょろにょろしたお友達だ。いつも秋になると食べる栗は、売っているものではなくて妹が山で拾ってきたものだったから、にょろにょろとの遭遇率が異様に高かった。
お友達と会うのは遠慮したいので、私は目を皿のようにして、お友達の侵入口が無いか確認をした。そして問題なさそうなカクロクの実をざるに乗せて、沸かしたお湯を掛けた。
そして、カクロクの実のお尻の色が違う部分を包丁でざっくりと切り落とす。すると、中から薄いクリーム色の実が姿を現した。
……どうやら、にょろにょろなお友達は居ないようだ。
ほっとしながら、べりっとカクロクの鬼皮を剥くと――驚くことに、渋皮も一緒につるりと剥けた。
私が驚いていると、ざるをもったユエが戻ってきた。
「茜、茸持ってきたよ〜。あ! カクロクだ! 美味しいよねえ、これ」
「……これって、つるんと皮が剥けるんですね! 楽ちん!」
「知らなかったの?簡単に剥けるんだ、この実。僕もよく食べるよ。秋になると、森にたくさん落ちているからね」
「へえ、どうやって食べるんですか?」
「ん? 長の前に殻ごと置いておけば、火を吹いてくれるからそれで焼きカクロクが出来上がるんだよ。……僕がやると、火の調整がうまくいかなくて、消し炭になっちゃうんだけどね。長はそこのところの調整が上手いんだよねえ」
――竜謹製の焼き栗、かなりレアな感じがする。なんだか美味しそう。
そんな話を含めて、ユエは料理の手伝いをしながら、色んなことを語ってくれた。
この古の森に居着いたのは、ここ最近――といっても、数百年前――のことで、世界中を彷徨っていた古龍がいきなりここに住むといいだしたのだという。
「長はきまぐれだからね。そのうち、他の場所に移るんだろうけれど。この家によく来るエルフと友達みたいだから、ここに居るんだろうと思う」
「ケルカさんと? それともティルカさんと?」
「うーんとね。年寄りのほう。どこで知り合ったかは知らないけどね……」
鍋に、ジェイドさんがとってくれた出汁と、酒、醤油、みりん、塩を入れて、そこに手で裂いた茸を入れる。
ユエに茸を裂くのを任せたら「これくらい、僕には楽勝だね」といいながら、茸を粉々にしてしまった。……じっと無言でユエを見つめたら、目をさっと逸らされた。
次に、その鍋を火に掛けて沸騰したら、ザルで濾して具材と煮汁に分けておく。
浸水させておいた米をザルにあけて、しっかりと水気を切ってから鍋に入れて、それに先程煮た具材と皮を剥いだカクロクの実、煮汁を入れて――後は炊くだけだ。
「里芋の皮、剥き終わったよ」
「ジェイドさん! ありがとうございます! これを塩で揉んでから、一回ゆでこぼしましょうか」
「ぬめりをとるんだね。わかったよ」
里芋は、旅先で芋煮でもしたら美味しいだろうなあと思って持ってきたものだ。
芋煮も食べたい気がするけれど、秋に旬を迎える里芋は、勿論煮物でも美味しい。今回は鶏肉と干し椎茸、人参と一緒に炊くことにした。お弁当と冷めたほうが美味しい煮物の相性は抜群だ。
私は人参の皮を剥いて五ミリほどの輪切りにすると、包丁を片手にそれを睨みつけた。そして、限界いっぱいまで集中して――……人参に刃をそっと差し入れた。
「……茜、何してるんだい? へえ、人参で何かの形を作ってるんだね」
「…………」
「なんだろう、それ。ぎざぎざでぐねぐねしてて……うーん」
ジェイドさんは首を傾げて、なにやら考え込んでいる。
そのとき、ユエが私の手元を覗き込んだ。
「なになに? あ、これってスライムじゃない?」
「ええ? オークの顔じゃないかな」
「…………」
「いや、もしかしたら不死鳥が羽ばたいているところかもよ」
「ああ、人参って赤いもんな。凄いな茜! 人参で不死鳥を作るなんて」
ジェイドさんは、全く悪気のない、まるで体操のお兄さんのような爽やかな笑みを浮かべた。
私はなんの表情も浮かべずに、ジェイドさんの目をじっとみつめて言った。
「紅葉です」
「うん?」
「これ……紅葉です……」
「なんか、ごめん」
小学校の授業で、図工の図は得意だけれども、工の時間は苦痛でしかなかった私に、飾り切りの難易度は恐ろしく高かった模様。……私は泣いてない。
