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セシル視点 ジャンクなお誘い 前編

 僕の幼馴染であり、このジルベルタ王国第二王子であるカインは――恋をしている。



 恋の相手は、この国に召喚された異界の聖女。

 茶色いふわふわの髪に、はっきりとした意思を持つ黒目。どちらかというと可愛らしい顔立ち。

 よく笑い、よく怒り、時々突拍子の無いことを仕出かす、そんな少女だ。


 舞踏会や茶会で出会ったことのある貴族子女や、自分の母から学んだ僕の知る女性像は、淑やかで慎ましく、笑うときは口元を手や扇子で隠して、小さな口で少しずつ菓子を食べ、紅茶の味を語り、服や流行の話に花を咲かせる。それが女性。そう思っていた。


 けれども、殿下と同じ年頃のこの聖女さまは、僕の知る女性とは違って、何にも臆することなくからからと楽しそうに笑う。顔をくしゃくしゃにして、時にはお腹を抱えて笑うこともある。

 彼女の最も愛する姉の料理を、とんでもない勢いで食べ、誰よりも美味しそうに、そして幸せそうに料理に大口で齧り付く。

 そして、やりたいことには真っ直ぐで、どんなことにも挑戦する。動き出すと止まらない。そんな子だ。



 ……以前、牛を捕まえてきたときは、流石に肝が冷えたけれどね。



 少女はこの国の貴族令嬢の標準から考えると、非常に珍しい。

 もしかしたら、平民にはよくいるタイプなのかもしれないが、僕らが平民と関わりあうことなんて滅多にない。そういう意味でも、彼女の風変わりな行動は僕らの目にはとても新鮮に映る。

 まだ歳若い殿下が惹かれてしまったのは、そういうもの珍しさからもあるのだろう。



「ひよりは、またゴルディル様のところか」

「はい。過去の浄化の旅の件を色々と聞いているようですね」

「……そうか」



 殿下は手元の書類にサインをしながらも、どこか不満げな顔で彼女のことを気にしている。

 その整った顔立ちで数多くの令嬢を骨抜きにしている殿下の、こんな子どもっぽい膨れっ面を、殿下に憧れている令嬢たちが見たらどう思うのだろう。



「殿下。ゴルディル様と聖女様が逢引しているわけでもなし。お顔から嫉妬心が漏れ出ていますよ」

「……む」

「ああ、でもゴルディル様は今は独り身でいらっしゃいましたね。奥方は随分前に亡くなっていらっしゃるから……もしかしたら、もしかするかもしれませんね」

「……ぐむっ!」



 殿下が唸った瞬間、ペン先が余計な力がかかったせいでぐんにゃりと広がり、一気に書類にインクの染みが広がる。

 僕の主は聖女さまのことになると、途端にうぶ(・・)になる。

 ……あんな年寄りに彼女が性的に惹かれるわけないだろうに。

 殿下は開いてしまったペン先を忌々しそうに眺めてから、僕を睨んだ。



「……はあ。セシル。お前、私をからかっているだろう」

「ははは。そんな滅相もない。殿下にそんなことする訳ないじゃないですか」

「その楽しそうな顔をなんとかしてから言え。馬鹿もの」



 一応「この笑ったような顔は生まれつきなんですよねえ」と言い訳しておいた。

 殿下はため息をつくと、ペンを置いて控えていた侍女に茶を淹れるように頼んだ。



「……菓子もつけてくれ。甘いのがいい」

「殿下。もう直ぐ昼食ですが」

「昼食に影響がでるほどは食べない」

「まったく、殿下は昔から甘党ですねえ」



 殿下はまた不機嫌な顔になり、席を立って窓辺に移動した。

 ……そこの窓辺と同じ方角にドワーフ達が作業している一角がある。

 まったくわかりやすい人だ。

 僕は殿下の背後に立って、静かに遠くを見つめる幼馴染の警護を続けた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 昼食を終えると、午後は鍛錬の時間だ。

