逝く者、遺された者、最後のご馳走5
慌てて後片付けをして、おじやが入った鍋を持って、「春」へと戻る。
温かな光が降り注ぐ「春」の真ん中には、花に埋もれてケルカさんが眠っていた。
その傍には、ティルカさん、ユエ、古龍が寄り添っていて、じっとケルカさんを見守っている。
「……ケルカ!」
ティターニアが眠るケルカさんにそっと触れる。
ケルカさんは、先程見たときよりも、全身至るところから伸びている若葉の量が増えているように見えた。
「茜さん。最後の晩餐は用意出来たのかい?」
「ティルカさん……はい。出来ました……ケルカさんは……」
「大丈夫。ほんの少しだが、まだ時間はあるよ。さあ、最後の晩餐の準備をしようか。旅立つエルフを囲んで、家族や友人と用意した晩餐を共に食すのが慣例なんだ」
柔らかな笑みを浮かべたティルカさんに促されて、食事の用意を始める。
「春」の暖かな日差しが注ぐ、ふわふわの若葉の下草の上に、ユエが敷物を敷く。古龍は巨大な体を横たえ、じっと目を瞑ったままだ。その巨大な鼻先に、舞い飛んでいた蝶が止まっている。
ティターニアはケルカさんの傍に寄り添い、穏やかな笑みを浮かべて、ボソボソと小声で何か話しかけている。テオはドライアドたちを一箇所に集め、その場から動かないようにと四苦八苦している。
「ほら、菓子も用意してあるんだ。兄さん、これ好きだったろう」
ティルカさんは眠るケルカさんに語りかけると、頭の傍に菓子を入れた皿を置いて、笑みを浮かべた。
ティルカさんが用意した菓子は、ジェリービーンズのような色鮮やかな半透明の菓子だ。太陽の光を反射してキラキラと輝いているそれを、テオの下からひとり抜け出したはなこが、物欲しそうに見つめている。
「茜、お茶を淹れるから、カップを用意してくれる?」
「あ……わかりました」
「ユエ、お湯の用意が出来たぞ」
「ジェイド、ありがとう……ポットに注いでおいて」
ユエとジェイドさんが、協力してお茶を淹れている。
随分とユエは手慣れた様子だ。
ユエはもしかしたら、たくさんのエルフたちを、こうやって見送ってきたのかもしれない。
私はそんな彼らの様子を、おじやの用意をしながらなんとなく眺めていた。
――なんで、こんなに悲しみから程遠い雰囲気なのだろう。
ケルカさんの時間が少ないと、慌ただしく戻ってきたのに――周囲に流れるのんびりとした空気に、なんだか拍子抜けしてしまった。
それは、この切り取られた「春」のお陰なのだろうか。
少し離れた場所は、身も凍りそうなほどの極寒の冬だというのに、ひら、ひら、と白い蝶が視界を横切る。ケルカさんを中心にして降り注ぐ、ぽかぽかと温かい日差しは、気持ちと身体を弛緩させ、皆の纏う空気も、どこかのんびりしているように見える。穏やかな時がゆるゆると流れて、まるでピクニックにでも来たみたいな雰囲気だ。
――これが、死を厭わないエルフの最期なのだろうか。
「茜さん? 大丈夫?」
気がつくと、ぼうっとしていたらしい。ティルカさんが、心配そうに私に声を掛けてくれた。
「……あ、すみません。すぐに用意が出来ますから」
私は慌てて、手に持った器におじやを注いでいった。
皆の前におじやの入った皿が行き渡り、ユエがお茶を入れ終わると、各々が敷物の上に座って向かい合う。
すると、ティルカさんが、笑顔で両手を打った。
「さて、準備が出来たかな。兄さんが食べたら、僕たちも食べよう」
そう言って、ティターニアに視線を向けた。すると、ティターニアは頷いてスプーンを手に取った。
ケルカさんの口――と言っても、もう既に口とは呼べず、絡まりあった木の隙間としか言いようがない――に、掬ったおじやを流し込んでいく。
おじやはかなりもったりしている。それが木の匙からゆっくりと滑り落ち、やがてケルカさんの口の中へと滑り込んだ。
その様子を見ていたティターニアは、満足そうに頷いた。
「――ケルカも喜んでいるじゃろう。さあ、皆も食べるがよい」
これでケルカさんが食べたことになるらしい。