飾り切りは潔く諦めることにして、水につけておいた干し椎茸を取り出した。そして、石づきを切り落としたら、そぎ切りに。椎茸の戻し汁と出汁を合わせて、そこに砂糖、醤油、みりん、酒を入れておく。
鶏肉を焼こうとしたら、ユエが僕が焼く! と手を上げたので任せてみた。
熱したフライパンに、皮目を下にして鶏肉を並べて、焦げ目がつくくらいまで焼く。すると、脂が沢山染みてくるので、余分な脂は取り除いておく。
「……この棒、嫌!」
ユエは早々に菜箸を投げ出すと、長い爪先で鶏肉を摘んで、ひっくり返していた。
熱くないかと聞くと、全く気にならないらしい。……竜って凄い。因みに手は念入りに洗っていただきました。
ユエは鶏肉をひっくり返しながら、「正直、焼いちゃうのって勿体なくない?」と不思議そうにしていた。
……血の滴る生肉はちょっと……。
例の竜に嫁いだあげくに食べられちゃった人は、さぞ食生活で苦労したんだろうなあと私は切ない気持ちになった。
鶏肉に焼き色がついたら、そこに人参と里芋、椎茸を投入して、合わせておいた出汁を入れる。
そして、落し蓋をしてコトコトと煮込んでいくだけだ。
残りの料理も簡単。
たっぷりの出汁に、醤油、みりんを混ぜた卵を焼いていく。
油をたっぷりと敷いて、そこに卵液を半分ほどいれた。
じゅううっと油が弾ける音がして、ぶくぶくと端っこが沸いてきたら、半熟のうちに全てを端に寄せる。
そして少し固まってきたら、お箸でくるり。ひっくり返しながら、油を切らさないようにしつつ、卵液を少しずつ注いで巻いていけば、ふんわりだし巻き卵の完成だ。
「――あははははははは! 弾けろー! 飛べー! 楽しい!」
「うわ、ちょっと……なんだこれ!」
――ぱん! ぱんぱんぱんぱんっ!!!
ユエとジェイドさんが作っているのは、焼き銀杏だ。
フライパンに蓋をしてそこに銀杏を入れて熱すると――銀杏がぱんぱん弾けて楽しいことになる。
そういえば、お月見のときにテオが焼き銀杏を作ってくれていたけれど、彼は普通の顔をして弾ける銀杏を処理していた。大笑いしているユエと、腰が引けているジェイドさんを見るとテオの凄さがわかる。……意外とテオは侮れない。
その後、興奮冷めやらぬユエと、ぐったりしてしまったジェイドさんと、弾けた銀杏の殻と薄皮を剥いて、串に刺した。綺麗な翡翠色が串に刺さった様は、お弁当に彩りを添えてくれる。
その頃には、煮物もいい感じに煮えていた。
さあ、あとはご飯だ! そう思って、私がご飯の炊き具合を確認しようとすると既にユエが鍋の蓋に手をかけていた。
「茜、茜っ! ご飯、炊けたよー!」
「こら、ユエ。勝手に蓋をとるな!」
にこにこ顔のユエが蓋を開けた瞬間、ぶわっとすごい量の湯気が立ち昇った。
鍋を覗き込むと、うっすら茶色く色づいたつやつやのご飯。ところどころ顔を出している、茶色い茸のかさ。ふかふかのご飯の中に、まるで宝物のように埋もれた金色の栗。……匂いといい、見た目といい、実に食欲を唆った。
「……いいにおい……」
「お腹すいた」
「うん、同じく」
あまりにも美味しそうなその見た目。茸と出汁の香りが漂う鍋のなかを覗き込んで、三人でごくりと唾を飲んだ。
「……でも、お弁当にするから、もうちょっと我慢しましょうね」
「うう。辛い」
「ユエ。……お前、この中で一番年上だろ。我慢しろよ」
「竜のなかだと、僕、若いほうなんだけど」
「へえ、おこちゃまなのか。竜のなかでは」
「……ちょっと、表へでようか。下等生物……!」
「断固拒否する! 勝てない戦はしない!」
「こら! 喧嘩しない!」
そんなこんなで、お弁当のための料理が全て出来た。
あとはこれらをお弁当箱に詰めれば――待ちに待った紅葉狩りだ!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
準備万端整えて、家から出た私たちの目の前に広がっていたのは、今朝よりもさらに濃くなってしまっている霧だった。
……どう見ても、紅葉狩りどころじゃない気がするんですけど!?