 殿下は着替えを終えると、修練場に向かって歩き出した。

 すると、中庭をはさんで向こうの通路に、あまり見慣れない衣に身を包んだ一団がぞろぞろと歩いているのが見えた。豪奢な衣を纏ったどこぞの王族だろうとひと目で見て判る、太った男を乗せた輿を担いでいるので、やたらと目立っている。



「……また、どこかの国の使節団がきたのか」

「そうですねえ。恐らく、聖女を一刻も早く自国に寄越して欲しいという嘆願でしょうね。王族自らお出ましとは。国王夫妻も大変ですね」

「各国間とのやり取りで、浄化の順番は既に決めてあるはずなのにな。何のために兄上が世界中を駆けずり回っていると思っているんだ」



 聖女。それはこの世界でただひとり、邪気を浄化できる貴重な存在。

 それを擁するのがわが国、ジルベルタ王国だ。

 聖女を召喚することができる秘術を持ち、更には精霊の加護が厚く、邪気の噴出地が少ないという素晴らしく優遇されているわが国は、周辺国から見てもかなり繁栄している。

 国土自体は然程大きくは無いが、多くの商人が拠点を持ち、貿易の要所としての顔も持つ。

 海にも近く、自然も豊か。そんな恵まれた土地が、他国からの侵攻を受けずに済んでいるのは、必ず訪れる邪気の急増期には、聖女召喚によって友好国ほど早く邪気を祓うという盟約を、遠い昔からしているからだ。



「ルイス様は今は西の国々を周っていらっしゃるんですよね?」

「ああ、もうそろそろ西の諸国への長期の浄化の旅が始まる。それの根回しをしてくれている」



 此処最近は数日間の旅で済むような場所に行っていたが、そろそろ旅も大詰めだ。この国から遠く、更には山脈を挟んだ向こう、西の国々へと足を向ける。西の諸国は、獣人の治める国々だ。獣人は戦闘能力に長けていて、気性が荒いことで有名だ。その国々をどの順番で浄化して周るか、第一王子であるルイス様は政治的に難しい舵取りを迫られている。


 ――邪気に対抗できる唯一の力を持つということは、強い責任を負うことだ。

 聖女の力をかさに着て、ごり押しで外交をしていれば、次の邪気の急増期までの数百年間のうちに、聖女召喚の秘術もろとも他国に奪われかねない。そうならないためには、如何に味方をつくり、平時を乗り越えるかが問題だ。この邪気の急増期は、今後のジルベルタ王国の運命を決める大切な時期ともいえる。



「下手に弱小国を放置して、邪気で滅びでもしてみろ。そのことを名目に、急増期が終わった時点でわが国が攻められかねない……そのことを踏まえながら、各国同士が不平等にならないように、調整を続けている兄上には頭があがらないよ」

「殿下も命がけで戦っていらっしゃる。ルイス様に負けず劣らず国に貢献していると思いますけどね」

「しかし、それも兄上の根回しあってこそだ。表向きにはどうしても私が目立ってしまうが、真の功労者は兄上だろう」



 殿下は歩きながら、ちらりと廊下をぞろぞろと歩く使節団を忌々しそうに眺めた。



「……あれは、よく見ると南の国のものではないか?」

「ああ、あの衣。そういえば、南の国の特産だったような。南の国といえば、この間、浄化は終わったはずですが」

「浄化したあと、一時的に邪気は止まるが、時が経てば新たなる邪気はまた生まれる。どうせ、もう一度聖女を派遣しろと集っているのだろう」

「……自国のことしか考えられないのでしょうかねえ。あれらは」

「聖女は掃除屋ではないのだがな……どうせ、邪気のせいで疲弊した自国を立て直すのがうまくいかないのを、聖女を呼び寄せて誤魔化そうとしているだけだろうな」

「ですが、かの国の上層部の思惑はどうあれ、国民のためと大義名分を掲げてやってくるのですからたちが悪い。こちらも邪険に追い払うことも出来ませんからねえ」

「父上と母上なら穏便に追い返すだろうから、問題は無いだろうがな。……全く、毎日毎日ああいった輩が大量に王城に押しかけてくる。父上が異界の酒に逃げたくなる気持ちもわかるよ」



