猛獣王子とチキン南蛮1
昨日は一日色々あったので、夕食を食べた後すぐに寝てしまった。
久しぶりに会った妹と色々と話をしたかったけれど、慣れない旅で疲労が溜まっていたらしい。
随分と朝寝坊をしてしまったらしく、ベッドから飛び起きて、太陽の高さに唖然としてしまった。
サリィさんが気を遣って、館付きのシェフに朝ごはんを作ってくれるようにお願いしていたらしく、朝食は作らなくて良かったのは助かった。
それからこちらも寝坊した妹と、一緒にシェフが用意してくれた美味しい朝ごはんを食べながら、今日は一日お休みだから、一緒に街にでも繰り出そうか、なんて話をしていたときだ。
「俺の名前はシロエ!この国の王子だ!」
そこに、食堂の扉を勢い良く開けて、突然、物理的にきらきらしい獣人が乱入してきた。シロエと名乗った、凱旋パレードのときも見た獅子の獣人は、扉からまっすぐ私の元へやってくると、私の両手を掴んで、いきなり自己紹介をした。そして、にっこりと鋭い牙を見せて笑った。
今日は私服なのだろう。以前にみた金色の鎧は身につけていない。
けれども、白を貴重とした軍服のような服装には、色とりどりの宝石が縫い付けられ、更には、袖は金粉でグラデーションになっていた。靴も、黒い革靴に銀で縁取りがされた上に、さらに銀粉が散りばめられている。ついでに、にっこり笑ったシロエ王子の口から覗いている大きな牙には、大きなサファイアらしき石が着けられた指輪がはめられていた。正直、この人は私服のほうが派手なのではないだろうか……。
「……ひ、ひよりの姉の、茜です。この度は妹が色々とお世話になったようで……」
「それはこちらの台詞だ! 姉君! 聖女には大変世話になった! 憎むべき邪気が祓われた我が国の未来は明るい! この俺のように!」
ビシィ! とヒーローのようなポーズをとるシロエ王子は、目を瞑って自分の世界に浸っている。
その度に体中の宝石がきらきらと輝くものだから、眩しくて仕方がない。
「シロエ……今日も眩しいねえ……」
妹もそんなシロエ王子に、生ぬるい視線を送っていた。
そんな妹の視線のぬるさに気付かないシロエ王子は「そうだろう、そうだろう!」とご満悦だ。
この人……なんだか、テオに通じるところがあるけれど、テオ以上にうざったい……!
そんなことを考えていると、シロエ王子は私たちにこんな提案をしてきた。
「今日はひよりは一日休みだと聞いたからな! 一緒に街へ繰り出さないかと誘いに来たのだ」
「シロエ王子はお時間大丈夫なのですか?ほら、浄化を終えたばかりで色々と事後処理で忙しいのでは?」
「……はっはっは! 俺のことは気にするな! 部下に押し付けてきた!」
「……」
「俺には光が当たる表舞台に立つ仕事は合うのだが、裏方の書類仕事は合わないのだよ!」
シロエ王子はあっけらかんと言うと、がはははは! と大口を開けて笑った。
……この国の将来が心配になってきた。
カイン王子が今朝も早くから忙しそうに働いていた姿を見ていたものだから、シロエ王子の残念さが更に際立っているように感じる。
大きな宝石付きの指輪をはめた牙をきらりと煌めかせて、散策の行程をあれこれと話しているシロエ王子の、周囲に居る護衛の騎士達は犬の獣人だ。彼らは毛皮を纏っているから、顔色はわからないけれども、どこか疲れているような雰囲気なのは、気のせいではないのだろう……。
「ああ、それと。出かけるにあたって、これを身に着けて欲しい」
話したいことを一方的に話して満足したのか、シロエ王子は私達の方に向き合うと、護衛騎士にあるものを渡すように指示した。
私達の目の前に、護衛騎士から差し出されたものをみて、妹とふたり絶句した。
それは、樹脂のような柔らかな素材で作られた……馬の顔の被り物。
目の部分と、口の部分がぽっかりと穴が開いているその被り物を、シロエ王子は私たちに被るように言ってきたのだ。
「聖女が町中に居ると知れれば、大変な騒ぎになるだろうからな!」
シロエ王子に全く悪気はなさそうで、それだけに質が悪い。
……確かに、無駄に大騒ぎになることは避けたほうがいい気がするけれども、これはちょっと……。
中身がないからか、べっこりと凹んで変形しているその馬の被り物を眺めて、私はうんざりした気分になった。
