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王妃様とはじめての料理 後編

「今日作る料理はですね、ハンバーグといって挽肉を捏ねて焼いた料理になります。まずはたまねぎを切りますね」



 そういってたまねぎの皮を剥いたものを包丁で半分に切って、まな板に断面を下にして乗せる。



「こうやって手をまるくにゃんこ……失礼。猫の手のような形にして押さえます。そして包丁をこうやって……」



 順を追って説明しながら手本を見せると、王妃様は意外と手先が器用で、特に問題もなく工程をこなしていった。

 みじん切りしたたまねぎを炒めて、冷蔵庫に入れて冷やしている間に、サラダ用の野菜をちぎってザルに放り込む。そんななんでもない工程も、王妃様はひとつひとつ丁寧に、且つ楽しそうにこなしていく。



「……本当、楽しそうですね」



 思わずそんな言葉が私の口から飛び出す。

 王妃様は私のことを意外そうな顔でみて、ふっと微笑んだ。



「だって新しい体験をするってことは、自分の世界が広がるって事なのよ? あなたがいなかったら、きっとわたくしは一生包丁を手にすることはなかったでしょう。……知らないことを知るということは、何て楽しいんでしょうね?」



 王妃様はにこやかにそう言うと、「さあ、ちぎりおわったわ! 次はどうすればいいのかしら」とうきうきと次の工程をねだる。

 その後は、サラダ用のきゅうりやトマトを切って貰い、箸休め用に簡単に大根の浅漬けを作った。

 その頃には、炒めたたまねぎもいい具合に冷えていたので、ハンバーグの種作りにとりかかることにした。


 ハンバーグを作るときは温度が重要だ。

 なんでも、挽肉の脂が溶け出す温度が人間の体温に近いそうで、温まってしまうと脂が溶け出して、途端にハンバーグの美味しさが半減してしまう。だから挽肉が温まらないように、肉を捏ねる手を氷水で冷やしながらやるといい。



「まあ! 冷たくてきもちいいわ~」



 ……いやあ、本当に今が夏でよかった。

 これで冬だったら王妃様に苦行を強いるところだった。

 正直冷やさなくても、そこそこのものは作れるけれど、王様の口に入る以上妥協はしたくない。

 ボウルにいれた挽肉に塩を入れて、粘りが出るまで捏ねる。

 赤かった挽肉が、うっすら白くなって粘りが出てきたら、冷やしたたまねぎ、冷蔵庫からとりだした直後の卵、お麩を砕いたもの、ナツメグ、胡椒を入れて全体が混ざるまで捏ねる。

 なるべく手を冷やしながら手早くやりたいと王妃様に伝えると、笑顔で私の希望通りにやってくれた。

 ……この人、王妃様じゃなくて平民だったら、結構なお料理上手になったんじゃなかろうか。



「でも、あれよね。このままこのお肉をまるめて焼くのよね?」

「はい、そうですよ」

「なんだかそれじゃあつまらないわね」

「へ?」



 王妃様はいきなり「うーん」と考え込んだかと思うと、ぽんと手を合わせて私にきらきらした顔を向けてこういった。



「ジャムなんかどうかしら!」

「はい?」

「真っ赤なジャムなんて中に入ってたら、きっと食べたときにびっくりすると思うの!」



 あ、アレンジャー……!?

 ……訂正させて貰おう。この人、絶対料理をさせちゃいけないひとだ!



 ――説明しよう。アレンジャーとは。

 料理中に突然、神の天啓を受け、他人の思いもよらないような素材を料理に組み込むことにより、食べ物を廃棄物へと進化させる能力を持つ、特殊能力者である。



 アレンジャーは駄目だ。悪気もなく「美味しいとおもって」という言い訳と共に、おぞましい物体を生産する。

 正直なところ、うちの母がそうだったのだ。そのせいで何度大変な目にあったことか。

 遠足のお弁当、白いご飯の真ん中にチョコボールが入っていた衝撃は今でも忘れられない。

 ……そう。アレンジャーの生態として、何故か甘い食べ物を多用しようとする傾向がある。何故か躊躇なく糖分たっぷりの加工品を、普通の料理にぶちこもうとするのだ。


 ……王妃様もそれに当てはまっているのが恐ろしい。

 ……うきうきと楽しいジャム入りハンバーグ計画を話す王妃様がほんとうに恐ろしい。

 そして、その後ろで笑いを堪えているカレンさんも恐ろしい。

 ……止めて! 止めてやってよ! 親友でしょうが!



