烏賊とお髭と大地の精霊 前編
冒頭三人称がはいります。
「わははははは!もっと酒だ!酒をもってこーい!」
「た、ただいま!」
ジルベルタ王国、王城。
その一画に城に勤めるものたちが食事をするための大食堂がある。吹き抜けのその場所は、多くのものが集まる城にあってかなりの広さがある。
本来ならば、勤め人が忙しい中、楽しく食事をとるための憩いの場所だった筈のその場所は、今は様子が違った。
今その場を占領しているのは、ごわごわの髭に覆われた小柄な男たち。樽のような凹凸のない体。焦げ茶色のうねる髭をたっぷりと蓄え、毛先を三つ編みにしているものも多い。男たちは小柄ではあるが皆一様に筋肉質だ。剥き出しになった太い腕は女性の腰ほどの太さがあり、身の丈に合わない椅子に座り、ぶらぶらと宙を泳がせている脚はまるで丸太のようだ。指先は煤で薄汚れ、ごつごつとしてなんとも無骨。胴体部分だけを覆う革鎧をつけているものが大半で、革鎧からはみ出ている下衣は襤褸切れのようでお世辞にも清潔とはいえない。
その男たちが嬉々として汚れた手で掴んでいるのは、なみなみと酒が注がれた杯。
男たちは瑠璃色の葡萄酒をまるで水のように飲み干し、テーブルの上にあるつまみをなんとも美味そうに手づかみで豪快に口へ運ぶ。
城の給仕のものは男たちの要望に答えるべく大わらわだ。
男も女もあっちこっちへ酒とつまみを運び、空になった杯や酒樽を回収する。
大食堂の壁際には、回収された酒樽が山積みになっており、男たちがどれほどの酒を飲んだのかがわかるというものだ。
彼らは所謂ドワーフと呼ばれる種族のものたちだ。
大地の精霊の加護を得、武器や防具、道具を作るのに長けたものたち。
そしてなによりも酒を愛することで有名な種族だ。
彼らははるか南の地、火山地帯に普段は住まい、あまりそこから出てくることはない。
そんな彼らが何故この場にいるのか。
それは、勿論今この世界を蹂躙している邪気を祓うことと、深い関係がある。
ジルベルタ王国の宰相であるルヴァンは、大食堂の入り口の扉から中の様子を覗き込み、大きくため息を吐いた。
ドワーフ達がジルベルタ王国に到着して早三日。
それからずっとこの調子で、彼らは城の酒蔵を空にせんばかりの勢いで酒を飲み続けている。それも昼夜問わず、だ。
「まったく。ゴルディル様は一体どういうおつもりなのだ。こんな乱痴気騒ぎを三日も続け、なお動かないとは……」
「ゴルディル様曰く、思う存分美味い酒を飲んでからでないと、仕事はできないと申しておりました」
宰相補佐官の男がそういうと、ルヴァンの普段から顰めていることの多い眉間により深く皺がよった。ルヴァンは指先でそれをほぐしながら、大食堂の中央にいる周囲のドワーフたちと比べるとかなり大柄な白髪交じりのドワーフを見た。
「美味い酒か……」
そのドワーフ――ゴルディルは、静かに目を瞑り腕を組んで酒もつまみも手をつけている様子はない。
――まったく、なんて厄介な……。
ルヴァンは内心忌々しく思いながらも、補佐官へドワーフたちへの歓待を続けるように指示を出した。
石畳の通路を靴音を鳴らしながら、急ぎ足で進んでいく。
目指す先は王の執務室。
ルヴァンは頭の中で最善の方法を模索する。頭の中を過ぎる、最近めっきり涙もろくなった彼女に頼らずに済む方法が無いか、至急王と話し合いの場を持たねばならない。
残暑はまだまだ厳しいけれども暦の上での夏の盛りはとうに過ぎ、季節は秋へと向かっている。
色鮮やかな季節が来る前に、この問題に決着をつけなければ――。
――しかし、ルヴァンの焦る心とは裏腹に、遠く大食堂から聞こえる酔っ払い共の騒ぐ声は、暫くの間途切れることは無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ぽふん!
