聖女曰く、バーベキューとは肉祭り 前編
食料庫に入って、今日使う分のお米をボウルに入れる。
米袋の底が見えてきている。米は、あと何日保つだろうか。
ふと、顔を上げてがらんとしてきた食料庫を眺める。
ゴルディルさんに大放出したおかげで、焼酎の棚もがらがら、調理酒や醤油の一升瓶も残り少ない。
「……だいぶ減ったなあ」
ぽつりとそう呟くと、広くなった食料庫に私の声がいつもより響いたような気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おねえちゃんただいま!」
妹が元気よく玄関に飛び込んできた。
たまたま廊下を通りがかっていた私はびっくりして、妹の顔をぽかんとみつめてしまう。
今日はいつもならある先触れがなかったので、妹が帰ってくるとは思っていなかったのだ。
「びっくりした? びっくりしたでしょう!」
「うん。……びっくりした」
妹はにんまりと笑って私に抱きついてくる。
数日振りの妹の頭を撫でていると、妹の後ろにカイン王子が立っているのが見えた。
そんなカイン王子は何故か微妙な笑顔を浮かべている。
……お? なんだか、この顔、みたことがあるような……。
「おねえちゃん! お土産があるんだ!」
「……ひより、あんたまた何かやったね!?」
「酷いよおねえちゃん! 私今回は悪いことはしてない!」
「悪くないことはしたのね!?」
「うん!」
カイン王子は私たちのそんな様子が面白いのか、口を手で隠して、くつくつと肩で笑っている。
「茜。普段のひよりの行いもあるのだろうが……。今回はそんなに心配しなくても、大丈夫……大丈夫? だと、思う」
「なんで疑問系なんですか!?」
私がカイン王子に詰め寄ると、彼の後ろからクリーム色の髪色の男性が現れた。
「茜様、見れば解りますよー」
現れたのはカイン王子の護衛騎士のセシル君だ。
いつもどおりの柔和な笑顔を浮かべたセシル君は、私に「こっちにおいで」と手招きする。
なんだか怪しげな雰囲気に、私は恐る恐るセシル君が手招きする先、玄関の外へ出た。
するとそこには、何人かの兵士たちが何か大きなものを押さえつけている姿があった。
それは私の頭ほどの高さがある巨体の獣。
毛並みはつやつやとしていて、頭から生えている2本の捩れた黒角はとても大きい。
鼻息も荒く、大きな蹄で大地を蹴り上げ、押さえつけている兵士を振り回している。
「ぶもおおおおおおおお!」
私はそれを唯々、呆然として眺めた。
そんな私にセシル君は笑顔で言った。
「聖女様のお土産、新鮮な黒角牛一頭です!」
「ぶもおおおおおおおお!」
「おねえちゃん、肉祭りだー!」
目の前で暴れる真っ黒な牛と、生きている牛を当然のように食べる気満々の妹の言葉に、私は一瞬気が遠くなった。
「おお……! お肉。お肉だ……!」
目の前に吊り下げられた枝肉を上から、下から舐めるように眺める。
脂身の白と赤身の赤色が鮮やかなその肉は、どっしりとした存在感をもってそこにあった。
およそ300キロにも及ぶ牛肉。
これは先日ひよりが連れて帰ってきた、あの牛の成れの果てだ。
あれは黒角牛という、この辺りに生息する野生の牛らしい。
浄化の旅から帰ってくる途中だったひよりは、偶々見つけた、はぐれの黒角牛をカウボーイよろしく捕まえて、お持ち帰りをしたということだった。
うちのひよりは一体どこに向かっているのだろう。
どこに単身で牛を捕まえられる女子高生がいるというのだ。
そんなことをひよりに言うと、照れながら「何ごとも挑戦だよ! おねえちゃん!」と全く反省したそぶりはなかった。何かに挑戦するのはいいけれど、牛に挑戦しなくてもいいと、小一時間ほど説教をしておいたけれど。
そのあと、まさか私が牛を解体するわけにもいかず、城の人にお任せした。
その解体された肉が今日うちに届いたのだ。
大きくて立派な枝肉に見惚れる。枝肉は遠くから見ると、生前の姿を彷彿とさせるので、近くで見るのがオススメだ。脳裏に一瞬浮かぶ、やんちゃな牛の姿のことは記憶の底に封印しておくのが、美味しくお肉を食べる秘訣。
