逝く者、遺された者、最後のご馳走4
大量に喚び出された食材たちを抱えて「春」まで戻り、少し離れた場所で料理することに決めた。
因みに、ドライアドたちは私たちの後ろを少し離れて着いてきていた。
……正直なところ、ちょっと怖いんですけど!?
「……茜は、またいっぱい引き連れてきたねえ……」
「わ、私が呼んだわけじゃないですよ!?」
テオは大量にいるドライアドを見て、呆れ顔でため息を吐いていた。その後ろでは、ティルカさんがお腹を抱えて笑っていた。
……うう、どうして人外にこんなに好かれるのか、私が聞きたい!
頭を抱えたくなったけれど、今は時間がない。テオに、辺りの雪を魔法で片付けてもらい――因みに、物凄く便利な魔法だと褒めたら、デレデレしていた――料理の準備を進めていく。
すると、一体のドライアドが私の袖を引っ張った。
「ごはんー」
「ごめんね、はなこ。ちょっと待ってね」
はなこは待ちきれないと言った風に、ブンブンと体を左右に振っている。他のドライアドは、一定の距離を保って食事の用意が出来るのを待っているのに、この子だけはやけに親しげに近づいてくる。
だから、区別をつけるためにも、この子に「はなこ」という名前をつけた。ドライアドたちは、始めはまめこと見分けがつかなかったけれど、よくよく見てみると微妙に個体差があり、その子は、右足の先に白い花をつけていたから「はなこ」。この子は、ティターニアの呼びかけに応えて現れてくれた、最初の一体だ。可愛い名前だと思うのだけれど、ジェイドさんは引き攣った笑いを浮かべ、テオは「酷いな!」と踊っていた。
……可愛いよね?
「うー」
はなこは、機嫌良さそうに左右に揺れている。
以前、山の主が異界から山菜を喚び寄せたときは、魔力の使いすぎで弱っていた。けれど、ドライアドたちは一見平気そうに見える。山の主は人外でドライアドは精霊だから、色々と違うのだろうけれど、この子たちの潜在能力の高さが伺えると言うものだ。
……さて、それよりも料理を進めねばならない。
テオに雪を片付けてもらった場所に、簡単な竈を作り、ジェイドさんに火を起こしてもらう。
鍋に水を張り、出汁を取らなければならない。
するとそこに、ピンクの可愛らしいエプロンを着けたティターニアがやってきた。
「茜、妾も手伝おう。ケルカの最後の食事じゃからな」
「……そのエプロンはどこから」
「あのドライアドに出させた。妾、手ずから料理をするのじゃ。それくらいは良かろう。それに、ちゃっちい造りながら、内包する魔力量は素晴らしい。この妖精女王が身につけるに値する」
どうやら、山の主の時のように、異界から召喚された品には、大量の魔力が付与されるようだ。
その時、ふとした疑問が沸いてくる。異世界に喚ばれた――と言えば、我が家も一緒だ。
「同じく召喚されたはずの、我が家にある品には、魔力がこもっている様子はないんですけどね……何が違うんでしょうね」
「――あれは狭間にあるからな」
「……狭間?」
「今は、その説明をしている場合ではない。ケルカの為に、はよう作り始めるぞ、茜!」
「は、はい!」
ティターニアに急かされて、調理を開始する。
そうだ、ケルカさんに遺された時間はあと少し……!