夏の終わりに差し掛かった王都では、ここ何日か雨が降り続いていた。
今日は久々の晴天。数日振りの晴れ間が嬉しくなって、私はベランダにお布団を干した。
ふとん叩きでふとんを叩いていると、ジェイドさんが庭からこちらを見上げて声をかけてきた。
「茜!一旦休憩にしましょう!」
「はあい」
家中の布団を干したので酷く疲れている。
凝り固まった肩を回しながら一階へと降りると、ジェイドさんが冷たいお茶と王妃様から頂いたお菓子を用意してくれていた。
そのお菓子は柑橘類の果実を乾燥させ、四角く切ったものに砂糖をまぶしたものだ。
薄い黄色の果実はうっすら半透明で、齧ると口の中に果汁がじゅわっと広がり酸っぱい。そしてその後に砂糖の甘さが追いついてくる、一度食べると癖になる、お茶請けに最高のお菓子。
「わあ! 私、これ大好きです」
「よかった……王妃様にえらく沢山頂きましたからね……暫くお茶請けはこれですよ」
「ふふ、望むところですよー」
「おや、いいましたね?あとで飽きたと言っても聞きませんよ」
「……うっ」
ジェイドさんが私を軽く小突く。
私はその手を軽くかわしながら、ちょっとだけ反撃したりしてふたりでふざけ合う。
ひよりは今朝から浄化の旅にでていていない。だから、そんなに焦って家事をすることもない。そんなのんびりした午後だった。
私はあの晩の王妃様の「頼って欲しい」という言葉に甘えることにして、あれ以来色々と相談に乗ってもらっている。
それは恋の話だけにとどまらず、これからの未来の話、妹のこと。王妃様は色んな話を聞いてくれた。
……頼れる存在。今まで沢山の人たちに優しくしてもらったけれど、男性が多かったこともあり、なんとなく素直に甘えられるような存在というのはなかなかいなくて。死んだ母に近い年頃だからだろうか、一旦王妃様に気を許してしまうと途端に力を抜いてしまう自分がいることに内心驚いた。
……心のどこかで、甘えたい気持ちがあったのだろうか。
あの優しい笑顔を向けられると、ついつい色々話してしまいたくなる。
そんな気持ちは本当に久しぶりで、母が亡くなる前の、ただのひとりの子どもに戻れたようで、なんだか嬉しくもある。まあ、もう子どもなんて言える歳ではないので、そのことは誰にも内緒だけれど。
まだ、浄化後の身の振り方は決まっていないけれど、先日までの出口の見えない迷宮に迷い込んだような不安感は払拭されて、今は少し気分が晴ればれとしている。
まあ、毎回行くたびに、ジェイドさんとのことをからかわれるのは困ったものだけれど。
そのジェイドさんへの気持ちのこと。
王妃様の言うとおりに、簡単に自分の気持ちに正直になろう、素直に好きだと言葉に出そうとは中々考えられない。どうしても、臆病な自分を捨て切れなくて、守りに入ってしまう。
恋は素敵なもの。王妃様は何度もそういってくれた。
私も本当ならば、折角芽生えたこの気持ちを蔑ろにしたくない。
未来のことは、まだ迷いはあるけれど……。
――先のことは考えずに、時には勢いに任せて……かあ。
王妃様の言葉を思い出すと胸が苦しくなる。
でも、その言葉のお陰で、もしこの先ジェイドさんとの関係のなかで、一歩踏み出せそうだと思ったときは。踏み出してもいいかもしれない、そうして、結局は傷つく結果になったとしても後悔しない。
そういう風に考えられるようになれそうな予感はしている。
それもこれも王妃様のお陰だ。
この恋のこと。未来のこと。王妃様は私に色々なことを教えてくれ、私の後ろ向きな言葉もきちんと受け止めてくれる。
幸せになって欲しい、そういってくれる王妃様の存在は、確かに私にとってとても温かくて。頼りにしたい、そんな存在になった。
お茶を飲みながらちらりと覗いたジェイドさんは、今日も素晴らしくかっこいい。
まあ、一歩踏み出す踏み出さないというのは置いておいて、先に解決するべきは、私の気持ちがバレバレらしいということだ。
――顔にでているのだろうか。それとも態度?