「ジャムは……またの機会にしましょうか……」

「あら、そうお? 残念だわ、美味しいとおもったのに」



 王妃さまはこてん、と首を傾げて残念がっている。

 アレンジャー御用達のお言葉まで頂いてしまったので、引き攣る頬をなんとか引き締めて料理を再開することにした。ハンバーグの種を手に取り、空気を抜くようにして整形したら、冷たいままのフライパンに置いていく。



「ふふ、この種を丸くするの、きっとふたご姫も好きね」

「ええ、もし気に入ったら一緒に作ってみるのは如何ですか。私も小さい頃、母と一緒によくハンバーグをつくったものです」

「まあ! それはいいわね!」



 王妃様は、ぱっと顔を輝かせた。

 ……私の場合は母が異物を料理に投入しないように、見張りがてら、お手伝いしていたんだけどね!

 ふたご姫は喜んで異物混入に乗っかりそうだ……恐ろしい。



 ついでに皮をむいてレンチンした、くし切りのじゃがいももハンバーグの隙間にいれて、付け合せも一緒に作る。

 あとはひたすら弱火で焼いていく。両面が焼けたら蓋をして10分程度で完成だ。

 焼いている間に、小鍋でにんじんと水、砂糖、バター、塩少々を煮てグラッセも作っておく。



「わあ、ふっくらしてきたわ」



 じゅくじゅく、じゅうじゅうとハンバーグから出た脂が弾けていい音がする。

 その脂で一緒に入れたじゃがいもの表面は、軽くカリカリに揚がってきつね色。

 ハンバーグは平べったい楕円形だったのが、肉汁が中で溢れてパンパンに膨らみ、まんまるに肥え太っている。

 隣のコンロでは目玉焼きも焼いていて、丁度いい頃合いだ。



「いい感じですね。盛り付けていきましょう」

「うふふ、楽しみだわ」



 お皿にハンバーグを乗せて、その上に目玉焼き。じゃがいも、にんじんのグラッセも添える。

 私はフライパンをまた火にかける。残ったハンバーグの美味しい脂をそのままソースにするためだ。

 ケチャップとウスターソースを入れると、水分と脂が反応してじゅわわわわ! と弾ける。そこに少しの赤ワインとお砂糖をいれて少し煮詰めて……味見。……うん、良さそうだ。

 それをハンバーグにかけて完成!



「あらあら、美味しそうね~」

「左様でございますね」

「本当、美味しそうに出来ましたね!」



 3人で出来上がった皿を前に顔を見合わせる。

 つやつやしたソースがかかったハンバーグからはいい匂いがして、本当に美味しそうだ。



「夫も子どもたちも美味しいっていってくれるかしら?」

「きっと大丈夫ですよ」



 王妃様は、何だか不安そうな顔をしている。そして、少し考えたあとぽんっと手を打った。



「これに色取り取りの可愛い飴玉をトッピングしたらどうかしら!宝石箱みたいにして……綺麗で美味しそうじゃない?」



 と、きらきらしながら言い放ったので、私は全力でそれを止めた。

 カレンさんはとうとう蹲って笑い出すし、中々王妃様は諦めてくれなくて大変だった。

 ……勘弁して!