今回、枝肉と一緒に、以前ゴルディルさんの件で手伝いに来てくれていた料理人のうちのひとり、ゼブロさんも一緒に来てくれている。
解体もそうだけれど、スーパーでパックに入ったお肉を買うことが常だった私には、こんな大きな枝肉をそのまま渡されても困ってしまうからだ。
ゼブロさんは手馴れた手つきで、枝肉を部位ごとに切り分けていく。
大きな肉切包丁をすいすいと肉に差し入れて、ここがロースで、ここがバラ……なんていいながら部位まで教えてくれる。
私はその見事な手さばきにすっかり感心してしまって、「凄い! へえ! ここが!? 素敵! さすがプロ! かっこいい!」とこんな調子でゼブロさんの横で肉が捌かれるのを見学していた。
「いやあ、若い子にこんなに沢山褒められると、おじさん舞い上がっちゃうよ」
ゼブロさんは突き出したぽっこりお腹をぽん! と手で叩きながら、はにかんでいる。
私はそんな謙虚で、鼻の下の髭がダンディーなゼブロさんに、素直な賞賛の言葉を伝えていると、ゼブロさんは今度美味しい牛肉のレシピを教えてくれると約束してくれた。
私も、自分の知るレシピを教える約束をして、ほくほく顔でその日は別れたのだけれど。
「……ジェイドさん?」
「………………」
「ええと、どうして機嫌が悪いんでしょうか?」
「………………」
何故かそのあと、暫くジェイドさんが膨れっ面だったのは何故だろうか。
少し雲はあるけれど、おおむね晴れ渡った夏の空。
もう直ぐ昼に差し掛かるためか、気温はぐんぐんとあがってきて、頬を伝う汗が止まらない。
そんな中、妹は実に楽しそうに、縁側でバーベキューコンロに炭を入れ、一生懸命うちわで扇いで火をおこしている。
その横にはカイン王子とセシル君。
ふたりとも火おこしに慣れていないのか、妹の怪しげなレクチャーを受けて楽しそうに笑っている。
その少し離れたところでは、料理人のゼブロさんもステーキを焼くための火を起こしている。
私に気づいたゼブロさんは笑って手をひらひらと振ってくれた。私もそれに答えて手を振り返した。
今日の我が家はとっても賑やかだ。
沢山の人が、笑いながら今日の昼食を楽しみにしている。そんな空気が心地いい。
今日はバーベキュー。妹曰く、肉祭り。これをやらなければ、夏が終われない。そんな夏の風物詩。折角なので、いろんな人に声をかけて、みんなであの大量の牛肉を消費することになったのだ。
庭では、騎士団の皆さんがダージルさんの指揮のもと、大きなテーブルと椅子を並べていた。
てきぱきと無駄の無い動きで設置されるテーブルは、ある日の王妃様のお付きの方々を思い出させる。
ダージルさんは今日の肉祭り計画を聞くや否や、速攻で仕事を片付けたらしい。お陰で今日のダージルさんはお休み。腹いっぱいの肉と酒が飲めると、ダージルさんの機嫌は上り調子だ。
嬉しいことにゼブロさんが出張料理人をしてくれるとのこと。ステーキを焼くのが得意だということで、分厚く切ったステーキを焼いてもらう予定。
ダージルさんだけでなく、非番の騎士団員の皆さんも参加してくれることとなった。ジェイドさんと親しい人もちらほらいるらしく、親しげに何か話していた。
「茜、野菜を切り終わりましたよ」
ジェイドさんが沢山の野菜が乗った皿を持ってやってきた。
「ありがとうございます。後でお肉と一緒に串に刺しましょうか」
「そうですね。あと仕込んでおいたお肉もそろそろいい塩梅ですよ」
「本当ですか! ちょっと確認しにいこうかな……」
ジェイドさんの言葉に思わず心が浮き立って、声が弾む。
大きな牛にかなりびっくりしたけれど、正直言って美味しいお肉がたらふく食べれるというのは嬉しいものだ。
元の世界にいたときは、生活費の節約のためにもっぱらお肉は豚と鳥。牛は滅多に食卓にあがることはなかった。牛肉を食べる日は特別な日だけだった。それが、今日は食べきれないほど牛肉があるなんて!