まるで儀式のようだと思いながら、その声を合図にして、皆、おじやに手をつけ始めた。
木の器に入れられたおじやにスプーンを差し込む。
水分がかなり飛んで、お米の粘り気が溶け出したおじやは、見た目は非常にシンプルだ。
味噌が溶け込んだ褐色に、とろとろの黄金色の卵が絡み合って、最後の仕上げに乗せた、刻んだ青ネギの緑が色鮮やか。それに、黄金茸を入れたからだろう。茸独特の、素晴らしく食欲をそそる匂いが器から立ち上っている。
ごくりと唾を飲み込みつつ、スプーンを口元に運ぶと、鼻を一気に茸と味噌の混じり合った匂いが抜けていった。途端、口の中に唾が込み上げてくる。
……うう、なんて良い匂い。
「……いただきます」
小さく呟いて、スプーンを口に含む。すると――舌がおじやの味を感じ取り、脳に信号を送った瞬間、私は硬直してしまった。
鑑定で「筆舌に尽くし難い」ほど美味であると出たこの茸。
熱で溶ける性質のお陰で、姿は見えないけれど、お米一粒一粒にその味が十分すぎるほどに染みている。味噌の香ばしさもどこかほっとする味わいだ。青ネギもいいアクセント。お米もいい具合の柔らかさ。けれど、それらを圧倒して、このお椀の中は黄金茸の独壇場だった。
しいたけ、舞茸、えのき、しめじ、松茸――その他にも様々な茸があるけれど、味はどの茸にも似ていない。けれど、そのどの茸が持つ旨味をすべて合わせて、更には数段グレードアップしたような、そんな旨味がある。
ひとくち食べるごとに、脳天を揺さぶるほどの旨味の衝撃が襲ってくる。
……あああ、美味しい。美味しいじゃものたりない。もっとふさわしい言葉が欲しいのに、どうしても見つからない!
「〜〜〜! ……はふっ、んんっ……!!」
我を忘れて、スプーンを勢い良くお椀に差し込み、口に掻き込む。お行儀なんて気にしていられない。その茸の発する旨味を、体が、本能がどうしようもなく求めているのだ。ひとくち食べるごとに、頬が緩む。「春」のお陰で、元々暖かかったせいもあり、熱々のおじやを食べると、全身から汗が吹き出してくる。けれど、それを不快に感じる余裕などまったくなく、お椀の中身を食べるのに夢中だった。
そして、お椀の中身がなくなった頃。
「茜。お願いがあるんだ」
「どうしたんですか?」
「おかわりが……おかわりが欲しい……!」
ジェイドさんがおかわりの声を上げると、皆、我も我もとお鍋に殺到した。大鍋に作ってきたおじやは、あっという間に皆のお腹に消えていく。ドライアドなんかは、鍋底に残ったおじやまで、指で救って食べる始末だった。
――こうして、ケルカさんの最後の晩餐、茸たっぷり味噌おじやは、あっという間に完食と相成ったのだった。
ユエの用意してくれたお茶を飲みながら、食後の時間を過ごす。
その顔は誰も彼もが緩みきっていて、おじやの美味しさを物語っているようだった。
弛緩した空気のなか、ティルカさんだけは硬い表情で、空になったお椀を見つめていた。
「ねえ、茜さん。これ、なに?」
その様子に、思わずどきりとする。
「え? ……ごめんなさい! 口に合いませんでしたか?」
ティルカさんも、夢中になって食べていた気がするけれど、味噌味なんて純和風な味付け、エルフからすれば受け入れがたかったかもしれない。背中を冷たい汗が伝ったけれど、私のそんな心配は杞憂に終わった。
「あ、違うんだ。とっても美味しかったよ。というか、美味しすぎるんだ。商売柄、行商のために世界中を回って、いろんなものを食べたけれど、ここまでの強い旨味、緑の雫を煮詰めたような濃厚な森の香り……食べたことがない。一体、何を入れたの……!?」
「え……ええと、黄金茸です。ドライアドが出してくれて」
「ちょ……最高級食材、しかも伝説レベルの食材じゃないか! どれくらい入れたんだい!」
「え? ええと……あるだけ入れたんですが。ザル山盛り一杯くらいですかね?」
「うそおおおお……」
ティルカさんは私の話を聞くと、頭を抱えてしまった。
訳も分からず、ジェイドさんを見る。けれど、彼もよくわからないようで、首を振っていた。