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「おお。本当にこれを其方が作ったのか?」

「ふふ、そうなの。茜ちゃんに教えてもらって……凄いでしょう」

「「おかあさま! 凄いわ!」」

「母上、いきなり押しかけて茜に料理を教えてもらうなど……」

「おねえちゃん、ハンバーグだ! 素敵! 最高! 嬉しいー!」



 我が家の居間には王様、王妃様、ふたご姫、カイン王子、カレンさん、ひよりにジェイドさんに私。とんでもない人数が集まり、しかも大半がロイヤルファミリーというものすごい状況だった。

 因みに、私が未だにあったことのない第一王子は、他国を飛び回っているとかで不在らしい。

 それにしたって、第一王子以外の王族が勢揃いとは……なんて恐ろしい状況なのか。

 私はその事実に一瞬眩暈を覚えたけれど、気を取り直して仕度を進めることにした。



 流石にいつものちゃぶ台だとこの人数は無理だし、王妃様の持ってきたテーブルでも手狭だ。

 私は襖を開けはなち、隣の客間まで部屋を広げて、お客様が来た時用の大きなテーブルを置いた。

 勿論日本式のテーブルなので、脚も短く地べたに座らなければならない。

 王妃様にはその旨謝ったが、「座布団! 素敵! 茜が使っているのを見て、座ってみたかったのよ!」と、非常に楽しそうなお言葉を頂いたのでほっとした。



 テーブルの上には、ハンバーグにサラダ、ご飯にわかめのお味噌汁。大根の浅漬け。

 王様はちゃっかり自分の分だけ葡萄酒を用意している。

 ……一体いつ用意したんだ、王様。

 大人数の料理というのは配膳も大変だ。

 ジェイドさんと私とカレンさんで、手分けをしてなんとか配膳を終える。

 私が席に着くと、ジェイドさんとカレンさんも、居心地悪そうに恐る恐る席に着いた。ひよりが例の「我が家ルール」を今回も主張したのだ。



「ふふ。この家の中は異界の決まりごとが適用されるのね! 面白いわ! カレンと一緒に食卓を囲めるなんて、なんて嬉しいの! ……だとしたら、お昼ご飯のときは茜ちゃんに随分と悪いことをしたわね」

「いや、ええと!? お、お気になさらず〜……」



 いきなり謝りだす王妃様に私は大いに慌てる。

 カイン王子といい、この王妃様といい、高貴な身分で簡単に謝っていい立場ではないと思うのだけれど、いやに素直に気持ちを伝えてくれる。なんだか逆にこちらが恐縮してしまう。



「まあその話は後でいいだろう。折角の料理が冷めてしまう」

「あらあら。そうね、あなた」



 王様と王妃様は和やかに微笑み合って、王様が葡萄酒の入ったグラスを持ち「……いただこう」と皆に言葉をかけた。

 それを皮切りに、皆一斉に食事に手をつけ始めた。



 たっぷりとソースが掛かった、まんまるのハンバーグに箸を差し込むと、途端とろとろと大量の肉汁が漏れ出す。目玉焼きの黄身部分も一緒に割ったので、肉汁と黄色い卵がとろりと絡んで、みているだけで口の中に涎がしみてくる。



 途端、ぐう、と私のお腹が空腹を主張した。

 随分とお腹が空いている。今日は色々とあったので、エネルギーを大分消費したようだ。

 私は箸でひと口大にハンバーグを切ると、たっぷりとソースと黄身を絡めて口に運んだ。

 ハンバーグの口当たりはふわっふわで、噛むごとに肉汁がじゅうっと溢れる。

 ケチャップとウスターで作ったソースは、肉の旨さを内包して濃厚な甘しょっぱさ。時たま感じる酸味はワイン由来のものだ。


 口の中に広がるのはソースの甘しょっぱさだけではない。一緒に絡めた卵の黄身のまろやかさの素晴らしいこと。ソースのとろとろ加減が黄身のおかげで更に増し、口の中が濃厚な味で包まれる。

