そして掴み取ったものは3
空を駆ける古龍たちのスピードは凄まじく、私たちは凍えないように身を縮めながら進んでいった。そして、いよいよ最果ての国の上空に差し掛かり、もうすぐ穢れ島が見えるというところまで来たとき、急にテオが私たちの前に現れた。
テオは驚く私たちを他所に、いつものように自分のペースで喋りだした。
ときには踊るように、歌うように。言葉に節をつけて、彼は語った。
「さあさ、聞いておくれ。すべてを識る道化師の言葉を。――雪原の迷い子を拾っていくといい。精霊王に再会できたなら、分厚い雪のカーテンを外せばいい。春が恋しいと嘆くといい。夜が好きだと告白すればいい」
最後に、テオはシルクハットをひょいと取ると、大仰な礼をした。
「道化の最期は、笑って見送るといい――」
そしてそれだけ言い残すと、ひらりと竜の背から飛び降りてしまった。
意味がわからず呆気にとられていると、古龍が雪原のあちらこちらに、立ち往生している人間の魔力を感じると教えてくれた。恐らくそれが迷い子だろうと近寄ると、そこにいたのは穢れ島へ向かう途中の援軍だったのだ。
古龍の背に乗ってやってきた私たちを、始め彼らは警戒していた。
今思えば、一番最初に出会ったのが、獣人国の人たちだったのは幸運だったのだと思う。古龍の姿に怯える兵士たちの中に、シロエ王子の姿を見つけて声を掛けると、私が聖女の姉だと知った彼らは、あっという間に警戒を解いてくれたのだ。
「……助かった。慣れない寒さに、熊人は冬眠しそうになるわ、毛に雪が絡んでみるみる内に重くなるわで、困り果てていたのだ……」
獣人らしい悩みに、絶対に笑ってはいけないと堪えながら、「大変でしたね」と労る。すると、獅子の獣人であるシロエ王子は、まるで年頃の少年のように目を輝かせると、居並ぶ巨竜たちの姿を眺めた。
「竜だ……!! こんなに近くで見られるなんて……!!」
シロエ王子は興奮気味にそう言うと、部下の獣人たちを引き連れて、おっかなびっくり巨竜に近寄っていった。この世界では、竜は物語や劇の題材には決まって登場するくらいに、人々に好まれている。私にとっては竜は危険で怖いというイメージがあるけれど、この世界では生ける伝説であり憧れの的――竜は、彼らにとっては吉兆の象徴だった。
普段は秋ごろに空を飛ぶ姿を眺めることしか出来ない竜を、間近で見て、触れた彼らは、私に興奮気味に言った。
「お、俺たちも竜の背に乗れるのだろうか……!」
「長様、どうですか?」
『――ふむ。我らの同胞に聞いてみよう』
すると、巨竜は人間たちを乗せることを快諾してくれ、彼らは喜び勇んで竜の背に乗った。
「かっけえ……!」
「うおおお! 俺は竜騎士になったんだ……!!」
「それはねえだろ。阿呆」
まるで子どもみたいにはしゃぐ彼らに、私たちは苦笑しながらも、順繰りに遭難している援軍を拾っていった。勿論、知らない国の援軍が大半だ。彼らは当然の如く、竜の群れを引き連れた私たちを警戒したけれど、顔が広いシロエ王子が取り次いでくれて、事なきを得た。
そうして最後の一団を拾った後、穢れ島へと向かう前に、ジェイドさんやマルタ、ティターニアと話し合った。
「恐らく、テオは何かを視たのじゃろうの。あれは未来を示唆する暗喩じゃろう。道化は道化だからこそ、素直に物事を伝えはせぬ。……ああ、面倒じゃ。ぶん殴って、全部吐かせようか」
「やめてください。物騒な。……それにしても、最後の言葉が気になるんですが」
道化の最期。なんて不吉な言葉だろう。まるで、道化師であるテオがどうにかなるみたいだ。すると、テオと一番付き合いが長いティターニアが、大きくため息を吐いた。
「……あれが笑って見送れと言うのだから、そうするしかないじゃろう。何も、道化がテオであるとは限らぬのじゃ。奴も人外の端くれ。そうそう簡単にどうにかなるものではないさ。それに……奴は喜劇を演じる道化。悲劇は似合わぬ」
「確かに、テオは悲劇って柄じゃないな。あいつには、腹が痛くなるくらい笑って……でも、最後にはほろりと泣けるような、そんな喜劇の登場人物こそ相応しい気がする」
ジェイドさんがそう言うと、テオをよく知らないマルタが、ふと疑問を口にした。
「そうなんだ。それにしても、そもそも人外って死ぬのかしら。死んだら、どうなるのかしら。人間みたいに、死後の世界があるのかしら――」
するとティターニアは、頭上に揺れる紅い石に、指先で触れながら言った。
「人外が人間と同じ場所に行けるはずがなかろう。人外がその存在を終えるとき、魂もろとも、何もなかったかのように灰燼に帰す。それが――人外の定めよ」
死ねばすべてが終わる。その言葉に、背筋に冷たいものが伝った。
嘗て人間であったというテオは、人外の終わりをどう捉えているのだろう。
――ひゅおう。
その時、また風が強くなってきた。横殴りに吹き付けてくる雪は、まるで弾丸のように肌を打ち、痛みを感じるほどだ。穢れ島があるという方向に目を遣るも、吹雪で煙る白い世界は、まるで私たちの不安を煽るようにすべてを覆い隠していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
眼下では、激しい戦闘が始まっていた。