 そういって殿下は顔を真っ直ぐと前に向け、足取りを速めた。



「さあ、今日の鍛錬の後は、次の旅の準備だ。世界中の急増期で増えた邪気を祓い終われば、ひと段落。全ては丸く収まるのだ。……急がねばなるまい」



 きりりと顔を引き締めて、前だけを見ている殿下は、先ほどまで膨れっ面をしていた本人だとは思えないほど凛々しい。

 僕は緩む口元を引き締め、自らの主人の後を追った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「カイン。今日、夕ご飯一緒にどうかな」



 鍛錬が終わり、汗を拭きながら聖女さまがそういって殿下に話しかけている。

 殿下はそれを聞くと、あからさまに頬を緩めてすぐさま了承した。



「では、今晩は茜の料理が食べられるのだな。楽しみだ」

「あ、ううん。違うの。今日おねえちゃんいないんだ」



 聖女さまが言うには、今晩姉は王妃様の夕食会に招かれているらしい。

 恐らく、恋話が大好きな王妃様のことだ。姉と護衛騎士の状況を聞いて、根掘り葉掘り聞きだすために呼びつけたに違いない。

 あのどこかふわふわした雰囲気の姉が、真っ赤になって質問攻めに慌てる様子が簡単に想像できて、非常に気の毒になった。



「私も誘われたんだけどね、食べたいものがあったからお断りしたんだよね」



 どうやら、姉が異界に戻ったときに買ってきてくれたものがあるらしく、それが食べたいから付き合って欲しいとのことのようだ。

 修練の後は座学の授業がある聖女さまは、殿下と約束を取り付けると去っていった。その背中を見送った殿下は、僕ぐらいにしかわからない程度ににやけながら、侍従に厨房へ夕食は不要との伝言を頼んだ。

 侍従は伝言を伝えにこの場を去り、この場には僕と殿下しかいなくなる。

 ……いい機会なので、思っていたことを口に出してみた。



「……たかが夕食を一緒にとるだけで、そんなに喜ぶくらい好きなら。あの護衛騎士みたいに、告白してしまえばいいじゃないですか」

「……一介の護衛騎士と私を一緒にするな、馬鹿もの。あれは伯爵家の三男で婚約者もいなかった。柵が少ないからこそ、想いを伝えたのだろうに」

「婚約者がいないのは殿下も一緒でしょう」



 僕の言葉をきいた殿下は困ったような顔で僕をみる。



「……はあ。私に婚約者がいないのは、命を落とす可能性がある浄化の旅に同行するからだ。無事に旅が終われば、国の有力貴族の令嬢たちの釣書が山ほど送られてくるさ」

「わかってますよ、それくらい」

「それに、旅が成功した時点で、ひよりと私が恋仲だと知れてみろ。救国の聖女と英雄の恋物語だのなんだのといわれて、下心のある輩が私を国王にしようと担ぎ出そうとするだろう」

「そうですねえ。それを聞いただけで、やらかしそうな貴族の顔がちらほらと頭を過ぎりますねえ」



 顎に手をあてて、何人かの貴族の顔を思い浮かべる。

 ……あまり頻繁に思い出したくない見かけの腹黒爺ばかりだ。



「……私は、王になるべきは兄上だと考えている。政治的な手腕や王に必要な資質などは、私なんて兄上に遠く及ばない。兄上こそ、この国の頂点に立つべき人間だ。私は兄上の手助けはしたいとは思うが、邪魔はしたくない」

「そうですか」



 殿下はそこまで一息に言うと、僕の顔をなにか苦々しいものを見るような目で見た。



「……あまり、主を試すものではない。まったく」

「流石僕の仕える主ですね。素晴らしい回答でした」

「本当にお前とは一度主従関係について、話し合う必要がありそうだな」

「ははは、そんな時間はありませんよ。ほら、旅の準備をしませんと。各所が殿下の指示を今か今かと待っていますよ」

「誤魔化すな!」



 その時、ゴン!という鈍い音と共に、僕の視界にちかちかと火花が散った。

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