――最後の晩餐。彼の生涯で、一番最後に食べることになる料理。
その味が、旅立つ彼を優しく送り出すものになればいい。
そう思いながら、私は袖を捲くった。
今回作るのは、「茸たっぷり味噌おじや」。
正直、最後の晩餐におじやなんてどうなの、と思ったのだけれど、ティターニアはニヤニヤしてそれでいいと言ってくれた。……なにか企んでいそうな顔をしていたけれど、まあ材料が揃っている状態で、今更別の料理を作るわけにはいかない。
米から作る似たような料理に、お粥、雑炊、おじやとあるけれど、その違いは調理過程や米の状態にあるらしい。お粥は生米から炊いて作る。他のふたつは、炊き上がったご飯を利用する。
雑炊は、出汁の効いたスープに、洗ったご飯を入れて煮込む料理。お米の粒を確認できるくらいの煮込み具合で、汁気たっぷりだ。おじやはご飯を洗わずにスープに投入して、粒粒が崩れるくらい煮込む。ご飯の粘りが出汁に溶け出て、あまり汁気がなく、もったりとした仕上がりになる。
今回は生米から炊くから、お粥と言ってもいいかもしれない。
けれど、あっさりめの味付けのお粥と違って、茸との相性抜群な味噌味で濃いめに仕立てる。それに汁気はあまり残さないつもりだから、もったりしたおじや寄りかもしれない……なんというか、判断が難しいところだ。
これから作る料理をティターニアに説明すると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「米と茸を煮るのか。なあ、聞いてもよいか。ケルカの最後の晩餐に……なぜ、この料理を選んだのじゃ?」
「これはですね、うちの母が私が熱を出したときに、よく作ってくれたんですよ」
頻繁に変な料理を作る母だったけれど、流石に病床の私の食事には手を加えようとは思わなかったらしい。母の思い出の味というと、真っ先に思い出すのはこのおじやだ。
「具合が悪くなると、無性にこれが食べたくなります。優しかった母を思い出すから、病気が辛くても、温かい気持ちになって頑張れる気がするんです。……きっと、ケルカさんも、あの状況ですから具合がいいとは思えませんし――私の思い出の味ではありますが、少しでもケルカさんの為になればと」
すると、ティターニアはどこか淋しげにぽつりと呟いた。
「……妾は、人外ゆえ病気なぞせぬ」
「……ティターニア?」
「だから、病床の者の気持ちがわからぬ。それに、妾が何かを口にするのは、あくまで娯楽のためだ。酒も、飲みたいから飲むだけであって、必ずしも必要なものではない。食の楽しみ。喜び――ヒトであれば当たり前に知るものを知らぬ。……料理とは、そう言った気持ちを呼び起こすことも出来るものなのだと、それも今知った」
そして、瞼を閉じると、ほうと白く染まった息を吐いた。
「ケルカや、以前の夫が病に臥せっているときもあった。……だが、妾には料理を作ってやろう、なんて発想には至らなんだ。……普通の妻であれば、お主のように何か作ってやるのだろうな」
ティターニアは目を開けると、泣きそうな顔になって、そっと冬の空を見上げた。
「――いつも。いつも……夫が最期を迎える頃になると、後悔するのじゃ。妾が同じヒトであれば。もっと、幸せにしてやれただろうか。……もっと、共に居られる幸福を噛み締められただろうか。最期は、共に逝くことも出来たであろうに――」
その言葉は、冷たく冷え切った冬空に吸い込まれ消えていく。
それは、妖精女王らしくない、弱々しい言葉だった。
「妻が妾でなければ、夫はもっと幸せであったのではないだろうかと――」
「ティターニア!」
私が声を掛けると、ティターニアはビクリと身を竦ませた。
私は、キンキンに冷えた水に漬けておいた米を、ザルごと引き上げる。冷たい飛沫が飛び、エプロンを濡らす。冬、それも屋外で触れる水は恐ろしく冷たく、指先の感覚がほとんどない。
「――それは、ケルカさんが言ったんですか?」
「いや」
「妖精女王と番になったことを後悔する言葉を、過去の誰かが言ったんですか?」
「……いや、皆、死の間際には、妾にお礼を言ってくれた」
ティターニアは、胸の辺りを苦しそうに掴んで俯いている。
――ああ、どうしてさっきの私は、ティターニアが悲しんでなどいないと思ったのだろう。
妖精女王は、普段は明るく、自由気ままで、無邪気。そして、人外らしさを発揮する時は、肝が冷えるくらい恐ろしい……そんな人だ。それが、私が惹かれた妖精女王だ。
けれど、今の妖精女王はどうだろう。
なんて――なんて、人間らしいのだろう。愛する人の死に直面して、普通の人間と同じように過去を振り返って後悔している、誰にも言われていないのに、勝手に自分を責めている。涙は零してはいないけれど、心の底から悲しんでいるではないか。
……なんて、人間臭い。寧ろ、彼女の愛はそこらの人間よりも深く、そして真摯だ。
私はザルを握る手に力を込めて、気持ちを切り替えた。
泣きそうな顔の妖精女王。彼女は、私のかけがえのない友達だ。
私は――友達の力になりたい!