思わずスキップを踏みそうになる足を何とか宥めつつ台所に向かうと、そこにはたっぷりのたれに漬かったお肉。
それと塩と黒胡椒まみれになった大きな肉の塊。
肉がたっぷり漬かったたれは勿論自家製だ。
醤油、酒、みりん、味噌、ごま油にたっぷりのにんにくと生姜をいれて、そこにコチュジャンと輪切りの赤唐辛子でちょっと辛味をつけたもの。食べるときのつけだれは、更にみじん切りしたねぎと白ゴマをたっぷり投入して、食べ応えのあるたれにしてある。
大きな肉の塊は、表面だけあぶって牛肉のたたきにする。これも大きな塊肉があるときだけやれる贅沢だ。
台所に山盛りになったお肉をみて、思わず頬が緩む。
「茜、ゴルディルさんも来ましたよ」
「わ、本当ですか!」
ゴルディルさんが来てくれた! そのことが嬉しくなって、居間に駆け戻って縁側のほうを見る。
すると、とんでもなく大きな酒瓶を肩に担いだ、酒瓶に負けないくらい大きな体のゴルディルさんがいて、私に気づくと手を挙げてくれた。
その後ろには数人のドワーフの男たちもいる。
「ゴルディルさん!」
「……今日は馳走になる」
今日もゴルディルさんの声は、素晴らしくお腹に響く素敵なバリトンボイスだ。
ゴルディルさんは地面に、どん! と酒瓶を置くと「土産だ。ドワーフ産の火酒だ」と言った。
それを耳聡く聞きつけたのはダージルさんだ。
「本当か!? うわあ! すげえ!」
「……ぬ。お前さん」
「俺、これ好きなんだよなあ! 飲んだ瞬間の喉をカーッ! と熱い酒が通り過ぎていく感じが堪らねえんだ」
「…………」
身長の高いダージルさんよりも更に大きな巨体のゴルディルさんが、無表情で見下ろしているのに、ダージルさんはどこ吹く風。うれしそうに酒瓶を眺めて笑っている。
そして、酒瓶を眺めるのに満足したのか、漸くダージルさんがゴルディルさんの視線に気づいた。
「……お?」
「…………」
そのとき、ゴルディルさんが人の頭以上に大きくてごつごつした手を振りかざし、ぽん、とダージルさんの頭に置いた。
ゴルディルさんがダージルさんを殴ろうとしたように見えた私は、一瞬心臓が止まるかと思った。
「小僧。酒の味がわかるようだな」
「おお? おう! 酒は好きだな!」
ふたりは二カッと白い歯を見せ合って笑い、握手をしている。
どうやら酒飲み同士、通じるものがあったようだ。
謎の緊張感に襲われていた私は、取り敢えず問題はなさそうだと安心して台所に戻ろうとした。
――その時だ。
居間の扉の向こうに見える二階へ続く階段、そこにたっぷりのレースを使った白いドレスの裾が見えたような気がした。
「…………ティターニア?」
「茜? どうしました?」
「ちょっと、私二階に用事を思い出しました! 行って来ます!」
「……え? 茜?」
ジェイドさんの驚いた声を尻目に、私は一気に階段を駆け上る。
目指すは私の部屋だ。ティターニアがいるとしたらそこしかない。
バン! と勢いよく私の部屋を開けると、ベットの上にうつぶせで寝そべる妖精女王がいた。
「……なんじゃ、お主。忙しいんじゃろ? 妾に構っている時間はないじゃろう?」
私の枕に顔を埋めたままティターニアはこちらを見もしない。
久しぶりに遊びに来てくれた飲み友達の、いじけた様子に私は思わず笑ってしまった。
「……笑ったな? お主、呪うぞ!」
「呪うつもりもないのに、そんなこと言わないでください」
私のその言葉に、漸くティターニアが顔だけをこちらに向ける。
唇は尖っていて、眉は寄っている。どうみても不機嫌な顔だ。
「ティターニア、ここに料理とお酒を持ってきましょうか。美味しいお肉がありますから、よかったら」
「……ぬ! 肉! 肉か!」
「あんまり一緒に飲めないとは思うんですが、今日は妹曰く、肉祭りなんです。是非食べていってください」
ティターニアは「肉。肉!」と満更でもないのか、途端ににこにことしはじめた。
「だが、ひとりで飲むのはな……」
けれど、次の瞬間、この部屋にひとりきりということを思い出したのか、ティターニアの顔が曇った。
「良かったらお友達も呼んでも大丈夫ですよ? 大騒ぎされるのは困りますけど……。ほら、テオさんとか」
「あれは友達なんかではない、下僕じゃ」
そういいながらも、誰かの顔が浮かんでいるのかティターニアは嬉しそうだ。
「お肉が焼けたら持って来ますね。ちょっと待っていてくれますか?」
「うむ。うむ。妾は勝手に飲んでいるから、お主が都合のいいときでいいぞ」
ティターニアはそう言って、部屋にある飾り棚の奥から、隠しておいた純米酒をとりだした。
……いつの間にそこにお酒があるのを嗅ぎつけたの!?