人々の雄叫びと、魔物たちの咆哮、魔法が炸裂する音……人間と竜、そして魔物との命の遣り取りから生まれる、背筋が凍るほどの熱量を持つその音は、大気を震わせ私の鼓膜をも震わせている。
妹の乗った氷上船が、方向転換して魔物の群れに向かうのを視界の隅に捉えて、胸を締め付けられるような想いになりながらも、私は精霊王に向き合っていた。
テオの助言から考えだした、精霊王へのお願いは功を奏したようだ。
巨竜たちと援軍が加わった浄化軍は、破竹の勢いで魔物たちを駆逐していく。
それでもなお不安で堪らない私は、胸に秘めた最後の願いを口にした。
「――最後のお願いです。精霊王、魔物に困っているのです」
精霊王ほどの力を持っているのであれば、あの魔物たちを一掃してくれるのではないかという期待を込めて、恐る恐る言葉を紡ぐ。けれど、精霊王はゆっくりと首を振ると、悲しそうに瞼を伏せた。
《あの子たちも、元々はわたくしの生み出した子。……一度、家族を傷つけてしまったわたくしには……》
「そうですか……」
フォレたちを家族を失ったことを、心から後悔しているように見えた精霊王。邪気に染まってしまったとはいえ、彼女に魔物の排除を求めるのは酷なことだったろうか。
《ごめんなさいね。本当に、わたくしは……》
精霊王の顔が歪む。今にも泣き出しそうなその顔に、どう声を掛けていいものか迷っていると、直ぐ傍で話を聞いていたティターニアが、ふんと鼻を鳴らした。
「ほ。我らの生みの親は、随分と甘っちょろいのう」
ティターニアはクスクスと笑うと、ふわりと宙に浮いて足を組んだ。
「ちょっと!」
「妾は何も間違ったことを言ってはおらぬ。まったく、お主がこんなだから邪気だのが生まれるのじゃ。嘆かわしい」
「ティターニア!!」
《そこの人外。それは、どういうこと?》
精霊王の言葉に、怒りを買ってしまったかとドキリとする。精霊王の表情に怒りは見えないけれど、彼女の冷徹な一面を知る私は、内心怖くて仕方がなかった。けれども、ティターニアは物怖じすることもなく、精霊王に持論を展開した。
「お主は、王なのであろう? この世界を創り出した、神のような存在なのだろう? ならば、下々の者の顔色をいちいち伺うなど、愚者のすることじゃ。王なのであれば、自分の遣ること成すことに自信を持て。謝るなぞ、以ての外じゃ。夢を見るな、現実だけを見ろ。選んだ道が間違ったものであったとしても、胸を張ってひたすら進め。たとえ、それが血で赤く染まった道であったとしても。それが――王じゃ」
《――それは、暴君と言われるものではなくて?》
ティターニアはケラケラと笑うと、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「さあなあ。仁君となるか暴君となるかは、まだ何も成していない現状では、誰にもわからぬじゃろう? 結果として、民に望まれぬ暴君に成り下がったのならば、いつかは滅ぼされよう。そのときは、おとなしく滅びを受け入れろ。妾ならば、そうする」
《……そう。面白いわね》
「じゃろう? ありがたいことに、妾はまだ女王としてここに居る。まあ、妾を害そうなどと、肝の座った奴がおらぬだけかもしれんがなあ」
意味ありげな笑みを浮かべたティターニアを、精霊王は眩しそうに見つめると、ゆっくりと瞼を閉じた。
《わたくしは、まだまだ未熟ね。学ばねば》
「ほほほ。なに、神も人も人外も、不変のものはなにひとつとしてない。誰もが、迷いながら成長していくものじゃ。お主は少しばかり謙虚すぎる。神なのであれば、もう少し横暴で我儘であってもよいだろうの」
「ちょ、待って。ティターニア、待って!? なんか、このまま行くと精霊王がとんでもない神様に成長しそうだから、少し黙ろう!?」
「なんじゃ。ちょっとばかり破天荒のほうが楽しいじゃろうに」
「それはティターニアだけよ!!」
がくがくとティターニアの肩を揺さぶる。精霊王にとんでもないことを吹き込んだティターニアに、ひとり焦っていると、精霊王が笑っているのに気がついた。
フォレたち家族を無くして、酷く落ち込んでいた印象が残っていた私は、彼女の朗らかな様子に面食らってしまった。
精霊王は暫く笑うと、目端に浮かんだ涙を拭い、優しい笑みを浮かべた。
《ふふ。どういう神になるのか、それはもう少し勉強してからにするわ。それに、神であるからこそ、我が子の苦難をすべて取り除くべきではないと思うもの。わたくしに出来ることはやったわ。後は――あの子たちが、どういう未来を掴み取るか見守りましょう》
『――結論は出たようだな』
すると古龍が首をもたげてこちらを見た。
『妖精女王。ヒトの子等を任せる。――我はけじめを付けに行く』
「そうか。ならば、妾は茜と共に、特等席で戦いの行方を眺めることにしよう――」
ティターニアは、鳥のような人外を呼び寄せると、その背に私たちを誘導した。身軽になった古龍は、巨体をくねらせて眼下の魔物の群れに向かって飛んでいく。
気がつくと精霊王の姿は消えていた。でも、彼女のことだ。精霊界からこの戦いを見守っているのだろう。
ティターニアはどこからか酒瓶を取り出すと、喉を鳴らして飲んだ。そして、酔いで仄かに頬を染めながら、歌うように……高らかに言った。
「さあ、いよいよ決着の時が近づいてきたようじゃ。刮目してみよ――」
私は、ぎゅっと手を握りしめると、遥か上空から眼下の戦闘を見守った。