妹も、被り物の端っこを指で摘んで、ぶらぶらさせながらその馬の顔を見つめている。
その馬の被り物は、私達の護衛騎士の分まで用意してあった。これを被れば、怪しい馬もどき獣人の一団が完成するだろう。
……けどねえ。
私は今もきらきらと輝いているシロエ王子を横目でちらりと見た。
「そもそも、王子が一緒に居たら、はじめから目立ちそうなものですけどね」
「はっはっは! 俺にはこれがあるからな! 大丈夫だ!」
シロエ王子はすっと懐からあるものを取り出して――すちゃっと装着した。
「格好いいだろう!」
シロエ王子は手を顔に当ててにやりと笑っている。
……きらきらと小さな光る石で装飾された、顔の上半分のみを隠す黒い仮面を装着する、たてがみが立派なライオンの姿は、なんともいえずシュールだった。
なんていうのだろう、なんとか仮面様と呼びたくなるようなマスクといえばわかりやすいだろうか。
しかしそれを装着しているのは、迫力のある猛獣のライオン。
……しかもシロエ王子は、手鏡を取り出して自分の姿を眺めては「完璧だ!」とうっとりと悦に浸っている。
私たちは馬の被り物で、自分はきらきらのマスク。……この差は一体。
そもそも、そんなマスクをしたって、更に目立つだけだろうに……。
そんな王子を呆れ気味に眺めていると、誰かがぽん、と私の肩を叩いてきた。
「おねえちゃん!」
ああ、妹か。そう思って後ろを振り向いたとき。
……目の前に飛び込んできたのは、ちょっと歪んだ馬の被り物を装着した妹の姿だった。
「………………ぶはっ!!!!」
「意外と視界が広いよこれ!」
妹は案外気に入ったらしく、馬の被り物の位置を調整しながら、くるくるとその場を回っている。
私は、目の前に展開されている視覚情報の、破壊力のあまりの高さに、笑いが止まらなくなって、その場に蹲ってしまった。
「……大丈夫か?茜」
「いやあああ!」
そんな私に声をかけてくれたジェイドさんも、気づくと馬の被り物を着けていて、心配そうに私を覗き込んでくる姿が、おかしくて堪らない。
必死にそんなジェイドさんから視線を外そうと、逆方向に首を回すと、馬の被り物を装着済みの護衛騎士たちが、直立不動でその場に立ち尽くしていた。
……な、なんなのこれ! なんなのこれ!
「シロエが言い出したら、自分の思い通りになるまでうるさいから。おねえちゃんも早く着けなよ……」
妹は馬面のまま、諦めたような声でそういった。
そういえば、例の踊り子のような格好もシロエ王子の仕業だった。その時も、随分と揉めた上に押し切られたのだろうか。
それにしても……しょんぼりしている馬面な妹がちょっぴり可愛く見えて、また笑いがこみ上げてきた。
やめて……腹筋が痛い……!
「さあ、茜も着けようか」
馬面なジェイドさんが私の分の馬面を持って迫ってくる。
……ジェイドさんは声が笑っている。この人だけは悪ノリしているに違いない……!
どうにかして、馬の被り物を被ることだけは心底避けたいと思ったけれども、私の周りは既に馬面で囲まれていて、どうにも逃げられそうになかった。
……私の抵抗も虚しく。私は直後に馬面にされ、その後、私達を訪ねて食堂に入ってきたカイン王子と馬面集団が鉢合わせをしてしまった。驚いたカイン王子に、抜剣されるという事件が起こったけれども、それ以降は、街の人たちもまさか馬面マスクが聖女だとは思わないらしく、概ね平和に街への散策へと出かけることが出来た。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「おねえちゃん! 屋台がいっぱい並んでいるよ!」
妹がはしゃいだ声を上げた。
……どんな表情をしているかは、馬面のせいでわからない。
一旦、馬面のことは忘れよう……。
私は妹の指差した先をみると、確かに沢山の屋台が並んでいた。
じゅうじゅうと肉の焼ける香ばしい香りが辺りに漂っている。
ここはテスラの中心にある、王城とも呼べる大樹の傍にある、大きな広場だ。
緑豊かなそこは、大きな噴水を中心に、様々な花々が植えられ、獣人たちの憩いの場所となっているようだった。
沢山の獣人が、買ったものを広場のそこかしこで美味しそうに食べている。
「浄化記念で、いま街ではささやかだが祭りが行われているんだ」