 レストランで食べるデミグラスソースもいいけれど、家庭でつくるハンバーグのいいところは、このお手軽ソースにあると思うのは私だけだろうか。

 うう、と美味しさに浸る。空腹の時に食べるハンバーグの味は、心も体も全てを満たしてくれる。



 ――ああ。ハンバーグっていいなあ。



 甘しょっぱい濃い味に、ついついご飯も進む。

 食べている最中に、白いご飯をソースが汚してしまっても、そのソースがついている部分のご飯がまた美味しいのだ。

 口が濃い味につかれたら、ぱりっぱりの大根の浅漬けを食べる。

 昆布と塩でもんだだけの大根だけれど、ほんのり甘い大根の味で口の中がさっぱり。そしてまたハンバーグへ戻る。

 ……ああ、美味しい!



「おお、美味しいな」

「本当? うれしいわ! あなた。……でも、やっぱり飴玉をトッピングしたほうが美味しかったかもね! 茜ちゃんに止められたから、やめたけれど」

「茜、其方良い仕事をしたな! 褒めてつかわす!」

「あなた、それってどういうことかしら」

「「おかあさま、美味しい! おねえさまも! とっても美味しいわ!」」



 王様もふたご姫も満足そうだ。

 ハンバーグは、ナイフとフォークを使っても食べられるので、箸を使わなくてもいい。王様もふたご姫も特に苦労せずに食べてくれていてほっとした。



「茜、今日のご飯も美味しいですね」



 ジェイドさんも目を細めながら、美味しそうに食べてくれている。

 見てみるとジェイドさんの皿のハンバーグはもう半分しかないし、ご飯のお代わりも必要そうだ。


 ……その様子が堪らなく嬉しくって、私は頬を緩めてその姿をこっそりと眺めた。

 好きな人に自分の作ったご飯をもりもり食べてもらえるだけで、こんなにも心があったかくなる。

 ご飯を作る側として、これほど嬉しい瞬間はない。

 居間のなかは大人数で食べているせいでとても賑やかだ。

 だけど私の心はジェイドさんのその姿でいっぱいで、食事時の喧騒がなんだか遠く感じた。

 けれども、



「――おねえちゃん! おかわり!!」

「「おししょうさま、おかわりしてもいいの!?」」

「すまない、茜。私も……」

「あらあらあら。カレン、こっそり自分だけおかわりしているなんてずるいわ!」

「ばれましたか……」

「私は葡萄酒をもう一本……」

「あなた、少し飲みすぎじゃないかしら?」



 みんなから、次から次へと上がるおかわりの声。

 そして最後に、



「茜、俺も手伝いますから……俺にもおかわりが欲しいです」



 ジェイドさんがちょっと恥ずかしそうに、お茶碗を抱えてそう言った。

 私のほっこりした時間は、皆のおかわりコールで一瞬にして終わりを告げたけれど。

 ……嬉しい悲鳴とはこのことなんだろうな、と思いながら私は少し笑ってしまった。




 王様やカイン王子は、仕事があるといって食事が終わり次第戻っていった。ジェイドさんも騎士団に用事があるとかで席を外している。

 私たちの護衛は、王妃様の警備が沢山いるので問題ないらしい。

 ひよりとふたご姫は、たこ焼きを作って以来とても仲が良い。三人は今、ひよりの部屋にいる。時折二階からドタバタと酷い足音が聞こえるけれど、なにをしているのだろうか……。

 残った私たちは、食後のお茶をカレンさんに淹れてもらってゆっくりと寛いでいる。



 カップに綺麗な紅い紅茶が注がれると、ふわりといい香りが立ちのぼる。

 ひと口飲んでみるとなんとも香り高く、舌先に仄かに甘みを感じる。

 ……今まで飲んだどの紅茶より美味しい!