自分に自覚がないだけに、この問題は中々難しい。
こうなったら、私は周りから感情を読み取られないような、クールビューティを目指すべきなのだろうか。クールビューティな私。なかなかいいかもしれない。
私は自分のクールな姿を想像してにんまり笑うと、お茶請けのお菓子を数個まとめて口に放り込んで、もっしゃもっしゃと咀嚼した。
……はっ!!
慌てて私はジェイドさんをみる。すると、彼は庭のほうをじっと見ていた。
危ない……乙女のかけらも無い豪快な食べっぷりを見られるところだった……。
恋心に悩みはすれど、好きな人にいいように見られたいのが乙女心。それに、今しがたクールビューティになると決意したばかりだというのに。
……食い意地が張っているところ、直さなきゃなあ。
長年染み付いたそれをどうこうできるのかわからないけれど。
少しづつ。少しづつ。
私はそう思いながら、指でひとつだけ摘んだ菓子を、前歯でちょっとだけ齧りとった。
……ああ、やっぱり口いっぱいに噛み締めたほうが美味しい……。
「茜。お客様のようですよ」
こっそり沈んでいた私にジェイドさんが声をかけてきた。
その視線は庭に固定されて、心成しか険しい顔をしている気がする。
つられて私も庭に目をやると、いつもどおりの顰め面をしたルヴァンさんがこちらにやってくるところだった。レオンは大好きなルヴァンさんが来たことに大興奮して、彼の足元に纏わりついている。
「宰相殿。……何故」
「すまぬ、とは思っている。ただ、手立てがみつからないのだ」
珍しく硬いジェイドさんの声。
ルヴァンさんもどこかしら落ち込んでいるように見える。
いつもどおりの、のんびりとした午後に急に訪れた緊迫した空気に、私は思わず目を瞬いた。
すると、ルヴァンさんはこちらに体を向け、私に頭を下げてきた。
「茜。君に助けてもらいたいことがある」
ルヴァンさんの顔は真剣そのもので、冗談やふざけている気配は微塵も無い。
「――へ?」
私は間抜けな顔で口をぽかんと開けて、これまた間抜けな声を上げた。
初めて足を踏み入れる城の区画に、内心どきどきしながら歩みを進める。
各部署の執務室だという沢山の扉が整然と並ぶ通路を抜けると、小さいけれど綺麗に整えられた庭があり、その庭が一望できるような位置に目的の部屋――大食堂はあった。
その部屋からは、大声で笑う声や誰かが暴れているような音がする。
大きな入り口の扉からはひっきりなしにお盆や酒樽を抱えた給仕の人が行き交い、もう午後三時ごろだというのに大いに賑わっているようだ。
城勤めの人はこんな時間まで昼食がずれこむのかとのほほんと構えていると、急に先導していたルヴァンさんが立ち止まったので、背中にぶつかりそうになった。
「茜、中をみてみろ」
「…………うわあ」
立ち止まったルヴァンさんの背中ごしに扉の中を覗き込むと、私は思わず絶句してしまった。
大きな大食堂には、小さいずんぐりむっくりなひげもじゃの男たちが、顔を真っ赤にして酒をガバガバとまるで水のように飲んでいる。
テーブルの上は食い散らかされたつまみでぐちゃぐちゃ、飲み散らかされた杯は給仕の人が順次回収しているけれど、それも追いつかないほどにあちこちに転がっている。
彼らが飲んだのだろう、空いた酒樽が壁際に山積みにされ、床には酔いつぶれた沢山の男が大きないびきをかいて眠っていた。
ここでずっと飲み続けているのだろうか、汗と酒の臭いが混じった饐えた臭いが食堂中に広がっていて、鼻をつまみたくなるほどだ。
「これらは、南の地から招いたドワーフだ」
「ドワーフ?」
「物を造りだす事に長けた一族だ。彼らの作るものは、人間が作るものよりも優れているだけでなく、大地の精霊の加護を得ているからか、邪気に対して強い抵抗力を持つ。今回、浄化の旅に欠かせぬものを作ってもらうために招いたのだが……」