「なら、勝手に自分を貶めないでください。私が知る限り、ケルカさんはティターニアと結婚できたことを、幸せに思っているように思えました。ティターニアを心から愛しているように見えました」
――それこそ、理想郷に行くことを躊躇うほどに。
最後の言葉は、口に出さずに飲み込む。
ケルカさんの胸に秘められた想い。それは私なんかが言っていい言葉じゃない。ケルカさんの口から語られるべきことだ。
私はまっすぐティターニアの顔を見ると、笑顔になって言った。
「どうしようもないことを後悔するよりも、今は私たちに出来ることをしましょう。美味しいご飯を作って、ケルカさんに届けるんです。……そうでしょう?」
すると、ティターニアは何か眩しいものをみるように、目を細めた。
「『自分に出来ることをする』……お主は、いつもそればかりじゃな」
「だって、私に出来ることは少ないですからね。だから精一杯、その少ないことをやり遂げるだけです! さあ、私がお手伝いしますから……頑張りましょう!」
私の言葉に、ティターニアは、くつくつと喉を鳴らして笑った。
その表情は、どこか吹っ切れたような――そんな風に見えた。
「無駄に長生きすると、余計な万能感が沸いて厄介なものじゃの。そうじゃ、妾に出来ることもそう多くない。そうじゃ、そうじゃの……妾には『妾の出来ることを』。一つずつ、確実にこなしていくだけじゃ」
そうして、ティターニアは笑顔で袖を捲り、材料を手に取った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ほれ、薄く削がれよ」
ティターニアが指先を宙に浮かんだ鰹節に向けると、勝手に動き出した鰹節は、削り器に飛び込んでいき、削り節に変わる。ふわふわ、ゆらゆらと黄金色の断片が、海中の小魚のように辺りを泳ぎ回る。
「ふむ。沸騰したな。昆布とやら、もう出汁は出きったかのう」
すると、鍋の中から飛び出した昆布が、出し切りました! と言わんばかりに、ティターニアの前でくるりと回転した。すると、入れ替わりに削り節が鍋に飛び込んでいく。いつの間にやらスライスされた茸が、自分の出番はまだなのかと、今か今かと鍋の周りを飛んで待っている。
その様子を、私とジェイドさんはぽかん、と口を開けて眺めていた。
まるで、ファンタジー映画の一場面か、物語の魔女の料理風景そのままの光景は、不思議すぎて思考が停止してしまうほどだ。そんな私に、エプロン姿のティターニアが声をかけた。
「……ほれ、茜。間抜けな顔をしておらんで、次はどうすればいい」
「あ!? あ、えっと……はい! 出汁が出たら、削り節を濾して、そしたら出汁を冷まします」
「ふむ。なるほどな。――テオ!」
ぽかんと眺めている内に、出汁が取り終わったようだ。出汁から削り節を浮かび上がらせたティターニアは、手を叩いてテオを呼び寄せた。
「呼ばれて飛び出て……」
「はようせい!」
「――ああ、辛い!」
テオが鍋に触れる。すると、もうもうと立ち上っていた湯気が消えて、出汁が冷えたのが解った。
ティターニアが鍋の中を覗き込んで、ふう、と眉を顰めた。
「折角、熱くしたのにまた冷ますのか……まったく、料理とは面倒なものじゃの」
「普段は作り置きの冷凍の出汁を使ったり、顆粒の出汁を使ったりしますから、そんな手間じゃないですけどね……さあ、次はお米を入れていきますよ。ジェイドさん、お米を取ってもらえますか?」