「カレンさん、とても美味しいです。私、こんなに美味しい紅茶飲んだの初めてです」

「……王妃様に美味しいお茶を淹れるのも、私の仕事ですので」



 カレンさんは相変わらず無表情だ。

 だけどちょっとだけ表情が緩んでいるような気がする。



「あなたの作った料理も……美味しかったですよ。それに、あのフリースタ……ぶっ……フリースタイル?……くっくっ、ふりいすたいる、なのはっこちらでは珍しい……く、ぷ、あははははは」

「か、カレンさん!?」



 話の途中でカレンさんが急に笑い出すので、私は困惑して事情が判りそうな王妃様の方をおもわず見た。

 王妃様は口元に手を当てて、その様子を「あらまあ」と、のんびり見ていた。



「フリースタイルって言葉がツボにはまったみたいね?」



 ――お昼の時、私がフリースタイルって言った瞬間、ピクッて顔が引きつったのはそのせいか!


 王妃様曰く、カレンさんは結構な笑い上戸らしい。

 それを隠すために普段無表情を装っているそうなのだけれど、いつも笑いたくて笑いたくて堪らないのを必死で堪えているそうだ。

 最初怖い人かと思ったけれど、全くそんなことはないようでよかった。



「それにしても、今日は楽しかったわ。茜ちゃん、ありがとう」

「いえ、とんでもないです。楽しんでもらえたなら……私も嬉しいです」

「ふふふ。謙虚なのね。とっても貴重な経験をさせてもらったわ。……ところで」

「はい?」

「あなた、恋をしているのね?」

「――ッ!」



 思わず口に含んでいた紅茶を噴き出しそうになって、慌てて飲み込んだ。



「ななななな、なんのことでしゅか!?」

「まあまあまあ! 隠さなくていいのよ? だってバレバレだもの~」

「ば、バレッ!?」



 ……バレバレというのは一体どういうこと!?

 私が目を白黒させていると、王妃様はニマニマと笑い、口元を押さえて非常に楽しそうだ。



「だって夕食のときのあの熱い眼差し! わたくし、もうどきどきしてしまって。思わず若い頃の夫との甘いひと時を思い出してしまって困ったもの~」

「そうでございますね。あれは見ていて羞恥心を覚えるほどでした」

「は!? え!?」

「ジェイドというのでしょう? あの護衛騎士! 素敵よね、想い合うふたりが護り、護られる立場で少しずつ愛を育てていくのよ……!」

「どこかの三文芝居のようでございますね」

「もう! いいわあ! たまらないわあ! あー、わたくしもあの頃に戻れたら……!」

「正直、周りの目を考えていただきたいものです」



 夢見る乙女のような王妃様と、若干毒を吐いているカレンさんの言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 そそそそ、そんなにあからさまだったの!? 私!?



「赤くなってかわいい! で? いつ好きなったの? もう告白したの?」

「え、え、え……」

「あの護衛騎士はどう思っているのかしら! やだ! どきどきしちゃうわ!」

「ま、待って! 待ってください……!」



 怒涛の勢いで迫ってくる王妃様に、私は頭の中が混乱してしまって、思わず涙が滲んできた。

 そんなことを言われたって、正直どういう風に反応すればいいのかわからない。

 ジェイドさんへの気持ちを、自分自身どうしていいのかわからないのに、更に他人から言われるとものすごく心が掻き乱されて、どうにもこうにも逃げ出したい気分になってしまう。



「え? あらあらあら、泣かないで! どうしましょう、カレン。わたくし茜ちゃんを泣かせてしまったわ!」

「王妃様が強引過ぎたのです。少しご自分を抑えてくださいませ」

「うう……。ごめんなさいね、茜ちゃん。ついつい恋の話になると、興奮してしまって……」



 王妃様はしょんぼりと落ち込んで、私の頭を優しく撫でてくれた。

 困ったように眉を下げたその顔、その雰囲気。



 ――おかあさん。



 ……ああ、薄々気づいてはいたけれど、王妃様はどこか――死んでしまった私の母に似ている。

 ……顔の造りはこちらのほうが、断然美人なんだけれど。

 私はそのことに気づいて、ちょっとしんみりしてしまった。

 けれどそんな私にはおかまいなしに、王妃様はぱっと表情を変え、意地悪くにんまりと笑って、



「でも、キスぐらいしたのでしょう?」



 と、容赦なく全力で爆弾を投げてきた。



「そそそそそそ! そんなキスなんて」



 ――っ! なんていうことを聞くんですか王妃様ぁぁぁぁ!