シロエ王子がそう教えてくれた。
……お祭り! だから、みんな楽しそうな雰囲気なのかな。
「うわあ……どれから食べようか」
「ひより、お前は先程朝食を食べていたように思うのだが」
妹はうきうきと屋台を物色し始めた。……シロエ王子が言うとおり、朝食を食べてから一時間も経っていない。
「それとこれとは別でしょ。屋台フードは別腹です」
「まあ、屋台があったら、たこやき、りんご飴、イカ焼きは絶対食べるよね。お腹具合に関係なく」
「あとソースせんべいね!」
「私は大阪焼きかなあ……」
大阪焼きとは、今川焼きの鉄板にお好み焼きの生地を流し込んで焼いたもの。……正直、縁日でしか見たことがないけれど、ソースをたっぷりかけて食べると無性に美味しいのだ。
ふたりで屋台の美味しい食べ物というか、縁日の美味しい食べ物の話をしていると、シロエ王子が興味津々といった感じで話に入ってきた。
「なんだ、なんだ。異界の屋台の話か?」
「そう! シロエは屋台で好きなものある〜?」
「ふふん。俺はだな……あれだ!」
シロエ王子はそう言って、とある屋台を指差した。
その屋台は、鶏の獣人が経営している屋台で、人気があるらしく随分と人が並んでいる。
「なにあれ! おっきい鶏肉!」
妹の言う通り、その屋台には、鳥がまるまる串刺しにされて焼かれていた。
焼きながら表面に時折何かの汁を塗りつけて、照りを出しているのが見える。
「鶏の蜂蜜焼きだ。ここの屋台はあれをパンに挟んで出すので有名なんだ。肉は甘いんだが、ちょっと辛いソースがたまらんぞ」
「へえええ! 食べたい!」
シロエ王子と妹はそう言って、店の列に並び始めた。
私は正直それどころではなく、ジェイドさんの袖を引っ張って、小さな声で話しかけた。
「ジェ、ジェイドさん……。あの、あそこ。鶏の獣人が、鶏の獣人が……っ!」
「ああ。わかるよ。あいつ……どういう気持ちで仲間を売っているんだろうな……」
「ひええええええ!」
「……というのは、冗談だけど。獣人は見た目こそ動物っぽいけれど、それこそ大昔に普通の動物とは袂を分かっているから、平気で自分と似た動物を食べるらしいね」
「……おお……」
「逆に、そういうことを突っ込んで聞くと、失礼にあたるらしいから、注意しなよ」
「は、はい……」
すごいや、獣人……。これぞカルチャーショックというやつなのだろうか。
私は妹の注文をにこやかに受けて、鶏の身を捌いている鶏の獣人を眺めながら、今更ながら異世界の凄さというものを実感していた。
「おねえちゃーん!」
妹が屋台の傍で私を呼んでいる。私は小走りで妹のそばへ寄っていった。
「なんか、お酒があるんだって!」
「ほんとう!?」
妹がにんまりと笑って、私に木のコップを渡してくれた。
すると、鶏の獣人が、嘴の下の赤いぴらぴらを揺らしながら、木のコップにお酒を注いでくれる。
「蜂蜜で花を漬けたものを、水で割った酒だよ。こういう、めでたい日には皆に振る舞うんだ。お嬢ちゃん、酒が好きなんだって?飲め飲め。うんまいぞ〜……クックルゥ」
……語尾がとっても鳥っぽい……!
木のコップに金色のお酒を注いでもらいながら、笑ったら失礼だろうと、私は腹筋に力を入れた。
鶏の獣人は、とてもうれしそうにお酒の説明をしてくれるのだけれど、時折鶏らしい「コケッ」とか「クックックック……コケーッ!」とか、変な叫びを挟んでくるので、正直言って油断ならない。更には、風が吹く度に嘴の下の赤いぴらぴらが、風に靡いてべろんべろんとめくれるのだ。……聴覚、視覚ともにリーチ。私の腹筋は今にも爆発しそうなほどになっていた。
「ほれ、これも持っていきな。蜂蜜焼きをパンで挟むのはうちだけだ! これもうんまいからな! コケーッ」
「……っぶ、あ、あ、ありがとう……っ」
鶏の獣人は、私にこれまたいい笑顔……鳥顔だから、本当に笑顔かどうか自信がないけれど、顔をカクッカクッと鶏らしい動きをさせながら、私に食べ物を渡してくれた。
まさか馬面マスクを被っていて良かったと思う時が来ようとは……思いもよらなかった。
マスクのしたの私の顔は、笑いをこらえすぎて、きっと今真っ赤になっている。
シロエ王子ありがとう……助かった。私は心のなかで、シロエ王子に感謝した。