古きものが住まう場所、思い出のクリームシチュー5
とん、とん、と台所の中に、野菜を切る音が響いている。
ここは、エルフの里の中にある私が目覚めた家の台所だ。
青いタイルで飾られた、レトロで可愛らしい台所。こじんまりとしたそこには、一通り調理するための道具が揃っていた。
ユエいわく、持ち主は今はいないけれど、自由に使って問題ないとのことだったので、ここで料理をすることにした。
ジェイドさんは私の体調を心配して、無理に作らなくていいと言ってくれたのだけれど、私の体調は正直言って問題ないように感じたし、迷惑をかけたお詫びに、騎士さんたちに美味しい料理を食べて貰いたかったのだ。
「ねえねえねえ、本当にあのドロドロしたやつ作れるの?」
「作れますよ。牛乳を使った鶏肉の入ったとろとろのスープですよね?多分、クリームシチューだと思うんですよねえ……」
「クリームシチューじゃなくって、クリンシチーっだってば。マユはそう言ってた!」
「……そうなんですかあ」
ユエは、私の腰にしがみつきながらそう言った。
ぐりぐりと背中に顔を擦り付けて、クリンシチーと何度も繰り返している。
今日の夕食はクリームシチュー。ユエのリクエストで、先代の聖女であるマユが作ってくれた料理を再現することにしたのだ。
ユエは「楽しみだなあ!」と嬉しそうに私の背中に抱きついている。
正直言って、物凄く野菜が切りづらいのだけれど……。
「……茜。どういう状況になれば、黒竜がそんなに懐くんだよ……」
ジェイドさんは呆れ顔で私を見つめた。
私は顔を引き攣らせながら、笑って誤魔化した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――あの後、ユエが泣き止むまでずっと抱きしめていたのだけれど。
ユエは涙が止まると、私をまじまじと見上げて、途端に恥ずかしくなったのか、びっくりするくらいに真っ赤なった。そして、泣き顔を隠すために、私のお腹をぎゅうぎゅうと締め付けてきて――
「うわあ、柔らかいね!」
「うるさいわあ!」
迂闊なことを言ったユエは、私に思い切り突っ込まれた。
「……うん。ごめん。僕、なんだか凄く恥ずかしくて」
「…………」
「こんなに、感情が動いたのは久しぶりだ。……変な感じ。いつもは長以外とは話さないから」
ユエは私に謝りながらも、私のお腹を抱きしめるのをやめなかった。恥ずかしさを紛らわせるためなのか、ぎゅう、としがみついてくる。それこそ、見た目通りの年頃の少年のようだ。
上目遣いでこちらを見てくるユエからは、先程までの悲壮感溢れる表情は拭い去られ、どうやら落ち着いてくれたようだ。……私なんかが慰めて、嫌がるのではないかと思ったけれど、上手く行ったようでよかった。
……それにしても。
――私は思わず自分の口を押さえて、自らの内から沸いてくる得体の知れない感情に耐えた。
上目遣いで、真っ赤になって照れている年頃の少年のなんともいえない可愛さよ……!