 恋愛話が好きすぎる王妃様に辟易しながらも、どうしようもなく頬が熱くなるのを自覚しながら、そんなことするわけない、そう言おうとした時。突然、私の脳裏にとある光景が浮かび上がった。

 薄暗い馬車の中。楽しかった休日の帰り道。馬の蹄の音。隣に座るジェイドさん。



『へへ、秘技セクハラ返しー』

 ……ちゅっ。



「あばばばばばばばば!」



 それは私の酒に飲まれた上での痴態。

 そのおぞましい光景、行為に、私は死にたくなるほどの羞恥心に襲われ、頭をわしわしと力いっぱい掻き毟った。



「あ、茜ちゃん!?」

「な、な、な、なぁにィやってんだ私――――!?」

「んまあ! 茜ちゃんが壊れたわ! カレン! どうしましょう!」

「……もう手遅れですね」

「諦めが早すぎるわ! カレーーーーーーーン!」



 ……その後わたしが落ち着くまで、30分ほど掛かってしまった。

 王妃様はありがたいことに私の傍にいて、ずっと背中を摩ってくれていた。



「……で、茜ちゃん。一体なにがあったの?」

「うう、王妃様……私……私……」



 王妃様にたった今思い出した、先日の馬車の中でやらかしてしまったことを正直に話した。

 私の話を聞いた王妃様は「あらあらまあ!」とぽっと頬を染めている。



「ど、どうしましょう……私、私もうジェイドさんにあわせる顔がありません」



 よりによって好きな相手にあんなことをするなんて……ああ、信じられない!

 私の中で、あの馬車の中の場面が、罪の意識を煽るようにぐるぐると回り、更には今日のジェイドさんの様子を思い出して更に落ち込む。

 ――あれか、あの態度。そういうことか!

 衝撃の事実に、私の心はどん底まで沈みこむ。

 調子に乗ってお酒を飲みすぎたからだ……もう、お酒やめようかな……いや、それは無理!

 一瞬過ぎった断酒というアイディアを速攻で切り捨てて、私はこれから先の生活を考えて……絶望した。



「でもね? 茜ちゃん。あなた、ジェイドが好きなのでしょう? なら悩むことないじゃない?」



 王妃様は本当に訳がわからない、といった風な顔をして、こてん、と首を傾げた。



「女の子からっていうのは、随分積極的だと思うけれどね。いずれは気持ちを伝えるのでしょう? ならいいじゃないの」

「駄目です!」



 私は勢いよく首を振って、それを否定した。



「確かに、私は彼の事を好ましいと思ってはいますけど! けど、わたしは……まだ、先のことを決め切れていなくて。私と彼は別の世界の住人でしょう? だから自分の未来がはっきりするまでは、私の気持ちを彼に悟られたら駄目なんです……!」



 こんなこと、今日初めて親しく話した人にするような内容ではない。

 解ってはいるのだけれど、王妃様の優しげな眼差しと雰囲気が、どうしても亡くなった母に重なって、私の中で甘えが生まれてしまったんだろう。ついつい言葉が漏れ出た。



「例え、彼と気持ちが通じ合っても、万が一にでも、一緒にいられなくなるようなことになったら……と思うと」



 下を向いて、唇を噛み締める。



「好きだからこそ、耐えられそうに……なくて」



 そこまで気持ちを吐き出すと、喉の奥がぎゅっと苦しくなってしまって、しゃべることが出来なくなってしまった。

 こんなことただのいい訳だ。自分を傷つけたくないが為の、ただの言い訳。

 きっと一歩踏み出せない……いや、踏み出そうとしないのは、自分の弱さのせいだ。

 後ろ向きになって、うじうじして。何もしないでいれば、少なくとも傷つくことはない。

 私は自分の殻に閉じこもって、自分だけを大事に大事に守っているだけだ。



 けれども、下を向いて喋れなくなってしまった私に、王妃様は優しく語り掛けてくれた。



「茜ちゃん。お願いよ、王妃としてじゃなく、ただのおせっかいなおばさんの言葉としてきいてね?