「ああ、わかったよ」
浸水しておいた生米を、出汁に入れる。それを火にかけて沸騰させる。暫く煮込んだら、そこに切った茸も入れるのだけれど――……。
ちらりと、ティターニアが刻んでくれた茸を見る。
事前に鑑定で確認したのだけれど、ドライアドたちが用意してくれたこの茸は、普通の茸ではなかった。
『黄金茸(希少種)
精霊の恩恵を強く受けて育った茸。長年ドライアドが棲み着いた、枯木の麓にのみ生える。
熱に弱く、茹でると溶けてしまうが、溶け出した茸の味は筆舌に尽くしがたいほど美味。
生命力に溢れ、一説では木の根本にその茸の汁を撒くだけで、枯れ木が蘇ったことすらあるという。
異界と言えど、この茸以上の美味はなく、似た味もない」
――似たものはないんですってよ……!?
私はごくりと唾を飲み込んだ。
何度も鑑定をしてきて、「○○の味に似ている」と結果が出たことはあれど、似た味もないと出たのは初めてだ。この鑑定結果でわかることは、とんでもなく美味だということ。それに……。
「……生命力に溢れている」
「うー!」
鍋の中身を覗き込み、楽しげに揺れているはなこをそっと覗き見る。
何を思って、この食材を私たちに託したのか知らないけれど、これがあれば最高の最後の晩餐が作れそうな予感がする。
ドキドキしながら鍋に茸を投入する。すると鑑定どおりに、湯に浸かった部分から黄金色の茸は溶けてしまった。
元々、黄金色だった出汁の色が一層濃くなる。
途端、ぶわりと豊潤な森の香りが、出汁のいい香りに混じって辺りに広がる。
「――とんでもなく、いい匂いだな……」
「流石じゃのう。ドライアドから授かりし森の恵み。……これは最高の味になりそうじゃの」
ジェイドさんも、ティターニアも、期待の篭った眼差しを鍋の中に注いでいる。
その後は、中火にして蓋をして、吹きこぼれないように気をつけながら、お米が柔らかくなるまで煮ていく。
ふつふつと沸騰する音を聞きながら、溶き卵と刻んだ青ねぎ、それに味噌を用意しておく。
「これで、最後の仕上げか?」
「そうです。味噌を溶いて――」
こし器に適量の味噌を取って、いい匂いを放っている出汁に沈める。
菜箸で味噌を溶かしていくと、黄金色の液に褐色の靄が広がっていく。ただでさえいい匂いを放っているその中に、更に味噌の香ばしさがプラスされて、思わず唾が込み上げてくる。
「……こうじゃな?」
「はい。ゆっくりと、回しかけてください……」
ティターニアがボウルから、とろとろに溶いた卵を鍋に回しかける。ふつふつと沸いている出汁に溶き卵を入れると、ふわふわと柔らかそうな卵が浮いてきた。
後は火から下ろして、蓋をして蒸らす。
蒸らしが終わったら――青ねぎを散らせば、完成!!
「……おお」
「これは」
「……上手く出来ましたね」
三人で鍋を覗き込む。なんとか上手に出来たことに、ほっと胸を撫で下ろすと――急に、テオが私たちの目の前に現れた。
仮面を被ったテオの表情はわからない。けれど、どこかその姿には焦りが垣間見えた。
「――妖精女王の番が」
「――!!」
私たちは顔を見合わせると、急いで「春」に料理を運ぶための準備を始めた。
茜が人外やら精霊に好かれる理由は、炎の神殿でのエピソード参照。
口コミってすごいよね……(遠い目)