私は思わずティルカさんを見た。
彼はさっき、特別な方法があると言っていた。……本当に大丈夫なのだろうか。
「大丈夫、大丈夫。問題ないよ」
私が内心かなり焦っているというのに、ティルカさんは鷹揚と構えていた。
「お、きたきた。おうい、ここだよ」
「――待たせたな」
――……ドオオオオオン!
ティルカさんが何かに気がついて、手を振った瞬間。
私の目の前に、途轍もなく大きな塊が空から落ちてきた。
ぶわっと霧を巻き上げて地面に落ちてきたのは――古龍だ。
超重量級の身体が、地面に降り立つと、ぐらぐらと軽い地震が起きた。
そして、古龍はゆっくりと長い首を伸ばし、ケルカさんへと顔を寄せた。
ケルカさんは、杖をついてゆっくり古龍に近づくと、そのごつごつとした鱗を撫でた。
「やあ。友よ。久しぶりだね」
「――ああ、友よ。つい最近会わなかったか?」
「そうかい?前に会ったのは、確か30年ほど前のはずだけれどね」
「……む。そうだったか?」
「まあ、それはいいよ。それよりも、友よ。ちょっと困っているんだ。お願いできるかい?」
「……ああ、霧だな。任せておけ」
古龍はそういうと、徐に後ろ足で立ち上がった。
古龍の身体に積もっていた沢山の砂埃がざらざらとこぼれ落ちる。更には根が弱っていた植物もぽろぽろと落ちてきて、地面に積もっていった。
寝そべった状態でも恐ろしく大きな竜が立ち上がると、濃い霧のせいもあって、竜の顔が白く煙って見えなくなってしまうほどだ。ぽかんと口を開けたまま見上げていた私に、古龍の濃い影が落ちた。
「……な、なにを」
うっかり古龍がバランスを崩して倒れてきたら、ぺしゃんこになりそうな予感がして、私は思わず後ずさった。
ジェイドさんも顔色が悪い。けれども、ユエやエルフふたりは余裕綽々で古龍を見上げていた。
すると――すう、と空気が動く気配がした。
――シュゴオオオオオオオオオ!
途端、辺りをふわふわと漂っていた霧が、まるでお風呂の排水口に流れ込む水のように渦を巻いて、古龍へと吸い込まれていった。一緒に辺りの空気も吸い込むものだから、私の髪や服までも引き寄せられて、ばたばたと風にはためく。当然のことながら、地面に落ちていた落ち葉も一緒に巻き上がって、古龍の口へと消えていった。私はスカートが捲れないように一生懸命手で押さえつつ、物凄い吸引力で吸い込まれていく風や落ち葉を呆然と見ていることしか出来なかった。
暫くすると、きゅぽん! という不思議な音と共に、古龍の吸引が終わった。
随分と沢山の霧と落ち葉を吸い込んだ古龍は、口をもごもごと動かしたあと、低いゲップ音を響かせて、ゆっくりと地面へと前脚を降ろした。――ずしん、とその衝撃で地面が揺れた。
「――ふむ。これで、問題ないだろう」
「は、はははは……」
私は笑うことしかできなかった。
……だって古龍はあたり一面の霧を、全て食べてしまったのだから。
「いつもありがとう、友よ」
「容易いことだ、友よ」
はるか遠くの山々までくっきりと見える晴れ渡った青空の下。
竜というスケールがとんでもない生物を前にして、私は座りこんでしまわないように、必死で震える脚を押さえた。
お知らせです。
この作品が書籍化することとなりました。合わせて、タイトルも「異世界おもてなしご飯〜巻き込まれおさんどんライフ〜」へと変更となります。
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