恐るべし、酒好きの妖精女王……。
階段を降りると、肉が焼ける香ばしくて良いにおいが漂ってきた。
「おねえちゃーん。もう焼いてるよー」
「ありがとうー!」
妹は待ちきれずに既にトング片手に肉を焼き始めているようだ。
軍手を嵌めて、薄緑色のエプロンをした妹の気合いの入りようたるもの、すさまじいものがある。
誰かがまだ生焼けの肉に手をつけようものなら、一瞬の早業でトングでその肉を押さえる。
そしてにこりと笑って「まあだ」と言うのだ。勿論目の奥は笑っていない。
私はそんな妹を心の中で”焼肉将軍”と呼んでいる。
「茜。馳走になっている」
「あ、ルヴァンさん」
私がサンダルを履いて縁側から庭に降りると、ルヴァンさんが麦茶を片手に肉を食べていた。
その足元では、レオンがお座りして肉が降ってこないかと、期待の眼差しをルヴァンさんへ向けている。
「ルヴァンさん、レオンにお肉はあげちゃ駄目ですよ。お肉の切れ端は後であげる予定なので」
「わかっている。そんなことはしない」
ルヴァンさんが足元のレオンに目を遣る。
レオンは舌を口からはみださせ、笑ったような顔でひたすらルヴァンさんを見つめていた。
……ああ、レオンの背後に漫画のようなふきだしがあれば、きっと「ぼくのぶんは、まだ?」的なあざと可愛い文章が飛び交っているんだろうな……。
そんなきらきらした顔を真正面から見つめていたルヴァンさんは、ぐっと眉を寄せた。
「……少しだけあげては駄目だろうか」
「……つけだれも何もついていないお肉を焼いてきますから、ちょっと我慢してください」
とうとう私とルヴァンさんはレオンに押し負けた。
これでまたレオンのお腹のくびれがなくなるなあ……。
「それにしても、ルヴァンさんが来るのは意外でした……って誘っておいて失礼な話ですけれど。お忙しいと思っていたので」
「……確かに、忙しいのは確かだ。氷上船にも着手したばかりだからな……。だが、それ以上に私にはやるべき仕事があってな」
そういいながら、ルヴァンさんは辺りを見回している。
そして、目的のものを見つけたのか、急に立ち上がりずかずかとその方向に歩き出した。
私も慌ててその後を追う。すると、ルヴァンさんが歩いていくその先、桜の木の陰に、全身黒い服をきた、見た事のあるナイスミドルのおじ様が居た。
「わが国の最高権力者が行方不明になっていてな。その回収作業が、私の今日の一番の重要事項だ」
「……ぬ。ルヴァン……!!」
王様はちゃっかりビールとお肉を確保して、隅の方でひとり酒を満喫していた。
「帰りましょう。今日決裁しなければならない書類が山ほどあるのです」
「何をいう!そなたも酒と肉をつまんでいたではないか。それに、今は昼だ。きちんと厨房にも断って来ておるし、護衛も連れて来ている。問題はない!」
「私が飲んでいたのは茶です。それに、飲んでいる酒の量が昼に飲む量ではないように見えますが」
確かに王様の足元には、沢山のビールの空き缶が転がっている。
王様はそのことに気がついて大いに慌てたけれど、一瞬にして持ち直してルヴァンさんを睨みつけた。
「私はここで昼食をとることを決めたのだ。珍しい異界の肉料理、食べてみたいではないか!」
「ふむ……。そうですか」
最後の最後に我侭としか言いようの無いことを言い出した王様を、ルヴァンさんは鬼の形相で見つめている。
ルヴァンさんは銀縁眼鏡を指でぐいっと押し上げ、一瞬目を瞑ると、ふわりと爽やかな笑みを浮かべた。
私はその笑顔をまともに見てしまって、ぶるりと震えてしまった。
「ならば私もご一緒しましょう」
「え、いや。それは」
ルヴァンさんは王様が握り締めていたコップを、素早く奪い取ると中身を飲み干した。
そして、そのコップを私に渡して「水をもらえるか」と更に笑みを深めた。
「午後の執務に差し障るといけません。お酒はこれっきりにしましょう」
「ぬ、ぬぬ……」
「沢山肉を食べて力を付ければ、午後の執務はさぞ、いつもより捗ることでしょうね」
「ぬぬぬぬ……」
「うー、わん!」
私は三人に気づかれないように、そっとその場を離れる。
恐ろしくにこやかなルヴァンさんと、無邪気なレオン。顔色を悪くしている王様の周りの空気は、夏なのにまるで一足先に冬が来たように冷え込んでいた。
本日「雌狼と独りきりの番」という作品も投稿しています。2話で完結済みの作品です。雌狼と人間の男との、異種族間恋愛ものです。お時間があれば、そちらも是非ご覧ください。