すると、勢い良く顔を上げたティルカさんが、涙目になって言った。
「黄金茸はね、嘗てテスラで秋の寿ぎの儀式の際に食べたと言われている、伝説の食材なんだ。それも、王族のみしか食べることが許されない、貴重な食材でね。ここ数百年は、採れなくなって久しいと言われている。ジェイドさんが知らなくても当然だね。幻過ぎて、商人でもこの茸の存在を知るのはごく一部だ。この茸には、テスラ王宮から懸賞金が掛けられていてね。見つけたものには――」
……ごくり、とティルカさんはつばを飲み込んだ。
「一株につき、金塊ひとつもらえるんだ。商人にとって、一度は手にしてみたい、憧れの食材なんだよ!」
「う、うええええ!?」
思わず、空になった鍋を見つめる。確かに、ものすごく美味しかったし、鑑定結果も異常だったけど……。それにしたって、一株に付き金塊ひとつ……ああ。
この鍋ひとつで、一体いくらの価値があったのだろう。
呆然としていると、そこに更にユエが追い打ちを掛けた。
「しかも、このおじや? だっけ。すごい量の魔力を内包していたよね。そこらの魔石なんかよりも、よっぽど多い量の魔力だった。まるで、精霊や人外に捧げる供物レベルだ。普通に作って、どうしてこうなるわけ?」
「そ、それはお米やらの材料を、ドライアドが異界から喚んだから……」
「うわあ。そうなの? それは、ドライアドが勝手に出したの? 大丈夫? ドライアドにいいように使われてない? 茜ったら、また人ならざるものが大喜びするような食事を作って……。そのうち、悪い人外に攫われても知らないよ。捕まったら、一生飯炊き要員で監禁されるよ」
「……なにそれ怖い!」
ユエは怯える私を見て、いたずらっぽく笑った。
「このうえないご馳走だってことには、間違いないけれどね」
『……まったくだ』
大皿に取り分けたおじやを、ひとなめで食べきっていた古龍も、満足気に息を吐く。すると、ぶわっと生暖かい風が頬を撫ぜた。
……美味しいって言ってもらって嬉しいけれど、すごく複雑な気分!
私は、知らぬふりを決め込んでお茶を飲んでいるティターニアを、キッと睨みつけた。
まさか、妖精の女王たる存在が、知らなかったわけがないよね!?
「ティターニア!」
「ほほ。怖い怖い。……やはり、黄金茸は最高の味じゃったの。ケルカの最後の晩餐にふさわしい」
「け、ケルカさんのためになったならいいんですけど! というか、そんな魔力が篭ったもの、人間が食べて平気なんですか!?」
「腹いっぱい食べておきながら、今更何を言っておる。体に異常は起きておらぬじゃろ?」
ティターニアは朗らかに笑うと、私の体を指差した。
……確かに、お腹も痛くないし、気持ち悪くなったりもしていない。
というより、なんだか体が軽いような……。
「寧ろ、力が溢れているじゃろう? 濃い魔力は、ヒトを強くする。それに、この茸は生命力を与えるのじゃ。――それこそ、枯れ木を蘇らせるほどの」
それにしたって、予め言っておいてくれてもいいと思う!
私は文句を言おうと口を開こうとした。けれど、その瞬間聞こえてきた声に、思わず口をつぐんだ。
「――まったく。君は相変わらずいたずらが好きだね」
ティターニアが、柔らかな笑みを浮かべて、視線を下へと下げる。そして、熱の篭った眼差しを彼に注いだ。
「妾は妾に出来ることをしたまでじゃ。茜も応援してくれていたぞ?」
「茜さんは、君みたいに捻くれてはいないからね。きっと素直に応援してくれていただろうに。後で謝るんだよ」
「お主が言うのなら、仕方がないのう」
そして、彼はそっと手を伸ばして、ティターニアの頬に触れた。
「それでも、最期にまた君の美しい声が聴けたのは嬉しいよ」
「ふふ。そうじゃろうそうじゃろう。茜に感謝せねば」
私たちは、ただその光景を唖然として見ていることしかできなかった。
「ねえ、皆もいるのかい? 声が聞きたいなあ……」
その声の主、それは――さっきまで、人間とも言えないほどに木への変化が進んでいたはずの、ケルカさんだったのだ。