 ――先のことは考えずに、時には勢いに任せて好きな人の胸に飛び込んでみるのも、大切なことなのよ?」



 胸が締め付けられる。私は自分の胸元をぎゅっと握り締めて、それに耐えた。

 けれども、私の胸は早鐘を打ち、胸の中のもやもやは更に大きくなるばかりだ。

 ゆっくりと瞼を閉じると、脳裏に浮かぶのは好きなあの人の顔。

 王妃様は私を優しく抱きしめてくれた。ふわりと、薔薇の芳しい香りがする。



「わたくしには、あなた自身がこの恋を苦しいものにしているようにみえるわ。恋って素敵なものよ。はっきりしない未来よりも、今、目の前にある自分の気持ちを大切にしてあげてね。……きっと、それは悪いことばっかりじゃないわ」

「……ありがとうございます」

「ほんとうに、ごめんなさいね。あなたの気持ちを知らずに、からかうようなことをして」



 王妃様は私を抱きしめていた腕を緩め、私の両頬に手を添えた。



「もう、わたくしったら。……困ったわ。茜、あなたってほんとうに可愛い。ふたご姫が懐いているのが凄く良くわかるわ」



 王妃様は何かを振り払うように顔をふるふると振ったけれど、結局その何かを振り払えなかったのか、諦めたように唇を尖らせて、それから曖昧に笑った。



「わたくし、あなたのことがとても大好きになってしまったわ。……ずうずうしいかもしれないれど、こちらの世界の母親だとでも思って、頼ってくれないかしら。わたくしひよりちゃんにも、茜ちゃんにも幸せになって欲しいの。……迷惑だったらごめんなさいね」

「……え」

「それに、あなたには頼れる存在が必要だとおもうの。わたくしでよかったら、是非頼ってね。約束よ」



 ――本当はあなたの大好きなあの人が、あなたの支えになれば一番なんでしょうけれど。


 そういって、今度はぎゅっと力強く私を抱きしめた。

 ふわふわのいい匂いのする王妃様に包まれると、なんだか体の奥がむずむずしてきた。

 母親に抱かれた記憶が、はるか遠くになりつつあった私には、この体勢はなんだかとても恥ずかしい。

 けれど、あまりにもほんのりあったかくて気持ちよくて……私は思わず目を瞑って、王妃様のなすがままになってしまった。



「でも――……あなたの気持ち、きっとジェイドにはバレバレよ?」

「うわあああああああああああ!」



 私はその事実を思い出して、その場で頭を抱えた。



 その後、ジェイドさんが帰ってきたので、あの日の晩のことを改めて聞こうとしたけれど、



「え? 何のことですか? 茜は大分酔っ払ってましたからね。夢でもみたんじゃないでしょうか」



 と、笑顔でかわされてしまった。

 あれは絶対夢なんかじゃない確信が私にはあるけれど、ジェイドさんはにこやかに「お酒は飲みすぎてはいけませんよ」と私を諭すばかりで、どうやらあの馬車での出来事は無いことにしてくれるらしい。

 正直これからのふたりの生活を考えて、暗澹たる思いだった私としては大変助かったけれど。



 『酒は飲んでも飲まれるな』



 あの有名な言葉を、しみじみと実感する日がくるなんて思ってもみなかった。今回のことは良い勉強になったのだと、そう前向きに考えることにした。

 ……暫く、恥ずかしくてジェイドさんの顔を見れない日々は続いたけれども。

 ……お酒の量と、恋のあれこれ。この世にこれほど難しいものはない。

カレン。王妃様と同世代。独身。…察してあげてください。

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[一言] いやー、カレンさん好きだわ(・∀・)
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