ルヴァンさんは苦虫を噛み潰したような顔で、呑んだくれているドワーフたちを見つめている。
「あそこ、真ん中に一際大きな体をしたドワーフがいるだろう」
「ああ、あのお爺ちゃん」
「おじい……、まあ。そうだ。ゴルディルといって、あれがドワーフ一族の長だ。あれが非常に厄介な奴なのだ。……実はな、茜。奴は美味い酒を飲んでからでないと、仕事が出来ないと言っている」
「はい?」
「……ドワーフは何よりも酒を愛する種族だ。そして長の命令には絶対服従を貫く一族でもある。あの老ドワーフが動かない限り、この場にいるドワーフたちが作業に取り掛かることはないだろう」
「でも、沢山お酒を飲んでますよ?」
「あの老ドワーフ以外はな」
「なるほど。確かにお爺ちゃんはお酒に手をつけてませんね」
「実はこの状態がもう10日も続いている。……既に城の酒蔵は空になったので、城下町から酒をかき集めているような状態だ。……このままではわが国の酒という酒がドワーフどもの胃の中に納まりかねん」
――なんですと!?
私は目を剥いてルヴァンさんを見る。
町のお酒が全部無くなる……?
「既に城下町では酒の値段の高騰が始まっている。君がこの間王より下賜された、あの白の葡萄酒があっただろう」
「ああ! あの素晴らしく美味しい葡萄酒ですね!」
「あれも既に飲みつくされてしまった」
「……なあっ!?」
私は誰かに頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。
あの……葡萄酒はもう二度と飲めない?
ちら、と扉の向こうのドワーフたちに視線をやる。
相変わらず水のような勢いで酒を飲んでいて、彼らは果たして酒の味を理解しているのだろうか。
あいつらが、私の葡萄酒を……ジェイドさんとの思い出の味の葡萄酒を飲んでしまった? いつかまた、ふたりで飲んでみたいと夢想していた、あの騎士団長の給料三ヶ月ぶんの高級葡萄酒を?
すうっ、と私の頭の中が冷えてくるのが解る。
頭の片隅では、いやあれは私の葡萄酒じゃないだろう、なんていう冷静なつっこみが聞こえるけれど、ふつふつと沸きあがる怒りの前に、理性的な私は簡単にねじ伏せられた。
「ルヴァンさん、私にしたい頼みって」
「あの老ドワーフを、君のもてなしで満足させられないだろうか。既に城の料理人があらゆるつまみや酒を供してみたのだが、どうも気に入らないらしく……もうお手上げなのだ。本当に君には迷惑をかけて申し訳ないが……珍しい異界の酒と料理ならば、どうかと思ったのだ」
私は少しの間下を向いて考え込む。
――これは、私が求めていたことではないだろうか。
戦うことの出来ない私が、妹の為に出来る何か。
決意をこめて、ぎゅ、と手を強く握る。
私は勢いよく顔を上げて、ルヴァンさんに挑戦的な目を向けた。
「――五日。五日ください。その間のおつまみは私が用意しましょう。お酒は――この人数を賄えるような数はありませんから、お爺ちゃんの分だけになりますけど……。他の人へのお酒だけは引き続きお願いできますか。それと、これだけの人数へのおつまみは私とジェイドさんでは作りきれません。手伝いの料理人を何人か貸してくれませんか」
「勿論だ」
「ひよりの旅に必要なものを作ってもらうのでしょう? ここで私が――おねえちゃんがやらないで誰がやるんですか!」
私は未だ大食堂の真ん中を陣取り、目を瞑って微動だにしない、ゴルディルとかいうドワーフのお爺ちゃんを睨みつけた。
そして、高らかに宣言した。
「あのお爺ちゃんを、仕事がしたくてしたくて堪らなくなるよう、精一杯おもてなしさせてもらいます!」