そういう趣味はないけれども、私の保護欲がビンビン刺激されて堪らない。
――正直、これが本当は竜で、私より遥かに強大な力を持つと解っていても。
――この竜がしがみついているお腹は、ほんの数時間前に、本人ががぶりとやったものだとしても。
さっきまで釣れない態度だったユエが急に懐き始めたものだから、なんだか野良猫を懐柔したときのような達成感があった。
……私も、随分と特異な状況に慣れてしまったものだと思う。
「……フェル。……マユ」
ユエはひとしきり私のお腹を堪能(?)すると、しゅんとした表情に戻り、居なくなってしまった彼らの名前を小さく呟いた。
「――お墓。あるらしいですよ」
「お墓?」
私がそういうと、ユエはきょとんとして私を見上げた。
「ジルベルタ王国に、フェルファイトス様の大きなお墓があります。毎年、彼の生誕祭には沢山のお花で溢れるそうです。――今度、時間を見つけてお墓参りをしてみたらどうですか」
「お墓ってなに?」
……どうやら、竜には死者を埋葬して弔うという習慣は無いらしい。
ユエいわく、死を悟った竜は自ら死に場所を選び取り、そこで独り静かに最期の時を待つそうだ。
私はユエに人間の死後の扱いを教え、フェルファイトスのお墓のことを教えてあげた。
「……そこに行けば、フェルに会える?」
「なんというか……人間は、会えると信じています。お墓の前で想いを伝えれば、亡くなった人に届くのだと、信じているんですよ」
「マユもそこにいるの?」
「――さあ。先代の聖女のその後は私は知らなくて……でも、そのお墓に聖女も一緒に埋葬されているとは聞いたことはありませんね。今度誰かに聞いてみます」
「……そう」
ユエはそういうと、何か考え込んでいるようだった。すると、急に泣きそうな顔になって、また私のお腹に顔を埋めた。
「――ねえ。君さ。……茜、だっけ」
「はい」
「一緒に行ってくれる?」
「え?」
「フェルのお墓。……僕ひとりだと怖くて行けないよ。僕は随分とフェルを、マユを恨んでた。酷いことを沢山考えたもの。そんな僕が、フェルのお墓に行っても、フェルが喜ぶとは思えない。――怖いんだ。
……でも、お墓には行きたい。ごめん、って謝りたいんだ。だからさ、一緒に行って。茜がいれば、大丈夫な気がするから」
フェルは私を見上げると、不安そうにこちらを見つめた。
私は微笑むと、ユエの綺麗な髪を撫でてあげた。
「――はい。私で良かったら」
「……嬉しい! ありがとう、茜!」
ユエはそう言って満面の笑みを浮かべると、私から離れた。そして、少し恥ずかしそうにはにかむと、とんでもないことを言い出した。
「――茜は、温かくて、柔らかいし、さらに優しくて……凄くいいね! 気に入った! よっし! ……僕のお嫁さんにしてあげる!」
「はあ!?」
「次期竜の長のお嫁さんだよ! 光栄におもえばいいよ」
そういったユエの顔は物凄く自慢げだった。
……まるで物語のなかの化物みたいに、簡単に嫁に来いとか言わないで!
「いやいやいやいや。ありえませんから。というか、ユエ、次期竜の長だったんですか」
「言ってなかったっけ?」
「――知りません!」
「ふふん。竜が人間を娶った前例はあるからね! 茜も安心すればいいよ!」
「安心できません!」
「ええー」
取り敢えず、私にはもうおつきあいしている男性がいることと、出会っていきなり結婚相手と決めるのは早急過ぎること。人生のパートナーは慎重に選ぶべきだとユエに懇懇と説いて――渋々ながら、ユエは私をお嫁さんにするのを諦めてくれたと思う。
……正直、人外と一緒にいることが多い私だけれど、結婚相手は人間がいいです!
太陽は既に沈みかけ、秋色に沈んでいる朽ちかけた村を静かに照らしている。
鮮やかな色に染まった紅葉した葉っぱたちが、秋の冷たい風にざわめき、迫り来る夕闇に備えている。
もうそろそろ名も知らぬ虫達が、夕闇を呼び寄せるように競い合いながら演奏を始めるだろう。騒がしくてひんやりした空気に包まれる秋の夕べには、温かい食べ物がぴったりだ。
私は、辺りが暗くなる前にと、急いでクリームシチューを作り始めた。
とん、とん、とん。と人参をひとくちサイズに切っていく。
じゃがいもも、ジェイドさんと一緒に皮を剥いて、これもひとくちサイズに。たまねぎはくしぎりと薄切りに分けて切った。くしぎりは具材用に、薄切りはとろとろに炒めて味の深みを出す用にする。
「これも入れて」
ユエは、この家の備蓄庫からなにやら籠に乗った茸を持ってきた。
茶色くて丸い笠に、ぷっくりとした白い軸。見た目はまるでしめじのようだ。
「長の身体から、この時期に生えてくる茸なんだけど」
「……ちょっと。聞き捨てならない言葉が聞こえたんですけど」
私が思わずつっこむと、ユエは不思議そうに首を傾げた。
「ん? 僕、何か変なこといったかな。長の身体ってね。色んなのが生えてくるんだよ。春先にはベリーも生えてくるし、夏にはすっぱい果物も生えてくるんだ。美味しいよ」
「生きる植木鉢みたいですね……」
「色んな鳥が長に挨拶に来るからね。そのとき、種を落としていくんだ。それを季節ごとに摘み取って食べるのが長は大好きでね。僕も食べさせてもらってる」
「そ、そうなんですか……」
「今の時期はこの茸だね! 煮込むと美味しいよ」
そういうと、ユエは茸をひとつ摘むと、私の鼻先に差し出した。
――くん、と匂いを嗅ぐと、濃厚な土の香りがする。
沢山の房が寄り集まってひとかたまりとなっているその茸は、如何にも煮込むといい出汁を出してくれそうだ。
「せっかくだから、使いましょうか」
「やった! 僕、これ好きなんだ」
ユエはそういうと、にっこりと笑ってまた私の腰にしがみついた。
「……いい加減、茜から離れませんかね……ユエ様」
「はあ?」
ジェイドさんが低い声でそういうと、ユエは金色の瞳を細めて、じろりとジェイドさんを睨みつけた。
「だまれ、下等生物」
「……なっ!?」
「ユエ! なんてことをいうんですか!」
「だって、こいつうざったい……茜は僕のなのに!」
「茜! いつから、竜のものになったんだ!」
「ひいい。こっちまで飛び火した!」
ジェイドさんがとても怖い顔をしている。
……なんて説明すればいいのか、正直私にはわからない。
竜を慰めようと抱きしめたら、お腹がぷにぷにで気に入られて、プロポーズされたって……? そんなこと、言えるはずもない!
私はぎらりと鋭く光を放っているジェイドさんの視線から逃れようと、くるりと後ろをむくと、調理に専念しているふりをした。
その間も、ユエとジェイドさんの攻防は、私の後ろで続いていた。
「お前が茜の想い人? 冗談じゃない! こんなうるさい猿が茜と付き合うくらいなら、僕が茜をお嫁さんにもらう!」
「猿……!? 人間を全否定ですか!? ユエ様……いや、ユエ! 竜が人間と添い遂げることが出来るはずがないだろう!?」
「へへーんだ。前例はある! 僕の親戚のおじさんはヒトのお嫁さんを貰ってるし!」
「それは、どうせ生贄とかそういう話だろう!?」
「……ぐぬぬ、そうだけど! 最終的には、食べちゃったらしいけど!」
ユエはさらりと衝撃の事実を零した。
……食べられちゃったんだあ。竜に嫁いだ人……。
私が遠い目をしている間も、更に二人の言い合いはヒートアップしていった。
「お前は、茜を食べるつもりなのか!?」
「そんなことしないよ! 間抜けなおじさんと一緒にしないでおくれよ!」
「茜のお腹に間違って噛み付いたやつが何言っているんだ!」
「う。それは……誰にだって失敗はあるだろ!?」
「その失敗ひとつで、人間は瀕死になるんだ! 竜と一緒にするな」
「口の減らない猿だ……!」
とうとう、ユエはジェイドさんに口では勝てないと悟ったのか、入れ墨を鱗に変化させようと身体に力を漲らせた。
その気配を感じた私は、包丁を置くと、さっとユエとジェイドさんの間に割り込んだ。
そして、ユエのほっぺたを思い切りつねって引っぱった。すると、鱗化しようとしていた入れ墨が一気に沈静化した。
「――ユエ。竜化しようとしてません?」
「そ、そうひゃけど」
「竜化して、どうするつもりなんですか」
「そりゃあ、あのしゃるをがぶっひょ」
私は小さなユエを、表情を消して、冷たい視線でもって見下ろした。
「――がぶっと?」
「……しまふぇん」
すると、何故かユエは顔を青ざめさせて、ぷるぷる震え始めた。
私はジェイドさんのほうにも顔を向けると、ぎろりと睨みつけた。
「――ジェイドさんも、大人げないですよ」
「でも、茜。……そいつは、俺達より遥かに年上――」
「大人げない、ですよ」
「……はい」
私は満面の笑顔をつくると、「さあ! お料理を再開しましょうか!」と二人に向かって言った。
そのとき、二人は何故か寄り添って、顔を引き攣らせて私を見ていた。